★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

ローザ・パークスと言う人 October 30, 2005 10:10

2005-10-31 00:10:26 | Weblog
案山子の人形今月24日に92歳で亡くなったローザ・パークスという黒人女性の葬儀の様子がTVで報道されています。
この人について全く無知だった私は、彼女の死に伴って報道されるニュースで初めてその行動について知りました。
50年前、バスの席を白人男性に譲らなかった為、一晩拘置所に入れられ40ドルの罰金を科せられると言う経験をした人ですが、その時の気持ちを、ラリー・キングのインターヴューに、「私は疲れていました。差別されることに疲れていたのです」と応えています。そして、「これは与えられた機会だと思った」とも。
当時の情勢では、バスから引き摺り下ろされたり、リンチされる可能性も大きかったのですから大変勇気のいることです。
私は当時高校生でした。そういう差別と言うものがあることは種々の情報から、本や新聞や人々の話などから、知っていたわけですが、過去のことだと思っていたのです。今思うと何と迂闊だったのでしょう。
ローザ・パークスのこの行動がきっかけになり、バスのボイコットが半年以上続いたと言うことは、差別に疲れていたのは彼女だけではなかったわけで、大きな運動に発展して行きました。
ローザ・パークス(ウィキペディア)にその辺の事情が説明されています。
また、よく調べている人が居て
公民権運動・史跡めぐり 3 にも詳しい説明があります。参考までに。

明日はハロゥィーン(万聖節前夜祭)。写真はその飾りの一つです。
また、夏の日光節約時間は昨夜で終わり、標準時に戻りました。

ゴールドフィッシュ・プラント October 25, 2005 11:47

2005-10-26 00:47:18 | 樹 木 ・ 灌 木
Goldfish-plantゴールドフィッシュ・プラント
学名: Alloplectus nummularia
英語名:Goldfish Plant
エスペラント名:不明
日本語名:金魚の木

中央アメリカ原産というこの花は、長さは1.5cmくらいでオレンジ色の金魚の形をしています。この英語名を日本語に訳してしまうと、文字通り「金魚草」で、キンギョソウと言う名の別の花があるため混同してしまいます。
枝を数本貰って来て水に挿しておいたのが根を出しました。鉢に植え替え夏の間外に出し太陽に当てて置いたら、その肉厚の小さな葉は緑濃く逞しくなり、たった一つですが花を付けました。お腹の膨らんだ小さな金魚の形が可愛らしく、沢山付くと見事です。
ナイアガラフォールス公園の温室には大きな鉢にこんもりと茂らせたこの花が天井から下げられています。あそこまで育てるには何年掛かるのかなァと思うのですが、暖かい地方の花なので光と水の按配を巧くしていたら長い時間は必要ない無いのではないかという気もします。根が水浸しになっていてはいけないけれど、葉には適度の湿りが必要なので水を霧吹きで掛けるのが良いとの事、やってみましょう。
たった一つ咲いた花に勇気付けられたと言うところです。
以下のページは参考までに。
金魚の木
このページの学名と私が英語で調べた学名が違うのは何故でしょう?
Goldfish-plant-2
PS: December 06, 2005
丈夫に育った枝を数本ビンに挿して窓辺に置いたのが根を繁茂させ、花を一つ付けました。
この分なら、来年の夏は十分太陽に当てて元気付ければ沢山花を付けてくれるかなァと楽しみです。

