★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

クリスマスの朝

2005-12-25 12:44:51 | Weblog
Morning Glow
昨日帰る筈だった息子が、始めた仕事が終わりそうにも無いので明日にすると言ってきました。朝は寝込む心算だから、出発は午後、従って我が家に到着は夕方の五時頃と言う計算になります。それを聞いたカルガリーの娘は「クリスマスに一人にしてゴメンネ」と言ってましたが私は気になりません。それに、猫と二人だし。。。
自分達は友人の招待があり、二泊の予定で今朝キャンモア(ロッキー山脈の麓の町の一つ)へ出掛けるとのこと。

私も今朝は寝坊をしました。いつもなら、お腹が空いたと起こしに来る猫が音も立てなかったのです。フト窓を見ると、朝焼けが綺麗でした。これを昨夜のうちに知っていたら早起きして滝まで行っていたのになァと多少悔やまれます。朝焼けの色の変化は刻々と変わるので部屋着を羽織って慌てて外に出、撮ったのがこの写真。裏の家々の裏側風景を前景に、薄れゆく朝焼けの色です。
息子が姪ちゃんに送ったクリスマス・プレゼントは無事到着したことを伝えてくれるよう娘が言っていました。「まだ開けていない」と娘は言います。「開けるのは明日だから。。。」子供の時からの習慣で、贈り物を開けるのはクリスマス・ディの朝なのです。
子供達の幼かった頃のクリスマス・ディが色々思い出されます。クリスチャンでもない私は単なる便乗者なのですが、子供達にとってそれは関係の無いことだったでしょう。

先日、クリスマスにはオタワに住む息子の家族を訪ねて来ると言っていた友人は、息子の嫁さんがドイツ系なので、クリスマス・プレゼントを開ける日が、一方はクリスマス・イヴに、一方はクリスマス・ディなのでややこしい、と言っていましたが、国によってこうした習慣も大きく違うようです。
ヨーロッパには全部の国かどうか知りませんが、12月6日がサンタクロース・ディで、子供達が小さな贈り物を貰う日です。我が家にもこの習慣がありました。子供達が少し大きくなるにつれ、いつの間にかこの習慣が消えていたのは祖父母が、特に祖母が段々面倒になって来ていたからかと想像しています。「今日はミクロシュ・バチ(ニコラスおじさん)が来る日だ」と興奮していた5-6歳頃の息子の表情が思い出されます。

フランスのエスペランチストの友人でブランシュとジェーンという姉妹がいました。
この話しは以前何処かに書いているので重複するかもしれませんが、ジェーンの思い出話しです。両親を早くに亡くした姉妹は年老いた祖父母に育てられました。十歳余り年長のブランシュは妹に対する自分の責任と言う物を非常に重く考えていたようで、妹を育てるため結婚もしませんでしたが、ジェーンもそれに応えて、二人は未婚のまま人生を送りました。姉は結婚の機会を自分のために敢えて見送ったと妹のジェーンは信じていました。
ジェーンがまだ5-6歳の頃、クリスマスの朝枕元に金色の丸い包みを見つけました。それはそれは美しく光り輝いていたそうです。開けると中味は赤いリンゴでした。十代のブランシュの幼い妹への心尽くしです。生涯忘れる事の出来ない贈り物だとジェーンが言っていました。聞きながら私も涙ぐんだ記憶があります。中味のリンゴも美味しかったでしょうけれどブランシュの心根がジーンと沁みてきます。仲の良い姉妹でした。ブランシュは90歳くらいまで長生き、彼女を看取った後ジェーンはエスペランチストの老人ホームに入り消息を絶ちました。


PS: これを書き終わった途端電話がなりました。
我が息子の教父母(God parents)の息子で我が息子とは仲の良い友人、お互いにゴッド・ブラザース(God brothers / そんな呼び名は聞いたことがありませんが)と呼び合っている青年です。
「母がクッキーを焼いたので、届けるように言っています。今行っても良いですか?」
息子のゴッド・マザーはクッキーなどお手の物だし、クリスマスの習慣として大量に焼いて置く人ですから、驚くには当たりませんが、予期していないことでした。
でも、断る理由もありません。15分後、クッキーを大盛りした皿を持ってマークが現れました。
社交的なこの子は届けたから終わりっと立ち去る子ではありません、暫らく話し込み、近況を交換し合って帰りました。
夫の好物のクッキーも有るので、今日は食べられるかどうか判らないながら届けましょう。
いつもと変わらない日だった筈なのですが、やはり少し違いました。

