★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

ペルセへの旅(2) August 13, 2005 15:00

2005-08-14 04:00:27 | カナダ旅行

この旅の行程:行きは、

    ナイアガラフォールス - トロント  132km
         トロント - モントリオール 539km
         モントリオール - ガスペ  319km
               ガスペ - ペルセ  63km 

合計 1053km

         :帰りは、          990km 

総合計2043km です。




July 30, ‘01
ペルセには翌月曜日の朝10時頃到着。私達は真っ直ぐガスペまで行き、折り返しの列車でペルセへ戻るので、窓から降りる人達を見ていた、子沢山の40代の夫婦も7,8人の子ども達を連れて降りた。家族間でも仏英両語を使う一家で、ママと一番幼い娘はフランス語しか使わなかったが、後は実に自由に両語を駆使していた。例の日本人夫妻も降りた。タクシーが待っていて人々はウロウロしている。駅から街まではタクシーで行くしか方法はないが、それを良く判っていない人も居たのだろう。

それからまた2時間ほど乗って、ガスペ着。少し遅れたので本来なら2時間ある筈の観光時間は1時間半くらいになってしまったが、6年前と違いタクシーが数台並んで待っていたので利用する。ジャック・カルチエ(カナダに最初に到着したフランスの探検家)博物館、木造のカテドラルなどを廻ってから、ヨーク川を廻って見ますか?と運転手が言うので応じた。途中、政府管理の孵化場に寄ってくれた。
折り返しの列車でペルセに戻る。
駅からはタクシーの予約をしてあったので、停まっていたタクシーの方へ行こうとすると中年の女性がフランス語で話しかけてきた。私たちを迎えに来てくれた運転手だった。彼女はフランス語しかしゃべれないし、私たちのフランス語も危なっかしいものだけれど、目的のホテルには連れて行ってもらえた。前に来た時泊ったホテル、ル・ノルマンディーは街にも海にも近く優雅でまた泊まりたかったのだが、満杯だったので地図だけを頼りに選んだのがこのル・ミラージュ。親切だし、選択は正解だった。
ホテル/モテル・ル・ミラージュは小高いところにあり見晴らしが良い。ペルセ岩も良く見える。すぐ裏はサンタンヌ山で、街までは徒歩20分程。ル・ミラージュのレストランは朝食だけなので夕食は街まで食べに行くしかない。その前に滞在中の予定をはっきりさせておこう。Eメールで連絡はしてあったが「タクシー・ペルセ」の事情を聞いてみる必要があった。
先回訪ね残したところも含めた観光は8時間ツアーに参加するつもりだったが、これは4人いないと慣行出来ないとのことで、ウエイティング・リストだったからその後の状況を聞かなければならない。電話で話している内に2時間ツアーでペルセ界隈を廻れることが判ったので、ガスペは今日行って来たし、明日午後1時からのそのツアーに参加することに決めた。ペルセ岩へ歩くこと、ボナヴェンチユア島へ渡ることは比較的自由に出来る。
街に出てみると、ホットドッグ、ハンバーガー店の方が目立つ南の方に比べて「ピッツェリア」が多い気がした。道から少し奥まったシーフードの店の前でメニューを読んでいたら声を掛けられた。もう決めたので入ろうとしていた時である。その店の経営者で、愛想のいいおじさんだった。席に案内された時私達はテラスを選んだ。まだ日は高く暑かったし、店内は蒸し暑い気がしたから。
待てど暮らせど注文を取ってくれない。呼ぶと「今すぐ来ますから」との返事があるだけ。30分余りも待って、窓を挟んで私達と並んだ、後から入った客がもう食べ初めても私達は忘れられているらしかった。Nが立って、道端で未だオシャベリしている例のおじさんの所まで行き、「もう帰ろうかと思うの」と苦情を申し出たら、彼は慌てて飛んで来た。
ウェイトレスは忙しかったらしいが、後から来た人が先にサ-ヴされるのは腑に落ちないと言う私達に受持ちが違うからだと言い訳していた。
食事は不味くなかったが、ここはボツ。チップは1セントも置かない。Nは「でも幾らかは置かないと。。。」と気の毒そうだったが、「失礼をわびて割り引きでもしてくれていたら話しは別」と私も頑固だった。
観光案内所に立ち寄り干潮の時間を調べる。明日は2時間ツアーの後、ペルセ岩へ歩くことにした。
(つづく)

