★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

Vintra fenomeno de Niagara Katarakto

2009-01-27 08:48:26 | 自 然

<>

Jen estas tri fotoj

Ja estas jam la tempo ke la kutima glaciponto formiĝas en Niagara rivero ĵus sub la mondo fama katarakto. La rivero ĉitie profundas 50 metrojn, do formita glacio estas pli ol 30 metroj dika.
Tiu fenomeno okazas dum plej malvarma periodo de vintro. Pecoj da glacoj amase preterfluas la katarakton kaj formiĝas pli granda peco, ĉar ili estas malsekaj kaj facile kuniĝas unu al aliaj. ripetite ĉi formiĝojn ĝi fariĝas pli granda kaj dika, kiu estas nomita “Glaciponto”. Oni povas uzi kiel ponto trapasi la riveron, sed ĉar la danĝereco estas grava, nuntempe oni ne permesas al neniu supreniri sur la glaciponto. Eĉ se vi havus validan pasporton.
Jene estas sama fenomeno en antaŭaj jaroj. Se vi ne eblas legi Japanan lingvon, tamen vi povus ŝati la fotojn.

春の気配はまだ遠く。。
陽射しは春と言いながら。。
氷の橋、その後

Atenton!
Estas MITO ke la katarakto frostiĝas dum vintro. Se vi vidas vaporon aŭ nebleton, tio sgnifas ke la akvo estas fluanta.

明日カルガリーに発つので、慌てて写真を撮ってきました。日本語のみなさんにはもうお馴染の氷の橋です。上のリンクは以前撮った写真と日本語の記事。エスペラントを未だ学んでいない方はそちらをどうぞ。


エスペラントの父ザメンホフ
にほんブログ村 外国語ブログ エスペラント語へ


ナキイスカ

2009-01-25 19:12:26 | 大鳥 ・ 小鳥

<>


早朝陽射しも明るく、希望が持てたのに、エリー湖畔に付いた頃は雪まで降り出して「寒い、もう帰ろうよ」とふざける人も居たくらいでした。
このアウティングではエリー湖畔からナイアガラ川を下りながら二、三か所立ち止まり、その後ティム・ホルトン(コーヒーショップ)でお手洗い兼一服して瀧の方まで様子を見ながら、場合によっては立ち止まりながら移動し、公園の温室でお手洗いを利用し、駐車場で昼食というのが恒例のパターンなのです。
途中、白頭鷲が二羽河畔の梢にとまっているのを見つけみんなかなり元気が出てきました。
公園の温室で、バッファローの方から来たらしいバーダーがクロスビークがどうのと情報を提供しているのを聞いたのですが、そしてそれと思しき樅の木の下でみんなが探していたのですが見つからず半ば諦めかけた頃車を停めた直ぐ傍の樅の木にいるのを見つけたのです。
この鳥は本来ならもっと北の方で暮らしているはずが餌を求めて南下し、この辺に来ていることは既にみんな知っていました。すでに他所で見つけた人もいたでしょう。私には初めての鳥でした。
上下の嘴の先が交差しているところから Crossbeak 又は Crossbill と呼ばれ、その羽に白い部分があるところから White winged がその前に付きます。
今日の最高の収穫だったと思いますが、写真はイマイチ。私より良い、小型の望遠レンズ付きのカメラを持っている人たちさえ太陽が足りないとかぼやけちゃったとかこぼしていたので、「まあ良いで賞」と思っています。私の[こんな鳥だった]という記録としては充分です。
それでも、わざわざ見に来てくださるのに申し訳ないので、こんな ナキイスカのヴィデオ を探してきました。

英語名:White winged Crossbeak / Crossbill
学名:Loxia leucoptera
和名:ナキイスカ
エスペラント名:Blankflugila loksio(laŭ Serena)


