★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

春のソナタ

2007-03-30 18:16:18 | カナダ風物詩
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ダッファリン島で見たカナダ雁夫妻。
水に映る木立の影が微妙な模様を作り絵のようでした。
卵を抱く直前の二羽だけの静かなひと時を楽しんで居るかのような風景。
人間と同じで子育てが始まればこんなのどかなひと時は。。。。夢のまた夢という現実が待っています。

写真は二枚のみ。

ダッファリン島の小鳥たち

2007-03-29 20:06:15 | 大鳥 ・ 小鳥
<ハゴロモガラス雄<ハゴロモガラス雌<ハゴロモガラス雌前向き<ユキヒメドリ
英語名:Red-winged Blackbird..
学名:Agelaius phoeniceus
和名:ハゴロモガラス
エスペラント名:(まだ考え付かない)

英語名:Dark-eyed Junco (slate-colored)
学名:Junco hyemalis
和名:ユキヒメドリ
エスペラント名:(まだ考え付かない)

先日ダッファリン島で見つけた小鳥たちです。
ハゴロモガラスの雌はスズメみたいで、へんなスズメと最初思ったのですが、あ、そう言えば何時もそう思うのだったと気が付いた次第。
一夫多妻の鳥だそうですが、そのせいか彼らは殆ど一緒に行動しません。お互い近い所には居るのだけれど。
ユキヒメドリ、特に珍しい鳥ではないとは言え、そう何時も何時も見られる鳥でもないのでピンボケながら敢えて載せました。この鳥は少し趣の違うものが幾種かあって、そのためか細かく名前の方にも注意書きみたいなものが付いています。この種はSlate-coloured(石板色)と呼ぶようです。

川かます

2007-03-27 21:54:05 | 自 然
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英語名:Pike
和名: カワカマス
学名:Esox lucius
エスペラント名: Ezoko

可愛いでしょう、このお嬢ちゃん。
ガボガボのドタ長靴にブカブカの安全色ジャケット、確保した獲物を引きずらないよう必死で持ち上げながら歩いてきました。後ろからはお父さんか叔父さんかヤスを持った男性が二人。
それ何?と聞くとパイクと答えてくれました。写真撮らせて、といったらにっこりとポーズしてくれました。魚を前に掲げるように差し出して。。。
私たちがこの地点に到着した時環境局の係りの人が二、三人何かしていたのですが、その人たちが去った後で、湿地帯の水の中にゴム長ズボン(こんな名前かどうか知りませんが)を穿き、ヤスを持ってウロウロしている人たち数人を見たのです。で、環境局の仕事をしているのかと思っていたら、みんなカワカマスを探していたようです。
彼女達は別な方向から道を登ってきました。
誰かが、今日の夕食?、と聞いたら、もう何匹か捕ってあるの、と言う答えでした。これは冷凍保存になるのでしょう。後から来たおじさん達は今の季節だけだといっていました。魚が何処かへ行ってしまうのかどうか知りませんが、四月に入ったらもうお終いとか。
良く見ると地面に零れている魚の卵が判ります。少し濡れた感じのする所がそうです。黄色い卵が流れ出ているのを見た時はむごいと思いました。
アメリカコハクチョウ(tundra swan)を見るのが目的のアウティングでしたが、幾つかの意外なものに出会った日でした。このカワカマスもその一つです。
写真二枚目はカワカマスのクローズアップ。三枚目は意気揚々と引き上げている彼らの後姿です。


アメリカキバシリ

2007-03-26 22:49:40 | 大鳥 ・ 小鳥
<アメリカキバシリ>
先週、私がセレナゥアーの迷演技をした日キャンセルになったアウティングがこの日曜日二十数名参加で実行されました。
ロング・ポイントのバンディング・ステーションの小さな林の中を歩いていたらこの鳥が現れ、みんなを騒がせ振り回しました。
実に素早く、その名が示すように木を走り登り、ポトンと落ちて、木の根元近くから又走り登るのです。木の肌にはいつくばった感じでしがみ付きながらも動きの早いこと早いこと。形は亀のように見えますが、の様なのろさではないのです。
あっちへ行った、こっちだ、右だよ、ミギ、もう君の後ろへ行ったよ。という具合で忙しいことこの上なし。で、私ははっきりこの目で見たいので必死で追い駆けました。
何処に居るのかハッキリしないままその辺目掛けてシャッターを。辛うじてモノにしたのがこの写真です。これでは形などサッパリ判りません。
と言うわけで他所様の力を借りることにしました。
ウィキペディア
Wikipedia
USGS

