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ようやくビャウィストクに到着です。
第94回エスペラント世界大会がビャウィストクで行われた理由は今年がザメンホフがビャウィストクで誕生してから150年目と言う記念の年だからです。
既に十日あまりエスペラントでポーランドを楽しんできましたから、もう大会は終わったようなもの、などと不謹慎なことを言いながら登録し、書類を貰いました。
私たちの宿は学生寮で、大会場とは至近距離にあります。気球の写真の背景に見える建物の一つで、歩いて五分くらいです。
プログラムの予定変更があったりして参加出来なくなってしまったのもありましたが、大会を楽しんだことは間違いありません。疲れたら宿に戻って昼寝して、ということも出来るし至近距離を選んだのは正解でした。
徒歩の遠足で市内をまわり多くのザメンホフ縁の場所も見て歩きました。
もの凄く暑い日で、最後には立っていられないくらい疲れたのですが、それでも参加して良かったです。ガイドの@%&?¥さん(聞きなれない名前ということもあって終に憶えることが出来ませんでした)は中学生の頃一年くらい学校でエスペラントを勉強したと言っていましたが、通訳のイレンさんに「みな忘れたんでしょ?」と言われていました。それでも時々説明にエスペラントを交えたりしていました。この遠足の途中エスペラント・カフェで軽い昼食を取りました。名前のよしみで多くのエスペランチストがこのレストランを利用したと思います。当然エスペラントのメニューも置いてありました。
新旧の友人たちと楽しいおしゃべりの時間も持ちました。次は何処で会えるのでしょうね。
帰国したら日本人の友人の一人に「ご主人からの贈り物と思って楽しみなさいよ」と思いがけないことを言われ面食らったのです。彼女は、アルツァイマーの夫を抱え何処へも行けないと嘆いていると或る友人の姿を見て思ったとの事。「彼が私にくれたのは時間だけよ、お金は残してくれなかったの」
「毎日の暮らしで節約すれば良いじゃない」
そんなこととっくにやってます。。。
私が残りの人生を鬱々と暮らすことを夫が喜ばないことは確かです。生前良く口にしていたことでした。そして、彼女の言葉を改めて考えています。
エスペラントで世界の友人たちと笑い合っていた時に私は夫の存在を感じたのです。彼も一緒に笑っていました。冗談の好きな彼と私は良く冗談を言い合って笑ったものです。一種の言葉遊びでした。
数日前、ハミルトンに住むエスペランチストから電話がありました。ビャウィストクに行ったけれど、大会には到着してから申し込んだので「コングレサ・リブロ」に名前は載っていないという人物。でも、「コングレサ・リブロ」に私を見つけ、こんな近くにエスペランチストが居るのを知って嬉しいという風でした。ハミルトンで催しをする際には是非と招いてもらいましたし、参加したいと思っています。