クリスマス・ディの朝です。

幸運を数える

2005-12-24 09:02:44 | 夫の入院
Ice Bubble

英語には「Count your blessings」と言う表現があります。
エスペラントで言えば 「Nombru viajn benojn」と言うことになるでしょう。
夫が入院してから7週間が過ぎました。少し食欲が出てきたようでもまだまだ体力が無く、アゥシュヴィッツを思わせる状態で私の顔を見ても弱々しく手を振っています。私は私で血圧が上がってきているのか歩いていて眩暈を感じることもしばしば、家で寝ていて見舞いをサボる日もあります。
その日も私は一歩も外に出ませんでした。夕方長女から電話がありました。
先日から足の指が痺れたり、眼が霞んで運転も出来なかったりで検査を受けていたのです。MRIの検査の結果に満足しなかった医者は他の病院のMRI設備を使ってやり直しまでしました。
その結果報告です。「MS」と彼女は言いました。「まさか!」が私の反応です。
この子の親しい友人の一人が二年ほど前からMSを患い、三児を抱えて奮闘しています。この友人のニュースにも私の反応は同じでした。まさか、そんな大病がこんな身近なところを襲うなんて。。。
*MS:Multiple Sclerosisi は脳と脊髄の病気ですが、襲われる場所が違うと症状も違うため一人一人異なると言うものなのだそうです。
友人のシェリールも良い日は階段の上り下りを手すりに摑まるだけで出来ますが、悪い日は四つんばい。家の中を歩くのも、ウォーカーを使っているのです。我が子もやがてそのような生活をしなければならなくなるのか。これこそ、踏んだり蹴ったり。
こんな時思い出すのが上記の表現です。
もっと酷い辛酸を舐めている人も多いことを思い出し、支援してくれる組織のある国で暮らしていることをありがたく思い、兄弟や子供達の協力と友人たちの励ましに支えられていることを感謝すべきだと。


写真は葡萄の房のように見えますが、芝生の葉一本一本に凍りついた滝のしぶきです。

*MSについての日本語の情報はこれしか見当たりませんでした。


迷子のクリスマスカード 

2005-12-19 21:31:33 | Weblog
The Cancer Research Society今日も何通かのクリスマスカードが配達されました。
封を切ってから気付いたのですが、そのうちの一通がちょっと変です。
所番地は我が家なのに宛名が違います。聞いた事の無い名前だし差出人の住所も氏名もありません。
これは紛れもなく迷子です。
ご近所宛ての手紙が間違って配達されることは稀にありますが、住所がはっきり判っていれば郵便局へ戻すまでも無く届けられます。覚えのない住所だったり遠かったりしたら局へ戻せばいいのです。
でも、住所が我が家で、返信用の住所が無いとすれば、戻された局だって困るでしょう。結局ゴミ箱行きという事です。
カードの中にはただ差出人のサインが有るだけで味も素っ気も無いものでした。
まァこれでは貰う筈だった人にとってももどうでもいいものかもしれません。しょうがないので我が家で保護することにしました。
迷子のクリスマスカードを貰ったのは初めてです。


カットは The Cancer Research Society 発行のカードから。Original Art by Valerie Pfiffer。
ブルージェーの絵はソサイエティのサイトにリンクしています。

年賀状の季節 その2 December 18, 2005 11:11

2005-12-19 01:12:08 | Weblog
毎年師走も半ばになると、と或る若い友人から一年間の自分達の歴史を手短にまとめた便りが届きます。私も昔はこれをしていました。彼女は英語で書いてきます。私は英語、日本語、エスペラントで書いていました。一枚分の英語から日本語、エスペラントに訳す、またはその逆としても結構時間も掛かるし面倒なので、3分の一の長さの物を一枚に収める工夫をしたのは単に怠け者だからです。
韓国系の青年と結婚した彼女は共通の友人も多いでしょうし、英語で書いてくるのは納得行きますが、日本にも多くの友人知人がいることを考えると日本語でも書いているのでしょう。
マメだなァ、と感心します。この人は既成のカードは使わずサンタクロースだの、トナカイだの、クリスマス・プレゼントの包みなどのイラストが周囲に施された便箋を使います。
暫らく私達の世界から消えていた事のある彼女がまた蘇ってきたことは、その生活が落着いたことを意味していると考え、彼女のために嬉しく思っています。
カードの絵柄の美しさだけに頼って、近況は何にも書いていないカードは詰まらないです。「ああ、まだ元気で居たのか!」と思うくらい。冷たいものです。子供が結婚したとか、孫が生まれたとか、重病を克服したとか、その年の大きなニュースが書き記されていたら、その価値が高くなるのですけど。
定期的に電話やE-メールで連絡を取り合っている友人間では無言の条約みたいな物があってカードの交換はしませんが、殆ど毎週のように顔を合わせているのに毎年マメにカードをくれる友人夫妻もいます。こういう人は貰うのも嬉しい人たちなので、返信することにしていますが、今年はE-アドレスの有る夫妻にはE-メールでアニメのカードにしました。印刷されたカードではアニメは表現出来ません。アニメでなければE-カードにする意味がないので。。それも、クリスマス・イヴ前日までお預けです。
何百枚年賀状を書かなければ。。。と嬉しい(?)悲鳴をあげている人も知っています。それが本当の悲鳴になったら、無理して書くのはオヤメナサイ、と言ってあげたいです。
年齢的にこのような作業が辛くなってくることは当然でしょう。そうなると良く「老齢につき年末年始のご挨拶を失礼させていただきます」などの新聞広告を見ます。つまり、一人一人に年賀状を送れない失礼を詫びているわけなのでしょう。
どうせ広告を出すのなら「紙上を借りて皆様に年末年始のご挨拶をお届けします」でも良いのではないかと思うのですが。こういうことを言うと日本人らしくないと言われます。日本の伝統にそぐわないと言うことなのでしょう。まァ、40年近くも日本を離れて暮らしているとショウの無いことかもしれません。
クリスマス前夜息子が帰って来ます。我が家には夫の家の伝統があり、クリスマス・イヴの夕食は、芥子の実を擂って蜂蜜で味付けしたものをまぶした手打ちの麺です。これは姑の仕事で私は作ったことが有りません。擂った芥子の実はヨーロッパ人の店で買えるし、子供達は好きだったし、作ってあげようかなとも思うのですが私自身はあまり好きではないので悩んでいます。

