さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

子供の遊び この指止まれ

2014-09-30 | 日記


 夕焼けの美しい秋の道で遊んでいた子供の一人が突然親指を立てた握りこぶしを空に突き立てて叫ぶのです。「なんとなんとかこの指止まれ」・・・

 
(なんとかなんとかはどんな言葉だったかは忘れました)

 すると、別の子供がその親指をしっかり握って自分の親指を立てて叫ぶのです。「なんとなんとかこの指止まれ」・・・

 そして男の子も女の子もみんな自分の親指を立ててその親指に止まって握り拳の太い綱が空に伸びるのです。

 そして、子供たち全部のこぶしがつながった時「わぁ~っ」とみんなで夕焼けの空に叫んでこぶしの綱を解くのです。

 
遠い遠い昔、こんな子供の遊びありましたね。懐かしいです

豊穣の秋が輝いて美しい

2014-09-28 | 日記
 けども、今農村の集落も圃場も静です。



 うちのばばちゃん(家内)はたくさんのばばちゃんのお友達を持っています。町営温泉糸桜里の湯からの帰りばばちゃんはしみじみとわたしにいうのです。

 今、農家のばばちゃんたちがいってるよ。「今年は米の値段が安くって困っている。それに安い国民年金ではお金が足りずに細かい所まで倹約しながら暮らしていかなければならなくなった」・・農家のばばちゃんたちはみんなこぼしているみたいだよと。

 秋の刈り入れの進む広い坂下町の圃場です


 20年くらい前まではそれぞれの農家に小さいコンバインがあって50歳前後のご夫婦を中心に家族の人たちが力を合わせて稲刈りの仕事が進んでいて圃場は賑わっていました。
 それが今は、この広い圃場には遠くに小さく見えるコンバインを含めてわずか2台しか作業していないのです。それでも稲刈りが始まったと思って10日もするとほとんどの圃場の稲刈りは終わってしまうんのです。

 近頃の農業の耕作機械の進歩はすばらしいと思います。ブルドーザーやそれに装着して使う機械にしても、田植え機にしても、コンバインにしてもみんな大型化し、作業のスピードがすごく速くなっているようです。それだけに機械の価格も高くなりそれぞれの農家で大型耕作機械は持つことは出来なくなっているんだと思います。





 田植えにしても、稲刈りにしてももう農村には昔のように多くの人手は入らなくなっているんですね。機械を操作運転するご主人と、収穫された籾を軽トラで大型の籾乾燥貯蔵施設のカントリーエレベーターへ運ぶ奥様のお二人だけで稲刈りの作業は進んでいるようです。もう農村には多くの人手は入らなくなっているような気がします。





 この写真は金上の二瓶さんご夫婦の作業風景です。撮影もブログに掲載投稿することも許可を頂いております。


 この写真では稲刈りの休憩時に昼食をご3人でとっていらっしゃいます。コンバインが横から撮影されていますから大型化されていることがよく分かります。



 3人の方で作業が進めれているようですけど、そのうちお二人は圃場の持ち主のご夫婦で、お一人は稲の刈り取りを頼まれて作業をなさる大型コンバインのオペレーターの方なのではなかろうかと思われます。いまの農村集落ではおおざっぱに見ると四つに別れているように思います。

 (1)大型の耕作機械を使って自分の圃場はもちろん委託された圃場の稲作を経営し、依頼された田植えや稲の刈り取り作業などもなさるごくごく少数の大規模経営の純農家の方。

 (2)稲作を中心にして農業を経営なさっていらっしゃるけれども、田植えや稲刈りの作業だけは大型の耕作機械をもっている方に依頼なさる方。

 (3)自分の農地の水田は全部大型経営している方に依頼し、自分は会社なり商店なりに勤めてサラリーマンをなさってる方。

 (4)集落に居住しているだけで農業には全く関係のないかた。

 そして心配なのは稲作なり畜産なりをしていらっしゃる農家の方はほとんど50台以上の方が多くて40台以下の方が極めて少ない、つまり農業関係の後継者が少ないように思えることです。

 今、農村は大きな曲がり角に立っているように思えます。そんな遠い将来のことではなく、10年後20年後の農村がどうなっいるんでいるんでしょうね。「お米の値段が安くなって困っている」そんな声が私の耳にも入っています。

