★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

La Origino de specioj /種の起源

2010-06-02 20:48:49 | エスペラント

日本在住のカナダ人 Klivo(Cleve)Lendon が431ページの「種の起源」エスペラント訳をアントワープのフランダース・エスペラント連合から出版しました。
カナダエスペラント協会の機関紙「Lumo」2010年春号のニュースです。
この報告をしている Steĉjo Norvellによれば、ダーウィンの原書はすらすらと楽に読めるように書いている部分もあるけれど、難解な部分もあり、Klevo は難解な部分はわかり易く且つ注釈までつけて訳してあるそうです。
彼によると「重箱の隅を穿るようだけれど… 難癖をつけるなら」と言う前置きで、Klevo がイヌイットと訳すべきところをエスキモーと訳したことに触れています。それ以外に文句のつけようが無いということでしょう。料金は送料別のカナダ$36。
ISBN 978 90 77066 40 9。

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連 休 の 中 日 に

2010-05-23 17:34:57 | エスペラント
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この週末はカナダの連休です。五月24日はヴィクトリア女王の誕生日を祝う日ですが、現女王エリザベス(四月21日生まれ)の誕生祝も兼ねています。
この頃は本格的に夏らしい気候になるので、霜の被害を心配しないで植物を植えられる時期とも言われますが、非公式に夏の始まりとも考えられています。
その中間の日曜日この周辺に住むエスペランチストたちが集まりました。
ピクニックでは人気のあるダッファリン島を選んだので、場所の確保を考えて私は9時半からテーブルを一個確保して待機です。まだボチボチだったピクニックを楽しむ人たちが次から次とやってきて場所はドンドン埋まっていきました。
今日のエスペランチストたちの殆どが私とは初対面だったこともあってすれ違いの心配もしたのですが、11時までには顔が揃いました。
ジョーンとマリアは二人の子供たち、デナスカ・エスペランチストを連れて来ました。マリアはチェコ人で、子供たちはチェコ語も話せます。
こういう子供たちに「エスペラントを学んで良かった」と言う思いをさせてあげたいなァと思うのは私のセンチメンタリズムでしょうか。
今日の集合の言いだしっぺはハミルトンのヤーノシュです。
彼が考えているのは、百年前ザメンホフがナイアガラ瀑布を訪ねたことを記念して行事をしたいと言うものです。市長に取り合って、記念碑を立てるとか云々…。
私もジョーンもつい「市長をエスペラントとは何かと教育するところから始めなきゃならないんじゃない?」と懐疑的です。新聞の話題にするのが関の山ではないかとは思うのですが、やって見なきゃ判らないというのも事実です。
ザメンホフ訪問の資料などを含め手紙を送る心算らしいのですが、この件に関して私が呼び出される可能性も出て来たことを喜んでいいのか悲しんでいいのか。
ザメンホフの存在、エスペラントというものを市の人々に知らせる良い機会ではあると思うのですが、無知・無関心な人間を相手にすると疲れるばかりだし、ヤーノシュの今後の活動はどのように展開するのか、まるで闇の中ながら期待したいです。
とりあえず今日は楽しいエスペラントおしゃべりの時間が持てたことの報告です。

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緑 星 旗 の 変 身

2010-05-08 17:37:10 | エスペラント
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裏写真はその時の私。右手に萎れた花を掲げている。その花にまつわる物語は不明。



探していたヨーロッパ時代の写真が見付かったので、気まぐれに整理を始めました。横浜の波止場から出て行く黒髪の少女を見送りに来てくれた人々の写真を始め、すっかり忘れていたものも沢山あります。
その中に、1966年5月に館山で開かれた合宿の集合写真もありました。小さくてよく見えないながら、懐かしい顔の数々は直ぐ見つけられます。誰も居る、彼も居ると見ていてふと気が付いたのは「緑星旗」のプロポーションです。
その年の夏、私はこの合宿に参加した数人のサミデァーノィと横浜を発ったのでしたが、自分の手で縫った緑星旗を持参していました。
40年の歳月が過ぎ、再びこの緑星旗を広げて見た時気が付いたのはプロポーションが違うことでした。
私は自分のそそっかしさから良く考えもしないで旗を縫ったのだと思い恥かしいので、この緑星旗の存在は内緒にしようとさえ思っていたのです。
ところがこの館山での写真を見ると私の間違いではなかったのです。当時はこのプロポーションで緑星旗はデザインされていたのでしょう。
緑の星を収めた白い部分が現在のもの(下の写真)は正方形なのに当時のものは長方形なのです。
何時変身したのでしょう。その時期を知っている方がいらしたら教えてください。単なる好奇心なのですが。
私の手製の木綿の緑星旗はもはや歴史的値打ちが出ていると言うことかもしれません。

