★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

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スウェーデンの歌

2010-03-29 21:34:20 | 思 い 出

あちこち流離っていて、マリアのページに辿り着きました。彼女の歌が二つ入っています。とても綺麗な声で歌っています。一つはエスペラントの歌ですが、もう一つはスウェーデン語の歌で、結婚式とか葬式とかに歌われる古い歌だとか・・・そのメロディに記憶がありますがどうしても何の歌だったのか思い出せません。日本語の歌詞も一度は覚えた記憶があります。
彼女のページを開けると右側に歌が二つあります。
下の方の Mi kantas Härlig är jorden というのがその歌なのですが、日本語ではどんな歌だったのか知っている方教えてください。スウェーデンの民謡などとは知らずに歌っていました。そういう人が多いのではないかとも思いますし。

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古い絵葉書

2009-12-19 20:20:36 | 思 い 出

ナイアガラ公園の温室に咲く蘭の花

地下室の押入れからまたまたすっかり忘れていた箱を見つけました。中味は古い絵葉書です。その一枚一枚を見ていると当時の事情の推移が見えてきます。
何故か私が書いたものは殆どなくて、私の夫となるべき人と彼の両親からのものが多いのですが、中には私の記憶から遥か彼方に消え去った人からのものもあります。肉筆のサインが読みにくく一体誰だったろうか、と言う人さえ。
彼の両親からのは当然ハンガリー語ですが時にはドイツ語で書かれているのもあります。今読んでみて「こんなのを私理解していたの?」と驚くのですが、当時はそれなりになんとか解釈していたのでしょう。
前にも書いたと思うのですが、私は求婚された記憶がないのです。それなのに結婚を前提とした便りがあって、カナダへ来る前にユーゴに立ち寄り指輪を貰ってくるようにとの指示もありました。
当時ストックホルムに日本人の友人が居て、カナダへ来る前に立ち寄ったのですが、その時私の未来の夫は「ストックホルムへ行って又スイスに戻ってから来るという旅程に使うお金は僕たちには無いから。。」というようなことも書いています。私がそうしたいと言ったのでしょうか、記憶はありません。
絵葉書の便りは何時も短くて、そして「長い手紙を送ります」とか「長い手紙を待っています」とか書いてあるのですが、その長い手紙は何処へ行ってしまったのでしょう。私自身が仕舞った記憶は皆無なのです。又忘れた頃にどこかから出てくるのかもしれません。
彼の字はミミズが這っているような字で、特に紙面の足りない部分では、また急いでいる時はひどいのです。とても読めない部分もあります。加えて消印が重なっていたりすると。。。
何も書くことは無いけれどとにかく便りを送らなきゃ、、という時なのでしょうが、どこかから日本語を書き写しただけのもあります。意味の分かるものもあれば、文字が裏返しになっているようなのや全く意味不明のもあります。こういう悪ふざけは彼の得意でした。
伊東三郎師からのも一枚出てきました。ヨーロッパをご夫妻で旅された折、スイスの私のところにも立ち寄ってくださったのですが、その後ポーランドで親切にされたことが書いてありました。私の宿舎のいわゆる寮母さんは私の恩師ご夫妻をまるで乞食でも扱うような失礼な態度だったのでひどく胸が痛んだのを覚えています。でもご夫妻はまるで意に介さないという風で、人物の大きさが違うのだと思いました。
当時まだ17才だったスポメンカからのもありました。今これを読んだら彼女はどう感じるかしらと頬がほころびます。逆に永遠の初心者としては胸が痛い。

この手の整理はまだまだ続きそうです。読んでいるうちに胸が詰まって続けられなくなったりしますが、まとめてさっと捨てる気にもなりません。

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悲しい現実

2009-12-12 09:36:09 | 思 い 出
良く眠りました。
夢はロッキー山脈の麓。何やらすごく楽しい思いをしていました。
見慣れた顔がたくさん居て、ワイワイやっている感じです。

ここに犬たちの楽園を。。。と考えている人がその計画を話していました。
とても広い土地です。まだ何も建設は始まっていませんが、何人かの技術者たちがうろうろ行ったり来たりしていて行動は起こっている様子でした。

このような夢を見た原因は、昨夜「Zamenhof-strato」を読んだからでしょう。
秋のハイキングツアー以来読書をサボっていたので、我が身を鼓舞して再度取り掛かったのです。ちょうどザレスキー氏がブラジルの「Bona Espero」孤児院のことを話している辺りで、その中に「1000ヘクタールの土地なんか大地所とは言えない」という所に差し掛かっていたのです。
私の夢の中では孤児ではなく犬なのです。

