昨日の続きです。
なぜ、こんなバカなとも思える「ガレキの広域処理」などという無謀な方法を考え出したのか、また、多くの国民が、「絆」の名のもとに、瓦礫処理に反対する人を、「非国民」のように非難をしたのか。私には、ここがよくわからない。
岩手の瓦礫を、北九州市にまで、通常の5倍も6倍もの費用をかけてトラックで運ぶなんて非効率なことをするのか。喜ぶのは、トラック運送業者だけではないか。
阪神淡路大震災は都市部の震災であったから、瓦礫があっては、復興の妨げになった。だから3年で瓦礫の処理をした。
東北は違う。農村部の上に、津波被害を受けている。津波の場所は、住宅がたたない場所は瓦礫置き場には十分使える。もちろん、生活に影響する箇所もないとは言えない。それは、近くに移動すれば済むことである。ハエや臭いも対策もとるのは当然のことである。
宮城県知事は、「予想以上に瓦礫が津波で流されたために、瓦礫はすくなかった」とまで言わざるを得なかった。
私は、こんな非科学的なことが、多くの国民を巻き込んだことに恐ろしさを感じている。私と、一緒に、産廃処分場反対運動をたたかった人の中にも、そのような人がいることがさびしい。