写真はジャック・カルチェ博物館にある記念碑とホテル/モテル ル・ミラージュの朝食レストラン


ペルセへの旅(1) August 12, 2005 19:56

2005-08-13 08:56:11 | カナダ旅行
急に列車の旅が懐かしくなりましたが、当分の間不可能です。
ふと、思い出し過去の旅の記録を、二、三日連載します。カナダへの旅行を計画しておられる方達の参考になれば幸いなのですが。
VIA(ヴィァ)列車を利用した旅です。VIAの日本語サイトをリンクしておきます。
私にとっては二度目のペルセ行き、最初の時は個室の寝台車を使ったのですが、二度目は節約してエコノミーにしました。友人のNが一度行ってみたい所だと言うので、もう一度行っても良いと思っていた私は二つ返事で応じたのです。


ペルセへの旅(1)
July 29, ‘01
日曜日の朝、トロント11時30分発のモントリオール行き列車のゲートには長い行列が出来た。
私達は早かったので前から2番目。だが、子ども連れなどを早く乗せるから、実際には何番目か判らない。そして列は長蛇のごとく入口の階段の上まで延びていて、信じられない人達が前に来ては確認して行くのが気の毒でもあり可笑しくもあった。
モントリオールまでは約6時間乗るが、Nが作って来てくれたオニギリを美味しく戴いたり元気。モントリオールも人が溢れている感じで、ゲートでは7、8番目だったけど、やはり子ども連れが別な所に並んでいて彼等優先。
夕食は食堂車へ行った。四人掛けのテーブルなので、二人連れは合い席になるが、窓側の席に向かい合ってドイツ語を話している男性達のテーブルに座らされた。彼等はウエーターにはフランス語で我々には英語でと使い分けていた。車内の子ども達の中にもケベック州の子ども達らしく、フランス語と英語を使い分け出来る子が多い。こういう場合は両親もそうなので、やはりバイリングヮル人間の多い列車だった。
日本人らしい人も何人か見かけた。若者もいたが初老の夫婦らしい人もいた。雰囲気から言って地元の日系人ではないことはすぐ判る。この夫妻は私達と同じ車両で、私達より10席ばかり離れたところに居たが、モントリオールからペルセまでの約15時間展望車にも出て行かなかった。これが私のお客様だったら、行ってらっしゃいと薦めるところだけれど、「余計なお世話」はしない。
眠れないのでN持参の推理小説を読みつづけ、疲れて展望車に行って見るとここで寝ている人も居た。車掌が枕と毛布を配ってくれるが、それを展望車へ持ちこんで、冬用のジャケットを着た上から被って寝ている若者達が3人ばかり。縦に寝る座席からズリ落ちているよりは、2席使って横になった方が楽だから、これは良いアイデアだけれど少し寒い。
雷のような鼾をかいていたオバサンはどこか東洋系の雰囲気のある5,6歳の男の子と女の子を連れていたが、向かいに座っていた女性がちょっと窮屈な英語で話しかけていて、大きな声だから良く聞こえる。
「可愛い子ども達ね」と彼女は言い、「黒い髪が素敵ね」などとも言っていた。
「ナニ人なの?」と子ども達の人種を聞いている。あッ、そうか、白人の子ども達とはちょっと違うところが有るンダ、と私。
鼾オバサンはどちらかと言えば赤毛の白人だが、子ども達はちょっと国籍不明の顔立ち、「イヌイット」と答えている。可愛くて可愛くてという自慢の貰い子達らしい。オバサンの顔に誇らしげな輝きがサッと走った。
「どっちが年上なの?」
「双子です」「マァ...」そして少しお世辞めいた言葉をいろいろしゃべってから、フランス語の女性は降りて行った。
(つづく)