エスペラントの父ザメンホフ
にほんブログ村 外国語ブログ エスペラント語へ


帽 子

2009-01-23 11:44:29 | 雑  記
<>

寝室の片隅に据えてあるワードローブの上部の棚が混雑していたので思いつきの掃除をしたのです。
子供達の思い出の帽子の中に夫の古い帽子を見つけました。
カナダへ来てからは殆ど被る機会の無かった帽子です。特に晩年は存在すら忘れていたでしょう。
ヨーロッパ時代に確か被っていたという薄い記憶があります。冬の帽子だからその姿を見る機会は少なかったはずですが、ああ、そうか、あの時も被っていたんだ、という思い出が蘇ります。
エスペラントだけが私たちの唯一のコミュニケーションの道具だった時代でした。
持ち主を失った帽子は所在無げで侘びしい。長女だったら、「私が被る、頂戴」と直ぐ手を出したでしょう。被ってみると大きさはぴったりです。私が被ることにしました。少なくとも車の中に入れておきましょう、お守りの心算で。
エスペラントのシンボル『緑の星』をあしらったバッジは帽子を造る段階で取り付けたものなのか、何度ひっくり返しトックリ返し眺めてみてもその付け方が判りません。
もうこんな帽子を被る男性は何処にも見かけられなくなりました。だから尚私が被るのが妥当なように思えるのです。


エスペラントの父ザメンホフ
にほんブログ村 外国語ブログ エスペラント語へ



裏 切 り

2009-01-19 08:26:11 | 雑  記

Blua ĉielo

昨夜トロントの友人と電話で話しをしたのですが、気になっていた彼女の次男坊の様子を尋ねると「大分元気を取り戻したようよ」とのことでホッとしました。
もう6年も付き合っていた女性と婚約し、結婚後住むためのコンドミニァムも二人の名前で予約金を入れ、結婚式場の予約も済み、招待状も刷り上り送るまでになった段階で彼女から婚約解除の申込みがあったのです。
そこまで聞いて、そんなことってあるかしら、あって良いのかしら、と言うのが私の反応でした。「そんなの詐欺だよ」という私に彼女も頷いていました。
理由を聞けば「あなたは根暗で、一生共に暮らしていく気になれない」と応えたそうなのです。これにも呆れました。お付き合いの最初の一年でそんなことは判るでしょう。何故6年もの長い間付き合ったのか?
大人しいけれど根暗などではないし、礼儀正しく、頭も良くてハンサムで親にとっては自慢の子です。
私はその段階で「ああ、そんな子はさっさと諦めなさい。もっとふさわしい人が現れるわよ」と思ったのでした。
この青年の父親、友人の夫は「無駄になった経費の半分は出させなさい」と怒ったそうですが、青年は「いいよそんなこと」と全部被る心算。これで、心根の優しい性格がわかるでしょう。
私が感心したのは、「そんなことする必要ない」という父親の意見を無視し、元婚約者の両親に会ってキチンと挨拶して別れたいと、いつも遊びに言っていたそちらのお宅ではなく何処かのコーヒーショップで会い、挨拶したのだそうです。6年間の付き合いは彼女だけではなくその家族ともだったのですから、キチンとけじめをつけたいと言う気持ちも判りますが、とても勇気の要ることだと思いました。
元婚約者のお母さんは泣いていたそうですが、同情します。自分の娘の身勝手さに情けなくもあり、恥ずかしくもあったでしょう。
その青年が友達と出掛けるところまで元気を取り戻したと聞いて安心したのでした。
婚約する前の段階で別れることは間々ありますが、そこまで準備してからと言うのは、私にはやはり詐欺としか思えません。この裏切りに怯まず元気を取り戻して豊かな人生を進んで欲しいと願うのです。


エスペラントの父ザメンホフ
にほんブロ<br>
<br>
グ村 外国語ブログ エスペラント語へ


Claude Piron / クロード・ピロン

2009-01-18 15:19:16 | エスペラント
来る22日は Craude Piron の一周忌。
先日行われた米国のオバマ新政権に希望を出す提案の一つ、エスペラントを米国の義務教育に導入 / Introduce Esperanto as a foreign language subject in schools というアイデアのページに彼のヴィデオが挿入されてあり、彼のスピーチを熱心に聞いた人も多かったでしょう。
ピロンについて殆ど無知だった私は検索して調べる必要が有りました。
言語学者で心理学者、国連で数ヶ国語の通訳として活躍していた時もあり、エスペランチストとしても大きな業績を残している人。
ウィキペディァにはエスペラントのページも日本語のページもあります。
私と同じように良く知らなかった人は是非読んでください。
誰でも努力さえすればこれだけの仕事が出来ると思うわけではありませんが、真似の真似事くらいはしてみたいものです。


