★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

水着を買いに。。

2009-02-24 16:43:05 | 雑  記

冬になってからかなり長いことアクァフィットをサボっていました。水から上がった時の寒さが嫌なこともあったし、間違って洗濯機に放り込んだ水着の背中に伝線が入ってしまったことも理由です。もう一つの古いのは35年も経つもので何時ビリッと来るか判らないと言う不安物、、、それでいてこの古いのがあまりしっかりしているのでついつい過信してしまい勝ちなのですが。
最近サボっていることに気付いた娘からシリを引っ叩かれてはいたのですが、長くサボると尚のこと行き難く、暖かくなったら。。。などと言い訳していました。
私の後のクラスに来る、ネーチャークラブのメンバーから、最近会わないけどどうしたの?と言われて水着の話をしたのです。
冬季は水着を置いておかない店もようやく並べるようになったし、でも気に入ったのが未だ見つからないと言うと年中水着をおいている店を教えてくれました。
こうなるとグズグズサボってもいられません。先日行ってみたら「火曜日がシニアの日」とサインが出ていたので、今日出直した次第です。
店番の中年の女性は一人で何人もの客を相手にしていましたが、丁寧で、親切に探してくれ、試着にもフィット具合を見てくれたり、それでいて押し付けがましいところがなく気持ちよく買い物できました。
値段も一着は20ドルのもの、もう一着の方は40ドルで、他所と比べ、決して高くはなく気に入ったのです。しかも今日はシニアの日で10%引き。
カルガリーの娘は水着に200ドルも払ったそうですから、今度ナイアガラフォールスへ行ったら買い溜めして来ようなどと言っています。
買った以上、怠けていないで明日から出掛けましょうか。。。
今朝の気温はまだ-10℃でしたから、気持ちは尻込みしているのですが。


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今日の収穫

2009-02-22 19:43:18 | 自 然

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今日の午後はネーチャークラブの定期アゥティングでダッファリン島へ行きました。
新雪が少し積もったので、スカンクキャベッジは角先が僅かに見えるだけの物が多かったし、小鳥たちも殆ど姿を見せず持っていった餌は鴨やカモメに撒いていました。今日の報告記事は寂しいねぇと苦笑いの声も聞こえたほど。
新聞社のカメラマン(正しくはウーマン)が同行、写真を撮っていましたがどんな記事になることやら。。。

それでも私の収穫はゼロではありません。
最初の写真、一枚目は巨大なポプラに挑戦したビーヴァーの歯の跡。凄い自信家のビーヴァーだと思いましたね。ビーヴァーは昼間は殆ど姿を見せませんから、日が暮れたら仕事の続きを片付けに出てくるのでしょう。二枚目と三枚目は手頃な大きさの木でかなり仕事は捗っていました。
秋にダッファリン島を一人で歩いていた時に同じような状況の木に気付き、ビーヴァーが住むようになったのかと思ったのですが、近隣の他地域でのビーヴァーの活動を聞いたので大分確信はあったものの、誰にも聞く機会が無かったのです。



その隣の梢にぶら下っているハンモック風の物はNorthern Oriole(コウライウグイス)の巣、と言っても今は古巣です。ビニール袋に藁屑を入れてぶら下げたような風変わりな巣は憶えやすいです。が、この巣の使い方がいまだに良く判りません。入り口が塞がれているように見えるので、雛を育てるのにどうするのでしょう。何時か知る機会があるかもしれませんが、永遠に謎のような気もします。


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又また雪降り

2009-02-20 16:39:35 | 季 節

春かな、と思いきや又雪。昨日から吹雪いていた雪がようやく静まったようです。細かい粉雪なので厚くは積もらず、それでも地面は新雪でサッパリと小奇麗になりました。
楓の梢には新芽が膨らんでいるのが見えますが、まだまだ寒し。。。です。
関東地方はもう色々な花が咲いているようですが、そろそろ南の方から桜便りも聞こえてくるでしょうか。

お陰さまでツィツカは元気を取り戻し少しは食べるようになりましたが、若返ったわけではないので殆ど寝てばかり。それでも、一息入れさせてもらっています。


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今日はファミリー・ディ

2009-02-16 21:53:36 | 雑  記
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昨日会った友人達が連休だから。。云々というのを聞いて私はキョトンとしていました。「ファミリー・ディ」って新しい休日と言われても直ぐには思いつきませんでした。そういえばなんかそんなことが議論されていたことがあったなァと言う程度の記憶が蘇ってきましたが。
2007年に決められた休日で、オンタリオ州とアルバータ州だけなのですが二月第三月曜日、今年は今日なのでした。二月は公休日のない月だから作らなきゃとか作った方が良いとか聞いた覚えがあります。毎日が日曜日の私には余り関係ないのですが。