写真は光の祭典の一部、ヘラジカとバッファロー(Moose & Bison)。

年賀状の季節 December 16, 2005 20:17

2005-12-17 10:17:41 | Weblog
E-メール時代になって久しいとは言え、まだまだ手書きの賀状が我が家にも届けられます。
12月に入るとクリスマスが近いこともあって、国内の普段は滅多に電話もしない友人知人から年末年始にかけての挨拶状が来ます。
キリスト教徒でもない人に、「クリスマスおめでとう」は妥当ではないので、どんな宗教の人にも都合の良い挨拶の言葉が印刷されたカードもたくさん出回っていますから、選ぶのに苦労はありません。
挨拶の言葉は大方、「年末の、休暇の季節を楽しみ良き新年を迎えられますよう。。」といったものです。相手の健康や幸せを祈る言葉は日本と同じです。
日本との文化と言うか習慣と言うか、の違いを感じるのもこの時期です。
日本から届けられるカードの95%はたとえ12月半ばに到着しても「新年おめでとう」「謹賀新年」です。毎年同じことを思うのですが、「無神経な人!」
年賀状、だから謹賀新年と書かなければならないという石頭的考えなのでしょうけれど。。
私の記憶に誤りがなければ、日本の郵便局はまとめて「年賀状」と標して持っていくと、年が明けるまで配達を保留してくれたと思うのですが、今でもそうなのでしょうか。
これはとても思いやりのあるサービスだと思いますが、国外行きの便までは面倒見切れないでしょうね。国外へ「新年おめでとう」と書いたカードを送るなら、せめて12月下旬まで投函を見合わせたら良いのにとも思います。

日本国内に配るために印刷したカードを国外に送るのだから仕方が無いといえばそれまでなのですが、何枚国外に送るのか。ほんの2-3枚なら、別に手書きにしても良いのでは?と思ってしまいます。ワープロが使えるのなら、ワープロを利用して国外用に数枚別に作ってもよいでしょう。。

まだ借金取りも来ていないうちに、「明けましておめでとう」と言われるのはいささか神経に障ります。

それから封筒。これは封筒を作る会社にもの申したいのですが、封の糊が全くの隅まで付けてあるのでしっかり貼り付けられた封筒は開けるのに苦労します。つまり日本の封筒はペーパーナイフ(またはそれを代用する物指し、鍵、果物ナイフなど平らで角のある物)を使うようには出来ておらず、鋏で切ることになります。もっとも日本の郵便局には「開封」という特別なカテゴリーがあるので賀状は開封で来ることが多いのですが。。。

年賀状の季節が来るとこんな詰まらないことでイライラしています。
これを読んで「へーッ!?」と唸った人もいるでしょう。何人くらい居たのかな?
唸った人はハイッ!、手を上げて。。。
唸った理由を聞きたいで~す。
写真は冬の光の祭典の光景2点。

雪が来るので。。。 December14, 2005 20:50

2005-12-15 10:50:46 | Weblog

二三日前に降った雪がまだ頑固に積もっています。
そして、天気予報は今夜あたりから一週間ばかり降雪の見込み。
雪が積もって運転が儘ならなくなった場合を考えて市バスの切符を纏め買いしてきました。我が家のほぼ真ん前から病院の真ん前まで、乗れば15分の距離だし、寄り道の予定がなければ便利なのです。但し一時間に一本。
主要道路はほぼ直ちに除雪車が通りますが、奥まった住宅街は後回しだし、交通量の違いから路面はいつも幾許かの雪を溜めていますから、気をつけてゆっくり進まないとハンドルを取られそうな時もあるのです。それでイライラ行くよりはバスの方が気楽です。
買い物に出なくてもいいように、追加の買い物もしてきました。
車のガスも一応満タンにしてあります。
これだけ用意しておいたら。。。降らない可能性が高いゾ。