エスペラントの父ザメンホフ
にほんブログ村 外国語ブログ エスペラント語へ


寒  波

2009-01-14 21:17:50 | 自 然
<>


二三日前からやって来る、やってくると騒がれていた寒波が終に来ました。
トロントで、体感気温が-28℃です。私の住むナイアガラフォールスは幸い-20℃と軽症ですが、息子の住むウィにペッグは-49℃との情報でした。
これが二三日続くのです。昨日生鮮野菜も追加購入したので当分出かけなくても暮らしていけます。早朝に出勤しなければならない人や家の無い人たちにとっては厳しいことこの上ないでしょう。出勤する人は帰る家があるけれど、無い人たちはこの寒空にどう凌ぐのでしょうか。

『風が外套を取りに来た
 街で凍える人たちに着せてやるとのことだった。。。』

堀内大学の詩の一節。
時々フッと頭に浮かぶ一節です。
十代の頃気に入った詩句その他を書き込んでおいた小さなノートブックは今も未だ私の大切な宝物の一つ、その中にこの詩も入っています。

誰も外套を取りに来ないのですが、夜はただ黒々と更けていきます。
孤独です。その詩を下に貼って置きましょう。

冬日抄
独りで僕は座ってた
時の流れがおそかった。

日暮れ方
風が外套をとりに来た。

街で凍える人達に
着せてやるとの事だった。

酒は冷えたが座ってた
その後は誰も来なかった。

寝る前に
僕は窓から外を見た。

流星が北に向ってはすかいに
夜天の硝子をきっていた。


エスペラントの父ザメンホフ
にほんブログ村 外国語ブログ エスペラント語へ


徳永街子さんのこと

2009-01-13 10:00:25 | 雑  記

雪の中のリス


「そのうち一緒にビール飲もうよ」
「ありがとう。だけど私もう直ぐヨーロッパへ行くの」
「じゃ、帰ってからね」
帰ってくる心算の無い私だったが、そうしようと応えて別れたのが徳永街子さんと会った最後だった。
とある切っ掛けで新劇の俳優さんその他の人々の仲間に入れてもらい舞台稽古など見に行っていた。本番の時でも裏口から入れてもらい観客席の後ろで立ち見をしたりするのが何となく冒険的で気に入っていた。若かったなァと思う。
彼等の会話を聞いていると全くの別世界で、奔放な性生活など気軽な話題になって居たり度肝を抜かれた憶えもある。そんな会話に顔色も変えずからかったり、チャチャを入れたりしている街子さんはとても大人に思えた。
徳永直の娘さんと聞かされて居たので、「街子」は「太陽の無い街」から来たのだなと咄嗟に思ったことも鮮明な記憶だが、あえて当人に確認しなかったのは、彼女が年長でもあり、女優としてもそれなりに名を成していた人でもあったし、私には遠慮があった。が、それ以上に彼女が「徳永直」をおくびにも出さなかったからだろう。
サバサバした明るさやテキパキした態度など羨ましくもあり、私には彼女に対する幾許かの憧れがあった。
だから、「一緒にビールを飲みに行こう」というお誘いはとても嬉しかったものだ。

十年後に里帰りした時連絡を取らなかったのは関わりを持ちたくない或る人を通さなければ彼女に連絡出来なかったからでもあるけれど幼い息子を連れている私には気軽に「ビールを飲みに」行けなかったからでもある。

ふと思いついて検索して見た。真っ先に目に入ってきたのが彼女の朴報である。もう四年も前に亡くなっていた。亡くなる殆ど直前まで舞台に立っていたのだ。
心から冥福を祈りたい。
その最後の舞台についてこんな記事を見つけた。書いた人が誰なのか判らない、私には判らないと言ったほうが良いかもしれない。

『この芝居を観て少し立ったある日新聞の死亡欄を見て驚いた。徳永街子が亡くなったとある。プロレタリア作家の徳永直の長女だった。あの日目の前で管理人役の長い口上を聞いたその人は顔色も悪く生気もなかった。よほど悪かったのか。とにかく冥福を祈る。
この芝居は青年座の五十周年記念として下北沢の五つの劇場でそれぞれ別の演目を同時に上演したもののひとつである。他は見ていないが、こんなことが出来る劇団が今どきあるだろうか。快挙である。
この機会に青年座のHPをのぞいてみたら、研究生の公演があるというので12月のはじめに行ってみた。演目は永井愛の「萩家の三姉妹」。若い俳優のどこがよくて何が悪いかわかった。いつか感想を書こうと思う。
      (2004.12.17)』
そのページを確認したい方はこちらをどうぞ。