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ちょっとばかり頭に来て・・

2010-04-15 15:17:45 | エスペラント

私の Facebook に見知らぬ日本男性エスペランチストからメッセージが入っていました。
「あなたは日本人ですか?写真に一緒の男性はあなたの夫でしょう。彼はアメリカ人、あるいはロシア人? 等々」
だったら、どうだって言うの?
が私の即座の反応でした。
で、彼の写真に見覚えがあるので、何処で見たのかなとIpernityとかTwitter とか廻って見たのですが何処にも見当たりません。
そういえば二、三日前にFacebook にFriend の要請をしてきた日本人がいたな、と思い出したのです。多分その人に違いないと。
私が彼を無視したのはエスペランチストと言うことが全く判らなかったからでした。
そもそもFacebookを立ち上げたのはエスペラントの勉強のためであり、数人の非エスペランチストのFriendsは身内や既に個人的に知っている友人たちで、日本語でなければわからない人は一人も居ません。

このメッセージに対し、本気で返信を書き始めたのですけど、書きながらカッカッしてきました。こんな失礼な質問に応える必要なんか無いんじゃないの、と。
で、その人のFacebookによるともう63歳の良い大人です。
初めての人にこんなに個人的な質問を連発するなんて無礼もはなはだしいと思うし、個人情報などというものはその本人が公開する気になって初めて聞けるもので、裁判に掛けられている訳でもないのだから、いい加減にして頂戴、と言いたいのです。
ハイ、で、そんな風に書き送りました。
それでもまだ治まらず、これを書いていると言うわけです。
謝って来たら、Friend にしてあげても良いかなとは思っていますよ。

もしかしたらこの人の態度って日本カルチャー?
まさか。電車で隣に座った人に、自分と同じ靴を履いていたからと言って、「お子さん何人?」なんて聞きはしないでしょうよ。

ちょっと自棄酒飲みたい気がする。:(

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ビル・マックのこと

2010-04-08 08:53:10 | エスペラント
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たまたまこのページを見つけたのです。ビルが日本に行っていることは知らなかったのでちょっとした驚きではあったのですが、「2010年度第59回関東エスペラント大会」に於ける彼の講演の知らせがパッと眼に入ったので、一寸横から口をさしはさむ気になりました。
私がカナダのエスペランチストたちと連絡を取るようになったのはつい最近なので、ビルについては何も知りませんでした。
二年前偶然ドイツのエスペラント市、ヘルツベルグ・アム・ハーツで彼に会い、彼の講演も聞きました。話し上手です。私のエスペラントのレベルでも楽しく聞くことが出来たのですから。
同じ日彼は中国の古典楽器も美しく演奏してくれました。
六月上旬に行われる講演、是非出掛けられてはいかがでしょう。通訳付きなのでエスペラントの知識が十分でなくても楽しめるでしょう。
そのページとは関東エスペラント連盟の最初のページです。

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新しい辞典

2010-04-07 08:26:49 | エスペラント

昨日は友人と日本語でおしゃべり、早めの夕食は生まれて初めてのタイ料理で楽しいひと時を過ごしました。その後エスペラントの集まりへ言ったのですが日本語に慣れた口は切り換えが苦労でした。
新しい辞典を持ってきてもらったので予定通り小切手で支払い、早速中味を拝見。文字が大きいので眼鏡だけで読むことが出来るのは助かります。
出席者たちの意見は著者(John C. Wells)も年を取ったから文字が大きくなったと。
B5サイズ、厚さは3センチで持ち歩きに良いという大きさではありませんが、新しい単語も結構入っているようですし、「勉強するぞ!」との意欲も湧いてきます。
でも、やはり野草・野鳥の名前などは期待しない方が良さそうです。
辞書調べが楽になっただけでも嬉しいことですが。

帰路、バスの窓から見える景色は濃霧に隠されていましたが、運転手はワイパーを使わないので「良く見えるなァ」と感心していたのです。NFに着いて自分の車に乗って見たら窓は水滴で覆われ拭かなければなりませんでした。視界は悪く路面は10メートル先もハッキリしません。知っている道だから、この先にカーブがあるなどと言うことが判っているのですけど、全くのノロノロ運転でした。
今日もその続きの天候で今朝は14℃でしたが、昼に向かって気温が下がるとか。鬱陶しい一日になりそうです。

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暢気って言うのかな?

