さんたろう日記

 91歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジ持って残りの日々を楽しもうと思っている爺いです。

新鮮なりんごに野菜 温かい心いっぱい頂いて

2017-10-28 | 日記


リンゴはKさん、野菜はYさん、みんなばばちゃん(家内)の友達からの届きものです。このほかにもYUさんやNさんなど、皆さん仕事帰りに畑から直接家内に届けてくださるんです。

ばばちゃんは温かい心の通う友人がいっぱい、固定電話の通話料が毎月○千円です。ほんとにたまにですけども私を訪れてくれる人がいても私よりしゃべりまくって会話を楽しむばばちゃんです。

完全に私の負けです。独りを好み社交性に欠ける私はそんなばばちゃんはすごいと思っています。残念ですけど私の家はばばちゃんで持っている、私は常々そう思っています。

テレビ朝日帯ドラマのトットちゃんでトットちゃんの父のバイオリニストの守綱と母の朝の新婚時代、守綱は朝を愛するあまり演奏の仕事に出る時、朝を部屋に閉じ込めて鍵をかけてしまいます。でも朝はさらりと外窓から出てしまいたくさんの人と会話を楽しんで守綱が帰って来るときにさっさと窓から部屋に帰ってそしらぬ顔で守綱を迎えました。私はて面白くって笑ってしまいましたけど心密かにうちのばばちゃんはトットちゃんの母の朝にどっか似てるんじゃないのか?・・なと思いました。

あらまた余計なことを書いてしまいました。恥も外聞もない困った爺いです。
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遠い日の懐かしい思い甦らせて

2017-10-27 | 日記
エリーの墓に赤い花白い花が輝いて咲きました



エリーは柴犬とラブラドールレトリバーのミックス犬(♀)でした。知人の家から譲って頂いて私の家の家族になりました。家族になって一週間ほど過ぎた頃でしょうか赤い首輪をして紫色のリードをくわえて遊んでいました。可愛くて元気な子どものエリーでした。

  
二歳の誕生日です。「食べた~い」と言っているのに「まて、火を消してから」と私にいわれて「はやく~」と大きな口をあいていました。



雪が大好きなエリーでした。「おいで」と呼ぶと全速でとんでくるエリーでした



エリーは水遊びも大好きでした。水辺で「泳ぎた~い!」と私の顔を見るので[洗ってこい」というと大喜びして水に飛びこんで泳ぐエリーでした。そして「あがってこい」と呼ぶとすぐに上がってくるエリーでした。




私はエリーに特別言葉を教えることなどしませんでしたけど、いつも話しかけながら散歩していましたからでしょうかエリーは左だよ、右だよ、上だよ・・先にいってなさい・・など私の言葉をみんなわかっていました。ですから広くて誰もいない川辺の野原などではリードは必要ありませんでした。安心してリードを放して自由に遊ばせることが出来ました。



もちろん人のいる場所、あるいは人のいる可能生がすこしでもある場所ではいつもリードを短くもってきちんと左側につけて歩きました。言葉も基本的なしつけの、すわれ・伏せ・マテ・つけ(左にきちんとつけ)・だめ・などは幼いうちにきちんとしつけました。






今考えると私のエリーの食事管理が間違っていました。犬は犬で人間ではないのに人間のように錯覚していたのです。食卓も爺とばばちゃんと一緒にエリーは並びました。おやつも一緒しました。台所で家内が仕事を始めるとエリーは行儀良く家内のそばにお座りします。すると肉片などがもらえるのです。外では厳しく家では甘やかしてしまったのです。盲導犬のしつけなどを読めばよかたのにそれをしませんでした。そのためにエリーに本当に可愛そうなことをしてしまったのです。エリーをとんでもない肥満犬にしてしまったのです。

それが原因だと思うんです。8歳になった頃エリーは急に元気がなくなってしまったのです



そしてわんにゃんクリニックに車で通うようになりました。でもその原因が分からずどんどん弱っていきました。車に乗るエリーです。



一ヶ月ほどしてついには昼間はわんにゃんクリニックに入院して治療していただき、夕方家に帰って私の寝室の布団の脇に小さな布団を敷いて私と一緒に眠り次の日の朝またわんにゃんクリニックに入院する日が一週間ほど続きました。私も家内も涙を浮かべてどうか助けてやって下さいとわんにゃんクリニックの先生にお願いしました。先生ご夫婦も本気で治療に当たってくださいました。