「残念ながら、、」とその計画の主は言いました。
「この町には獣医が居ないんですよ」
それを聞いて、私の心に浮かんだのは動物好き、自然好きの友人 N です。彼女は獣医ではないけれど、喜んで犬たちの世話に来るだろう。そうしたら又一緒に少女時代のように山を歩き回ったり出来る。。。
「あ、でも私彼女の電話番号を持っていないわ、住所も知らない」
「先達てスカイプで話をした R子に聞いてみよう。あるいは彼女から連絡を取ってもらっても良い」
「でも言葉の問題があるかな?」
「あの子は一人でフランス語など勉強していたから大丈夫でしょ」
そんなことを考えているうちに夢は薄れて行き、現への入り口に入ります。
私の理性が正気を取り戻す頃、 N はもうこの世に居ないのだということがハッキリしてきました。
40歳を過ぎてやっと見つけた生涯の伴侶を数年後に癌で失い、悲嘆のあまり自殺してしまった N でした。「馬鹿ねぇ死んでしまうなんて。そんな弱虫だったの彼女は」そんな会話を R子と交わしたのはプリンス・エドワード島の小さな湖畔の宿の庭。 N だってきっと喜んだ筈のルピナスの咲く季節でした。
楽しい夢はまるでシャボン玉がはじける様に消え、朝日がカーテンの隙間から起きる時間を告げていました。

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Little drummer boy

2009-12-10 15:26:16 | 思 い 出
クリックして歌も聴けます
12月ともなればあちこちでクリスマスの音楽が聞こえてきます。先ほどもいつも聞いているラジオでこの曲を流していました。
ヨーロッパを流離っていた頃、ベルギーのロッブと言う小さな町でミシェルが私のために歌ってくれた歌です。初めて聞く歌なのに何故かすぐ覚えてしまう調子の良さがありました。
「何の歌?」と聞くと、父親のマルコ小父さんが
「何か、映画の歌でしょう」と答えましたが、彼も良く知らないようでした。

ミシェルには三つ違いのお兄さんがいましたが、病気で長いこと苦しんだ挙句亡くなりました。看病疲れもあったのでしょうが、気を落としたお母さんもその3ヵ月後に息子の後を追うように亡くなったのです。
十才のミシェルには二つ違いの妹がいて、この二人はいつも一緒、悪戯も熱心でした。
この歌を歌ってくれたのは何処かへ行く途中で車の中でした。
幼い娘たちは車の窓から通りすがりの人の群れに向かって
「マーガレット!」とか
「スーザンヌ!」とか
あてずっぽうに呼びかけるのです。
そして、たまたま同名の人が居て「誰?」という顔で振り向くのを面白がっていました。

その後ずっと聞く機会も無かったのですが、カナダへ来てから徐々にクリスマスの歌として頻繁に聞くようになりました。
その都度ミシェルとあの小さな町を思い出します。

この歌の説明はこちらでご覧ください。
『リトルドラマーボーイ』

英語の歌詞とそのエス訳をここに貼っておきます。

Little Drummer Boy

Come they told me,
pa rum pum pum pum
A new born King to see,
pa rum pum pum pum
Our finest gifts we bring,
pa rum pum pum pum
To lay before the King,
pa rum pum pum pum,
rum pum pum pum, rum pum pum pum,

So to honor Him,
pa rum pum pum pum,
When we come.

Little Baby,
pa rum pum pum pum
I am a poor boy too,
pa rum pum pum pum
I have no gift to bring,
pa rum pum pum pum
That's fit to give the King,
pa rum pum pum pum,
rum pum pum pum, rum pum pum pum,

Shall I play for you,
pa rum pum pum pum,
On my drum?

Mary nodded,
pa rum pum pum pum
The ox and lamb kept time,
pa rum pum pum pum
I played my drum for Him,
pa rum pum pum pum
I played my best for Him,
pa rum pum pum pum,
rum pum pum pum, rum pum pum pum,

Then He smiled at me,
pa rum pum pum pum
Me and my drum.

La eta tamburisto

Venu knabo
naskiĝis nova reĝ'.
Alportu je honor',
donacojn de trezor'.
Reĝon indas nur,
pleja impon'.

Eta bebo,
mi estas malriĉul'.
Ĉu indas la honor',
sen brila ortrezor',
sed tambura lud',
festa reson'?