溜まった洗濯をしようにもエンジン音大嫌いの猫が居るので、抱き上げて私の寝室へ連れてきましたらなにやらオドオドし、浴室に行ってバスタブに入り座り込みました。これで隠れた心算なんでしょうか。二枚目の写真を見ればその顔にオドオドが表れています。
お陰で洗濯は終わりましたが、その間にツィツカは私のベッドに戻りくつろいでぐっすり眠っています。夜になっても起きてくる気配なし、食事もしない心算なのでしょう。

午後は散歩に出ましたが、あまり良い天気なので袖なしのジャケットに手袋なしで出たら風がちょっときつかったです。でも陽光に春が感じられました。

先だって話題にした「お正月」の写真集が送られてきたので皆さんにも紹介します。
2009年 お正月会
遠いので私はめったにここの行事に顔を出しませんが、トロントの日系人がどんな努力をしているか見てください。私の友人たちも何人かいます。


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久し振りに日本語で笑えて。。

2009-02-15 22:42:26 | 雑  記

誘われてショーを見に行きました。誘ってくれたのはトロントに住む友人ですが、彼女のEX(別れた夫)が切符の手配をしてくれて、もう一人の友人を同伴、四人でショーを楽しみ、夕食も彼のおごりでご馳走になって、、、という午後でした。
ショーの座席がバルコニーだったので下の席が良く見えました。
「禿げが多いね」と私。
「眩しいね」と、M子。「アレに夜光塗料を塗ると照明が消えた時綺麗だろうね」
眩しいから帽子でも被ってくれればいいものを、とでも言うのかと思ったら夜光塗料とは何たる思い付き、ここでゲラゲラ。
ショーが終わって、チャイニーズ・バッフェに行ったら長蛇の列。まァ大人しく並んでおしゃべりをしながら私は後ろに居る二人に向き合っていました。突然私たちの前に立っていた親父が、禿げ親父が「この線より前に来るな」と言ったのです。
私が後ろ向きになった時彼と並ぶ形になったのが気に入らないと言うのです。要するにそうやって割り込む心算だと解釈したようでした。
「別に良いじゃないの、私には順番は判っているんだから」
は豚の耳に念仏でした。
「嫌なやつだね、この禿げ親父」
「夜光塗料を塗るといい頭」とか何とかまたM子が言い、「あの禿はもっと綺麗に剃らなきゃ塗料が塗れない」と私が言い返し、それでゲラゲラ。
そのうち話題が節分の話になり、ハナちゃんが鬼の面になるべき紙を切り刻んだ話などしていたらA子が「禿げは~外」と節をつけて言うので又笑い。
暫らくするとちょっと場を外していた禿げ親父の妻が戻ってきて二人はなにやら話しあい立ち去りました。待ち草臥れたらしいのです。
「あれ、禿げは~外が効いた」とA子。あまりに効果が早かったので驚きながらもおかしくて又ゲラゲラ。
食事もタラフク頂いて、明日は絶食かというくらいですが、それはしないでしょう。
気の置けない友人たちとこんな時間を持てるのは嬉しいことです。
箸が転んでも可笑しい年頃に戻ったようでした。他愛もないことで笑って涙を流し久し振りに日本語を喋り気分が晴れて帰宅したところです。何時もならとっくに床に入っている時間なのですが。


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少し 蘇 生

2009-02-15 08:44:45 | 雑  記

毎日水もミルクも食事も換えてあげているのに全く手をつけなかったツィツカが、10%クリームを飲み、柔らかい食事のグレーヴィーだけ舐めました。
「おお、おお、食べる気になったか!」
今朝起きてみたら、柔らかい食事が半分減っています。食べたのです。
また、又新しいのに換えておきましたが、後は水を呑んでおしっこして寝ています。まァ少しは食べたのだから良いことにしよう。何時まで持つのかなァ。苦しまないでほしいのですが。