英語名:Brown creeper, American Tree Creeper
和名:アメリカキバシリ
学名: Certhia americana
エスペラント名:Bruna grimpulo




エスペラント講習

2007-03-23 17:23:24 | Weblog
最近オフラインでエスペラントの講習を、おさらいの心算で受けています。色々な国の言葉で習うことが出来ますが、何故か日本語では繋げられなかったので、英語で受けることになりました。
出てくる単語は殆ど全て知っている物ばかりなので、特別難しくは感じませんが、この講習を受けて良かった点は、耳で聞いた単語をすぐタイプするという項目があることです。
時間が決められているわけではないので、ゆっくり自分のタイプした単語を確認してからクリックすれば良いのに調子付いてチャカチャカやってしまうと文字の並べ方を間違えていたり、キーに触っただけで、入力されていなかったり、というミスが頻繁に起り、落着け!落着け!なのです。
普段あまりしないことの一つに、耳で聞いた数字を文字で書くこと。100と聞いたら、cent と入れるのです。1963をmilnaŭcentsesdektri と書かなければなりません。判っているから判っている通りに書けるかと言うとそうでもないのですね。繰り返し訓練が必要と思いました。
この講習でエスペラントを発音してくれる人たちが何人か居ます。それぞれ個性があり、初心者向けに一音一音ゆっくりと発音する人、滑らかに普通の会話の速さで言う人、アクセントに癖があったり、これも練習には都合の良いことです。色々な国の色々な発音の癖にも慣れなければ実用できませんから。
この講習を受けていて、将来すべてこうなってくれたら良いなァと思うことは字上符のある文字を打つのに、CXと打てば、Ĉになるし、UXと打てば、Ŭになること。これだとどんなに楽でしょう。一々&#264;とか&#364;とか一覧表を見ながら打たなくても良くなるからです。

興味の有る方はこちら からダウンロードして試してみてはいかがですか?
この講習は添削もしてくれます。一レッスン毎にいわば「試験」があり、これを送って添削して貰うわけですが、横浜大会までにはある程度しゃべれるようになりたい人、すぐ始めたら良いですよ。

今日の可愛い画像は「木漏れ日」と題されたもので、木漏れ日の素材場から頂いてきました。

寂しい誕生日

2007-03-22 14:43:45 | Weblog


甥が送ってくれた誕生日ケーキ


+6℃、庭のスノードロップスがようやく花を開き始めました。
は降ったり止んだり。。。

二十五歳以来八十歳を越えるまでは誕生日は祝わないと決めたので、
忘れられても特別寂しくはありませんでしたが、
今日はお祝いのカードや電話を貰っても悲しみが去りません。
この日を絶対忘れる事の無い長女から今朝電話があって長話をしたのですが、
話していて涙がこぼれます。
本当の一人ぼっちを実感しました。
夫はこの日をよく忘れ、思い出すと慌てて「ごめんゴメン。おめでとう」
と形ばかりのキスをして役目は済んだ、
と言う顔をしていたものです。
その人の居ない誕生日。
去年はこんな寂しい思いをした記憶が無いので、
どうしていたのだろうと日記を紐解くと、ウイリアムス宅に昼食に招かれていたのでした。
寂しくなかったわけです。
今日は風も強いので外出もしたくなく、
夫の後片付けの仕事もしたくなく、本も読みたくなく、TVも見たくなく。。
何をして一日を過ごそうか悩んでいます。
間も無くから、電話の定期便が来ます。
その後は?
風が止んだら散歩に出ても良いのだけれど。。