窓の向こうは雪景色です。


自然にも老化現象??? October 24, 2005 15:23

2005-10-25 04:24:07 | Weblog
どんよりと曇った日曜日、霧雨が時々思い出したように降ってくる日でした。ダッファリン島にはカメラを抱えた人達が数人来ていました。三脚を設えていた男性の連れの女性が通りすがった私に「素晴らしい、とても綺麗ね」と声を掛けました。
この人達は此処は初めてなのだと私は思いました。綺麗ではないと彼女の感想を否定するつもりは無いのですが、でも、数年前を知る人なら「以前はもっと綺麗だったのに。。」と言うでしょう。
もちろん素晴らしい色を見せてくれる木が未だ何本もあります。とは言えまだまだ緑のまンまでつっ立ている木が多いし、恐らくこれらの木々は色付く前に冬の寒さに蝕まれてしまうのではないかと思うのです。
自然にも老化現象というものが有るのかもしれないと、その時思いました。
それはただ木や草が育っては枯れていくというだけのことではなく、もっと広い大きな意味で自然というものが瑞々しさや活き活きした力を失ってしまうと言うという現象があるのかもしれないのです。
人間が作り出す排気ガスやゴミのせいにしているけれど本当は、人間の愚かさや不精さには関係なく衰えていくものなのかもしれません。
この時期には毎年大勢の素人、玄人の写真家達が秋の美しさを撮りにやってくるのですが、今年は少ないような気がします。老化現象のことを知っていて、来ないのかもしれません。
ローレンシャンにしろ、アルゴンキンにしろ、以前の華やかさが無いし、この周辺の郊外の森林も同じように衰えて見えます。
こんな狐につままれた様な考え方を馬鹿馬鹿しいという人も居るでしょうが、案外「私もそんな気がしていた。。」という人が多いかもしれないのですよ。
周囲の自然を見てください。霊験あらたかといわれる山の山頂を切り崩して土産店街にしてしまうのは人間の愚かさでしょうが、みんなで大切にしていた心算なのにいつの間にかなくなっていくのは老化現象としか考えられませんから。

雨の日 October 22, 2005 15:05

2005-10-23 04:05:32 | Weblog
Tesla_fountain

雨の中、久しぶりにカシノへ行きました。元手は15ドルで一時間遊び、25ドルにして帰宅したので10ドルの儲けでしたが、気が晴れません。スランプの最もひどい状態です。日本の友人が「カナダ生き生き老い暮らし」と言う本を送ってくれました。
本当ならば勇気付けてくれる筈の本なのですが、数行読んでは休み休みで、身が入りません。
考えなくても良いことをしているのが一番良いようですけど、かと言って日がな一日コンピューターのカードゲームってわけにも行かないのです。
「時間が薬」という言葉を信じる以外方法は無いようです。
今日の写真はカシノ・フォールすヴューのフォワイェにある噴水です。
ちょっと変わった噴水ですが、ナイアガラフォールスの水力発電、電力の交流を実用に導いたニコラ・テスラを記念しています。

冬の準備 October 18, 2005 15:02

2005-10-19 04:03:05 | Weblog

久しぶりにダッファリン島を歩きました。
早々と紅葉を始めた木々は既に落葉していますが、未だ青々と茂っている木が目立ちます。本当に秋の色に変わるのかしら、と疑わしく思いました。
そして、公園の係員達は既に冬の準備です。冬の光の祭典に備えて飾りが設置され始めていました。
   
間もなくこの島に通ずる橋も一つを残して閉鎖されます。リスたちも慌しく駆け回っていましたが、栃や胡桃の確保に余念が無いのでしょう。
ホドイモの種を貰おうかと行ってみたら蔓が枯れているだけで実は付いていません。不思議に思ったら、係員が根元から他の草と一緒に刈ってしまったからでした。イモを掘るわけにも行かず、残念です。

熊の爪跡 October 15, 2005 15:55

2005-10-16 04:55:13 | Weblog
その朝は霧の深い朝でした。
これから登るコンドル山の向こうから朝日が射し始め、峰の木立を通して霧を縫うように縞模様を描く日の光はいかにも「朝」です。
次第に霧が晴れ青空が輝きだすと、紅葉の色も輝きます。
こういう景色が私の住むナイアガラ周辺で見られないわけでもなく、特別収入が良いというわけでもないのに、当てにされている故の責任感みたいな感情に動かされて引き受けてしまうのは、やはり山村育ちの身として故郷の山への郷愁のようなものがあるからでしょう。

これだけの仕事ならどうと言うことは無いのに、とんぼ返りだナンダと慌しいと疲れも激しいし、家庭の事情もあって来シーズンは身代わりを探してくれるよう話してあるのですが本気で受け付けてくれてはいない様子。