チューリップ・トリー August 11, 2005 16:17

2005-08-12 05:17:09 | 樹 木 ・ 灌 木
学名:Liriodendron tulipifera
英語名:Tulip Tree
エスペラント名:Tuliparbo
日本名:ユリノキ

生きた木の化石と言われ、恐竜の時代から生き続けてきたという木。
大方が巨木で、花を間近に見る可能性が薄く以前撮った写真は私のチャチなカメラの望遠装置が辛うじて捕らえてくれたピントの外れた物でした。
ある日、ネーチャー・クラブの遠足で「ウッド・エンド自然保護区 / Wood end Cons.」へ行った時、目の前にパッと現れたのがこの花。小柄なジゼルの夫君ドンが「あなた達(ジゼルと私のこと)でさえ撮れるよ」と笑っていました。たまたまこの若い木は、見事な花を付けていたのですが、こんなに若くてこんなに見事な花を咲かせていたチューリップ・トリーをその時まで見たことがありません。
ナイアガラ・グレンには樹齢210年のチューリップ・トリーがあります。高さは38.4mで、普通15mから30m位にしかならないと言われているチューリップ・トリーとしては巨大です。
過去に勤めていた会社の東京支社が四谷にありました。何丁目だったか記憶は薄れていますが、地下鉄の駅に近い所でした。ここを訪れた時地下鉄の駅から歩き出した道の街路樹がチューリップ・トリーでした。まだ若く丈も3m程度で幹も細いものでしたが、花が咲くときは。。。と想像したものです。見事でしょうね。この独特の色が何とも言えません。
花の形がチューリップの花に似ているのでこの名があるということですが、私にはその葉の形がチューリップの花の形に見えます。
花はここでは5月頃から咲き出します。
写真上はナイアガラ公園の植物園にあるチューリップ・トリー、下は幼い木と花。

ウソ八百の雷雨かな。。。 August 10, 2005 18:33

2005-08-11 07:33:28 | Weblog

ちょっと涼しい日が続いて、ヤレヤレ、カナダらしい日和などと喜んでいたら又暑い日が戻ってきました。
今朝の天気予報は最高温度32℃、体感気温41℃でした。聞いただけでうんざりです。慰めは午後雷雨があるかもという予報でした。この、雷雨があるかもという予報はこのところずーッと続いていて、実現していない予報です。何処かで雷雨があれば、予報は当たりですから、私達の所に無いからと言って当たっていないというのは間違いなのでしょうけど、庭は乾いているし、ザーっと一雨降ってもらいたいのです。
曇り始めて、来るか!と期待していたら、来ました来ました。
なんとお上品なシトシト雨が、サッと濡らして終わりました。雷はもちろん無し。
別に雷が好きなわけではないですが、降るんならいさぎよく男性的に降ってもらいたいのでしたが。こういうのは「お湿り」というのでしょう?
少し涼しくはなったようで、窓を開けると湿っぽいながら涼しい風が入ってきました。
これで、我慢の今日です。

昨日友人と電話で話をして、「8月も半ばになれば紅葉を始める木を2,3本知っている」と言ったら、「半ばってもう直ぐじゃない。もう秋だわ」となにやら慌てたような声を出しました。「そう言えば虫も鳴いているね。あれはなんと言う虫かしら?日本と同じかな?コオロギとかキリギリスとか居るの?」
正直な所二人とも虫については全然無知。

それから、暑さの話になりました。そして「地下室日和」という新語も捏造しました。
「これだけ暑かったら、今年の紅葉は綺麗でしょうねェ」
「アッ。そうだ!ほんと、去年の夏は寒かったから紅葉良くなかったものね」
そうなんです。もう直ぐ秋です。この暑さでは信じられないけど。。。

写真はローレンシャン高原の紅葉、2001年。

何でも治す??? August 09 2005 14:46

2005-08-10 03:46:28 | 野の花 - 夏から秋へ

学名:Prunella vulgaris
英語名:Heal-All
エスペラント名:Brunelo
日本名:ウツボグサ(靭草)、カコソウ(夏枯草)