のどかな侵入者

2007-03-21 22:21:42 | Weblog
侵入者
三か月ほど前からこの女性がネーチャー・クラブのミーティングに来ている事に気付いていました。
夫がまだ健在だった頃カシノへ行くと必ずこの人に会いました。なんとなく乱暴で粗野でという印象があり、聊か狂っている人ではないかと思っていたのです。着ている物も清潔でなくホームレス或いはそれに順ずる人という印象だったので、この集まりで見た時はビックリしました。
彼女は堂々とコーヒーを飲みクッキーを食べ、講演が始まると頭を仰け反らせてグースカ居眠りでした。講演を聴くつもりで来た人なら居眠りなんかしませんから、単なる侵入者ということは一目瞭然なのですが、誰も気にしていません。
先月も来ていて、メンバーたちと会話をしていました。「あの人誰だか知っている?新しいメンバーなの?」と聞くと答えは「知らない」ばかりでした。
みんな大らかなんだなァと感心していたのですが今日も来ていて、もう、全く at home 隣に座った人たちとなにやら会話を楽しんでいます。でも、やはり公演中は眠っていました。
来月は恒例の夕食会で講演をするので、この図書館の部屋ではなく、レストランを使いますし、夕食代を前もって払っておかなければならないので来ないでしょうけれど、五月はどうするのかなと興味津々です。
コーヒーなどのリフレッシュメントを戴く人は料金箱に50セント入れなければなりませんが、恐らく入れてなんか居ないだろうというのが私の憶測です。
こういう人が紛れ込んでいても別段気にしない大らかさ、「無料のクッキー食べに来ているんじゃないの?」とあるメンバーは笑っていましたが、この大らかさ、何か腑に落ちない所もあるのです、私には。

聖パトリックス・デー

2007-03-17 20:54:15 | 自 然
聖パトリックス教会
三月17日、昨夜降った雪は20センチは優にあろうかというのにまだまだ降り続けています。こんな日は「行くのよしなよ」と我が夫は言ったでしょう。元気だった頃はSerenaの行きたい所何処へでも運転してあげるから、自分で運転は止めて。。だったのですが。
今日はネーチャークラブの一日がかりのアウティングの日、にも言ってあります。
乗せていってあげようか、と彼は言いましたが朝8時はまだ寝ているを起こしてまでと言う気もしないので、フォントヒルまでだから大丈夫よと答えたのが昨夜、それにしてもやけに降ること!
ガラージュのドアを開けた時、積もった雪に引っ掛かってちょっと障害があったのですが、頑張って出掛けました。
雪の道だから用心用心、と自分に言い聞かせながらですよ。ところが後もう少しで集合場所に到着というあたりで私の車がスピンしちゃったのです。幸い反対車線の交通が途切れたところだったので、人様に迷惑は掛けませんでしたが大きく輪を描いて、氷上のフィギュアスケーターよろしく、稲葉ウアーならぬセレナウアー。
不思議と私はパニックにも陥らず「仕舞った!CAAか。」と思った程度でした。そして「アウティングは諦めかな?」とも。
こういう時は慌ててブレーキを踏むな、と聞いた事があるような気がする、という程度の思考が頭の中を過ぎりましたが。
私の後ろの車が止まって待っています。前の車も止まって待っています。私がにっちもさっちも行かない状態だったら援助の手を差し伸べてくれる心算だとすぐ判りました。路傍に転がり込んだのですが側溝は無く、水が自然に流れて行く程度の斜面なので助かりました。そこを巧く出て、ヤレヤレと思ったら、2分も走らずにまた、セレナウアー。スピードを出していたわけでもないし急ブレーキを踏んだわけでもない、時速40キロ程度で走っていたのに。
集合場所の駐車場に着いたら、ジャネットが私の車の窓を叩きました。
「あなた、素晴らしかったわよ。上手にマネージしたわね。あなたの後ろに居たの」こっちは自分が何をしたのかも判らないのに褒められてしまった。「二度もよ」「二度もなの?」ジャネットは最初のセレナウアーの時後ろで待っていてくれた人ではなかったのです。何時の間に入れ替わったのでしょう。

