さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

久方ぶり、尾根道の花々が綺麗でした。

2017-04-30 | 日記
急な坂の道でカメラをセットしていると「おじいちゃん」という声がうしろでするんです。はて誰だろうとふり向くと私の知らない親子連れらしいお二人さんがなんかお話しされながら坂を登ってお出でになったんです。

私は坂道に咲くイワナシの花を撮っていたんです。お二人さんは近づいて「小さいけどきれいな花ですね。なんというんですかとおっしゃるんです。「イワナシです」と応えてお二人さんと尾根道に咲く花々について話しあいました。



カタクリの花です。



ショウジョウバカマの花です。



早春の尾根道で咲く私のいちばん好きな花はシュンランです。



シュンランは私の懐かしい思い出を秘めた花なんです。
家内と連れ添って63年、今はともに白髪の爺と婆になりましたけど63年前は私は27歳、ばばちゃんは24歳若かった二人はその年の12月に平凡な見合いをして結婚しました。

そして次の年の4月には二人そろって昼食持参で尾根筋での柴刈りに一週間ほど通いました。夏の間の薪木を準備するための柴刈りは若夫婦の大事な仕事でしたから。4月と言っても雪国の奥会津です。谷底ではまだかたい雪がいっぱいたまっていて歩くにはとても便利でした。でも尾根筋では雪がすっかりなくなっていて春の陽に輝いていました。簑をすいて二人並んでお昼を食べるまわりにはイワウチワの花やシュンランの花がいっぱい咲いていてきれいな花園でした。



二人ともイケメンではありませんし美人でもありませんけど若かった二人にはそれぞれが輝いて見えていました。そして尾根筋のシュンランの花もイワウチワの花も輝いていました。尾根筋の花園は私たち二人だけの世界でした。

シュンランの花はそんな若かった頃の懐かしい思い出の花なんですよ。

今日は昭和の日、思いよみがえる私の日でもあるんです。

2017-04-29 | 日記
私は1927年(昭和2年)1月3日の生まれです。
昭和に改元されて9日目に私はこの世に生まれました。そして昭和をいっぱいいっぱい生きた私です。ですから不遜ですけど昭和の日は私の日のような思いもあるんです。

すばらしく晴れわたった春の日です。ルンルン明るい気持ちで家を出ました。そしたら2羽のツバメが軽やかなスピードで飛び交っていました。今年初めて見るツバメです。それに川辺の柳もやわらかい緑でした。今日はほんとに私の日なんだと嬉しくなりました。



柳青める日 ツバメが銀座に飛ぶ日・・・
サトウハチロウ作詞 古関裕而作曲 藤山一郎さんの明るく真面目な歌声でした。

終戦後2年、20歳の私は古い蓄音機のゼンマイをハンドルでまわして巻いてレコードを載せ、さーという雑音の中に藤山一郎さんの歌声を聞きました。物資は極度に不足し食糧も乏しい時代でしたけど心が明るくなる歌声でした。

私はこの歌のメロデーを心に思い浮かべながら懐かしく嬉しく昭和の日の散歩を楽しみました。いい日でした、明るく嬉しい春の散歩道でした。

落城の悲劇を秘めて古城の桜咲き誇る

2017-04-27 | 日記


4月22日(土)私は鶴ヶ城の桜を楽しもうと早朝にお城に訪れました。時間が遅くなるとお城近くの駐車場はみな満杯になるし、お城近くの道路は車が渋滞して動けなくなることを知っているからです。

私は駐車した車の中で瞑目して祈りを捧げ車を降りてお城に向かいました。お城の堀に咲く桜は満開で私を迎えてくれました。



お城の三の丸東口から城内に入りました。




三の丸を通って廊下橋への道は満開の桜の下お城本丸へ急ぐ人たちでいっぱいでした。



お城本丸への廊下橋です。



廊下橋を渡ると見事な石垣の道を通ります。



再建された天守閣です。近くから短いレンズで撮りますので天守閣の威容がうまく撮れなくて残念です。



これは落城後取り壊される前の損傷した天守閣の写真です。

写真はネットでウィキペディア若松城からおかりしました。
  

五層の天守閣に入りました。各階ごとに会津戊辰戦争の経過や武器や戦後の会津藩士のことなどの資料が展示されていました。時に会津人の誇りを思い、時に落城の悲しみに涙し、時に落城後の困難の情況のなかから立ち上がって活躍した会津藩士の活躍に胸を打たれもしました。