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夢 / トロイメライ

2009-02-13 21:11:04 | 雑  記

熟 睡

猫のツィツカが食事を拒否して一週間になります。カルガリーに行っている間預けたので憤慨してのハンストかと思っていたのですが、丸一日経っても朝起こしにも来なければ夜中にあちこち引掻きまわることもしなくなりました。初めのうちはミルクを少し飲みましたが、今は水のみ。そして眠ってばかりいます。
二年余り前、獣医から数ヶ月の命と宣言されながら今日まで我が儘を通してきた猫ですから、その日が来たのだと覚悟しています。
子供達は獣医へ連れて行くことも提案しましたが、「車に乗ること」が彼女には大変なトラゥマの原因なのですから、苦しまない限り好きなように眠らせておこうと決めました。ラジオはクラシック音楽のステーションを常時付けっ放しで最後の日々を安心して憩えるようにしています。(だから、当分ここに置いてある洗濯機も乾燥機も使えません)
そして、先ほどはラジオからシューマンの「トロイメライ」が流れていました。
トロイメライはドイツ語で夢と言う意味ですから、日本語では夢と訳されていることもありますが、大抵の人はトロイメライとして覚えているのではないでしょうか。少女時代婦人雑誌かなんかについていた楽譜を頼りに覚えた歌です。当時の私は楽譜から歌を覚えるのを仕事のようにしていたもので、父の本棚にあった楽譜の中には数字で書かれている物もあり、その読み方も憶えて密かに得意でした。
ツィツカは安らかな寝息を立てながらどんな夢を見ているのでしょう。
曲が終わって、解説者が「シューマンのドリーミング」と言った時、「目から鱗」というのはこういうときに当てはまるかと言えるほど新鮮な驚きを憶えました。
曲の雰囲気は確かに夢を表現していると言うより夢みている状態を表していると感じられるから。「フゥ~ン、ナルホドねぇ」なのです。
Sonĝo ではなく Sonĝanta なんだ、と。

今まで関わりのあった猫達に申し訳ないくらい世話を焼き面倒見たツィツカです。その割には愛情の表現も信頼の度合いも薄く他人様からは可愛げが無いと言われますが、我が夫が何故か特別に可愛がった猫です。今は亡き他の猫達に悪いなァと言いながら。。
その夫亡き後私にとって彼女は唯一の伴侶でした。英語では「Keep me company」と言いますが日本語ではどんな表現が適切なのでしょう。
「返事はしないけれど話は聞いてくれるでしょう?」とある友人の言葉です。
聞いているかどうか知りませんが聞いてる振りだけは確かにしていました。
全てに終わりがあり、終りは悲しいです。だから夢を見るのです。夢を見ることで悲しみが薄らぐのを期待するのです。そのこと自体が、ああ、なんと夢のように脆く儚いことか。。。。


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何故だ、何故だ、涙が出る。。

2009-02-12 13:59:29 | 雑  記

ニラの花

今日は強風、夕べからの雨は止んだものの。。。裏庭の雪はすっかり溶け去り、僅かに雪掻きで積み上げられた雪の小山が残っているのみ。
今夜から又雪で、寒くなるという予報を聞きながら郵便受けを開けました。
見慣れぬ茶色の封筒、切手は日本のもの、Miĉie という名が目に入ります。知らない人? いや、この名前知っている。誰だ?だれだ?
瞬間電撃が脳天を。。と言うのは大袈裟な話ですが、「そうだ、みちえちゃんだ」と閃いたのです。韮の花と伊東三郎夫人に名前も出ていますが、伊東三郎夫妻のお嬢さんです。この記事を読んで下さったのでした。
名前にエスペラント綴りを使っていること(Mi Ĉie「私は全ての場所に」がその名の由来です)がヒントです。
封を切ると確かに、間違いなく彼女でした。四十余年の昔、お会いしても「こんにちは」が精々の会話だった若い頃の私たちでした。が、懐かしさがム~ンと沸いてくるのです。理由も無く涙が溢れます。何故なのでしょう。
このような巡り会いが可能なのもインターネットのお陰です。良い時代に生きていることを感謝します。

