★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

脱線事故、被害者の死をムダにしないで!

2005-04-30 21:23:46 | Weblog

        
                
尼崎の悲惨な事故の報道がTVの画面から遠退きはじめ、各地からインターネットの情報が入って来るようになりました。同時に個人的な意見も、です。
事情がいろいろ判ってくるに連れて、この事故の発生原因に対する批判も個人の段階では厳しい意見が多いです。
高が90秒の遅れのために、この悲惨さ。その90秒の遅れは直前に止まった駅での停車位置の調整のためだったと聞くとなおのこと苛立ちを覚えます。しかもその陰には遅れに対する運転士への厳しい罰則があったと言うことに、ただただ唖然とするばかり。
停車位置のズレと言っても恐らく何メートルも無かったでしょう。乗客が数歩多めに歩けば済む事ではないのですか?
「スペイン語の放送が運転士は何処かへドロンしてしまったと言ってたよ」と夫が言った時私は恐らく遺体が見つからないだけなのではないかと思ったのですが、当たっていたようです。90秒の遅れを取り戻すため速度を上げた彼をバカモノと怒る前に考えて下さい。仕事に忠実な人だったのでしょう。どうしても遅れを取り戻さなければならない立場にあったのです。何が彼をそうさせたのか、考えてみて下さい。
日本社会の列車時刻の正確さに対する期待は度が過ぎると言うことを。
時刻も正確、しかも安全運転で無ければならない。。。何を夢見ているのですか?
もし、彼が肝っ玉の大きな人で、罰則ぐらいナンダ、命あっての物だねだ、と90秒を無視できていたら、起らずに済んだ事故だったかもしれません。でも彼は忠実な性格だったのでしょう。誰がそれを責められますか?
ブログを始めてから、私も良く他のブログを訪問します。時間が有ればコメントも残します。
多くのブログを読んで思うのは、皆さん心にゆとりのある人ばかりであると言うことです。このゆとりが日本社会に欠けているのです。だから、みんながブログを書くようになれば、重箱の隅をほじくるような、90秒の遅れにこだわる社会では無くなるでしょう。
目覚めてよ、日本人!
と私は言いたいのです。そう皆さんに呼び掛けたいのです。
この事故の被害者皆さんを犬死させないで下さい。
各国からの報道には、この国では15分の遅れは遅れのうちに入らない、などとありましたが、そのくらい大らかな国に作り直して下さい。日本に住む全ての人の責任です。
亡くなられた皆さんの冥福を祈り、怪我された方々の迅速な回復を祈りつつ。。。

カナダコマクサ

2005-04-29 06:41:12 | 野の花 - 冬から春へ
Squirrel Corn (Dicentra Canadensis)

おそらく2年くらい前の春だったと思います。私は一人でナイアガラ・グレンに下りて行きました。
その時に偶然見つけたのがこの花です。即座にコマクサを思い出しました。コマクサは私の通った高校の校章でもあり、懐かしい花です。色は白だけどコマクサの一種に違いないと思いながら撮ったのがこの写真です。
いろいろ調べて、英語ではsquirrel corn(栗鼠のとうもろこし)と呼ばれていることが判りました。
エスペラントならMaizo de Sciuro と言うことになります。その由来は根に黄色いとうもろこしの粒のような塊茎がついているからとのこと。羊歯のような葉と茎はこの塊茎から芽生えるのです。北米の東部から西部の中央辺りまでの肥沃な森林地帯に生え、カラクサケマンの類に属します。
必要とする養分がツノコマクサとよく似ていることもあって隣り合わせに生えていることもしばしばというわけで、この時もツノコマクサの近くで見つけたのでした。ツノコマクサの方がよりふんだんに生えているようです。四月から五月に掛けてが花の時期です。

