★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

すっかり春

2006-03-30 17:00:03 | Weblog
今朝カルガリーの娘一家はモントリオールに飛びます。お母さんの引越しのお手伝いが目的で、ケベック市の少し北の方に住む弟一家もやってきて男二人は引越し、女二人は子供達、合計4人の面倒を見ながら。。。という計画とか。
此処で十日を過ごし、これが住むと娘一家はナイアガラフォールスへ来ます。私の粗大ゴミの処理が目的なのですが、次男(娘の夫)一人では手に負えないことも有るし、長男は同じ時期に一週間の休みを申請していたのですが叶わず、ようやく週末を含めた4日だけ確保したとか。「彼一人に任せておくのは悪いから。。」と息子は言いますが、思うように行きません。それでも彼が休みを取れる週末は彼のゴッド・ブラザーも応援に来ると言うので、次男も「それは助かる」と言っていました。本当に助かるのは私なのですが。。。
孫娘のちゃんが生まれる為に、次男は一年間の産休を取りました。
それが無ければ今どき休んでなど居られなかったでしょうから、ちゃんに感謝すべきかもしれません。
20日あまりも家を離れて双方の親の為に尽くしてくれる娘夫妻に頭が下がります。

外はすっかり春で、クロッカスやスノードロップスは満開、ヒヤシンスも蕾を付け始めました。
娘達の努力に応えるべく私も昨日は庭に貯まった枯れ枝を集めました。邪魔で切ったまま放置しておいたのが散在していたのです。一両日で片付く物では有りません。市のゴミ処理が枝を集めてくれる日は4月22日、それまで僅かづつ纏めて行こうと思うのです。束にしなければならず、束は長さが1メートル以下、太さが50センチ以下と決められています。昨日仕事をしてみて、50センチの束は結構太いものだと思いました。私には無理で、ようやく30センチくらいです。それでも3束まとめました。太目の枝を所定の長さ以下に切るのも難儀です。枯れているのでポキンと折れてくれるのもありますが、慢心の力を込めて呻吟したり。やはり男の仕事なのかなァと思ったり。
私がこのような仕事を始めると夫は決まって「するな」と言いました。「気分がよくなったら僕がするから。。」とも。その日は終に来ませんでしたが。

先ほどドアベルが鳴って出て見るとお向かいのシルヴィオでした。
夫の死を報せた時、He was a good man. He was a good friend.と、ポロポロと涙を流し一緒に泣いてくれた人です。
この辺片付けるんだったら、綺麗にしてあげるよ。と彼は言います。
これも捨てるといいね、それも始末したら良いよ、云々と始めた彼はもう80歳をとっくに過ぎています。杖を片手にノロノロと散歩に出掛けるこの人に力仕事など頼めないではありませんか。でも、本人はいたって本気で、「友人としてではなく妹として」手伝ってくれるのだそうです。人を雇ったりしてはダメよ、と言うことなのです。
息子達が有る程度のことをしてくれた後は私が一人で奮闘しなければなりません。
シルヴィオの心遣いは有り難いのですが。。。

すっかり春です。T-シャツの季節です。


砂 糖 並 木

2006-03-26 18:31:17 | カナダ風物詩
砂糖並木
久しぶりに夫と共にドライブした道を辿りました。
セント・ジョーンズ自然保護区は日曜でもあって人出があり、トレールを歩くのも何時も誰かが前後を歩いています。
夫が車で待っている時は遠慮していつも20分位しか歩かなかったので、今日は少し長いトレールを歩いてみました。トレールマークが不十分で予定したトレールともう一本続けて歩いたので合計一時間。大分疲れました。
快晴で暖かく気持ちのいい日でしたが、未だに彼が逝ってしまったことが信じられなくて、「I miss you, I miss you」と独り言を言いながら子供達を引き連れてこんな林の中を歩いた若く元気だった頃を思い出していました。
言い争うのが嫌で、我慢して譲ることが多かったのですが、これからは私の人生を私なりに生きて行かなければ。。と何度も何度も自分に言い聞かせているこの頃です。誰を待たせているわけでもないし好きなだけ時間を取って、という心算でした。
帰り道、一度も通った事の無い道に入って見ました。彼は「この道通ったこと無いね、ちょっと行ってみよう」などと言いながら変な道に入ってしまう事のある人でしたが何故かこの道だけは一度も通っていません。
そのことを不思議に思いながら、馬糞が転がっているような道を走っているうちに見覚えのある所に出たのです。でも方角が変です。私は狐に抓まれた思いでした。
そうして見つけたのがこの光景です。
並木の陰の農家
毎年春には自家製のメイプル・シロップを作っている人たちの、昔ながらの樹液の採取方です。何時かこの時期にこの道を通って写真を撮ろうとは考えていたのですが今日は予定に入れていませんでした。