もう会えないと思うとことさら会おうと努力しなかったことが悔やまれる。正直な話私のことなど覚えていてくれたとも思えないのだけれど。。。


エスペラントの父ザメンホフ
にほんブログ村 外国語ブログ エスペラント語へ



寒 空 に。。。

2009-01-07 12:44:47 | 雑  記
<>

朝のうちは陽射しが美しい日。昼近くから曇りだし、予報の雨か雪の前触れが感じられました。そんな寒空に湖に船を出している人、釣り人と憶測しましたが。
好きだからこそこんな日でも出て行くのでしょうし、また、こんな日は釣れるのでしょう。
水面に浮くのは氷です。水鳥たちが泳いでは潜り、潜っては泳ぎを繰り返していました。
日本の四国とほぼ同じ大きさがあるオンタリオ湖の風景です。
予報どおり今朝は霙が雨に変わり、裏の柳の枝は薄い凍りで覆われてしまいました。その重みと風の力で折れて地面に落ちてくるのも時間の問題でしょう。


エスペラントの父ザメンホフ
にほんブログ村 外国語ブログ エスペラント語へ


アメリカガモ

2009-01-06 06:59:32 | 大鳥 ・ 小鳥


英語名:American Black Duck
学名:Anas rubripes
和名:アメリカガモ
エスペラント名:Amerika Nigra Anaso(laŭ Serena)

特別珍しい鳥ではなく、嘗てはこの辺りにはふんだんに暮らしていたようです。
今でもナイアガラ川はアメリカガモの多く集まる所の一覧表に名を連ねています。
でも何となくマガモに押され気味。マガモたちの群がる片隅で肩身狭げに水面を嘴で掬っていました。
マガモと大きさも色合いもあまり違いが無いので見逃してしまいます。
特徴はマガモの雄は緑色の頭なのに、こちらは黒っぽい地味な色、こちらの雌は嘴が緑掛かっています。
写真の出来具合によってはもう少し美しく見える筈。次の機会まで勘弁ね、と言ったところで当人達は気にしない気にしない。


エスペラントの父ザメンホフ
にほんブログ村 外国語ブログ エスペラント語へ


正月三日は。。

2009-01-03 21:17:54 | 大鳥 ・ 小鳥

<>

土曜日、今日も良く晴れた綺麗な朝です。
12月29日にダッファリン島の近くでハジロカイツブリ(羽白鳰)(学名:Rodiceps nigricollis)を見たと言うE-メールが入っていたので私も行って見ることにしました。予定の台所掃除を済ませ早めの昼食を取って。。。
気温は-1℃で、特に寒くは無いし、と侮って出かけてみれば、聞いていた場所は氷りに閉ざされ雀一羽居ません。で、川沿いに歩いてみました。川辺の風は冷たく手袋をしていても指がかじかみます。
陽射しが綺麗なので瀧の虹も綺麗に見えました。写真は三枚です。
Redhead
幾つかの水鳥を見つけましたがハジロカイツブリには会えず、それらしいのが見えましたが遠くて手に負えず、辛うじてモノにした写真はアメリカホシハジロ(星羽白)(学名:Aythya americana)。
ホシハジロという鳥に似ているのでこの名が付いたようですが、英語名はご覧の通りの赤い頭から、レッドヘッドです。
どちらもエスぺラント名はまだ判りません。


エスペラントの父ザメンホフ
にほんブログ村 外国語ブログ エスペラント語へ


明けましておめでとうございます

2009-01-01 07:50:09 | 季 節


クリスマスに娘夫妻から送られて来た贈り物です。
マウスパッドですが、そこには次のようなことが書いてありました。
When we travel life’s roads with those we love, the point of the destination is always secondary to the quality of the journey.

私の拙いエスペラント訳と日本語訳を下に記します。マザー・テレーサが言ったという「神様はあなたが成功することを期待しては居ない、けれども努力することを期待している」の「努力」の部分に当るでしょうか。
旅の終りに、「良い旅だった!」と言える旅をしたいものです。
私の夫との旅は良い旅でした。その後に続く一人旅も決して一人でないことを知って続けたいです。

Kiam ni vojaĝas vojojn de la vivo kun niaj amataj, la punkto de la celstacio estas ĉiam sekundara al la kvalito de la vojaĝo.

人生街道を愛する者達と旅する時には、旅の質そのものが目的地点への到着より重要である。


みなさんも良い旅を続けられますよう。


エスペラントの父ザメンホフ
にほんブログ村 外国語ブログ エスペラント語へ