さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

小立岩での思い出(トクオ君)

2021-05-24 | 日記

小立岩と言うのは奥深い山あいの、安越又沢(あごしまたさわ)と檜枝岐川(ひのえまたかわ)が合流する場所の狭い居平に寺を含めて10軒ほどの民家が寄り添っている小さな集落でした。そこに茅葺き屋根の2教室に教員住宅のついた民家同然の小さな小学校校舎がありました。その小学校に教員として父が着任し私たち家族が住むことになったのです。


私はその小立岩の集落に小学校の1年から5年までの5年間を過ごしました。狭い居平の世界でしたけどそれは子供の私にとっては私の全世界でした。楽しいこと、寂しいこと、悲しいことなどの思い出がいっぱいある私の大事な古里でした 

集落の子供仲間の小学校1年生は「とくお君」と私の二人でした。「とくお君」は私を友達としてではなくて先生の息子の新入りの世話を親切にしてやるという態度でした。だから私に大きな影響を与えてくれました


 (以上昨日の投稿から)

 

(トクオ君)は体も心も大きくな寡黙の男の子でした。ある日私を連れて自分の家の蔵の入り口の自分の場所につれてゆきました。そこにはいろんな緑の液の入ったガラス瓶がずらっと並んでいました。(トクオ君)はこれは「俺の作った毒もみだ!」いうんです。その瓶の液を魚のいる流れのよどみにそそげば魚は苦しくなって浮かんでくる。それをすくうんだというんです。いろんな植物をもんで出る液なんだそうです。私はその神秘的な濃い緑の液体をみて感動してしまい(トクオ君)への驚きと信頼と尊敬の念いっぱいになりました。でも5年間一緒してその液を使って毒もみをしたのを見たことはありませんでした。

またある日のこと、(トクオ君)は私をつれて安越又沢(あごしまたさわ)の奥地につれて行きました。4kmほど行くと大きな流れは小さな綺麗な流れになって流れの中の石を二つ三つ飛んで向こうの岸に行ける山毛欅の森につきました。そこには茅で屋根も壁も作った小屋が3軒ほどありました。そこは(トクオ君)のお父さんとお母さんが山毛欅の木をつかって仕事をする場所でした。山毛欅の木で木製のしゃくしを作っていたんです。

中に入るとしゃくしをつくるそれぞれの工程に必要な見事な刃物が並んでいて原料や半製品や完成品が綺麗に並んでいました。その完成品の木しゃくしをなぜか「みやじま」といっていました。

木しゃくしの製品を安芸の宮島の土産品として送っていたのかな?などと思いました

(トクオ君)のお父さんとお母さんは仕事の手を休めて私を大歓迎してくださいました。そしてウル米で作った綺麗で美味しい真っ白なもちを焼いて食べさしてくれました

(トクオ君)と私は何度かその深い山毛欅林の中の作業小屋を訪れていました。.

 

(トクオ君)は小学校3年の頃でしょうか山の中腹にある斜面にある開墾と言われる畑地に私を連れて行ってくれました。その開墾の畑上部の林のなかに(トクオ君)だけが知っているこくわ(さるなし)がちょうど熟する時でした。こくわと言うのは蔓状の植物で小さなその実はキュウイとそっくりの香りと味のする美味しいものでした。

こくわの蔓は大きな木の枝先にひろがって美味しい実をいっぱいつけていました。その木に登るには隣の細い木に登って蔓のある大きな木の高いところに移らなければなりませんでした。

(トクオ君)は「さんたろう来い」といって細い木を登って大きな木に移ってゆきました。私もそのあとについて細い木から大きな木に移って太い木の枝の股に腰をおろしました。でも怖くて枝先の蔓になっているこくわの実のところには行けませんでした。(トクオ君)が採ってきてくれるこくわを美味しく食べていたのです。

さて帰るだんになってあらためて下を見るとそこはすごく高い所の木の枝でした。私は恐怖のあまり泣き声をあげて震えていました。今考えると一番困ったのは(トクオ君)だと思います。

(トクオ君)は先に細い木に移って私をなだめながら指示をだすのです。左の手でその枝をつかめ!、右脚をそのい枝にのせろ!などとしっかり私を支え指示を出しながら私を無事に高い木から下ろしてくれたのです。

このことは私には恥ずかしいことですから誰にもいったことはありません。(トクオ君)にしてみれば大事な先生の息子をそんな 危険なところに連れ出したことが申し分けなく思ってたれにも言いませんでいた。

94歳になった爺いの投稿が秘密の初めての開陳です。恥ずかし恥ずかしです。

(トクオ君)といいうのは私にとってそういう大事な大事な友人だったんですよ。私が50歳の頃車で古里小立岩を訪れた時は(トクオ君)は遠い日に上京して成功しているとのことで逢うことは出来ませんでした。でも今でもすごく逢いたい懐かしい友人なんですよ。 

今度は少し公的な出来事の感想を書いて見ようかと思っているんです