もう写真なんかには関心が無いと思っていた私でした。
ようやく此処までたどり着いたことを、心配してくださった皆様には喜んでいただけると思います。一歩前進二歩後退続けながらの毎日ですが、頑張っています。

お招き

2006-03-22 21:22:18 | 夫の入院
先日届いた友人AからのEーメールに同僚のK氏の健康状況の報せがありました。

「彼も肝硬変で「2期症状」らしいです。**さん(我が夫のこと)のは「4期症状」だと言ってました。何でも1週間に1度、点滴をして体の内部を掃除するのだそうで9月まで続けるとか。」

これを読んで私達の掛かっていた医者の無知(と言うか無頓着と言うか)に無性に腹が立ってきました。このような説明をしてくれたことも無いし、疲れるし食欲も無い、と言ってもただフンフンと聞いているだけだったのです。
血液検査の後で「あなたは地上で最も健康な人だ」とも言いました。それが冗談なのは判るのですが、食欲がどんどん減り疲れが益々激しくなってきていた頃です。
医者を換えようという私の意見を無視した夫にも落ち度があったわけですが、彼はこの医者を信じていたのです。私がもう少し強引だったら。。と思うと口惜しくて、腹の底から泣きました。
電話で子供達と話している時も私の涙は止まりませんでした。
子供達は、ダッディは本気で直そうとしていなかったのだから、どんなにマミが強引にしても結論は同じだっただろうと言います。

こんな悲しい日に先月昼食に招いてくれた夫妻から電話があり、今日のお昼にまたのお招きを受けたのです。私はあまり気が進まなかったのですが「あなたの誕生日だから。。」と言うお招きを拒否するのは友情を拒否するような気がしてお受けしました。

いい医者に巡り合うか否かで私達の命は決まってしまうのよ。とグローリアは言います。あなたのせいではないわよ、とも言いました。でも、私は最善を尽くしたと断言できません。そのことが口惜しいのです。

私を元気付けようと今日を丸々一日私の為に提供してくれたこの夫妻の存在は私にとって大きな力です。色々おしゃべりをして元気付けられて帰宅しました。
先だって編曲していた、我が夫に捧げてくれたポルカのメドレーを額に収めて、これが誕生日の贈り物です。今夜のリハーサルにその曲を使うとも言っていました。

因みに、昼食のメニューは
オードブルにスモークサーモンとクリームチーズ、クラッカー。彼自慢のワイン。
サラダ、蒸したアスパラガス、玄米とワイルドライスの混合炊き、海老をニンニクと醤油でいためたもの。
デザートには先月焼いて冷凍してあったというキャロット・ケーキにろうそくまで灯して。それにコーヒーです。
そして彼のワインを3本も戴いて帰りました。

今週末は。。

2006-03-19 19:24:29 | Weblog
息子が来てくれました。来週は私の誕生日でもあるので、贈り物に買ったDVDプレーヤーを届けたかった事もありますが、私の手には負えない雑用をこなしたくれる目的もあり、「して欲しい事の目録作っておいた?」などと言われました。
目録は作らなかったけれど、「これとこれ」という私の注文以外のことも色々してくれたので、一日半の滞在の割には沢山仕事を片付けてくれたと思います。
息子が居るということは良い事だとつくづく思いました。
私の場合は義理の息子ともども二人で良くしてくれるので本当にありがたいです。

金曜日に到着の予定が土曜日の早朝になり私はとても心配してしまいました。いつものごとく「ゴッド・ブラザー」とビールを飲みに行って来たとか。眠っているのに電話したら悪いと思って電話しなかったそうですが、無事でホッとしました。
月曜日は早朝5時半起きというので、今日中に帰宅していたいと午後4時半頃去りました。