という今日でした。

写真は昨年のもの。まだ今年はこんなになっていません。

小さな力 December 06, 2005 21:15

2005-12-07 11:15:29 | 夫の入院

カルガリーの娘夫妻が3ヶ月の赤ん坊を連れて見舞いに来てくれています。
飛行機で4時間ですが、赤ちゃんにはキツイかもという私達の心配をよそにとてもいい子で他の乗客は赤ん坊が乗っていることにさえ気付いていないくらいだったとか。
初孫の顔を見たら元気が出て、病気がよくなるかもしれないからと娘はかなり強硬でした。
病気がよくなる可能性は皆無に近いのですがそれでも嬉しそうに眺め、何度も「Good Baby」を繰り返しています。
それを見て、やはり来てくれて良かったと思いました。この小さな赤ん坊の力がある程度夫に意欲を与えてくれたかもしれません。今まで殆ど食べなかった昼食のサンドイッチが半分減っているのを見たのです。
加えて、今後のことについての心配を、先日の息子と同様娘もしてくれています。
今週一杯しか滞在しないのですが、今後夫が入る可能性のある養護老人ホームを調べ歩くのも彼女のお陰で歩いています。一人だったら億劫でなかなか行動しなかっただろうと思うのですが、積極的に電話で訪問可能時間を調べ、予約を取ってくれたり。お陰で昨日今日で2箇所、明日も2箇所廻ります。こういうことはもっと早く調べておくべきだったと今思います。全くドロナワなのですが、若くて元気な時は考えないものなのですね。
後日この辺の組織のキマリなどは改めて書くつもりですが、今日は無心な赤ん坊の小さな力の威力を書きたかったのです。


写真は生意気な仕草で母の膝にうたた寝するちゃん。


アタイは猫ちゃん November 30, 2005 21:45

2005-12-01 11:45:06 | 夫の入院

生まれや素性は知る由も無いけど、「クイーン・オブ・ザ・ハウス」と呼ばれるところを見るとそれほど卑しい身分の出ではないみたい。
名前は猫ちゃん。「ツィツカ」なんだけど、これ日本語に直すとそうなるの。
この家に迷い込んで来た時、家人は可愛がっていた猫が死んだばかりで悲しんでいたから、ちゃんとした名前は貰えなかったってわけ。
上の絵はアタイの自画像。下手ァ?猫だもん上等だよね。

ある朝ドヤドヤと聞きなれない足音がして、主人が誘拐されて行ったの。
女主人が「サンキュー」と言っていたから彼女は共犯だったと思う。アタイは恐いので隠れていたから犯人の顔も見ていないし、見ていたとしてもどうしようもないよね。
その後何日か経って、今度は何となく聞き覚えのある足音と声だったのだけど信用出来ないのでまた、隠れていたワ。「ハーイ・マム」と言っていたから息子だったんだ。
それなら一緒に遊んだこともあるんだけど長い間会っていないし、不安だから隠れているのが一番いいと思って息を殺してジッとしていた。でもお腹が空くから皆が寝てしまってからこっそり食べに出て行ったりしていたの。
そのうち、女主人も突然いなくなって息子だけが残ったから変だなァと思ったし、恐かった。
時々ガッタガタと煩い音は立てるし、アタイのベットを占拠してしまい、部屋の戸も締め切って入れないようにされたし、「クイーン・オブ・ザ・ハウス」は宿無しみたいで情無いったら。ま、アタイは隠れ場所を無限に持っているから寝る場所に不自由したわけではないけどね。でも、毎日恐い思いだった。
食べ物はちゃんと貰えたし、リッター・ボックスも掃除してくれていたけど。。。
で、息子も悪い人ではないらしいと判って来たのだけど、やっぱり習慣で隠れてしまうのよね。
何日か経ったら女主人も帰ってきたので、ちょっとホッとしたわ。
今朝、ようやく息子が帰って行ったけど、この長~い長い時間は二週間って言うんだって。
また近い内に誰か来るらしい話をしていたから、寿命が縮む思いよ。「クイーン・オブ・ザ・ハウス」も楽じゃない。
女主人は時々、アタイが食べ物が気に入らない素振りをしたりすると「あんたはアレー・キャットだったのよ、つまり野良猫よ。そのことを忘れてはいけません」って言う。野良猫って何なの?