2010-03-27 23:24:15 | エスペラント

水曜日にハミルトンのヤーノシュからE-メールがありました。
「B--のワーナーが11時頃に来ると言うので、今年最初の春のRenkontiĝo(集まり)に皆さんを招待します。詳細は後ほど」というもの。
E-メールは、BCCで送られているので誰と誰に送ったのかはわかりません。
木曜日の話をしているのだと思い「別な予定を立ててしまったから行けません」
と返事を書きました。
折り返し「失礼。日付を書くのを忘れました。土曜日です。土曜日なら来られるでしょう?」と。
土曜日は大抵溜めた家事を纏めてするのですが、ま、家事が逃げていくことも無いし、毎日が日曜日の私のこと
「ワーナーがL‐Q 橋(ナイアガラ川最下流の橋)を渡って来るなら、そして私をピックアップしてくれるならQ-公園の駐車場で待ちますが」
と返信しました。
こう書いた理由は初めてのところは不安なことと、ワーナーはトロントに行く時もこの橋を通ってカナダに入るのを知っていましたし、こう書けばワーナーに連絡を取ってくれると思ったのです。
ところが「良かった良かった、ではポーランドで会えなかったけどようやく会えますね、楽しみにしています」だって。
しょうがないGPSもあることだし、自分で行くか。ありがたいことには金曜日に車のベアリングを取り替えた方が良いですよと言われていたのを実行したこと、不安なく運転できること、でしょう。
「目的地の住所を知らせてください」と折り返し送ったのが金曜日の夜。それっきりです。
土曜日の朝8時頃電話がなりました。名前は・・・ヤーノシュのイニシアルはJなのにBだったので出ませんでした。メッセージもなし。
11時頃にまた同じ電話番号から電話。今度はメッセージが入っていましたが、「遅れても良いから来ませんか?」
あ~あ、ハミルトンまでは少なくとも1時間掛かります。ラザーニャを焼き始めていたこともあるし今回は諦めることにしました。
金曜日に所番地を書き送ってくれていたら地図も調べてGPSにも登録して、ラザーニャは後回しにしても行ったのに。

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アメリカ人の傲慢さ

2010-03-09 08:39:37 | エスペラント
今朝、E-メールを開けたら入っていたのがIdeas for change in America(ESPERANTO) に新しい投稿があるよ、と言う知らせでした。
覗いて見てビックリしたのですが、これまでは「良い考え」とか「質問」とか言ったコメントばかりだったのに「アメリカは偉大な国だ、ここで取引をしたかったら世界中が英語を学ぶべきだ」と言うようなコメントが入っていたのです。
それを穏やかに説得するコメントも入っていましたが、間違いも無く「井の中の蛙」であろうこの人物、辿ってみると自然保護などには熱心な人らしいのです。
チェンジ.org は目下二度目の投票を行っています。(何故二度目が必要なのかは見逃しましたが)
投稿の大方はエスペラントで書かれたもので、たまに英語の投稿もありますが、皆さんに覗いて見ることをお勧めします。
もし、あなたがエスペランチストなら、又そうでなくても、英語が世界を支配すべきというような考え方に悪寒を感ずるようなら、是非投票してください。
私にとっては日本語の方が楽なので、それくらいなら世界が日本語を学ぶって考えはどうなの?とその人に言いたいのですけれどね。

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エスペラントを学校に

2010-01-27 18:22:21 | エスペラント

米国に本拠を置いた組織、Change.Org の会員になっています。
会員に誘われた時はエスペラントが話題で、一票を投じるために会員になりました。その時も確か学校への導入を支持する目的だったと思うのですが、又一票を投じましょうと言う誘いが来ました。エスペラントを第二言語として学校に導入することを支持する意見です。
色々な意見の中で賛成票が上位に入ったいくつかの意見を政府に提供するというアイデアのようですから、このエスペラントのアイデアは今のところ一位ですが、一位だからといって必ずしも政府が取り上げると決まっているわけではありません。しかし、意見として提供しなければ何処へも行き付かないわけなので多くの人に投票を促したいのです。