ヨーロッパ原産と憶測されているとは言え、世界中の殆ど至る所に見られる草のようです。また、別名も沢山あります。
子供の頃母が「アマチャ」と言う草だと教えてくれましたが、我が母には自分の憶測や想像や聞きかじりやらを真実と信じてしまう傾向がありましたから、半信半疑で聞いていた覚えがあります。つまり、母はそう言うけど違う名前のような気がすると言う状態で時は過ぎて行きました。
私のコンサイス英和辞典でHeal-All を引くと、万能薬、万病草と出ていますから、ウツボグサの他にそういう別名があるのかもしれません。
日本名はウツボグサで、花穂の形が弓矢を入れる靭(うつぼ)に似ていることに因ります。ちなみに、夏枯草は花が落ちた後の花穂のことで、漢方薬では利尿剤として使われるとのこと。日本での記憶は濃い紫色の花でした。この写真でも判るように、こちらのは少し色合いが違い、花の上唇は淡い紫、下唇は白です。学名にも多少の違いがあり、亜種の関係にあるようです。
食用、薬用両方に便利な草のようで、サラダに、スープに、シチューに良し、煎じた液は美味しい飲み物だし、薄い煎じ汁は眼を洗うのに良く、研究の過程では将来癌やエイズ、糖尿病などの薬となる可能性も見えているとか。信じたいですね。
人類や動物の病気を治すため神様が贈ってくれた草、従って魔除けの力もあると信じられていたそうです。アメリカ原住民の或る部族は狩に出掛ける前にこの草の根を煎じたお茶を飲みました。これを飲むと集中力が鋭くなると信じられていたのです。

空飛ぶカヌー August 08, 2005 20:24

2005-08-09 09:24:51 | カナダの民話
Flying Canoe
それは、ある大晦日の夕暮れのことです。森の奥の、とある樵小屋で何人かの樵たちは家が恋しくなっていました。開拓時代の農夫たちは、冬になるとこうして森の奥へ樵として出稼ぎに出たものですが、一緒に暮らしていた家族と別れ、森の奥で朝は暗いうちに仕事に出かけ、夜は暗くなってからやっと小屋にもどって来るという男ばかりの毎日ですから大晦日でなくても寂しいのです。家族や恋人たちのこと、そして大晦日の年に一度のパーティーのことなど考え無性に家に帰りたくなっていました。でも、どうやって今日のうちに家に帰り着けるでしょう。村からこの森の奥の樵小屋に来るのに三日も四日もかけて歩かなければならなかったではありませんか。

今からこの雪の中を歩いて、今夜の楽しい行事に間に合うわけがありません。そこへ樵たちの気持ちをかぎつけたのか突然悪魔が現れてこんな提案をしました。
『今夜のうちに家に帰らせてあげるョ。条件付きだけど。』
悪魔は罵言を聞くのが大嫌いでした。たいていの罵言というものは宗教的な言葉から出ているもので、忌まわしい言葉と神聖な言葉の組み合わせであることが多いのです。悪魔が嫌いなのはその神聖な部分でした。
『24時間罵言を口にしないと約束するなら、「空飛ぶカヌー」を出してあげるョ』
樵たちは『お安い御用!』と思いました。そこで、軽い気持ちで悪魔と約束をしてみんなで空飛ぶカヌーに乗り込んだのです。カヌーはスイスイと空を飛び、あっという間に村に着いてしまいました。
なんというパーティー。踊ったり、歌ったり、食べたり飲んだりのドンチャン騒ぎ。それは楽しい大晦日でした。
気がつくともう森に帰る時間になっています。家族や恋人たちに別れを告げカヌーに乗り込み飛び立ちましたが、みな酔っ払っているもので、カヌーの舵を取るために誰が一番しらふかと口論を始めたのです。口論はらちがあきません。しまいには悪魔との約束を忘れてしまい、一人の樵が罵りはじめました。ハッと気付いた時はもう遅く悪魔はそれを聞いてしまったのです。
『教訓を与えてやれ!』とばかりに悪魔はカヌーを持ち上げひっくり返してしまったので、樵たちはみんな森の木立の中に落ちてしまいました。さいわい木が繁茂していたので枝にひっかかり大きなケガはしませんでしたが、樵たちはコリゴリし、生涯罵言は吐かないと肝に銘じて誓ったということです。
(ケベック州の民話)


