さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

しとしとと雨降り続く寒い秋

2015-08-31 | 日記


 連日の36 ℃の酷暑の夏がやっと終わったと思ったら、とたんに涼しさを通り越して寒々とした冷たい雨の日が続いています。朝はストーブを焚いて食事をしています。

お隣の集落も出穂している圃場も冷たい雨で霞んでいます



いつもの散歩道にはセンニンソウが雨に濡れて鮮やかでした



 さわやかな秋晴れの日が早く来ないかと待ち遠しいです。秋雨前線が日本列島を通っているんでしょうね。



※ネットで見て見たらセンニンソウって綺麗な花ですけど毒草なので注意とありました。馬も牛も食べないんだそうです。でも木曽地方では扁桃腺の民間治療に使われるているそうです。
http://www.cnet-kiso.ne.jp/h/harahiro/kiso/senninso.html

会津坂下はいい町じゃ 輝くような町なんじゃ

2015-08-29 | 日記
 私のブログに「猪俣公章の墓」と検索してお出でになる方がときおりいらっしゃるんです。
 街通りを散策していたら「猪俣公章の墓所」の案内表示が眼についたので今日は猪俣公章先生の墓所を訪れて写真を撮ってブログに投稿してみようかと思い立ちました。前に1度投稿したことがあるんですけど、そのときは深い積雪に墓所が埋もれていたのであらためて撮り直して投稿してみようと思ったのです。



 猪俣公章先生のお墓のある法界寺の山門です。お墓は山門を入ってすぐ左側にあります。
「猪俣総本家之墓」とあります。





 
猪俣家墓誌を見ると最後に「吟仙院英公居士」とあって
平成五年六月十日 十一代佐平治公章五十五歳とあります


 墓誌を見ると佐平治は猪俣総本家歴代の当主に受け継がれているお名前のようです。猪俣公章先生は猪俣総本家の十一代めのご当主でいらっしゃったんですね。本名は公章(きみあき)とおっしゃったんですね。


 法界寺には会津戊辰戦争のおり娘子隊(じょうしたい)隊長として若松入口で西軍を迎えうち銃撃を受けて倒れた中野竹子の墓もあるんです。一緒にお参りいたしました。


 法界寺の寺町通りを西にしばらく行くと会津坂下ご出身の斉藤清画伯の墓所のある光明寺があります。



 斉藤清画伯は独学で絵を学び独自に木版の技法ほ確立され世界各地に版画を出品され多くの賞を得られた世界的な版画家だと聞いております。晩年は会津にお帰りになってたくさんの会津の冬の作品をお作りになりました。
 
会津柳津町には斉藤清美術館があってすばらしい版画の数々を鑑賞することが出来ます



JR会津只見線坂下駅前の広場には春日八郎先生(坂下町民はみなそうお呼びしております)の銅像がありま。


 町から2km程の所にある別れの一本杉のあるところには春日八郎記念公園と春日八郎思いで館があります。


 春日八郎先生はご出身の坂下町への思いを深くお持ちで出身校にピアノをご寄付なさったり校歌を作曲なさったり、坂下町民歌や坂下音頭を作曲なさり自から吹き込みもなされ町民の敬愛を受けております。だから坂下では皆春日八郎先生とお呼びしているんです。

 
町の台の宮公園の近くには小林五浪記念館があります


 小林五浪先生は若い頃から日本美術院展に入選なされ数々の受賞をなされた有名な画伯でいらっしゃいます。
 

 記念館ではすばらしい画伯の作品を鑑賞することが出来ます。窓口には画伯が若松第一中学校の教師をなさっていらっしゃった時の教え子だとおっしゃる美しく気品のある女の方いらっしゃっていろいろお話をお聞きすることが出来ました。先生は度々院展で表彰を受けていらっしゃる有名な画伯でいらっしゃるのにそんな尊大な様子など全くお見せにならない地味で優しい先生でしたといってらっしゃいました。


 最後に、これは人間ではなくて格子作りの静かな美しい建物です。広木酒造本店です。まぼろしの酒として有名な「飛露喜」醸造蔵元です。


 
広木酒造本店の入口にはいつもこの張り紙がしてあります



 広木酒造の現社長はもと家業の醸造に興味をお持ちでなく大学は醸造とは全く関係のない学部で学び、卒業後も醸造とは全く関係のない会社で仕事をなさっていたんですけど父上の急死でやむなく家業の酒造を引き継ぐことになり、若いスタッフの杜氏たちと新しい酒の醸造を研究しついに新しい日本酒「飛露嬉」を作り出したと聞いています。

 私はアルコールアレルギーなので酒には縁がなく興味もないんですけど、飛露喜は限られた数量しか醸造されずなかなか手に入らないまぼろしの酒として有名なんだそうです。
 よく私は坂下町ですというとああ飛露喜の町ですね。縁故を追って手に入りませんかなどと言われとまどうこともあるんです。

なお、広木酒造は有名な陶芸家板谷波山の奥様のご実家でもあると聞いております。

 いや~・・ お国自慢が始まると止めどがありません。なんか自分のことではないのに誇らしい気分になるから楽しいです。今日は楽しいいい日でした。

「由々しき杉の夢」を見て山に行きました

2015-08-26 | 日記
 
取り上げ峠の古道に樹齢2-300年もあろうかと思われる杉の古木があるんです



 一瞬の夢に「由々しき杉」という声を聞いて眼が覚めました。夢の中「で由々しき」ってどんな意味があるんだろうと自分で自分に問いかけているんです。なぜそんな夢をみたんでしょうか不思議です。

 近頃、自分の年を思い惑い少々鬱気分になってなにかしょうとする気力が湧かなかったんです。でも夢に目覚めたとき私になんか気力が満ちているような気がしたんです。どうしてなんでしょうか不思議です。

 
私は昼食を早めにとって11時30分頃山に向かいました。





 峠道の頂き近くの道に熊さんの糞を見ました。野生の熊とかテンなどは自分のテリトリーを主張するために目立つ所に糞をすると聞いています。愛犬マルが元気だった20年ほど昔野生が強く残っているシベリアンハスキー犬のマルに案内されてこの道でテンの姿に合いました。昨年はスキー場の頂きの道で、一昨年は尾根道の倒木の上にテンの糞を見ました。この道で熊の糞を見るのは2度目です。



 ああ、この道に熊さんもカモシカさんもテンもいるんだと嬉しくなりました。1ヶ月ほど前に教育の森の炭焼き小屋の前の広場にカモシカの親子を見ているんです。

 近頃、町の放送で近くの山に熊が出没しているので気をつけましょう。山に入るときは熊よけの鈴か携帯ラジオを持ちましょうなどながしています。

 そうだ、熊さんにあなたのテリトリーに私が来ていますと挨拶をしなければと思いました。「えっへーん」大きな声でときおり咳をしながら道を登りました。私も山太郎、熊さんに親しみを感じこそすれ怖い思いは全くおきないんです。困ったものです。古里只見には秋田またぎの伝統があって私の小学校の同級生の中にもまたぎの仲間がおりました。わたしにもそのDNAがあるのかも知れません。

 歩きなれたいつもの尾根道です。ゆっくりと尾根道を楽しみました。スキー場の頂きから少し降りた眺めのいいところに腰を下ろしてゆっくりとスポーツドリンクを飲みました。雲の切れ間からさあーっと日が射して集落を照らしていました。美しかったです。


 下り道でまだキキョウがいっぱい咲いていました。キキョウの花期は長いんですね。私は住みきった心で山を下りました。「私は今を生きている」なんかすがすがしい気分で鬱はすっかり消えていました。やっぱり山はいいですね。山は私の命です。