野生の生姜

2005-04-27 18:49:49 | 野の花 - 冬から春へ
あれから十日、私の企画で日系人に呼びかけたナイアガラ・グレンへの遠足の日です。
ずうっと芳しくない天気が続いていたので延期は出来ないかという声もありました。私の考えでは私たちは延期できても花は延期してくれないのです。それに、英語で言うGut feeling と言うのが有って天気は大丈夫と信じていましたから。
天気予報は最高15℃、曇りがちの晴れ、夕方から雨なのです。朝のうちは薄ら寒く曇っていて気温は7℃。九時頃から雨が降り出しました。小雨程度なら実行と決めてあったのですが、夕方の筈がもう来てしまったと恨めしい気がしなくも無いのです。それでも、私のGut feeling は大丈夫と言っていました。
駐車場の近くで旅行者風の日本人らしい若者が一人、水仙の花などを写真に撮っていました。もう少し近くて声の届く所にいたら、「一緒に来ない?」と声を掛けて上げられたのですが、彼は私の存在には気付いていないようでした。気付いていても「旅先で日本人なんかと関りあいたくない」タイプの人だったかもしれませんし、敢えてこちらから百メートルも二百メートルも歩いて行って声を掛けてあげようとも思いません。縁があればそういう機会と言うものは自然と起るものですから。
集まったのは私を含めて六人、内グレンは初めての人が三人です。
この程度の雨でも日本人なら傘をさすだろうなァと思いながら80段の階段を降りました。
下りた途端にほっこり暖かい空気を感じました。マイクロ・クライメト(局部的地域の気象)と呼ばれるここだけの特殊な気象の所以でしょう。いつの間にか小雨は止み、次第に空は青空に変わって太陽さえ輝き始めました。寒い寒いと重ね着してきた誰かさんは又それを脱ぐのにお忙し。
咲いている花々は、雪割り草は既に無く、ツノコマクサは見事に満開、野生の生姜も十日前より立派な花になっていましたが、思いがけなかったのは「赤い延齢草」でした。ダッファリン島では未だ固い蕾だったので、まだ早いと期待していなかった花、嬉しい驚きです。ここが東に向いて開いており、西側は絶壁で屏風の役目をしているための「マイクロ・クライメト」が功を奏しているわけでした。やがて白い延齢草(大花の延齢草、オンタリオ州の州花)もたくさん見つけました。
今回のおまけは「緑色の延齢草」です。もちろん異常な現象でいわば奇形児なのですが偶に起るのです。ほぼ満開で咲き誇っていたのはトラウト。リリー、「黄花の片栗」でした。それにスプリング・ビューティ(Spring beauty)、カット・リーフ・トゥースウォート(Cutleaf toothwort) も見つけました。これから日本名を探さなければならない草です。
残念ながら今回はカナダ・コマクサを見つけられませんでした。
2時間強歩いて戻り、ベンチは今日も使えなかったので、草の上でおしゃべりしながらピクニックの昼食を楽しみました。
初めての人も来て良かったと言ってくれたことはとても嬉しかったです。また違う季節に来ようと約束して分かれました。

今日は野生の生姜を紹介しましょう。

Wild Ginger (Asarum canadense)
葉の陰に隠れた根元に一つだけ目立たない色で花を咲かせるので、うっかり見落としていた花です。他の花のように鮮やかでもあでやかでもないこの花に何故か共感をおぼえます。「変った花ね」と言った人の気持ちも同じだったでしょう。
多年草で高さは精々30センチくらいまで。 葉は艶がありハート型で根元部分は柔らかな産毛に覆われてます。
三枚の花びらを持つ壷のような形をした花は直径が大きくても4センチくらいで、茶色を帯びた濃い紫色。早春から春遅くまで続き続けます。葉の根元に隠れたように咲き周囲の枯葉と同じような色で目立ち難く、時には赤っぽかったり緑っぽいものもあるようです。
肥沃な森林を好む北米原産のこの草は根によって繁殖するので、固まって生えていることが多いのです。花の無い時期でも一寸地面に指を入れ根元を引っかいてみると指に生姜の香りが付くので判断できます。
原住民は私たちが店で買った生姜を使うように、食べ物に香りをつけるのに使ったようですが、生姜とは無関係な植物です。悪くなった肉とか毒を含んだ食べ物を食べてしまったような時の毒消し、或いはそういう食べ物を食べたために起こったとされる"呪い"を解く目的などにも食べたのだそうです。疑わしい肉を食べてしまってから病気を防ぐために食べたという話は無数にあるのでその効果の程は証明されそうです。

薬用としてはお腹に溜まるガスなどの消化問題や痛みに貼るハップ剤として使われ、また乾燥した葉の粉末はくしゃみを促すのに用いられたそうですし、堕胎にはかなりな大量を服用したとか。発汗や解熱、喉の痛みや咳止めなどにも使われたのですが、この植物が微生物に対してある種の抵抗力を持っていることを考えると全く根拠が無いことではないでしょう。