結局今日のアウティングは六人しか集まらず、ガソリン代が勿体無いから今日は止めよう、と言う話になって来週日曜日に延期、近くのティム・ホルトンでおしゃべりしながら一服して帰宅しました。

サテ、に今日のスピンの話をしたものかどうか・・・
当分内緒にしておくことに決めました。タイヤがオールシーズンで、これが不味かったのかもしれません。夫はスノータイヤを付けたり外したりが面倒なのでオールシーズンにしていたのです。私もあまり考えませんでしたが、次の冬にはスノータイヤにしてもらいましょう。それまで内緒にしておきます。
今日は聖パトリックの祝日です。休日ではありませんが人々は緑の衣類をつけ、緑のビールを飲み、等々、アイルランド系でなくてもお祝いします。私はすっかり忘れていました。
我が家では、三月19日の聖ジョーゼフの日の方が大事だったのです。夫も彼の父親も同じ名前なので、姑は特別御馳走を作って祝ったものでした。

Tago de Sankta Patriko
聖パトリックの祝日

写真はナイアガラフォールスの聖パトリックス教会、もちろん今日写したものではありません。我が家の子供達はみなここで洗礼を受けました。

スノードロップス

2007-03-16 14:01:29 | 自 然

Buds of Snowdrops
どんよりの-4℃。気が滅入るような天気です。
でも春を告げる天使がようやく角のような蕾を見せ始めました。地面の雪は大方消えてフェルトのように押しつぶされた枯れ葉が露出し、芝生は大きな水たまりに占拠されていたり、なかなか春爛漫とは行かないようです。
この蕾が開くと雪の花になりますが、来週まで掛かるかもしれません。

夕方。また雪が降っています。

ベルゲンからの便り

2007-03-14 16:33:40 | エスペラント
De Bergeno, Norvegio


土砂降りの、汚れた雪が洗い流されていきます。
夫の集めた切手の中に古いはがきがありました。
妹がノルウェーはベルゲンでのエスペラント世界大会から送ってくれたものです。
切手だけが目的ならその部分を千切っておく人でしたから、これは送ってくれた妹が意図したようにそのまま保存する心算があったものです。
十六年も前のものです。妹が世界大会に出席し始めたのがこの頃だったのでしょう。
その中に、十年も若い友人TKのことが書いてあります。猪突猛進の代名詞のようなTKの辞書には「物怖じ」という言葉がありません。ノルウェーに落着いてからも兎に角活動していた人です。音信が途絶え、すっかり忘れていたのですが、今度横浜で会えるかも知れないという気がしています。実家があの辺だし、きっと来るでしょう。
ある日突然ノルウェーの公衆電話から只で電話を掛けてきた時は驚きましたが、その彼女からヒントを得て私もトロントの公衆電話を試してみたことがあります。
一個だけ使えました。が、電話局が気付いたらしくその後使えなくなりました。面白い経験でした。

結婚した当時はエスペラントだけが私たちの共通語でしたが、英語圏で暮らす身、収入を得るためには英語を話せなければなりません。そして何時の間にか共通語は英語になっていました。子供達に内緒の話はエスペラントで・・と言う時代もありました。長女は覚えてしまい「今、こう言ったでしょう」と翻訳してしまったり。

妹からの古いはがきを前にして、改めて学び直そうという気が起きて来ています。
我が家は数ヶ国語が行き交う家庭でしたから、多くの場合私はただ聞いているだけという習慣がついてしまったのですが、これからは発音の練習も声を出して精を出しましょう。
最近は独り言も大きな声で言うようになったので、特別な努力をする必要もありませんし。

春はそこまで…

2007-03-13 09:35:16 | 季 節
            
春はそこまで来ている気配がします。
昨夜遅くが帰省しました。連絡も無く心配してしまったけれど。。
このところ、精神的にすっかり参っていた私にはありがたい帰省です。