ビタースィート・ナイトシェード August 07, 2005 15:19

2005-08-08 04:18:58 | 野の花 - 夏から秋へ

学名:Solanum dulcamara
英語名:Bittersweet Nightshade, Climbing Nightshade, Deadly Nightshade
エスペラント名:Dolc^amaro
日本名:ビタースィート、ツルナス、ズルカマラ

ヨーロッパ原産のナス科で、花は茄子の花とそっくりです。実が透き通る様な綺麗な赤に色づく頃、子供達が食べないように気を付けなさいよ、と注意してくれる人もありました。ちょくちょくその辺に生えているので、子供たちが幼かった時はやはり気を使いましたが、幸い何でも口に入れる子たちでなかったのは救いです。確かにその綺麗な実に関心を示しましたけど。
葉と未熟な実には毒気のあるAlkaloid solanine が含まれているそうです。
私の図鑑には別名の一つにDeadly Nightshadeと言うのが有るけれど死ぬことは無いとありますが、それは大人の話で、子供は死ぬこともあり得るそうです。
Bittersweetの名は初めに苦く、その後で甘さを感じるからなのだそうで、面白いな、とは思いますが試してみる気はありません。
この草で作った軟膏は皮膚の炎症を抑えるのに使われていたということです。
むかし英国ではこの草を魔法使いに対抗するのに用いたとか。どんな風に使ったのか興味があります。

広島平和記念資料館 August 05, 2005 14:31

2005-08-06 03:31:05 | Weblog

もう日本は8月6日ですね。忌まわしい記念日です。
忘れてはいけない事の一つではありますが。
原爆投下後60年、直接の被爆者は大方が70才を越え、年々少なくなっているそうですが広島平和記念資料館のサイトを訪ねて新しいタイプの被爆者も大勢居ることを知りました。
以下はそのサイトの一部です。

今もヒバクシャはふえつづけている。
戦争で核爆弾が実際に使われたのは、太平洋戦争での広島、長崎に落とされた2発の原子爆弾だけです。しかし、その後の50年間に、世界の核兵器は地球上の生物を何度も絶滅させるほど増えてきました。そうしたなかで、世界中で放射線を受けた「ヒバクシャ」もふ増えてきたのです。たとえば、ソ連の核実験が約470回も行われたセミパラチンスク(現在のカザフスタン共和国)には100万人以上のヒバクシャがいるといわれます。このほかにも、核実験の行われた南太平洋の島々などにたくさんのヒバクシャが生まれました。爆発をともなう核実験は禁止されましたが、今後も、放射線漏れなどの事故によって、ヒバクシャは増えていく可能性があります。

写真は二人だけの静かなピクニックを楽しむ老夫妻。+33度の日、ダッファリン島にて。

デットゥフォード・ピンク August 04, 2005 15:30

2005-08-05 04:30:01 | 野の花 - 夏から秋へ

学名:Dianthus armeria
英語名:Deptford pink
エスペラント名:Dianto
日本名:ノハラナデシコ(野原撫子)

花の大きさは1センチ位、足許に咲いていても気付かず踏みつけてしまう可能性の大きい花です。でも、色の美しさに、「あれっ?」と見直すでしょう。まだ名前を知らなかった時撮った写真がいささかピンボケなので、改めて撮りたいとFiremen’s park に出掛けてみました。
芝刈り機をすっ飛ばしているおじさんが居て、刈られてしまったとガックリ。藪と芝との境目くらいに辛うじて残っていたのが数本有りましたが、カメラの結果は同じことでした。
ヨーロッパ原産のこの花、北米では、今では邪魔な雑草とみなしている地域もあるとか。
むかし英国はロンドン付近、デットゥフォードにふんだんに咲いていたのでこの名が付いたそうです。が、当の英国では保護の対象になっていると聞きました。
日本名が示すように葉や花のガクなど、ナデシコに似ています。