偽アイスワイン

2005-04-26 09:09:04 | Weblog

今日届いたカナダの日系新聞「日加タイムス」にこんな記事が載っていました。
グローブ・アンド・メールという英字紙がソースのようです。
前文をタイプするのは大変なので記事をコピーしておきますが、読んでみて下さい。
カナダの地理も好い加減なら、ご丁寧にスペリングまで間違え、挙句の果てには正真正銘のカナダ産アイスワインと主張しているらしい態度に開いた口が塞がらないです。
知らずにそれを買う人にとっても迷惑な話ですが本物を生産する者にとっては単に迷惑では済まない話。何れにせよ中国と言う国は困った国ですね。

写真はその記事です。クリックで拡大。

またまた雪が降りました

2005-04-25 08:18:25 | Weblog

4月24日日曜日、予報ではオンタリオ州南西部、つまりヒューロン湖よりだけだった筈の雪がここにも。
昨日の気象チャンネルの地図にはロンドン(勿論UKのではない)、ウィンザーがカヴァーされていただけでナイアガラフォールスは関係ないように見えたのですが。
ン、でも、庭仕事しなくて良いと喜んでいる人も約ひとり、気温は3℃だし、午後までには融けるでしょうから、ま、いいとしましょう。

カシノ行きのシャトルバスに乗ったら、乗客の話題は雪でした。

=カナダの季節は二つだけなのよね。
=そう、冬と工事の季節(これはしょっちゅう言われていることです)
=11ヶ月冬で、夏が1ヶ月でしょう。

と他愛も無い会話のやりとり。
最近は工事の季節だけの所も多くなりました。
ナイアガラフォールス市も公園もこの冬は下水管の入れ替え工事が続いていたのです。
午前中に雪は消え、お日様さえ顔を覗かせていました。
楓の若芽が既に鮮やかな緑の若葉に変り始めています。間違いなく春で~す。

写真は雪の中で満開のお向かいのお家のMagnolia(木蓮)

ツノコマクサ

2005-04-24 06:13:11 | 野の花 - 冬から春へ
Dutchman's Breeches (Dicentra cucullaria)

名前だけは知っているけれどまだ見た事の無い花、いつか見たいものだと願っている花は、きっと誰にでもあるでしょう。
このツノコマクサも私にとってそういう花の一つでした。ツノコマクサと言う日本名があることは勿論、Breechesが何を意味するかも知らない暢気さで見たいものだと思っていたのです。
それが、こんな身近に咲いていようとは。。。
ある春の日私は一人でナイアガラ・グレンに下りて行きました。その時は野生の生姜の花を写真に撮りたかったのです。根元に咲くことを知らずに見逃していた花でした。この花についてはまた後日改めて書きましょう。
ふと見上げた大岩の上にツノコマクサは白い花を咲かせていたのです。少し遠すぎて、足場も悪いため、巧く写真に撮れませんでした。他にも見つけたのですがどれも私の手の届かない巨大な岩の上です。辛うじて撮った写真は残念ながらボケていて、その春は失敗。翌春改めで出掛けました。今度はどうにか見られる写真です。
それはそれは嬉しかったものです。
花は細い茎に並んでぶら下り、上に行くほど小さく、その形はふっくらした「V」の字で、逆さにつるしたズボンのように見えます。Breechesは宮廷に仕える人たちが穿いていた膝までのズボンのことで、当然そこから付いた名前です。その独特な形がじつに可愛らしいのです。
葉は細かくきざみが入っていて人参の葉に似ています。そう言えば駒草の葉もこんな形をしていたんだったと思い出しました。私が駒草を見たのは奥羽の駒ケ岳、そして毎夏この花を見に駒ケ岳に上るのがどんなに待ち遠しかったか。最近では心無い人、と言うよりは馬鹿な人たちが庭に植えようかと言う気持ちで乱獲、絶滅の危機に瀕していると聞きます。あの砂礫の尾根に霧に濡れ震えていた可憐な花を救う手も無く、私は遠くから悲しんでいるだけです。

昔、北部に住む原住民の間では「惚れ薬」として使われていたとか。若者がこの根を噛み、思いを寄せる女性に近づくことで、その匂いを嗅いだ女性は自分の意思に反してさえ彼の後について来ると信じられていたそうです。薬草としても梅毒や皮膚病に効くと信じられていたようですが、触って皮膚炎になる可能性もあるとの事なので、どんなに思いつめてもこれを噛んで片思いの相手に近寄ろうなど、ゆめゆめ思うこと無かれ、です。

