さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

なに撮ってるの?、可愛い笑顔が嬉しくて

2015-09-29 | 日記


 先日「まちなかハイキング」で訪れた金上寺(きんしょうじ)の金上盛備(もりはる)の石碑を調べたり、金上氏の金上舘(かながみやかた)跡の土塁を撮り直そうと思って昨日の午後金上寺に行ってきました。寺の前の杜が金上舘のあった場所なんです。


 金上盛備の石碑の正面は風化していて文字の読み取りは出来ませんでした。側面ははっきりと[明治二十四年辛卯八月十一日建立]との文字がしっかりと読めました。裏面は見出しの「遠江守金上盛備之碑」は読み取れたんですけど、日光が正面からあたっていて盛備の業績が書かれていると思われる文字は読み取れませんでした。この石碑は明治になって建立された金上盛備の顕彰碑だったんですね。ちょっと心落ちしました。


 金上寺の境内の南側、道をはさんで金上氏の居舘跡の土塁が残っています。
 土塁の北側は改修されて新しい石垣などがあるんですけど、西側の一部はあまり手が入っておらず往時の面影がはっきりと分かりました。


 嬉しくなって土塁のあちこちを撮っていると可愛い女の子が二人寄って来ておもしろそうに並んでみていました。

「あんたたち小学校二年生」
「いいえ、三年です」
「スクールバスで通っているの」
「いいえ、歩って通っています」
「遠いから疲れるでしょう」
「なれてるからへいきだよね」笑いながら顔を見合わせて答えてくれました。可愛い二人です。

 この子たちは親や先生から、「あなたたち、知らない人に近づいたり、話しあったりしてはいけませんよ。怖いことがありますから注意しましょう」と教えてもらっていないのかな・・・村はは平和でのんびりしているんですよね。この子たちは少しも警戒する様子など見せないで笑顔で私と話しあってくれました。嬉しかったんです。

 20年くらい前までは小学校でも家庭でも「知らない人でも、どんな人にでもみんなに明るく挨拶しましょうね」と教えていました。でも時代は変わりました。今は「知らない人には決して親しく近寄ってはいけません」としっかりと子どもに教えておかなければならない時代になりました。 

「この土手はね、400年くらい昔、津川というところのお城のお殿様が家来と一緒に住んでいた「やかた」という大きなお家の周りに作られていた土手なんだよ。もし敵に攻めて来られても中に入れないようにね」と教えると

 子どもたちは感心したように「あの土手の中の二軒のお家がそうなんだ」と言いました。

「違うの、あれは今住んでいる人のお家で、昔住んでいたお殿様は戦いで死んでしまってそれから400年もたっからその頃の「やかた」はなくなってしまったところに新しく家を建てて今の時代の新しい人が住んで居るの」と話すと

「ふ~ん」子どもたちは感心したように言いましたた。

 爺いの下手な説明が小さな子どもにどれだけ分かったかは分かりません。でも一生懸命聞いてくれました。心の素直な可愛い子供たちでした。

 可愛い二人の子どもたちと「バイバイ」手を振りながら分かれました。昨日はとっても嬉しいいい日でした。

  ああ・・私も可愛いひ孫が欲しい。私の弟などひ孫が6人もいて喜んでいるというのに私の孫たちは何しているんだろう、ちょっとばかり怒りと不満の心もありました。

まちなかハイキング 新しい仲間が嬉しくて

2015-09-27 | 日記


やせうま(よもぎ団子)つくりも楽しかったです

 

 穏やかな秋の日、会津坂下町主催の「まちかどハイキング-やせうま作り体験」という催しに参加して来ました。

9時30分湯川坂下道の駅集合です



お世話下さる町の方々です



集まった仲間の方は20名(定員)でした



道の駅出発です。みんな楽しく希望に満ちた笑顔笑顔です



宮古大橋を渡って



曇り日でしたけど大川の流れが綺麗でした



 案内して下さるかたの説明を聞きました。日頃なんの気もなく通り過ぎていた風景が新しい目で見えるようになるから楽しいです。


大川と宮川の合流点を渡り宮古大橋の眺めです。写真の右側が会津坂下町村田、左側が湯川村です



 先ほど、宮川の流れはかつては坂下町の北側の近くを流れれていて坂下町は度々の洪水の被害に遭っていましたが上流で流路を変える大工事がおこなわれ現在のように直線的にこの地に流れて大川と合流するようになり坂下町方面の洪水の被害がなくなったと案内の方から説明がありました。

