「科学の目」で日本の戦争を考える①
2014年11月3日 不破哲三社研所長の講座から
赤旗まつりで、不破哲三氏の講演がありました。その概要が入手できましたので、「仮説実験授業の形式」で紹介いたします。私が、いくつか、問題の形式で紹介しますので、答えを考えながら、読み進めてください。
第1部『戦争の性格』
日本共産党の不破哲三議員は、たびたび国会で、さきの大戦(昭和31年から45年までの15年戦争)について、質問してきました。
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問題1 不破哲三氏は、あの戦争は、「侵略戦争であったと思うかどうかについて、田中角栄首相(1972年)に質問しました。田中首相はどのように答えたでしょうか。
予想
ア、侵略戦争であった
イ、侵略戦争ではなかった
ウ、後世の歴史家が評価する
エ、わからない
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問題2 不破哲三氏は、それから16年後、竹下首相に同じ質問をしました。田中首相と同じ答弁が返 ってきました。そこで、不破氏は角度を変えて、「ヒトラーが起こした戦争をどう思うのか」と質問しました。
竹下首相は、「この問題は学問的には、まだ、整理されていない」と答弁しました。
この国会答弁を聞いた、外国の通信社(AP通信)はどのような記事にしたでしょうか。
予想
ア、日本の首相はヒトラーの戦争を肯定した
イ、日本の首相はヒトラーの戦争を否定した
ウ、何の反応もしなかった
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解説
問題1は、 田中首相の答弁は、「侵略戦争であったか、なかったかとのお答えは、後世、歴史家が評価するものであるという以外、お答えはできません」というものでした。ですから、答は(ウ)です。
問題2の答えは、(ア)です。
16年後の竹下首相の答弁も同じ答弁を繰り返しました。
そこで、不破氏は、角度を変えて、問題2のような質問し、同じような趣旨の答弁を得たのです。
ところが、ヒトラーの戦争については、外電は、「日本の首相、ヒトラーの戦争を肯定」と打電したのです。
また、アメリカ太平洋軍の準機関紙「スターズ・アンド・ストライプ(星条旗)」も、同様な報道をしました。
「侵略戦争かどうかの判定ができない政府は国際政治に参加する資格がない」と不破氏は述べています。
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「侵略戦争」の事実は公文書(外務省発行の日本外交年表並主要文書1840年~1945年)で明らか
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続いて不破氏は、外務省の公文書を引用し、政府自身が、「侵略戦争」の事実を認めていることを明らかにしています。
15年戦争は、3つの段階に分けられます
- 満州事変」(1931年9月) 満州(中国東北部)全土を占領し、かいらい国家「満州国」をつくり、全域を日本のものにしてしまいました。だれがみても明らかな侵略戦争でした。
- 日中戦争(1937年7月) 外務省の公式文書には、日本政府が中国側にしめした講和条件が書かれています。「満州国を正式承認すること」、「北支及内蒙」と「中支占拠地域(上海、南京など)」に「非武装地帯を設定する」。 この非武装地帯に、日本軍は「駐屯する」というのですから、日本の占領地帯ということは明らかです。
- 大平洋戦争(1941年12月) 開戦前の昭和40年9月に締結された日独伊三国同盟には、こう書かれています。ドイツ・イタリアは日本の「大東亜新秩序建設(大東亜の征服)」に協力する。
それを実行に移したのが、太平洋戦争です。
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侵略戦争の定義
武力で領土拡大をし、外国を支配する
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みなさんは、「さきの大戦」をどのような呼称で表していますか。これは、人によって意見が分かれます。
1、太平洋戦争
2、大東亜戦争
3、15年戦争
4、東アジア・太平洋戦争
私は、「15年戦争」または、かっこ付きで、「大東亜戦争」を使っています。
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次回は、時の首相、東条英機は、12月8日の真珠湾攻撃を、「いつの時点で知らされたのか」の問題から、始まります。