夫が逝って間も無く15ヶ月になります。ようやく彼の残したくだらないものを整理する気力が出て来たと思ったのですが、それほど簡単なことではありませんでした。
初期にはキチンと整理されていた彼の切手の蒐集も後半はメッチャクチャで、国毎、或いはテーマ毎に分けてあるのはまだ良い方、何でもカンでも放り込んである箱を見つけたり、もう古くて役にも立たない楽器や機械などのカタログの山が出てきたり、私には読めもしない古い手紙など。。。
埃と戦いながら、机の周辺を片付け、紙のリサイクルに昨夜出しておきましたが、私の精神状態は一年前と同じでした。泣きながらそういうものを片付け、もう生きて居たくないと思ったり、そんなではいけない気を取り直して頑張らなければ・・と自らを励ましたり。
少なくとも子供が居てくれたら、同じ事をしていても気が紛れるでしょう。

私の次兄が逝って今年は15年目、嫂は「悲しみは日毎に増すばかり・・・」と書いてきました。それを口にすると息子(私の甥)に叱られるのだそうで、誰にも言えない辛さですが、私とはその気持ちを分け合うことが出来るのです。今まで彼女がこのような事を言葉にしたことが無かったのは、私が同じ立場でなかったからです。それは理解できないことだから。つまり私たちは今「同病相哀れむ」のです。

雪はマダマダ消えそうにもありませんが、春の気配は周囲に漂っています。
の滞在はほんの4-5日ですが、その間私は何を食べさせようか悩みながら、それでも孤独から開放されます。
休みが何日か続く時、私の為に帰ることをむしろ義務として考えてくれているに感謝せざるを得ません。この子がまた仕事に戻って行った後、春がもう来ていたらせっせと野山に出て歩くことで気を紛らすことが出来ます。春の到来が今年ほど待ち遠しかった年はありませんでした。
            

日光節約時間

2007-03-10 19:54:08 | 季 節

毎年四月最初の日曜日が「日光節約時間」の始まりでした。それを今年から三週間早く始めることにしたのだそうです。日光節約時間、文字通り Daylight Saving Time です。
終戦後間も無く日本でもサマー・タイムとして実行していた時期がありますから、記憶している人も多いでしょう。何時まで続いていたのか知りません。何時の間にか無くなっていたという気がします。

今夜寝る前に時計をみんな一時間進めて置くのです。コンピューターは四月最初の日曜日に自動的に変えるようになっているのですが、三週間早いと自分で直さなければならないかもしれません。私のコンピューターが一時間遅かろうと早かろうと誰にも迷惑は掛かりませんが、コンピューターによってはそうは行かないというのも多い筈で、ニュースなどでも話題にしていました。
面倒だし、私は明日起きてから直す心算です。コンピューターに関しては自動的に済んでいたら拍手、さもなければ私が。。。お勤めに出るわけでもない気軽な朝ですから、ノンビリ直します。
それにしてもこの日を間に挟んで旅行中のグループでは、結構大騒ぎがありましたねェ。飛行機に乗るような日は特に。

秋には時計を元に戻すのですが、それも今までより一週間遅く十一月最初の日曜日。DST の期間が長いとそれだけエネルギーの節約になるという計算で、米国が決めたのでカナダもそれに従うのだとか。もちろんDSTに参加しない州もあります。
私はなんとなく、来年「やっぱり意味が無かった」とか言って元に戻るのではないかという気がしているのですが。

氷の橋、その後

2007-03-09 17:47:34 | 自 然

<この分だと、四月まで持ち越すかも。<氷の壁の割れ目は何時の間にか補正されて。<滑り降りたらこの氷の断崖を真ッ逆さま・・<JBFから、ちょっと滑って見たいような。。<あ、氷の橋にもおヘソがあった!<青空にくっきりと、水晶の梢<米国側、ゴート島。街灯はカナダ側<氷山か?