エスペラント名は探し得ませんでしたが、そしてこの前、Pantaloneto de Nederlandano と勝手な命名をしましたが長過ぎるので、Kuloto de Nederlandano が良いかなと思っています。私の勝手な命名に異議を唱える人も多いでしょうが、まだ名前が無いのなら、誰かが付けなければなりません。その誰かが私や私に同意する何人かであっても良いのでは?植物学者が既に学名を付けていますから、まじめな話はそれに従えば良いわけです。一般的な呼び名はどっち道過去に無名の誰ともわからない人々が付けたものですし、エスペラント名を付ける人が無名のEterna komencanto の集団であってもいっこうに構わないでしょう。

可憐な花、サンギナリア・カナデンシス

2005-04-23 19:28:05 | 野の花 - 冬から春へ
Bloodroot (Sanguinaria canadensis)

葉っぱだけは良く見かけていた花です。花を見る機会が無かったのはザゼンソウと同じくらい早く咲く花で私が出歩く頃はとっくに花は終わっていたというわけでした。この花も雪を穿つもののひとつでしょう。名前を覚えたのも花の無い時でした。
アルゴンキン公園で、一緒についてきてくれた公園のナチュラリストが「こんなことはしちゃ駄目よ、僕は特別だけど」などと言いながらその赤い根っこを引き抜いて見せてくれたのでした。葉は蕗の葉に似ていますが、大きな刻みが5-9入っていて、直径は20センチ位、天に向かって平らに開いています。
花は白く、8枚の花びらは4枚が他の4枚より少し長めなので、円形というより正方形です。花の頃は葉っぱはまだ小さく茎に添って花を包むように半開きしています。その様子が袂を胸の前で合わせた少女を連想させるので、とても可憐です。私にもこんな時代があったのだ、という郷愁のような感情がフーッと胸を過ぎりました。
サンギナリア属にぞくす唯一の花なのだそうです。日本にはないということも聞きました。名前にカナデンシスと付いているのはカナダで初めて発見されたという意味だということも。
有るところにはふんだんに有るけれど、一般的に行って珍しい花なのだそうですから、その珍しい花を毎春見られる特権を与えられていることに感謝しなければならないし、出来るだけ多くの人に見せたいです。
生える場所は人出のあまり多くない山や丘なので、こちらから雪解けを待って出かけていかない限り見られません。でも、人は歩くのが億劫だとか、山道は苦手とか中々誘いに乗ってきません、不幸な人たちです。

ブラドルート(Blood/血 Root/根)と言う名はその赤い根の色から付けられたものですが、原住民は生地を染めたり身体に塗ったり、染料としても使いました。生地を染めた場合の仕上がりの色は赤っぽいオレンジ色で非常に堅牢なのだそうです。
かつてジェームスタゥンでは植民地人に原住民が女性を同衾者として提供したことがあったそうです。そのときの女性が身に纏うのはこの染料だけだったとか。疥癬とか皮疹の薬として利用されていたそうですが健康な皮膚に塗った場合はどうなるのでしょう。
原住民は万病の薬として、皮膚癌から咳止めにまで使っていましたがが、危険もあるので現在では薬草として使うことは避けるべしとのおふれが出ています。

一つの詩

2005-04-22 08:31:17 | Weblog
=自嘲= 
道ばたのどんぐり
おのが座を定めんと
雨にぬれつつまろびいにけり
どんぐりならば
いかなるくぼみにてもよからんに
まろびつつすわりよき座をさだめんとはせり   -さいせいー

高校生の頃この詩を見つけ、10円で買った小さな手帳に書き込みました。
この手帳は私の宝物を入れる手帳です。心に沁みた詩句や歌など、或いは自分の心にフト浮かんだ言葉などが書き込んであります。はがきより一回り小さいサイズなので持ち歩きやすかったこともありますが、このン十年持ち歩き続けていました。それでいて、このン十年開くことも無かったのです。人生が忙しかったと言うことなのでしょう。
そして相変わらず私は自分の「すわりよき座」を見つけていないような気がします。
他人の目から見たら、「どんぐりならば いかなるくぼみにてもよからんに」なのでしょうが。。。
人生の終わりに、「自分のすわりよき座を見つけた」と満足できる人がどれほど居るものなのでしょうね。
やっと見つけてホッとしたのもつかの間、雨や風のためその窪みを追い立てられる場合だって有るでしょうし。
どんぐりは生涯まろび続けなければならないのかもしれません。