大川の堤の上の遊歩道から屨形(くつがた)集落への下りの道です



屨形の鎮守様の脇に馬頭観音の石碑がありました



馬頭観音について説明がありました



 軽トラもトラクターもコンバインもない時代の農家にとっては馬さんはとっても大事な労働の手助けをしてくれる家族でした。だから人間のお医者さんと同じく馬さんのお医者さんもいて巡回して馬の健康を見守ってくれました。

 農家の人は大事な家族の馬さんの健康を願い、亡くなった愛馬の冥福を祈って集落の大事なところに馬頭観音の碑を立ててお祈りしたのです。昔の農家の人は決して馬刺しなど食べませんでした。

 馬さんは家の人が外出からかえると喜んで「いひひひ~ん」といなないて迎えてくれました。お正月には馬さんもお雑煮の一切れを一緒にたべたんですよ。

 競馬で走らせて走れなくなると肥育して馬刺しにして食べる! 人間って恐ろしい!!!・・と思います。古い人間の私は決して馬刺しは食べません。

 半分近く歩いたかな?、小さい子が「疲れた」とお母さんの手を握ってちょっとくずりました。「だめよ、元気出して」とお姉さんが励ましていました。


もう間もなく次の集落です。元気出して歩いています



楽しそうな4人さんです。おや、男の子が少し遅れていますね



圃場の黄金色が綺麗、皆さん楽しそうです



黄金色の稲穂が重く垂れています。今年も豊作でしょうか広い圃場の眺めが見事です



。金上が近くになりました元気を出して男の子は一人で、お姉さんがお母さんの手を握っています


最終目的地の金上が近くなりました。皆さん元気です



ようやっと金上寺(きんしょうじ)につきました



金上寺は戦国時代、会津葦名家の重臣で金上を本拠に、津川城の城主でもあった金上氏の菩提寺で、金上遠江守盛備(もりはる)の墓碑があります。


墓碑の前で案内して頂いてる方から金上遠江守盛備につい丁寧なお話がありました



 会津葦名氏の筆頭重臣であった金上盛備は津川城主として越後方面の守りについていたけれども、葦名氏が摺上原で伊達正宗との戦いに敗れ滅亡したおり津川から急遽上ってきて佐瀬種常・佐瀬常雄とともに戦い戦死しました。その忠節をたたえ偲び猪苗代に三忠碑が建てれているというようなお話でした。皆さん真剣に遠い昔の歴史に感動して聞いていました。

金上寺に隣接して金上屋形跡の土塁が残っていました



今日の催しのメインの行事「やせうまつくり」について丁寧なお話がありました



 皆さん熱心にそして楽しくやせうまつくりに挑みました





 そして皆さん一緒に自分で作ったやせうまを食べ、お土産にパックに詰めました。美味しかったです。私など一度も台所などの手伝いなどしたことがありませんので家のばばちゃん(家内)など驚いてそして褒めてくれました。


 楽しい1日でした。主催し、細かい心つかいでお世話下さった方々、やせうまの実習の準備そして丁寧に指導してくださった方々、そして楽しくご一緒させていただいたお仲間20名の方々本当にお世話になりました有り難うございました。

 主催された方々のお話によれば第4回のまちなかハイキングも計画したいとのお話でした。計画をしったら急いで申し込むつもりです。何しろ定員が20名ですから。楽しみにしております。

見直してみますと写真が多すぎてくどいですね。失敗でした。写真を5-6枚に精選して構成すればよかったのにと反省です。

山はね、山は私の乱れた心を癒やす道なんです

2015-09-24 | 日記


「老いの心は平穏で優しく美しい」お若い方はそう思うんでしょうね。もう枯れていらっしゃるからと・・・
いいえ、そんなことないんですよ。怒り、悲しみ、惑い、それによからぬことの思いに心乱れることもあるんです。

 そんな時山は私を誘うんです。秋ならば静かなススキの原が私を誘うんです。



 
いつもの峠道をひたすら登る私の心は「ああ自分の家に帰ってきた」と安らぐんです


 
 昨日も、意味もなく心が鬱になって・・・いいえちょっとばかりよからぬことに心乱れて「山の神様」に救って頂こうと山に行ってきました。

秋ですね、昨日までの雨に濡れた道にキノコが迎えてくれました


 食べられるキノコでもないのに「可愛い」と心がわくわくするんですよ。ホコリタケ」っていうんでしょうか、懐かしいキノコなんです。熟したこのキノコを手にとってぱんぱんたたくとキノコの上の穴から黒っぽい茶色の煙が出るんです。キノコの胞子なんでしょうか。幼かった私達洟垂れ小僧たちはなんの意味もなくそのキノコをたたきながら山の道を歩きました。幼い私達にはそれがすばらしく楽しいことだったのが不思議です。