この組織のページはすべて英語です。つまり英語を理解しない人たちは同じ意見を持っていても投票が難しいということです。
日本のエスペランチストでこの組織について知っており、すでに投票している人もいるかとは思うのですが、日本語でとりあえずその存在をお知らせしようと思いました。
投票のためには先ず会員になる必要があります。会員登録のページは特別難しい英語は使っていないので誰でも登録できると思います。

エスペラントを第二言語として学校に導入をクリックし、出てきたページの左上にある「Vote now」のボタンをクリックすると、上記の写真のページが現れ登録を促します。そこへ名前、苗字、E-メール・アドレスそしてこの登録用のパスワードを考え出して書き込み、「Submit」をクリックすればいいのです。
米国のことだ、関係ないという人は無視して下さい。でも何処かから始めなければならないのだと言うことを考えてから無視して下さい。エスペランチストでなくても意見に賛成の方はもちろん投票できます。

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Radio Verda を聞いています

2010-01-01 10:23:56 | エスペラント
                     

あけましておめでとうございます。
昨日は雨、年が明けて今朝は綿毛のようなが降っています。
寝正月を決めていたのに猫に起こされたのが六時過ぎ、もう一度ベッドに戻るには遅すぎる時間なので、、、でもお雑煮ってお腹ではなくいつもと同じくコーヒーでした。

Facebookにご挨拶を書いて、友人巡りをしていたらRadio Verda にぶつかり、自分でも良く分からないままに弄くっていたら聞けるようになりました。他人のしゃべるエスペラントを聞く良い機会です。

ここで、カナダのエスペランチスト(ケベックの?)の協力で世界中の子供たちがエスペラントでサンタクロース(Avo Frosto)に手紙を書けばエスペラントで返事がもらえる仕組みが出来たことを知りました。

そこで、子供たちにエスペラントを教える人たちに提案です。
十一月頃までに手紙を書けるように励ますのはいかがでしょう。
宛先は
Avo frosto
Kanado
H0H 0H0

です。そして正しい言語で返事をもらえるように必ず
Esperanto
と明記することです。手紙は手書きで、たどたどしい文字でも手書きでを強調していました。
私も子供の振りをして書いて見ようかな。12か月後が楽しみです。

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字上符が使えなくなって

2009-11-15 13:33:17 | エスペラント

コンピューターの大掃除をしてもらったのは良いのですが、字上符をつけられなくなりました。
必要なプログラムは保存するから、というので、「ワード」も「エクセル」も、と言ったら、そんなのはPCにスタンダードで入っているものだから心配ないと言われてしまいました。そうか、と思ったのでしつこく言わなかったのです。
そしてそのときは字上符のことをすっかり忘れていました。
昨年アンドレが一晩掛けて入れてくれたワードのプログラムは何処へ。。。
取り戻す術もありません。
「エクセル」も消えてしまいました。スプレッドシートが入っていますが、これを使うのも勝手が分からず何回か失敗。ハードデスクに保存してあったお陰で、家計簿は生き返りましたから、後は使い方をしっかり覚えなくてはなりません。
それにしても字上符が使えないのは不便です。
「Lernu!」のページに字上符について何か書いてあったので読んでみましたが日本語のページを読んでもさっぱり分かりませんでした。

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EVA 50年の歩み

2009-11-12 13:45:35 | エスペラント
EVA 50年の歩み

郵便受けに重たい茶封筒が入っていた。
EVA(エスペラント女性協会)編集局からの包み。中身はこの立派な本。
「そういえばそんなことを言ってたような気がするな。。」
と言う至って無責任な私の反応はここまで頑張った皆さんに済まないものなのだけれど、「こんな立派な本を作ったの!」とエールを送りたい気持ちに変わりはない。
五十年と言えば随分長い間なのだ。私がエスペラントを学び始める少し前から。
私自身が寄稿した記事も載っていて、改めて読んでみると「え?私こんなことを書いたの!」と言う内容で驚く。すっかり忘れていたのだ。