長く外国暮らしをしていると、場違いな所にいる様な気がすることが有ります。英語では「I don’t belong here」
(エスペラントなら「Mi ne apartenas c^itie」となるのでしょうね。)という表現を使いますが、かと言って、じゃ日本に帰れば落着くかといえばそれも当たりません。長く留守にした祖国は私の知っている国ではなくなっています。まるで全く違った文化の中に迷い込んだような気がするのです。こんな印象を持つのは私独りでは有りません。大袈裟に話題にするほどのことではなく何かの時にフッと感じるのですが、ポツンと漏らすのを聞いたことが何度もあります。
こんな時も、どんぐりの心境です。

ナイアガラ・グレン

2005-04-20 20:27:53 | ナイアガラ・グレン
カナダには季節は二つしかないと言われています。
冬と夏だけ。それほど春は短く花の季節も慌しく過ぎてしまいます。
長い冬がようやく終わって、あァ春だなァとホッとした頃はもう夏になっているのが毎年のことです。だから春は大急ぎで楽しまなければなりません。
そんな四月半ばの土曜日、ナイアガラ・グレンに行って来ました。
ほぼ8千年くらい昔この辺りにナイアガラの滝がながれていたのです。侵食のため欠け落ちた巨大な岩が乱雑にころがり、その上に草や木が生えています。ここだけの独特な気候を持ち20度もある日でしたがグレンの中にいる間はあまり暑さも感じません。
木々の新芽にはまだ早く太陽を遮るものが無いので明るく夏や秋とは少しばかり趣が違いました。
地質学を専門に勉強したブライアンの企画による遠足の一つで、ナイアガラ川流域の地質を学ぼうと言うのが主旨でした。私は地質についての質問もあったので参加したのですが、同時にもうそろそろ春の花が咲き始める頃と思ったからです。
参加者はダグとフレッドという二人の男性、それにロリという20歳前後の娘を連れた夫妻と私の6人、計7人です。
ダッファリン島の駐車場から滝まで歩き、その後グレン(峡谷の意)に移動してウインターグリーン・フラットと名付けられた公園で、ベンチがまだ設置されてなかったので石垣に腰掛けてお弁当を食べました。
いざグレンに降りていこうと言う時になってロリのお母さんアイリーンが恐くて階段を降りれないと言い出し結局ロリの両親を除いた5人だけで行きました。
私もこの階段が恐くてとても苦労したのです。鉄格子の下方が透けて見える下段を80段降りなければなりません。10段づつに区切って折り返しにしてあるので目を瞑って、或いは空を眺めながら10歩づつ降りること8回。私はこれを繰り返すことであまり恐がらずに降りられるようになりました。
この「難所」を過ぎてしまえば、後は「やはり来て良かった」と言うのがナイアガラ・グレンなのです。
私が最初に見つけたのはWild Ginger(Asarum canadense){Sovag^a G^ingibro}、野生の生姜です。まだ蕾でした。が、ちょっと日当たりのよい野生の生姜が群生している所では満開の花が幾つもありました。
暫らく歩いて白い花が目に入りました。Bloodroot(Sanguinaria canadensis){Sangaradiko}、日本名は判りません。私の辞書には「ケシ科の植物、根が赤い」としか出ていないからです。
間もなく、Hepatica(Hepatica Americana){Hepatiko}雪割り草、日本ではミスミソウとも呼ばれている花も見つけました。貧弱ながらDutchman’s Breeches(Dicentra cucullaria){Pantaloneto de Nederlandano}も咲いていました。これも私の辞書では「ケマンソウの一種」としか出ていません。
ちょっと足元の不確かな急斜面でフレッドが頭から先に転んでしまうという事故がありました。サングラスの柄が取れ、鼻の峰をすりむいてしまい、直ぐ後にいたロリが世話を焼いてくれましたが、かなり痛かったしショックでも有ったのでしょうそれ以後のフレッドはすっかり無口になってしまいました。
ここはナイアガラ川の途中ですから川にも降りていくことが出来ます。魚釣りに来ている人を何人も見ました。私たちは川べりまでは降りませんでしたが、私がこれまで一度も行った事の無い断崖脇の急な坂道を地下水が流れ出ている所まで下りたりしました。この辺りの川の流れは激しく落ちたら「第一巻の終わり」です。そんな訳でこれまでは避けて通っていた所でした。
ブライアンが見せたかったものの一つはポットホールと呼ばれる岩に開いた穴です。小石が川の流れに翻弄されて岩のわずかな窪みを転がっているうちにその窪みを大きく広げてしまった結果できる穴で、ここナイアガラ・グレンには三か所にあります。ジャイアンツ・ポットホールはデブの大人が簡単に通り抜けられる大きさです。もう一つは普通サイズの大人が通り抜けられます。最後のはツイン・ポットホールと呼ばれ擂り鉢くらいの小さい穴が二つ並んでいて、底は抜けていないので落ち葉がいっぱい詰まっています。この近くにはまだ幾つかのポットホールがあります。浅かったり、半分欠け落ちてしまったりしてはいますが。
こうしてほぼ三時間歩き回ってきました。とても良い運動です。十日後には私の企画で日系人を募って歩きます。それまでにはまた新しく別な花が咲き始めるでしょう。楽しみです。