彼が去って間もなくカルガリーの娘から電話。
「どうお?」
「寂しい。。」
「そうだと思った。。」

それから小一時間もして上の娘から久しぶりに電話です。
車が故障したとかで、仕事で来たコーンウォールに立ち往生とのことでした。
足の調子はかなり良いので、来週末また仕事でロンドン(London Ontario 
のこと)へ行った帰りに寄ろうかと思っているとのことですが、その時になって又しびれないとも限りません。心配です。

心配してくれる子供達が居ることに感謝した一日でした。

平原の巨人。。。

2006-03-14 17:26:31 | カナダの偉人
今週の日曜、月曜と二日にわたって放映された「平原の巨人。。。 トミーダグラス物語」を見ました。
最初の部分を見逃したのですが、それでも彼の人生を大まかながら理解できました。撮影に当たって、3000人くらいのエキストラが必要だったそうですが、ホテルなんかには泊まらず、お互いの家に泊まったりして経費を節約、制作費もとても安く出来たとか言っていました(聞いても右から左忘れます)。
この人たちにとって「英雄」であるトミーダグラスの映画に出演することは誇りだったからです。著名な俳優たちとて同じ思いだったようで、ほんの数分しか出ない役を、見覚えの有る顔が演じていました。
主役のマイケル・テリオーは適役でした。舞台役者だけあって声が良く通るのには感心しましたが、それだけでなく、小柄できびきびしたトミーを良く演じていたと思います。

参考:
http://www.cbc.ca/television/behindthescenes.html
http://www.tommydouglas.tv/indexMain.html
http://blog.goo.ne.jp/serena_2005/d/20050720

新しいシャワーカーテン

2006-03-11 10:05:38 | 夫の入院
New Shower curtain

朝から気の沈む日でした。
ふと思い立って、気分転換にシャワーカーテンを新しいのに換えようという気になりちょうど電話してくれた娘に話すと、「良い考え、そうしたら?」と言う返事でした。
今使っているのは気に入っている物なのですがもう飽きるほど長く使っているのです。
先日店をうろついていて見つけた新しいデザインのカーテンリングが気に入っていたので、それとマッチする柄のカーテンを思いついたのです。
それを買って車のトランクに入れたまま忘れていました。

午後は24年前腎臓癌で夫君を亡くしたエヴァが電話してくれ、近くの「ティム・ホルトン」でコーヒーを飲みながら2時間近く話し込み、時間がとても早く流れていきました。
エヴァの夫君、ジュリウスは家の子供達のハンガリアン舞踊の先生で、全くのヴォランテァ活動でしたがとても熱心な人でした。彼が亡くなったあとエヴァは跡を継ぎ、自分は踊らないのですが指導者を雇ってきたり成長した教え子に指導させたり努力していました。
そういう彼女の姿を見て何時も偉いなァと感心していたのですが、親しく話し込むような機会は今まで無かったのです。
エヴァが古い写真を数枚持って来てくれました。下の娘が未だ4歳くらいの時の物で、赤に白の水玉模様のドレスで踊っています。
我が夫の下でヴァイオリンを習っていた子供達数人が同じ行事の中で演奏したことがあり、このドレスを着て舞台に立ったのですが、観客に一礼した後我が末娘はくるりと向きを変え観客にお尻を向けて演奏を始めたのです。これには私共も驚きましたが観客の中から笑いが漏れました。この日のことをエヴァもよく記憶しており、「どうして?と聞いたら、姉の指の動きを見る必要があったからだって。。」などと30年近い昔話に花を咲かせました。
彼女が私に会ってくれたのは、同じ痛みを体験した者同志分かち合えるものがあろうかと思ってのことです。この思い遣りを私は深く感謝しました。
エヴァの方がもっともっと辛い思いをしているのです。余生は一年と宣告されて、11ヵ月後にジュリウスは亡くなったのですが、時間を決められて生きると言うのも辛いものよ、と彼女は言いました。それは当人もさることながら、見守りながら手の施しようも無い妻の立場も辛いものだった筈で、それを耐えなければならなかったエヴァの痛みを思いました。
二人の夫に死別した人のことが話題になりました。
一度こんな辛い思いをしていながら、何で再婚する気になれるのかと不思議に思えるのです。
「あの人の最初の夫は自殺なのよ」とエヴァが言いました。
「??」
「彼女が二番目の夫になった人と情事を持っていたの、それで彼はピストルで頭を打ち抜いて死んだのよ」
「どうして知っているの?」
「ハンガリー系の間では誰もが知っていることよ。彼女は当然のことながら話したがらないけれど。」
そういう過去を持って生きるのも辛いものだろうなァと思います。