私はカバンを下ろしてカメラの標準ズームレンズを50mmマクロレンズに変えて腹ばいになってなんカットもシャターを切りました。爺いの心はすっかり幼い頃の心になってルンルン嬉しくなってしまうんです。

 

このキノコも同じ仲間のキノコなんでしょうか。でも大きいんです。直径が10cmくらいあったと思います。もちろん食べられません。でも楽しんで心いっぱいで撮るんです。それが楽しいんです。



尾根道のこんな高い場所にこんな4cmほどに細くて小さなトンボがいました。オツネントンボ(越年トンボ)といって成虫で冬を越すんだそうです。会津マッチャンさんに教えて頂きました。こんな尾根道の高い場所です。厳しい吹雪の冬をこんな弱々しいトンボがどうやって成虫で冬を越すんでしょうね不思議です。



 去年は尾根道にいっぱい咲いていたりんどうの花がどうゆう分けか今年は少なくて1株見つけただけでした。でも野に咲くりんどうの青紫色は美しいです。時期が早かったのかも知れません。10月にもう一度きて見るつもりです。



スキー場の頂上のワイヤロープを動かす大きな輪がススキの中に見えています


リフトを乗り継いでここまで上がってスキーで滑り降りると私のようなへたの者でも15分もすべればゴールしてしまいます。でも徒歩でスト45分くらいかっかります。下るのが大変です。

第4リフトの鉄塔とワイヤリフトが残っています



このワイヤロープに二人乗りのチェアーが着いていました。若い頃、確立は極めて少ないんですけどうまくいくとときめく人と一緒出来ることもありました。もちろんときめいているのはこちらだけでお隣さんは別世界なんの関心もありません。でも女性にはいつも無視されぱなしの私です。それはそれは天国の2分間でした。

スキー場の中腹からの会津盆地の眺めです。集落の点在する周りの圃場は黄金色に輝いていました



 2時間ちょっとの尾根道の散策ですっかり心が洗われて、さっきまでの鬱や惑いは誰のことやら心は晴々しているんです。山の道はやっぱりすばらしいです。山は山太郎の大事な修験の道、心を綺麗に洗い流してくれる大事なそして楽しい修験の道なんです。いい1日でした。 
 

おれ、俺ね、もう少し遊んでいくよそのうちね

2015-09-22 | 日記
懐かしい君たちのところにそのうちいくよ



 古里の小学校からの懐かしい友が一人そして一人そしてまた一人、8月から9月にかけて3人の友が逝きました。淋しいです。
 
Ki君、君と俺とは担任の先生に可愛がられていた二人だったよね。二人とも理科が大好きで先生のこと大好きだったよね

 あの太平洋戦争が終わって物が極端に不足した時代二人して話あって真空管や小さなトランスやいろんな部品を買って新しい方式の5球スーパーのラジオを作ってみんなに喜ばれたよね。あの頃のラジオは真空管4球のラジオが一般であまり性能がよくなかったから。雑音が入らず音質もいいってみんなに褒められて得意になって何台も作ってお金もちょっとばかり儲けたことを思い出すな。懐かしいよね。

 俺は自分の仕事が忙しくラジオ作成から手を引いたけど、君は研究をすすめてしまいには真空管を使ったテレビまで作ったと聞いてうらやましかったことを覚えているよ。

 穏和な君が懐かしい。そのうちにね、また思い出を二人で懐かしく話合う日を楽しみにしているよ・・


 Ka君、君は小学校を卒業して数年後郵便局に勤めて郵便配達の仕事をしていたよね。あの当時は車はもちろんバイクもなかったから自転車で、冬は雪の道を徒歩で村中を配達して廻ったんだから偉いもんだ。あの頃の村の戸数は何戸あった知らないけど一戸一戸の様子を全部知っていたもんね。

