さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

 今日は楽しい遠足です。ルンルン

2015-01-31 | 日記
 
昨日思い立ってJR会津只見線の終着駅川口まで行ってきました

 カバンの中にはコンビニから買ったサンドイッチと牛乳にスポーツドリンク、それに標準ズームレンズののついたミラーレスと、ちょっと重いけど中望遠レンズが入っています。腰のバンドにはケースに入った愛用の軽いコンデジをつけています。

 ばばちゃん(家内)はミカン3個と干し柿2個を車内で食べるようにとカバンに入れてくれました。爺いはまるで小学校の子どもの遠足の気分です

 会津只見線は会津若松から奥会津'只見を通って新潟県小出市に至るローカル線ですが、4年前の奥会津豪雨で川口只見間の橋梁が4っも被害を受け復旧しておりません。したがって会津'只見線の終着駅は川口なっていて川口只見間は代行バスが運行しています。

 川口行きのジーゼルカーは坂下を8時25分に発車します。ホームで列車を待っていると三輛編成のジーゼルカーがやってきて100人は越すと思われる元気な高校生が降りてきました。県立坂下高等学校と会津農林高等学校の生徒さんです



 うむ~ わが町坂下も捨てたもんじゃないんだ。立派な高等学校が二つもあって総合病院の厚生病院もある、そこに通う人たちで会津只見線は生きているんだと嬉しい気分で乗車しました。ところが三輛編成のジーゼルカーの乗客は高校生が降りてしまって私を含めて3人だけでした。


 でも、車内で書いたメモ帳にはこんなことが書いてありました
車内は綺麗、心地よい暖房、殿様気分じゃ・・」
「嬉しくて見慣れている塔寺の景色が別の世界に見えている」


 私は窓にへばりついて外の景色をながめ、少し窓を開けてコンデジのレンズを外にだしてシャッターを押していました。






 1時間15分の'楽しい旅でした。終着駅の会津川口です。この三輛編成の列車から降りたのは私と熟年のおばさんの二人だけでした。


 
駅の外は雪の川口の'町でした



 三階の家の前を通る道は「カラムシ織り」と「カスミソウ」で有名な昭和村へ行く道です。こちらの道は奥会津只見に行く道です。坂の上に立派な金山町の中学校の校舎が建っています。
 
 かつて金山町川口は会津'若松からの国道が昭和村方面と只見方面とに別れる分岐点で小さな宿場町のように旅館や飲食店がならんでいる賑わっている町でした。車で通っているときはただ通り過ぎる町だけれども今日はゆっくりと散策出来る。駅を出た私は嬉しくてルンルンしていました。 

川口の町はひっそりと静かでした

2015-01-31 | 日記
 
会津川口の駅です。ローカル線の駅としては大きい駅です

左からJA(農協)、中央が駅舎、右が郵便局になっています




 国道沿いの町通りは静かでした。車社会の今、隣の集落に立派な道の駅が出来たことも影響しているんでしょうね。かつて賑わっていた旅館や飲食店や買い物客がいっぱいの商店やが見当たらず町通りは静です。



 
金山町川口は奥会津只見ほどではありませんけど雪深い町です



 そして川口は土地が狭く国道沿いの家は別ですけどほとんどの家は昭和村への急な坂道に密集しています







 
金山町の役場庁舎です。小中学校と一緒に高台の台地の上に建っています。立派ですね





 
ユニークな楽しい建物県警の川口駐在所です



 
そして坂の上には昭和村への道の道沿いにもう一つの集落がありました



 私はこんな川口の'町を1時間30分ほどゆっくりゆっくりと散策しながらたくさんのカットを撮り満足して駅に帰りました。見るものすべてが新鮮で心惹かれました。

残された命燃やして生きていこう

2015-01-31 | 日記
帰りは12時33分発の三輛編成のジーゼルカーに乗りました。ところが乗客は熟年のおばさんと私の二人だけでした。少々疲れてもいましたし、ローカルの会津只見線をどんな人たちが利用しているかに興味があったのに三輛編成のジーゼルカーに行きも帰りもわずか2~3人しか乗っていなかったのに気落ちしてちょっと暗い気持ちになりました。