写真はジャイアンツ・ポットホールと急流を眺めている一行。クリックして下さい。



インデアンの絵筆

2005-04-18 11:31:03 | 野の花 - 春から夏へ
この名の由来は一目瞭然、絵の具に筆先を浸けた絵筆のような形をしているからです。
色も、鮮やかな赤から黄や白に至るまで多く、その種類は200を超えるとのことですが、
私は一種類しか見たことがありません。それがこの写真です。
ロッキー山脈の、とあるハイキング・トレールのほとんど真中ともいえるところに”息も絶え絶えに”咲いていた花でした。息も絶え絶えと言うのはその時私が受けた印象です。踏みつけられ、踏みにじられながらも必死で立ち直り続けてきた形跡が見られたからです。それは貧弱でやせ細りほとんど這うようにして咲いていました。でも色は鮮やかで遠目にも直ぐ気付いたくらいです。娘夫妻と一緒に歩いていたのですが、「マミは目聡い」と娘が感心したほどかなりな距離からそれと気付きました。
学名はCastilleja、200種類もあるのでその後にcoccineaとかlinariaefoliaとかをつけて分けてあります。私が見つけたのは多分(Castilleja miniata)と呼ばれるものではないかと思っていますが、確信はありません。エスペラントではPeniko de Indeanoで良いのでしょうか。
他の草の根に寄生の習慣があるそうで、その根性は好ましいとは言いかねますが、私が興味を覚えたのはその花の形(実際の花はこの色鮮やかなホウの中に隠れていて見えない)や鮮やかな色もさることながら、この花にまつわる伝説です。

インデアンの神様キッチー・マニトゥが世界を創造したばかりの頃は、世界には色というものがなく何もかもが真っ白でした。
物を造るときはただ有益なだけでなく美しく造ることもキッチー・マニトゥのモットーでしたから、真新しいぬり絵のような世界を彩り良くするために絵の具を塗ったのです。
キッチー・マニトゥは初め動物たちを塗りました。主として茶色と灰色を使いましたが、黒とか赤もところどころに使い、感じのいい彩りに仕上げていきました。この動物たちはただ役に立つだけでなく目に美しいものとしても造られたのです。ただ、冬が来て木々が裸になったとき危険から身を隠すことができなくなるため、何種類かの動物たちには、冬には元来の白にもどることを許してあります。
木々も初めは真っ白でした。キッチー・マニトゥは木々や草には緑色を使いました。ときには黄色や橙色も使ったので、これが濃淡のある緑とうまく映りあい、草や木も単に役立つだけでなく眼の疲れを慰める美しいものになりました。
花々には思いつく限りの色を使いました。キッチー・マニトゥは花を塗るのにその色彩感覚の良さを充分に発揮したのです。でも、キッチー・マニトゥは数限りなくある花々を全部塗り終えることができませんでした。
それはそれはたくさんの花がありましたし、花は一番後回しにしたので花を塗り終える頃にはキッチー・マニトゥは考える力も無いほどに疲れ切っていました。絵の具もほとんど使い果たし、絵の具壷の底にほんの少し赤い絵の具が残るだけになっていました。
この赤い絵の具はトリリアムを塗るために取っておいたのですが、いくつも塗らないうちにすっかり無くなってしまったのです。そういうわけで今でも赤いトリリアムは少ししか有りませんし、春、森の中で見かけるトリリアムのほとんどはキッチー・マニトゥが世界を創造した頃のままの真っ白なのです。
絵の具を使い果たしたとき、キッチー・マニトゥは精も根も尽き果てて赤い絵の具がついたままの絵筆をほっぽり投げて休息を取りました。この絵筆は飛んでいって地面につきささり花になりました。ですからインデアンの絵筆という花はキッチー・マニトゥが造った一番最後の花なのです。