 俺の集落に君がやって来ると配達する物がなくても必ず家に寄って一声かけてくれたしおれもそれを楽しみにしていた。

 君は古里の同級生の様子をいつも親切に教えてくれてたのに、Ki君が亡くなったことを新聞の訃報蘭で知ったけど君からなんの連絡もない、どうしたんだろうと思っていたら1週間後君の訃報が新聞にのっていてショックを受け気落ちしてしまって悲しい。

 君とは何回か同級会の幹事をやったよね。君は交友関係も広く人との交渉も得意、でも会計とか案内通知とかの事務関係が嫌い、そして俺は事務関係の仕事はなんとかなるけど人との交渉が苦手、君が開会の挨拶でみんなをしんみりさせていたけど、俺は会費集めと部屋割の案内とか・・宿との折衝など・・二人で仲良くうまくやってみんなに感謝されたよね。

 もう古里の様子を君から来ないと思うとぽっかりと心に穴があいたような気がして淋しい。


 Y君、君は小学校の頃あまり勉強は好きではなかったけど心が大きくておだやかでみんなに好かれていたよね、それに工作や絵が好きで細やかで美しい作品を作ってみんなを驚かせていたな。君が作った俺たちのあこがれのゼロ戦の見事な模型のことを今でも鮮やかに思い出すよ。それに山遊びが好きでキノコや美味しい木の実やヤマブドウやアケビのあるところにいつでも俺たちを案内してくれた。頼りがいのある友だったな・・

 長じて君は村のまたぎ(つきのわ熊を狩る仲間)の仲間に入り山の神の信仰や、狩りをする熊への祈りの行事などを興味深く俺に教えてくれた。それにひろろ(草の一種)を編んで見事な簑を作りしなの木の皮の繊維を編んで籠を作ったり、君の作品はみな実用的で美しい芸術品だったよね。

 長じては戦時中防空のための灯火管制の都合で途絶えていた歳の神のおんべの行事を若い者たちに教えて近年復活させるなど村の長老として尊敬されていることを聞いていたのに突然の訃報に俺は呆然とするばかりだよ・・

 君たち相次いで突然に逝ってしまってほんと淋しいけど、おれはもう少し遊んで楽しんでそのうち待っててくれてるだろう君たちのところへ行きたいと思っている。待っててくれよあんまりせかさないでそのうち俺も逝くからさ・・:

会津坂下軽トラ朝市の賑わいが嬉しくて

2015-09-21 | 日記
歳を忘れてコンデジ持ってとび歩きました



 軽トラ朝市は、軽トラの荷台を利用した楽しい朝市です。取り立ての野菜や果物、自家製の「ひしまき」や「やせうま」、缶詰やジュース、味噌や辛子、それに心を籠めて作った手芸品などを売り買いする楽しい市場です。







 朝市は量販店とは趣きがまるきり違うんです。売る人も買う人も笑顔で心の通い合う楽しい市場なんです。それに出店される方は地元の方ばかりで初市やお祭りなどで賑わう出店などは一切ありません。







 こんなお店もあるんですよ。「新鮮なコーヒー試飲出来ます」とあります。私はコーヒーなどインスタントとか缶コーヒーしか飲んだことがありません。入れ立ての本物のコーヒーは初めて頂きました。ブラックのコーヒーは薫りも味もすばらしく強烈でした。

 6回分の挽き立てのコーヒーの粉(私はコーヒーのことはなにも知りません)が¥500でした。息子に買って帰ろうと並んだんですけどすぐに売れ切れて買えませんでした。



 「会津辛味の里」ってありますね。いろんな香辛料のお店なんでしょうか、大きな唐辛子が並んでいます。このお店以外に人気があるんですよ。おばさんたちが集まっていました。

 

 人気の秘密はこれでした。優しい笑顔のヒゲのおじさんがいろんな楽しいお話していらっしゃるんです。おばさんたちに人気があるわけです。



 
賑わう朝市の様子を見て下さい








 いや~ 楽しい軽トラ朝市でした。あっちこっちぶっつかりながらカメラを持って歩きました。こうゆう時は夢中になって恥も外聞もなくなってしまう私です。

 最後はお若い綺麗なそして優しそうなおばさんのお店で「やせうま」(草餅であんこを包んだまんじゅう)一包み¥300を二つ買って帰りました。お店のメニューには、5月おこわ¥250、おはぎ¥250、やせうま¥300でした。やせうまは美味しかったんですよ。お店を出すのに自慢の郷土料理作りお二人は朝早くから大変だったんでしょうね。



ほんと軽トラ朝市は楽しかったです。少し疲れましたけど。