さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

あちこちに畦刈る人の姿が見えました

2021-05-05 | 日記

今水田の圃場は田植え前の耕耘がほとんど終わって畦の草刈りが行われています。畦草を綺麗に 刈り取るのは水稲の害虫の草カメムシなどの防除にとても大事だと聞いたことがあります。

少しお若く見える方の畦草を刈る姿に私のような古老は驚いてしまいます。最新式の草刈り車です。畦草刈る姿は時代とともに変わってくるんですね

70年前私が20歳代頃の田んぼの畦は田んぼの境をするだけの狭い畦でした。なにせ田んぼの広さは4畝(4アール)前後の狭い田んぼでした。馬や牛で耕耘し代掻きするにはちょうど良い広さでしたからです。今は大掛かりな基盤整備で大型機械に適応するヘクタール単位の広い田んぼに変わっていますけど。

古い時代には田植えが終わると鎌を研いで狭い畦の草を刈り、刈り取った草は大事に持ち帰って馬や牛の飼料にしていました。そしてその刈り取った跡の畦には大豆を一粒ずつ蒔いたのです。、熟した大豆は稲刈りの頃枝豆として食べました。美味しくて貴重なおやつになったのです

家畜の飼料にする草地はすごく大事でした。たとえば堤防の堤の草地はすごく大事で、個人毎に刈り取る草地に区画して 分け合いました。いまは家畜用の草など必要ありませんから大型のトラクターの草刈り機で一斉に借り倒すだけですすけども。(それを見ると古老の私はもったいと思ってしまいます)

やがて小型のエンジンで円盤の草刈り刃を回して草を刈る草刈り機ができた時は驚きました。もう大事な鎌と砥石はいらなくなったのです。その草刈り機がいつのまにか小型の草刈り車になり、それが今は写真のように大型の草刈り車になっているのです。  

 昔地べたを這いずりまっわっていた百姓たちは今は皆大型の農業機械を操るオペレーターになりました。かつては10数人のお手伝いさんを頼み賑々しく田植えをしていましたけど、今は熟年のご主人と奥様のお二人だけですごいスピード田植えが進むようになりました。農業の耕作機械が大型化効率化したのです。

それととものに農業に人は必要なくなり、農村は大きく変化しました。青年や子供の姿が激減したのです。歳老いた母親の婆さんはうちの子供達はみんなサラリーマンになってしまった、帰りにスーパーから野菜を買って帰るんです。と嘆く声が聞こえたり、農家の古いばあさんが昔嫁にきて家の舅女さんにいびられやっと自分が舅女の立場になったとき時には街の会社で働いて経済力のある嫁さんに気配りしねければならなくなったと嘆く声も聞こえてくるんです。実際に古いしきたりに耐えることが出来ず経済力のある嫁さんが離婚する例がないあわけもないんです。

今年の春の圃場の耕耘の季節に、どうしたことか大型機械で広く稲作経営をなさっていたご夫婦の姿が見えないんです。子供さんはみな高校の先生や海外の企業で働いていらっしゃるんです。なんか気がかりで心配でした。

農村は今大きな変革の時かも知れません。どうなるんでしょうか私には分かりません。でも国の基盤になる農村です。新しい農村に見事に発展して欲しいと思っているんです。

写真に見えるビルはカントリーエレベーターと称する農村の籾の貯蔵倉庫です。昔はそれぞれの農家に火災を恐れて収穫した籾や米を貯蔵する立派な倉がありました。カントリーエレベーターがけだけでなく米の流通の変化も影響しているんでしょうけど今はその倉が荒れて見えるのが多いんですよ。今の農村を象徴しているように感じます。