トロントに住む年長の友人の一人もその創始者の中に含まれるのだけれど、彼女曰く「頭数を揃えたいから、と名前を貸してあげただけ。。。」なのだそうだ。
そういう人が何人か居たかもしれないけれど、みんなみんな本気で頑張ってきたのだ。
半世紀を区切りに機関紙「EVA」は廃刊とのことで寂しくもある。
「皆さん、ご苦労さん!!」

インターネットを使って意見交換のためのページを作ることは?
私がホームページを立ち上げて、気が向いた人がそこに原稿を送ってよこす、と言うやり方で出来ないだろうか?
あるいは会員制度にして、会員はみなパスワードを使って勝手に書き込むようなやり方は?
などと考えてみた。

困難はやはり若手が少ないことだろう。みんな老境に足を突っ込んで居る人達ばかりなのだから。若手のエスペランチストたちのブログを見ると、日常のどうでもいい内容の方が多い気がするし。

これも歴史というものの流れなのだろうとも思う。
外国で暮らしていたがためにあまり役に立たなかったこと、あるいは国内に暮らしていても同じだったかもしれないのだけれど、女であることへの偏見はまだまだ無くならないだろうから、何かしら貢献したい気持ちはやっぱりある。

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エスペラントで何が出来るか

2009-10-28 12:03:53 | エスペラント

暫らくエスペラントにご無沙汰していたこともあって、何か刺激になるような記事を探していました。そしてぶつかったのがこの記事、平和の鳩 ヴェルダ マーヨです。
長谷川テルについてはある程度のことは知っていましたが、「エスペラントで何が出来るか」を見事に生き抜いた女性であることを確認しました。
「エスペラントで何が出来るか」はエスペランチストなら誰でも考えることでしょう。単に「旅行や諸外国の人々との友好を楽しむ」から「世界平和のために命を賭ける」まで色々あると思いますが、理想はあっても実行に移すことはそう簡単なことではないし、ある種の条件も揃わなければ中々難しいことです。
長谷川テルがここまで徹底して行動できた原動力は?
若さ、自信、それも頑固なほどの自信があったからでしょうけれど、エスペラントの思想「ホマラニスモ(人類人主義)」を受け入れた純心さが最も大きな原動力なのだと感じました。
そうです。エスペラントは思想があって生まれた言葉ですから、他の自然発生語とは違うのです。
だから、英語やフランス語と単純にその学び易さの点だけ比較したりすることは大きな間違いです。
エスペラントには歴史や文化が無いという否定的な見方をする人もいます。それぞれのエスペランチストの母国の歴史や文化がエスペラントのそれの一部であると私は思っています。独自の歴史、文化も形成されてきていることも事実です。

長谷川テルが35歳という若さで他界してしまったことが惜しまれます。
彼女の夫がどんな人だったのかも判らないし、残された幼い子供たちがどのように成長したのかも知りたいと思いました。

そして、私自身の25歳(テルが中国に渡った年齢)当時を考えてみました。幼かったですね。エスペラントの「ホマラにスモ」に感動して学び始めたのもその頃ですが、彼女のような確固たる理想は持っていませんでした。世間知らず(今も相変わらず)でもありましたし。

「エスペラントで何が出来るか」
それぞれの能力や体力で異なるでしょうが、若さも体力も薄れている今となっては、その限界も見えています。自分の楽しみのための旅行さえ、経済力という制限があるのですから。細々とながらカナダの民話を集めてみたいのは長い間の夢ではありますが。

この記事「平和の鳩 ヴェルダ マーヨ」を書いた人、中村浩平についてはこの程度しか判りませんでした。もう退職されているようですが、健在で活躍されていることを願っています。

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エスペランチストの輪が広がること

2009-09-10 09:03:43 | エスペラント

昨夜電話があって、この土曜日にハミルトンのエスペランチスト達が集まるから来ませんか?
というお誘いでした。
バッファローから来る人が居て、その人を囲んで、、と言う集りのようです。
電話をくれたヤーノシュさんは、ビャウィストク大会に出席したのだけれど、登録は現地でだったのでコングレス・リブロに名前は載っていないとの事でした。
それでも近くに住む私に気付いて二週間ほど前電話してくれ、集りがある時は報せると言ってくれていたのです。

