さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

晩秋の散歩道 遠く遠くまで

2018-11-30 | 日記
寒々とした道を私はひたすら歩むんです




1・2・3・4・5・6・・99・100、そしてまた1・2・3・4・5・6・・99・100と数えながら6000歩、野の道の小さな移り見つめながら歩くんです。心の陰りが晴れるまで・・・・

飯豊連峰(いいでれんぽう)の冠雪輝いて

2018-11-27 | 日記


晩秋の日本列島が移動性高気圧に覆われて空気が澄み切ったんですね、飯豊連峰がこんなに綺麗に見えるのは本当に珍しいことなんですよ。

連峰の右端が飯豊本山(2105m)、左の端が大日岳(2108m)その中間あたりがお花畑が美しい御西岳(2012m)です。

私も若い頃、夏休みに中学生だった息子たち二人と飯豊に登山し本山から大日岳への縦走を楽しみました。お花畑が美しかったんですよ。下山して帰ったら集落の古老の方からお山参りに行ってきたんですねと言われました。

飯豊山は信仰の 山なんです。昔はは集落の若者が数えで16歳頃になると集落の神社にお籠もりして近くの流れで身を清め先達に連れられて飯豊本山に登拝して一人前の集落の成員として認められたと言われております。

写真は「会津坂下の伝説と史話」の著者井関敬嗣先生がお若いころ飯豊登拝をした時の記念写真です
会津坂下町の伝説と史話の中に掲載されていました


遠い昔、飯豊本山は女人禁制(にょにんきんぜい)で女の人は登山口の入口までしかいけなっかったんだそうです。そのおきてを最初に破ったのはなんと会女(会津女学校)を卒業したばかりの18歳の娘さんだったと言い伝えれております。
(会津坂下の伝説と史話 井関敬嗣先生著参照)

  
厳しい父親に当時の女の道を厳しくしつけられていた娘さんでしたがしっかりした意志持っていて大正4年(1915・103年ほど昔)の8月密かに準備して一人で飯豊登山を決行したんだそうです。それを見た登山口の人たちはあの娘は自殺するつもりで山に入っていくんだ、山に入れば必ず神の怒りをうけ死んでしまうと 言い合っていたそうなんです。ところが元気いっぱいで下山してきた娘をみて唖然としたと言い伝えられております。

秘密にしていた登山でしたがすぐに父親にばれてしまい、激怒をうけ勘当をいいわたされました。しかし叔母たちの必死の願いで勘当だけはなんとか許されたんだそうです。

100年も前の昔のことです。遠い昔から厳しく守られてきた女人禁制を18歳の女性が初めて破った。すごい人ですね。


いや~、興に乗って余計なことまで書いてしまいました。