ニューフィー・ジョーク August 03, 2005 22:26

2005-08-04 11:26:32 | エスペラント

「ニューフィー・ジョーク」って聞いたことがありますか?
ちょっとトロイとみなされているニューファンドランド人をからかったジョークで、ニューファンドランド人をバカにしていると考える人も居ますが、意外と罪の無い可愛いジョークが多いのです。ニューフィーとはニューファンドランド人の愛称です。
私は案外これらのジョークの筆者はニューファンドランド人自身ではないかと思っています。
どの程度トロイと思われているかと言うと。。。


とあるバーに入ってきたノーヴァスコシャ人が、『ニューフィー・ジョーク聞きたいかい?』とバーテンダーに言いました。バーテンダーが『何だって? ニューフィー・ジョークだって? 俺はニューフィーだ。あそこで玉突きをしている屈強な男二人もニューフィーだ。それでも、ニューフィー・ジョークしゃべりたいのかい?』と応えると、ノーヴァスコシャ人は『止めとこう。三回も同じことを説明するのは面倒だからな』



そこで、ニューフィー・ジョークを一つ私のエスペラントの練習に使ってみました。

或るニューフィーがアイス・フィッシングに行きました。
氷に螺旋錐で穴を開け始めると大きな声が響いてきました。
「その下に魚はいないよ」
そこでニューフィーは場所を変えて螺旋錐を使い始めました。
また同じ声が響いてきました。
「その下に魚はいないよ」
そこで、又少し場所をずらして穴を掘ろうとすると、すぐさま声が響いて
「その下にも魚はいないよ」
ニューフィーは辺りを見回して言いました。
「あんた一体誰なんだ? 神様かい?」

「いや、アリーナのマネージャーだ」


Unu Novlandano iris glacifis^kapti
Li komencis bori truon sur la glaciejo per sia borilo.
Tuj lau’ta voc^o sonoris.
“Ne estas fis^o sub tie”
Do novlandano haltis bori kaj s^ang^is lokon.
Kiam li komencis bori denove sama voc^o diris
“Ne estas fis^o sub tie”
Denove li tramovig^is iomete kaj intencis bori truon
“Ne estas fis^o sub tie ankau' ” la voc^o diris.
Novlandano rigardis c^irkau’en
“Kiu tamen vi estas? Dio?”

“Ne. Mi estas la intendanto de c^i tiu areno”


写真は冬のアメリカ滝です。少し涼しさをお届け。。。



ワイルド・ベルガモット August 02, 2005 16:30

2005-08-03 05:30:23 | 野の花 - 夏から秋へ


学名:Monarda fistulosa
英語名:Wild Bergamot
日本名:矢車薄荷
エスペラント名:不明(勝手命名は:Sovag^a Bergamoto)

オンタリオ州から西はブリティッシュ・コロンビア州、南はジョージア州からメキシコまで広く分布しているワイルド・ベルガモットは別名ホースミント(馬の薄荷)とか、ビーバーム(蜂の香油)などとも呼ばれています。
淡い紫の小さな管状の花の集団が矢車草に似ているからでしょうか、日本名は矢車薄荷。その芳香がベルガモット・オレンジに似ているのでこの名があるそうです。
気管支の苦痛や風邪の症状を和らげるにはお茶にしてその蒸気を吸い込むのが良いそうですし、チモールという強力な防腐剤が含まれているところから興奮剤として、また、鼓腸(胃腸内にガスが溜まること)、吐き気を緩和することに利用されていたそうです。
原住民は葉を肉と煮て食べ、煮出し汁は髪のポマードに入れていたとか。
もう季節と思い、近くでこの花の咲いている所と言えば、Firemen’s park(消防士の組織が所有管理している自然保護公園)なので行って見ました。かなり終わりに近い状態でしたし、例年より少なく寂しい状況でちょっとがっかりしましたが、やはり良い年と悪い年があるのでしょう。来年に期待というところです。