ところが私は明日、金曜日からネーチャークラブの企画する遠足に参加することに。

カナダのエスペランチストは日本などに比べたら比較にならない少人数です。
それでも、こうやって集まる機会が増えてくるのは嬉しいことです。
今朝、彼からE-メールが届いていました。
大会に出席した彼の報告会をお茶とお菓子で、と言うことです。
彼は私たちがポーランド南部の休暇を楽しんでいた頃、クラコウで、エスペラント教師の会合に出席していたのです。
それを知って私は「シメシメ、今後は解らない事があったら彼に訊けるわ」

今後も定期的な集りを持つ心算のようです。ハミルトンの市内の運転はあまり気が進まないので、それが悩みですが出来るだけ参加したいと思っています。

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そして、、、ビャウィストク

2009-08-31 23:51:30 | エスペラント
<世界大会入り口<内部、受付付近<エスペラントとは関係ないらしいけど、気球を上げようと努力している人たち<開会式に挨拶するビャウィストク市長<同じくザメンホフの孫、ザレスキー・ザメンホフ博士<この開会のシンボルになった市庁舎、博物館<エスペラント・カフェ
ビャウィストクでの弟94回エスペラント世界大会
<ザメンホフ通り<ザメンホフ生家の写真<ここに生家があったと言う碑<ザメンホフの胸像の前で、ガイドの@%&?¥さん<ザメンホフ胸像<エスペラント・センターの前に会った碑<閉会式、緑星旗がハバナ市に渡された

ようやくビャウィストクに到着です。
第94回エスペラント世界大会がビャウィストクで行われた理由は今年がザメンホフがビャウィストクで誕生してから150年目と言う記念の年だからです。
既に十日あまりエスペラントでポーランドを楽しんできましたから、もう大会は終わったようなもの、などと不謹慎なことを言いながら登録し、書類を貰いました。
私たちの宿は学生寮で、大会場とは至近距離にあります。気球の写真の背景に見える建物の一つで、歩いて五分くらいです。
プログラムの予定変更があったりして参加出来なくなってしまったのもありましたが、大会を楽しんだことは間違いありません。疲れたら宿に戻って昼寝して、ということも出来るし至近距離を選んだのは正解でした。

徒歩の遠足で市内をまわり多くのザメンホフ縁の場所も見て歩きました。
もの凄く暑い日で、最後には立っていられないくらい疲れたのですが、それでも参加して良かったです。ガイドの@%&?¥さん(聞きなれない名前ということもあって終に憶えることが出来ませんでした)は中学生の頃一年くらい学校でエスペラントを勉強したと言っていましたが、通訳のイレンさんに「みな忘れたんでしょ?」と言われていました。それでも時々説明にエスペラントを交えたりしていました。この遠足の途中エスペラント・カフェで軽い昼食を取りました。名前のよしみで多くのエスペランチストがこのレストランを利用したと思います。当然エスペラントのメニューも置いてありました。

新旧の友人たちと楽しいおしゃべりの時間も持ちました。次は何処で会えるのでしょうね。
帰国したら日本人の友人の一人に「ご主人からの贈り物と思って楽しみなさいよ」と思いがけないことを言われ面食らったのです。彼女は、アルツァイマーの夫を抱え何処へも行けないと嘆いていると或る友人の姿を見て思ったとの事。「彼が私にくれたのは時間だけよ、お金は残してくれなかったの」
「毎日の暮らしで節約すれば良いじゃない」
そんなこととっくにやってます。。。
私が残りの人生を鬱々と暮らすことを夫が喜ばないことは確かです。生前良く口にしていたことでした。そして、彼女の言葉を改めて考えています。
エスペラントで世界の友人たちと笑い合っていた時に私は夫の存在を感じたのです。彼も一緒に笑っていました。冗談の好きな彼と私は良く冗談を言い合って笑ったものです。一種の言葉遊びでした。

数日前、ハミルトンに住むエスペランチストから電話がありました。ビャウィストクに行ったけれど、大会には到着してから申し込んだので「コングレサ・リブロ」に名前は載っていないという人物。でも、「コングレサ・リブロ」に私を見つけ、こんな近くにエスペランチストが居るのを知って嬉しいという風でした。ハミルトンで催しをする際には是非と招いてもらいましたし、参加したいと思っています。

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