 古里只見の友人にこんなことを聞いたことがあります。
 いま、山あいの町や村は急速に消滅への道を歩んでいるような気がする。子どもや若い者がどんどん減少して山あいの村は老人ばかりになっていく。まじめで有能な少年が家や村を守ろうと家を継いで一生懸命がんばって来たけど今は50歳になってしまった。でもお嫁さんは誰もきてくれません。広い家の中で独り囲炉裏の火を燃やして座っている。親孝行した父や母は年老いてもう亡くなってしまって本当に独り身のわびしい暮らしをしている。そんな人があちこちにいるのが今の山あいの集落の現実なんだよと。


 そんなことを思い出し帰りの車内で私は昔映画で見た深沢七郎原作の東北の神武(ずんむ)たちを思い出し心が暗くなりました。そしてこんな暗い思いをするローカル線の旅のまねなんかもう止めようかとも思いました。

 でも家に帰って思うのです。私は昨年の11月古里の大事な弟を癌で亡くして自宅で葬儀をおこないました。それは本当に心の籠もった葬儀でした。集落の人たちは皆さん熟年の方ばかりでした。でもそれぞれの家のご主人も奥様も爺ちゃんも祖母さんも皆さんお揃いで葬儀を手伝ってくださったのです。本当に涙を流して弟を送ってくださったのです。

 またついこの間、家内の兄の義兄がなくなりました。子どもたちはみな都会でくらしていてそれぞれに孫も大きくなって爺さんとばあさんになっている。義兄の家内は独り身になったけど今更都会に出て知らない土地で暮らすのを拒んでしばらく独りで暮らすことにしました。うちの家内が電話で毎日のように話しあっているんですけど「さみしくなんかないよ、毎日たくさんの友達がきてお茶のみを楽しんでいる」といっているそうです。

 奥会津の集落には美しい心が生きている。そして美しい四季がある、野の花が美しいし秋の紅葉が美しい。私の残された命はもうそう長くはない。たとえ乗客が少なくてもいまローカルの会津只見線は生きている、そうだ私ももしっかりと残された命を生きてこのローカル線で山あいの集落を訪ね人々の生活を見ることを続けよう、そして美しい山あいの四季を楽しんで行こう。いま私は密かにそう思っているんです。88歳の私は今は78歳なんですから大丈夫なんです。。

明日はJRの会津只見線を楽しんで来ます。

2015-01-29 | 日記
 

 JRに乗るのは50年ぶりです。終着駅会津川口の雪景色はどんなかな、どんな人に会えるのかな楽しみです。

 懐かしい奥会津弁が聞けるかな? 今の奥会津の人より私などのように60年近くも昔に古里を離れたものの方が古い奥会津弁を話せるんですよね。今の奥会津の人たちは交通の便が良くなって他の地方との交流が密になったことや、テレビの影響や、学校での教育などでずいぶんと共通語化され奥会津弁が消えています。

「しなた、どこさいんぎゃるや~」
 これは敬語です
「あなたはどこへお出でになりますか」という敬語の言い回しです。
 親しい友人の間なら同じ意味がこうなります。
 「にしゃどこさいぐ」
 いま坂下でこんなこといったら馬鹿にするなと激しく叱られます。絶交されるかも知れません。にしゃ(君は)という言葉は坂下では相手に対する最大の侮辱語なんですから。
にしゃ(おぬしのなまり)は昔の奥会津弁では相手に対する最高の親しみの言葉なんですけどね・・

 もうこんな言い回しは死語で使えないと思います。でも楽しみに使って見ようかな、若い人たちはたぶん驚いてきょとんとすると思いますよ。

 さあて明日が楽しみです。

 あっち見てこっち見て 今日の散歩が楽しくて

2015-01-28 | 日記
 ちょっと雪が降っていましたけど、少し日が長くなって来ましたので午後3時過ぎ町通りを1時間ほど散歩しました。中央公民館前の広場には赤いバルーンを掲げた乙女の像がありました。奇麗でした、心が澄んできました。


 町通りに出て美味しいものを食べさせてくれる料理屋さんの前にくると玄関の前に打ち出の小槌を高く振り上げた大黒様の石像がありました。かすれたような白い線は降っている雪です。



 
うむ~・・私はお金が欲しい
さっきの澄んだ心などどこへやら大黒様にお祈りしたくなりました。宝くじでも買ってみようかしら


 
困っちまいますいつまでたっても悟りきれずに揺れ動く爺いの心です