☆路辺ちゃん、お便り有り難う。すぐ返事を書きますが、とりあえず此の場を借りて受信のお知らせを。とても嬉しかったです。


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ビャウィストック

2009-02-09 20:20:33 | エスペラント
今朝、ファブリックランドと言う店に布地を買いに出掛け、どうせ序でだからと同じショッピング・センターに並ぶスーパーマーケットA & Pに行きました。近付くと、丁度出てくる二人連れ、ポーランド出身のソフィアとアンドリュー夫妻です。暫らく振りだったので立ち話になりました。
「今年ポーランドへ行くよ、ビャリストック。正確にはBiałystok / ビャウィストック
と発音するんでしょう?」
「ウへッ、何で?」日本人の私がポーランドくんだりまで。。ッて言うのは実に奇跡と言わんばかりの驚きの表情です。
「エスペラントって知ってるよね」とこの辺りから始めなければなりません。ある程度教養のある人なら知っているものと勝手に思っていた私は度々「ギャフン」と感じることがあったからです。
勿論知っていました。
「ポーランド人でも知らない人がいるのよね。誇りに思っても良いのに。。」
「知らない人もいるでしょうけど、話題にしたくない人もいるのよ」とアンドリュー
「えっ?何で?」度肝を抜かれる思いです。
「ザメンホフがコミュニストで無かったから。。 でも事情は変わってきていると思うよ」
これも私にはショックでした。その場ではすぐ思い出さなかったのだけれど日本でエスペラントを初期に学んだ人々の多くはコミュニストではなかったか???

もっと実用的な情報を必要とする私はビャウィストックに行くのにどのような経路で行くのが良いか聞きました。ベルリンかワルシャワとソフィア。
コペンハーゲンからフェリーで、とアンドリュー。仲間が一緒ならそれも楽しいけれど、独りじゃねぇ。とソフィアは「そんなややこしいことを。。」と夫をたしなめていました。
「ポーランド人の旅行社へ行きなさい」と旅行社名を教えてくれました。いずれは彼等に聞こうと思っていたことです。航空会社は「LOT」とも。

漠然としていた「ビャウィストック世界大会」がかなりハッキリした姿を形成し始めた気がしました。


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家   族

2009-02-08 08:51:25 | 雑  記

Stained Glass Window


暮に、長女がトロントに来ているのだけれど公の車を使っているため寄り道が許されないので我が家には立ち寄れないからと電話をくれた時、秋に亡くなった夫の従弟の妻マグドルナにも電話しようと思うと言うので、大いに賛成しました。
それから十分もしないで当のマグドルナから電話があり暫らくおしゃべりしたのです。息子二人は親と一緒に暮らしているので彼女は孤独と言うことは無いのですがそれでも、週に二日だか三日だか仕事に出るので気が紛れていると言っていました。そして彼女はこんなことも言ったのです。
「私たちの間にあった過去の事は水に流して。。。」
私はちょっと言葉に詰まりました。正直言って私たち二人の間には何も無いのです。彼女の夫ラスロは感じやすく、我が夫は冗談が好き、それで、我が夫がちょっとからかっただけで、普通の人なら交ぜっ返したり笑って終わるようなことでさえ憤慨して口をきかなくなる、というタイプ。若い頃はこんなじゃなかったのになァと私が感じたのは病気のせいもあったのかもしれません。
晩年、我が夫は良くE-メールを送っていましたが返事が来たことがありませんでした。何を憤慨していたのか判らないけれど、です。
ラスロの兄デジョは彼等のすぐ隣町で暮らしています。が兄との間にも何かあって付き合いを拒絶していました。デジョの方は何が有ったのかサッパリ判らず、「まァ、シャーナイや」と言ってました。
妻が夫を支持するのは良いとして、マグドルナの態度は盲従とも言えるもので、デジョの妻マリアとスーパーマーケットでばったり出会っても、「フン!」とそっぽを向いて行ってしまうとマリががこぼしていた事があります。
我が夫が亡くなった後、私を気遣ってマリアが良く電話をくれました。電話を貰うだけを待っているのは付き合いが悪いと思い昨年から彼女に電話しているのですが何時も留守、しかも彼らは留守電を使っていないのでメッセージも残せません。
週末なら在宅かも、と電話してみると居ました。孫のお守に狩り出され終日は留守だったのだそうです。色々な雑談の中で、私の気になっていたことを訊いて見ました。
二人だけの兄弟ですから、弟の死の報せは当然伝えられたと私は信じたかったのですが、それは無かったのです。デジョ夫妻は赤の他人から知らされて墓地へ出掛けて行ったのだそうです。「私、何かを盗んでいるような嫌な気がした」とマリア。埋葬の場で歓迎されなかったのです。
この従弟たちと我が夫は子供の頃隣り合わせに住んでいて一緒に育ちましたから、兄弟の無い我が夫にとって彼らは弟のようなもの、実際お互いに「兄弟」と呼んでいました。それがこんな状態で終わってしまうのは何とも情けなく、私が何かすべきかな、とも思うのですが、下手な出方をすればマグドルナは私がマリアの肩を持つと誤解する可能性も有り辛いところです。
敬虔なカトリック信者のマリアは「彼女のために私は祈っているのよ」と言います。
三人それぞれ人種も違い年齢も違うけれど、私たちは言うなれば姉妹です。若い頃はそういう心算で付き合っていましたし、今も変わらないのです。少なくともラスロが病気になるまでは。。。
家族を纏めるのは私には大きな重荷かもしれません。少しづつマグドルナから事情を聞きだす努力が必要かと思うのですが、一方では余計な刺激は与えない方が良いようにも思えるし。
マグドルナが「つまらないことで怒り続けているのは馬鹿馬鹿しい」と気付いてくれるのを待つのみ、かもしれないし、私の日常生活には差し支えないのだから放っておくのが一番良いのかも知れないのですが。