この伝説に出てくるトリリアムは大花の延齢草、北海道辺りに咲いているのより花が大きいらしいです。
白いトリリアムはここオンタリオ州の州花で、四月下旬頃から咲き始めます

希望のマラソン

2005-04-14 23:38:39 | カナダの偉人
Marathon of Hope (Maratono de Espero)

25年前の四月12日ニューファンドランド州のセン・ジョーンズ市で大西洋の水に義足の右足を浸し、マラソンを開始したのは、まだ22歳のブリティッシュ・コロンビア州の青年テリー・フォックスです。
その三年前、癌のため右足を切断しなければならなかった彼は、その治療中に苦しむ子供たちをも見ました。そして癌研究のための資金を集めることを考えたのです。家族や友人たちの後押しなくしては出来ないことではありますがその考えを実行に移した彼の勇気はその純粋な情熱とともに未だに世界中の人々に受け継がれ、「Terry Fox Run/ 希望のマラソン」は各地で続けられています。
希望のマラソンはカナダを横断しながら寄付を集めるのが目的でした。カナダ人の一人ひとりが1ドルづつ寄付してくれるだけで膨大な研究費が集まるのです。しかしテリーの癌は肺に及び、目的途中でマラソンの断念を余儀なくされました。その年の九月一日、オンタリオ州のサンダーベー市郊外が彼の「希望のマラソン」最期の地となり、彼は翌年六月二十八日癌のため亡くなりました。
彼は日に42KMを四カ月以上走り続けました。その距離は5,373KMです。風や雨の冷たさ、焼き付ける暑さを耐え忍んで走った143日間、びっこを引きながら走る彼の姿は沿道で彼を励ます人々は勿論彼の様子をテレビ放送で見ている人々の心にも強く訴えるものがありました。
このマラソンをしなかったら癌から開放されていたかもしれません。でも、私は思うのです。もしここまでの命なら有効に使いたいと考えたのではなかったかと。
毎年希望のマラソンは各国各地で行われ彼の名の下に集められた研究費は三億六千万ドル以上とのことです。この四月12日、希望のマラソン25年を記念して彼が足を浸した水辺に碑が立てられました。彼を称えて記念の一ドル硬貨も発行されています。政治家でもない一般人としては初めてのことです。
ご両親は彼の夢を続けるためテリー・フォックス・ファンデーションを設立努力を続けています。

英語ですが参考までに。
http://www.terryfoxrun.org/
日本語ではカナダ大使館のページを紹介します。カナダの他の情報も見られます。
http://www.canadanet.or.jp/annv/pa_terryfox.shtml

座禅草-つづき

2005-04-11 04:23:58 | 野の花 - 冬から春へ
ようやくSukunk Cabbageも座禅草もラテン名は『Symplocarpus foetidus』ということが判りました。つまり始めに私が思ったように同じ植物だと言うことです。
色合いや形は人の顔がそれぞれ違うように千差万別なのでしょう。
日本では水芭蕉が一緒に生えるのにカナダにはそれが無いのを不思議に思うといっていた人が居ましたが私も不思議です。土壌のせいなのか気候のせいなのか。。。
これもいつかわかる日があるでしょう。
この植物の生命力の強さは、根のずっと深いところに既に翌年用の、翌々年用の芽を育て始めていることでも想像に難くないでしょう。その外に根元にちゃんと実も付け、種が運ばれていくことも期待しているわけです。

写真は葉が育ち始めた座禅草。

Skunk cabbage/座禅草

2005-04-10 05:23:02 | 野の花 - 冬から春へ
花の名前を調べるのは難しいものです。同じような花でも何処かが違うと名前も違ってきますから。
数年前、野草を求め歩いている日本の女性ばかりのグループが来たことがありました。
野草に縁の無い担当ガイドから、助けてェーっと声がか掛かり、私は出掛けて行きました。我が家から車で五分位の自然保護区です。そのグループの団長さんは植物に詳しい人でしたが、「ナニナニの種類です」とか「ナニの一種です」という説明をしていました。これは、よく似ているけど全く同じものではないと言うことなのです。この時思ったのですが日本名を知るのには学名を覚えるしかないと。自然愛好家のクラブでそのことを言ったら、「ラテン名を覚えたいんだって?」とビックリしたような感心したような声を出した人がいましたが、実際このクラブには植物名をラテン語で勉強している人も居るのです。
雪割り草は「Hepatica Nobilis」だし、雪の花は「Galanthus Nivalis」で全く違う花ですから、
これらの辞書は改訂する必要があるようですね。