Panjo ĝojis,
laŭ ritmo stamfis bov'.
Por li tamburis mi,
jen trubaduris mi.
Kaj ridetis li,
je tamburton'.

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アアべンラーの銀の小匙

2009-12-04 22:00:21 | 思 い 出
ここ二三日銀行のことや何かで忙しく落ち着かない日が続いていました。それだけで「師走」を感じてしまいます。
息抜きにお茶にしようと腰を下ろして、茶さじを取ろうと引き出しを開けました。
何気なく取り出した茶さじは小さ過ぎます。真っ黒に錆びた銀の小匙は遠いとおい思い出の品です。

この小匙を手にする度に調べようと思い、引き出しに戻したとたんにそんなことを思ったことさえ忘れる私ですが、お茶を飲みながらまた改めて眺めてみました。
長さが5センチあるかなしの小さなスプーンの柄の先には古い教会の絵が彫られてあり、柄には縦にAABENRAAと文字が読めます。問題はこのAABENRAAで、いつも何処にあるのだろうと疑問が湧くのですが、いつもそれっきりでした。

1966年のブダペシュト世界大会の後私はヨーロッパを流離っていました。
前年の東京大会で知り合ったコペンハーゲンのベントも「来ていいよ」と言ってくれた一人で、私は彼の家に泊まっていました。
一人暮らしの彼は一策を講じ、若者を一人雇って私の滞在中彼の家に寝泊りして貰っていました。この対策は当然ご近所の口うるさいおばさんたちの口封じが目的ですが、私に対しても他意は無いことを示すためだったと思います。
ある日、洗濯物をもってお母さんのところへ行くと言うので私も一緒に行きました。その頃彼は車を持って居ませんでしたが、教習所の教師もしていて、ガールフレンドのイレーンに運転を教えるため教習用の車を家に持ってきていたのです。
サンタクロースの袋並みに大きな、汚れた衣類を詰めた袋を運ぶには車のある時が都合が良かったのです。その日はイレーンをその後迎えに行き彼女の運転でどこかへ出掛けるという段取りでしたから、彼のお母さんのところには10分も居たかどうかの短い滞在でした。
それでも彼のお母さんは私を遠来の客とばかりに大いに歓迎してくれて、何か記念品をくれたかったのでしょう。台所の引き出しからこのスプーンを取り出し、何やら説明しながら私の手に握らせました。ベントは通訳が面倒くさかったのか「それ、記念に上げたいって」と言っただけでしたから、彼女が説明してくれたことは私には何も分からなかったのです。

調べてみるとアアべンラーはデンマークの中世期頃から漁業で栄えた古い町で、後には商業の港としても栄えたようですが、現在は海水浴を含む観光地としても知られた町のようです。

ベントのお母さんが自分でその町を訪ねたときに買った記念品なのか誰かに貰った物なのか知る由もありませんが、この小さな銀の匙を見るたびに古い思い出が蘇ります。

居間のソファにじっと座って真正面を見ているだけだったベントのお父さん。挨拶しても反応が無く夫人も息子も全く無視していたこと。アルツァイマーではなかったのかと私が気付いたのは何年も何年も経ってからでした。

その後ベントの家での滞在を終え、ゴチャルク夫人宅に連れて行ってもらいました。ゴチャルク夫人の住むアパートは二階にあり、そこまで上ってゴチャルク夫人に文字通り私を手渡してベントは降りていきました。アパートのベランダから見下ろすとベントとイレーンの姿が見えました。二人に手を振りながら「あの二人は結婚するの?」とゴチャルク夫人が私に聞いたことも印象に残っています。
「彼は結婚なんかしないって言ってるわ」と私は答えました。「、、でも、イレーンは彼と結婚したいんだと思う」という部分は私の心の中だけに止めて。
イレーンは優しい人でした。エスペラントを話さないイレーンは、そのせいもあったのでしょうがいつも遠慮していました。それでいて私にとても気を使ってくれていたのですが、私にはその感謝の気持ちを彼女に伝えることができませんでした。
二人が結婚したかどうかもその後の消息も何も分からずじまいです。

今にも歌を歌いそうな明るさで、楽しそうに忙しそうに台所を動き回りながら私の手にこの小さなスプーンを握らせてくれたベントのお母さんの豊かな姿が脳裏に浮かびます。
そして私は何年振りかで銀の小匙の錆を洗い落としました。

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