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冬 の 旅

2009-02-06 19:10:34 | カナダ旅行

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予定の旅の前日にシャトルバスの運転手から電話があり、悪天候のため一時間早く出発とのことでした。実際、普段は1.5時間のところを3時間掛けて、かなり滑り込み状態でチェックインしたのです。
ゲートで待っている間に映したのが最初の写真。除雪車が3台連なって登場しました。大吹雪というほどのことではないのですが休み無く降り続けているのでこんな除雪作業が必要だったのです。
二枚目は飛行機の窓から取った翼の除氷作業です。正確な日本語は知りませんが、英語では Deicing です。順番待ちなので時間が掛かりました。
三枚目は飛行機の窓から取ったカルガリーのダウンタウンです。白い帯の様にうねってダウンタウンを囲むように流れているのがボー川です。白いのは当然氷です。
気温はおおむね-2~3℃で私の滞在期間は温和でした。短パンで犬の散歩の人もいて、「そこまで暖かいわけじゃないんじゃない?」と思ったのですが、-50℃からすれば夢のように暖かかったのでしょう。
到着の翌日ちゃんの日本語学校へ一緒に行きました。節分の鬼の面を作ったりもしたのですが、ハナちゃんは自分の発想でお面を切り刻みよく判らないアートを作りました。ハナちゃんのお母さんはハンガリー人なので とはハンガリー語で話をしていますが、周囲の人たちは気が付いていないようです。
そこの先生の一人とお遊びの始まる前にちょっと立ち話をしたのです。私がナイアガラフォールスから来たと知ると、親戚がいるし一度遊びに行きたいと思っていると言うようなことを言ったので「私の知ってる人かしら。。」と言ったら、「向こうの親戚なので。。(当然あなたは知らないでしょう)」と言う応えでした。
私には「向こうの親戚」の意味が直ぐには判らなかったのですが、ご主人の親戚と言うことだったようです。
カルガリーに来て六年になるといっていましたが、まだまだ日本人社会にドップリ浸かっているという印象を受けました。そして彼女の考えでは私をも日本人社会しか知らない人間と見なしているようであまり良い気分はしませんでした。悪意は無いので恨みも辛みも無いのですが、もっと広く社会を見て欲しいものだと言う気がしたことは確かです。
四十年も同じ街に暮らしていて日本人しか付き合いが無いとしたら、あまりに社会が狭すぎます。私が知っている日本人はごく僅かに限られていて最近のように日本人人口が増えている今知らない人の方が多いくらいなので余計にそんな気がしたのかもしれません。
それに の日本語を聞けば日本生まれでないことは明らかだし、その母である私がカナダに長く暮らしていることは説明の必要も無いように思えるのですが、自分たちの周囲を見て、「誰それさんのお母さんが日本から来ている」と言う状況しか考えられないのかもしれません。
そのせいかどうかこの教室の仲間で が個人的に付き合っているのはハナちゃんのお母さんとドイツ人と結婚しているサイちゃんのおばあちゃんだけな様です。本人は気付いていないかもしれませんが恐らく文化の違いをあまり感じなくても良いからではないかと私は思っています。

一週間は瞬く間に過ぎ、先日暖かなカルガリーを後にしちょっと寒いナイアガラフォールスに戻ってきました。今日からカルガリーも寒くなっているとか、こちらは暖かくなるようです。


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