人々は冗談交じりの楽しげな会話を交わしながら私の後に続いています。遠く海を越えてはるばるこの風景を見に来た人たちの「来て良かった!」と言う表情がこの仕事の一番のご褒美かもしれません。

ふと大きなブナの木の幹に熊の爪跡が幾つも、かなり高いところまで沢山付いているのが目に留まりました。決して新しい爪跡ではないので、近くに熊が居るとは考えられませんが、人々は目を丸くしてその木を見上げます。「熊がいるんですかァ、本当に?」
また、少し行くと今度は人間の落書きです。木の幹にナイフで日付や名前が彫り込まれています。
「これは人間の爪跡」
人間の残す爪跡は熊が食糧を求めて登った結果残る爪跡とは違い、自然を傷つける行為です。「これ、日本人ではないわね、ああ良かった」と言う声も聞こえました。一般に日本からの旅行者では、幹にナイフで落書きしている暇など無いのです。
このツアーだけはこの日時間にゆとりがあり、ちょっと贅沢な朝を過ごせました。

紅葉ツアーから帰りました。 October 12, 2005 23:04

2005-10-13 12:04:32 | Weblog

紅葉ツアーも一先ず終わって帰宅しました。

雨不足で楓も大変だったようですが、色付くのが先か、落葉が先か、などと言われながらも季節らしい色を整えて人々を喜ばせてくれました。大雨に降られたり、バスの後車輪が溝に落ちたりと問題が無かったわけではありませんが、人身事故を起こしたグループのことを思えば、順調だったと言えるでしょう。
湖上の飛行機が飛び立とうとした瞬間、突風に煽られて転覆した事故のニュースを私はホテルのTVで見ました。翌日日本から私のグループの添乗員に連絡があったそうです。この添乗員はその日同じ飛行機にグループの皆さんを誘ったのですが、売り切れで諦めたのです。「良かったァ、僕で無くて。。。 でも、可哀相だなァ、その添乗員」と言っていました。本当にどんな思いでいたでしょうか。連れて行った、というだけで責められる立場なのですから。

美味しい食事を戴いた翌日は崩れたクッキーとコーヒーの朝食で出掛けたり、ナンにも食べないで出掛けた日もあります。食事代を計上してもらっているにもかかわらずこうなった理由は、グループと同じホテルに泊まる日と、グループの泊まるホテルからは離れた所に泊まらなければならない日とがあったからです。それがレストランなど近くにないところだったり、コーヒー・メーカーも付いていないモテルだったり、バスの運転手が同じ所に泊まる日でさえ一緒に食事に出掛けたりしませんでした。お互いパタン・キュー状態だったからです。私などはたがが2週間程度ですが、彼らは何週間も家に帰っていないのです。バスも不足であちこちから借り出しているので、とんでもない遠くから来た人もいました。

お客様の中にも見習いたい人がいました。実際の年齢は知る由も無いのですが添乗員の話から80歳を越えた方のようでした。山道を歩いていて、とある草の葉を見つけた時、「多分Partridgeberry の葉」だと思うと言ってから、私はその日本名を知らないことに気付きました。
Partridgeって何だったかしら、雷鳥だったかしら、雷鳥はPtarmigan だと思ったけど、などと話た後私はそのことをすっかり忘れていました。ところが翌朝その方がバスに乗ってくる
なり「Partridge を昨夜辞書で調べましたらね、エリマキライチョウでした」と知らせて下さったのです。もちろん、パートリッジベリーは全く違う日本名を持っていると思うのですが、
即辞書を調べたことや添乗員付きの旅行に辞書を持って出ていることなどはこの高齢の女性の積極的な生き方を物語っていると思うのです。
それから、「百歳計画」という男性にも会いました。百歳まで生きるという計画です。面白い考えだと思いますが、日常の健康管理に気を付けている事はまちがいないようで、艶やかに日焼けした顔色や引き締まった身体つきから、その計画は着々と進められていると見ました。

ナイアガラフォールス周辺はまだ紅葉していませんが、日本からの紅葉ツアーはもう殆ど終わりでしょう。ローレンシャンもアルゴンキンも落葉が始まっているでしょうから。


写真はアルゴンキン公園ルックアウト・トレールの頂上からの眺め