天守閣最上階からの眺めです。


 
花の下のうたげを楽しむ人たちです。



お堀をはさんでの高い石垣と桜です。



時が進むにつれてお城を訪れて賑わう人々でひきもきれませんでした。



たくさんのカメラマンの方が撮影を楽しんでいました。皆さん三脚を立てて本格的な撮影です。でも私と同じようにコンデジで撮っている方も、スマホで撮っている方もたくさん見えました。



1時間30分ほど夢中で走り回り楽しみました。PCの修理中お城のほか町の桜通りなどあちこちの桜を撮って楽しみましたが、もう桜はすっかり葉桜になって花を散らしています。ブログへの桜の投稿はお城の桜で終わることにします。春が駆け足で進んでいます。いい季節が嬉しいです。


ブログをしばらく休みます。

2017-04-18 | 日記
パソコンで沖縄民謡を聴こうとしたら「新しいソフトがあるのでインストールしなさい」見たいな表示が出たので深く考えないで指示にしたがて進めました。途中で少しおかしいと気づきやめたんですけど・・ソフトが改められたみたいな表示が出ました。

そして見事にパソコンを起動すると同時に「スパイウエイ」が感染するようになりました。ウイルス防止のソフトがありますのですぐに除去されるのですが、不安なのでパソコンを明日業者に持っていってみてもらい修理をお願いするつもりです。

五稷神社の神におわします大欅

2017-04-18 | 日記
何百年世の移り変わりを見て来たんでしょうね、尊いお姿です。



この欅の木のある台ノ宮公園には面白い物語があるんですよ。

男たちががみんな頭を中剃りしてちょんまげを結っていた江戸時代、この地は昼なお暗い深い森でした。そこに古キツネ弥十郎の一家がキツネ塚を構えて住んでいました。そして夜な夜なこの森を通る若者を化かして髷を落とし坊主にして喜んでいました。

ある日の夜若者たちが集まっているとき、一人の若者が「俺などはバカじゃないし、しっかりしているから古キツネなどに化かされて坊主にされることなど決してない」と広言して台ノ宮の森にいきました。そしてキツネに気づかれないようにもの陰にかくれで見ていると、一匹の古狐が現れて若者が見ているのにも気づかず、ケヤキの葉を1枚採って頭にのせてとんぼ返りをすると美しい女になりました。そしてそばに落ちている古草鞋を拾ってひょいっと背中に乗せると可愛い赤ん坊になりました。そして周りを見渡して誰もいないのを確かめてからしゃなりしゃなりと気取って歩きはじました。それを見た若者はさては誰かを化かすためにどこかに行くんだな思って後をつけました。

しばらく行くと女は灯りのついた大きな家に入っていきました。そっと中を覗いてみると家の人々はその女を囲んで楽しそうに話しあっていました。若者はここぞとばかりがらりと戸を開けて「その女はキツネの化けたものだ、ばかされてはいけないぞ」と叫びました。するとその一家の主人が「何事ぞ・・私の家の大事な嫁をキツネなどいって侮辱するなど許せない。」と召使いの男どもに命じて若者を取り押さえさせ打擲させようとしました。

おりよくそこに立派なお姿の和尚様がお出でになり分けを聞くと「人の家の大事な嫁御をキツネなどと呼ぶのは許せない」「でもこの若者も可愛そうなので弟子にして改心させるからどうかお許し下さい」と若者を座らせカミソリを取り出して頭を剃り始めました。その痛いこと痛いこと大変でしたけど若者はじっと我慢して耐えました。

坊主にされた若者が和尚さまの後について外に出ると外は暗闇でいつのまにか和尚様の姿は見えなくなりました。若者は涼しくなった頭を手ぬぐいでほっかぶりをして仲間のところへ帰りました。そして仲間たちの問いに「俺は化かされなかったけど、化かされた人を助けようとしてさんざんな目にあった」というのを仲間の一人がそっとうしろに近寄って頭の手ぬぐいをさっととるとキツネの口で髪をかじりとられた坊主頭が出てきました。

当時は髷を切られて坊主にされるのは大変な恥だったんですね。昔の古キツネは賢くて怖かったんですね。余計なお話載せてしまいました。

この話は故井関敬嗣先生の「会津坂下町の伝説と史話」によりました。