なかなか暖かくなりませんが、それでも今日は-4℃、陽射しも明るいしアイス・ブリッジの様子を窺いに行って見ました。
驚く無かれ、真中の穴は広くなっていたけれど、そこには氷山のような氷の塊がデンと座っていたし、双方の滝の前には大きな氷の山がもっと大きくなっていたし、ブライダルヴェール滝の脇の崖に出来ていた氷の壁のひび割れは補正されていたし。。
自然とは何と言う力を持っているのでしょう。
氷の橋が何時までも続くと遊覧船「霧の乙女号」は開業を待たなければならないのですが、今年はどうなるのかなァ、とちょっと老婆心。
今日は指がかじかむことも無く、気分の良い散歩でした。

じゃがいもパン

2007-03-07 19:55:57 | 食 生 活

じゃがいも

大分前に妹が送ってくれたじゃがいもパンのレシペがあります。何故か一度も試したことが無く、それでも何時か…と思って取って置きました。その何時かが今日だったのです。
私の姑がしばしば作っていたパンですが傍で見ていたことは無くどの程度の割合で混ぜていたものか知りません。そんな訳で妹からのレシペは役立つ…と思ったのは、素人のアカサカサ。
まず、フランスパンの水の量から茹でて潰したじゃがいもの分量を差し引いた分量の水を云々、というところにちょっと引っ掛かりがあったのですが、毎度作っている人の言う事だからと鵜呑みにして掛かりました。
パン焼き器に入れて、始まりです。バンと小さいローフを焼く心算だったので機械はマニュアルで掛けていましたが、ンにゃ、ンにゃ、ンにゃ、と大変な苦労をしています。開けてみると。。。捏ね粉がもの凄く堅い。慌てて水を少し足しました。それでも苦労するのでもう少し、もう少し。捏ねるのが終わって板の上に空けてみると今度はイヤに柔らかで手にべっとりくっついてしまいます。機械にばかり頼るわけにイカンと、手で捏ねました。ようやくくっつかなくなり、よッシャ巧く行ったと思ったのは早や合点。発酵も巧く行ってオーヴンに入れて…なかなか狐色にならないなァ、でも一寸長過ぎる、出してみよう。
出て来たのは岩のように堅いバン「金槌が要るワ」ととっさに思いました。
午前中の一仕事は水泡に帰して、時間とエネルギーの浪費に終わりました。
このような失敗はなにも今日が初めてではありません。夫はこんな時「授業料払ったと思えばいい」とか「小鳥が喜んで食べるよ」とか慰めとも諦めともつかぬことを言っていたものですが。

失敗の原因は?始めの水が不足だったこと。じゃがいもは水の代わりにはならないのです。そこで、妹はこれで出来るのに私に出来なかったのは何故?日本とカナダの湿度の違いも考えられます。日本の粉は恐らく私がここで使っている粉より湿っぽい筈です。それに妹の使うじゃがいもは私が使ったのより湿っぽいのかもしれませんし。

急にこのような事をしようと思い立ったのは、ここ一週間くらい毎日夫の机の周りを整理していて、気が滅入り、病気になりそうだったので気分転換に何か建設的なことを、と考えたからでした。粉だってイーストだって長いことほったらかしだったのですから、使い切ってしまう必要もあったのです。
お笑いの一日になってしまいましたが、要領が判ったのでこの次は巧く行くでしょう。序でにそんなレシペがあるかどうか検索して出てきたのが炊飯器でパン作りでした。フム面白い。でも試してみる心算はありません。私の炊飯器は古い型、パンが焼けるとは思いませんから。
因みにこの立派なじゃがいもの写真はEyesPicさんから頂いてきました。



道すがら。。

2007-03-05 03:41:37 | カナダ風物詩
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ショートヒルス公園への道すがら撮った写真です(3枚)。昨春の「砂糖並木」を逆に通りました。馬小屋の外で、日向ぼっこ(?)中の白馬はコートを着ていました。
昨春に比べ20日も早いとは言え、随分大きな違いです。20日後には今年も暖かい陽射しに恵まれるのでしょうか。待ち遠しいです。