春に先駆けて芽を出す野草の一つにSkunk cabbage があります。辞書にはザゼンソウと出ているので、全く同じものだと思っていたのですが、昨春日本を訪れた際本物のザゼンソウを見る機会があり、少し違うことに気付きました。
日本のザゼンソウは漆塗りのお椀を思わせる艶やかなエンジ色、しかも、硬そうで、プラスチックで作ってあるのかな、と言う感じ。この湿原は幅が30センチあるか無しの板張りの通路を行き交う人々と譲りあいながら歩くのでうっかりしゃがみ込んだり出来ず、千切って臭いをかいで見ようなど思いもしなかったのです。でも、試してみるべきだったと、今になって思います。
Skunk cabbage はその名が示すとおり、千切ると臭い。自ら熱を発し、既に12月頃から発芽の活動を始めるという草で、積もった雪の下から尖ったホウの先を覗かせ始めるのは二月頃。
雪を穿つ草の代表と言えるでしょう。色は薄い緑にエンジ色の縦じまが絣のように入っています。エンジ色の方が強いのもあります。たまには白っぽいのも。日本のザゼンソウより先が尖っていて、見た感じはより柔らかです。
どちらも形は良く似ていて、座禅草の名が示すように達磨さんのような形のホウに包まれた房状の花は覗き込まないと見えません。双方のラテン名を比べてみたいのですがまだ其処まで手が廻りません。エスペラント名においてはなおのことです。Mefito-brasikoなら英語圏の人には判りやすいでしょうけど。葉はキャベツのように巻きませんが、一枚一枚がキャベツの葉に良く似ています。

この花に惚れて、自分のホームページをザゼンソウに捧げている人もいる位ですから、華やかな草では無いけれど特別な魅力があるのでしょう。
陽射しが暖かくなり始めると私もこの花を探します。自分の根元だけ雪を溶かして筍のような芽を出しているのを見つけると、「今年もやったねェ」と声援してしまいます、当たり前のことなのに。


雪の花

2005-04-06 13:43:41 | 野の花 - 冬から春へ
四月一日、素晴らしく綺麗に晴れた日でした。ユキノハナは満開。可愛らしい小鈴のような真っ白い花がうなだれて咲いていました。

この花が咲くと春だなァという気がします。

その夜から雪が降り始め、二日後も春の雪はボタボタと降り続けました。

目測で40センチは優にあると見たのですが実際はもっと有ったかと思います。

木々の枝に積もった雪は自分の重みで落ちてしまうので融けるのも早かったのですが地上のは滔々と音を立てて下水に流れ込んで行くものの中々減りません。
五月に入って降ったことだってあったのですから、カナダに住んでいて4月の雪に驚くことも無いとは言え、こんなにぼってりと降り積もったことがあったかしらと考えてしまいました。

そして今日、五日の朝はそれが凍ってしまい始末が悪いです。

ユキノハナは英語ではSnowdrops(雪の雫)で、日本の園芸関係のサイトを見ると「スノードロップ」としているところもありますからそれで通用するのでしょう。
私が初めてこの花に出会ったのはスイスでした。だから、名前も、「Schneeglöckchen(雪の小鈴)」として覚えたのです。この可愛らしい名前も気に入っています。

エスペラントではどういう名になっているだろうかと辞典を調べてみました。

当然のことながら先ず英エス辞典です。手持ちの二冊とも、Neĝborulo, Galanto です。

逆にエス和辞典でこの二語を引いて見ると、何と、「雪割り草」なのです。雪割り草などでは有り得ないと私は酷く憤慨しました。

暫くしてフト雪割り草は英語ではHepaticaであることを思い出したので、Plena Ilustrita Vortaro を開いてみました。Hepaticaはラテン語です。この英語名はラテン名をそのまま貰ったものですからエスペラントでも当たらずとも遠からずと思ったからです。そしてHepatikoを見つけました。挿絵は無いけれど説明を読んで間違いなし、雪割り草のことです。

これらの英エス、エス和辞典の説明にはどうも変な行き違いが有るように感じます。

勿論Neĝboruloは雪を掘るものだからそれで良いではないかという事も言えますが、それなら、Skunkcabbage もNeĝboruloと呼べるでしょう。

そして思ったのですが、Snowdropsの正式な和名は無いのではないかということ。

私の英和辞典にも、独和辞典にもユキノハナとして出ていますがこれだって誰かが好い加減に付けて、そのまま何となく通用しているだけなのかもしれません。