 でも、私の住んでいる農村の集落では生活保護を受けたり、なんの職にも就かない引き籠もりの人など一人も聞いていません。農村には立派な伝統があって皆さんたくましくそれぞれの立場でいきいきと心豊かに生きていらっしゃいます。

 私には未来の農村がどのように再生発展するのか分かりません。でも、20年後30年後にはりっぱな農村になると信じているんです。農村の人はたくましいんです。いまだって皆さん心豊かに生きて暮らしていらしゃるんですから。それを楽しみに生きて生きたいと思っています。

秋空に輝いて咲くこの花を

2014-09-27 | 日記
 私はアメリカイモと呼んでました。



 懐かしい花なんです。本当はキクイモといううんでしょうか。繁殖力の旺盛な花なんですね、堤の土手などに群落になって咲き誇っているこの花をみると幼い頃の思い出がよみがえってくるんです。

 私が小学校1年から5年まで暮らしていた山峡(やまはざ)の9軒程の小さな聚落小立岩にもこの花を栽培している家がありました。根につく芋を漬け物などにして食べていたようです。友達の家で食べさせてもらった記憶がありますけどカリカリとして香り高くおいしかったように覚えております。成人して思い出しアメリカイモを漬け物にして食べて見ましたけど、繊維質て固くて食べられませんでした。当時の人は上手な漬け方を知っていたんでしょうね。

 子供たちはこのアメリカイモの茎を分けてもらって肥後の守という小さなナイフ(その頃の子供たちはこのナイフをみんなもっていてピカピカに研ぎ澄まして使っていたのです)で茎を15cm程の長さに切って茎の蕊(ずい)を手頃な細い木の棒で押し出して遊びました。すると、真っ白な細くて丸いスポンジのような蕊がぬけるのです。

 当時は今のようにいろんな形のプラスチックなどありませんでしたから、その丸くて細い真っ白なスポンジをとても美しい物に思えたのです。それはなんの遊びに使う物ではありませんでしたけど、ただその蕊の形や長さや美しさを友達同士で競い合って楽しんだのです。

 なんの特別な遊びもない昔の子供たちはこんな素朴な遊びにも楽しみを見つけていたんですね。秋の空に咲き乱れるアメリカイモの美しい花を見ながらそんな幼い頃の昔を懐かしんでいる爺意でした。

スギヒラタケきれい それはおいしい秋の味覚でした

2014-09-26 | 日記
 


 私の古里奥会津只見では、スギヒラタケをスギモダシと呼んでいました。
 「さんたろ、裏の杉林に行ってスギモダシを採ってきて・・」幼い私に母は言いました。スギモダシは子供でも手軽にとれて味噌汁に入れるとおいしいキノコでした。

 10年ほど前までは爺いの私とばばちゃんの家内は秋になるといつもスギモダシを里山から採ってきて味噌汁に入れて秋の味覚を楽しんでおりました。それは古里只見を懐かしむ味わいでもありました。

 それがどうしたことでしょうか、2004年のころ日本海側の9県でこのキノコを食べて急性脳症の中毒を59人もの人がおこし19人もの人が亡くなったと報じられスギモダシは恐ろしい毒キノコとなったのです。おいしいと思っていた秋の味覚が突然に猛毒のキノコに変わったのです。なぜなんでしょうか?・・原因理由は分からないんだそうです。

 怖いですね、爺いの私も、ばばちゃんの家内も、もう10年もこのキノコを食べていません。あんなに手軽にとれて、あんなにおいしかった秋の味覚のキノコだったのにです。

 取り上げ峠の登山道の杉林の中にたくさん生えているスギモダシを見ながら、古里只見では遠い遠い昔から親しんできたキノコなのになぜなんだろう、食べる気はもうしないけど世の中変わっていくんだなとしみじみ思いながら山の道を登りました。里山のキノコは放射能汚染の心配があるから採らないようにしましょう。そんな声を聞いたようなことも思い浮かびました。

 ナメコもブナシメジもマイタケもシイタケも今は全部栽培物をスーパーから安い値段で購入し食べています。でもこの前古里の友人から山の自然ナメコを頂いて食べながらスーパー産のナメコは味が薄いなとばばちゃんと話し合いました。山の自然ナメコは大きさも不揃いなんですけど味に深みがあるんですよ。ほんとうにおいしくて、それに人の心があるように思えるんですけど・・どうなんでしょうかね・・