夕方息子からの電話で、カーテンのことを思い出しました。
プラスチック製の古いカーテンリングは老けていて、取り外そうとするとみなポキポキ折れてしまいました。
やはり交換の時期だったようです。


駒 鳥

2006-03-08 08:46:52 | 自 然
ずっと中断していた散歩をボチボチ始めました。
スズカケの木の下を通った時、頭上でピヨピヨと鳴く声がして見上げると駒鳥が一羽歌っていたのです。
駒鳥どころではない二ヶ月あまり、季節の移り変わりなどどうでも良かったのですが、数羽の駒鳥が、雪がまだ残っている芝生の上を元気にピョンピョン飛び回っているのを見て、私も元気に生きて行かなければと思ったのでした。
ネーチャークラブの行事にも誘われるままに出掛けようと思っています。

故人と深い関わりがあった筈の人でも、報せを受けながら何の挨拶も無い人も居ました。このような人のことは忘れましょう。
僅かな関わりなのに思い遣りを寄せてくれた人々は多かったのだし、このような人たちを疎かにしたくないと思います。

駒鳥を見たよ、
と言うと、本当?と眼を輝かせ春の到来を喜んだ頃の夫を思い起こします。
その頃になるとユキノハナ(スノードロップス)が咲くのを待ち焦がれていたものでした。
今年は私一人で見るのかなァ。
いや、その頃カルガリーの娘一家が又来てくれます。

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2006-03-04 08:38:53 | 夫の入院
娘のお姑さんから電話がありました。
私のことを心配して掛けてくれたのですが何度かメッセージのやり取りをしてようやく昨日の朝話をしました。
彼女もちょうど一年前夫君を同じ病気で亡くしています。
モントリオール生まれのモントリオール育ち、幼いときからの友人も近くに居てこの困難な時期を共に歩いてくれたようなのです。
売りに出していた家も売れ、近くのコンド(condominium 日本で言うマンションのこと)も買ったので間もなく転居と言う彼女は
「一緒に住んでいた家は思い出が多すぎるし、この界隈も昔と違って一人暮らしは不安な環境になって来ているし。。」
と言い、
「セレナ、ページを捲らなきゃ。。。」
と言います。
私も一年後には同じことを他人に言えるかもしれません。
でも、今はまだそのページが重過ぎます。
彼女の強さを羨ましく思った日でした。

もう一つの詩

2006-03-01 20:40:53 | Weblog
今日、日本の姉から便りが来ました。
その中に新聞の切抜きが一つ入っていたのです。
産経新聞(平成18年2月12日発行)の「朝の詩」というコラムでした。
宇都宮市の94歳になる柴田トヨさんという方の「自分に」と題する詩で、
悲しみを乗り越える為に自分を励ましている心が詠われていました。

       ぽたぽたと
       蛇口から落ちる涙は
       止まらない

       どんなに辛く
       悲しいことがあっても
       いつまで
       くよくよしていては
       だめ

       思い切り
       蛇口をひねって
       一気に涙を
       流してしまうの

       さあ 新しいカップで
       コーヒーのみましょう
              (選者 新川和江)

と言うものです。94歳ともなれば私などの数倍もの喜び悲しみを経験されていることでしょうから、この思いは切実でしょう。

姉としては私を激励する心算で送ってくれたのでしょうけれど、この詩の心はあくまでも願望なのです。現実はそんなに簡単に割り切れるものではないし、悲しいのに鬱々して居るだけで涙が出ない時だってあるのです。
「泣けるだけ泣きなさい、そうすれば後はスッキリするから。。」
と言われることもあります。
誰かに虐められて口惜しかった時などはその通りだと思うのですが。

今日も、深い付き合いもなく知り合ってまだ何年も経っていないとある人から人づてに聞いたと、優しい励ましをしたためたカードが届きました。
こんなとき、悲しみが又噴出してくるのです。その優しさが嬉しいのに悲しくなるのです。