ある日のこと夕方迎えに行くとエリーは割と元気でクリニックのまわりを散歩してから車に乗りました。エリーは家に帰って自分の布団の上で静かに眠りました。私は大丈夫と思って離れて家内と食事をしてエリーのところに行ってみるとなんとしたことかエリーは大量に吐瀉して死んでいたのです。大声で家内を呼びました。家内は一瞬呆然としていましたが、大声で泣きながらエリーの体をさすりましたがどうにもなりません。

エリーはほとんど食欲がありませんでした。それでクリニックでは大量の流動食を胃に何らかの方法で注入したんだと思います。エリーは家に帰って誰もいない寝室でその流動食を大量に吐いて呼吸が出来なくなって窒息して死んだのだと思います。

私と家内はエリーの体を綺麗にしてエリーの布団を茶の間に敷きエリーを寝かせ毛布を掛けて一晩通夜をしました。

私は会津若松市の東山湯川の奥に正雲寺という大きな寺があってペットの供養と火葬もしてくれると聞いていました。翌日家内と私はエリーを連れて正雲寺を訪れました。私も家内も無言でした。喪服こそ着ていませんでしたけど大事な家族エリーの葬儀でしたから。





寺ではエリーをお棺に入れ祭壇に載せ経をあげて火葬に送ってくださいました。私は[エリー」と声をしぼって最後の呼びかけをし抱きしめてしめてエリーを送りました。涙が止まりませんでした。エリーは薄い紫煙になって正雲寺の裏山の空高く登っていきました。立派な骨壺の中の骨になってエリーは家にかえり茶の間の台の上に写真と一緒に安置されそれから二ヶ月爺とばばちゃんと一緒に食事をし香をあげました。私はそれから数週間エリーのいない散歩道を独り泣きながらエリーの名を呼び散歩しました。

あれから10年ちかく過ぎた今はもう悲しみではなくてしみじみと懐かしく思う私です。エリーの墓の鮮やかな赤い花白い花はエリが明るく私に呼びかけているように思えるのです。「エリー綺麗に咲いてくれて有り難う。」そのうち一緒に虹の橋を渡ろうね、私は密かにエリーにそう呼びかけているんです。
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台風一過 澄み切った秋空が綺麗でした

2017-10-24 | 日記
畑中に一本みしらず柿(身不知柿)がたわわです



大きな被害を各地にもたらした台風22号も会津ではほとんど被害がなく通り過ぎました。
今日は久方ぶりの爽やかな青空に心浮き浮きした楽しい散歩でした。秋も深まってあちこちのみしらず柿が色づいていました。

写真の柿は自家用の柿ですね。摘果されず太い木の枝がしなるほど実をつけています。

今会津の果物店の店頭には和歌山や山梨から送られてきた甘柿の富有柿が並んでいます。会津のみしらず柿は渋柿です。二重の段ボール箱につめて焼酎をかけて2週間ほどすると渋がぬけて甘柿とはひと味違った深い甘さの美味しい柿になります。私の大好きなみしらず柿です。

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秋雨の銀杏に黄葉が少し見えました

2017-10-20 | 日記
冷たい野の道はもう晩秋ですよね

                                                    
今日はばばちゃん(家内)のデーサービスの日です。車で迎えに来てくださった女の方に付き添われてばばちゃんは嬉しそうに車に乗って行きました。有り難いことです。ばばちゃんが明るく元気でいられるのは週2回のデーサービスのお陰なんですよ。

デーサービスの日はばばちゃんの出かける時間が早いので、食事の後片付けと食器洗いは爺いがすることになっています。「いってきます」というばばちゃんを私は迎えに来て下さった方に「お世話になります。よろしくお願いしますと」と挨拶して送りました。

私はばばちゃんの注意を突っぱねて不精した髪の毛が見事に長くなって芸術家風になってしまっていたのでなじみの「フレッシュ床屋」という理髪店に行くことにしました。

新しい理髪のスーパーみたいなお店で料金が安くて手際良くて早く終わります。そしてなによりも若い男の理容師さんが多いのです。やっぱり男の髪の処理は男の方がよくやってくれるのです。男の気持ちは男でないとよくわからないと思うんです。女の理容師さんにお任せして短く刈られてしまいあれれ俺こんな髪の短いおかしな頭の爺いだっけかとがっかりしてしまい、家に帰るとばばちゃんに爺らしくさっぱりして良かったと喜ばれたことがあるんです。その時は年甲斐もなく気落ちしたんですよ。なんか別な人間になってしまったような気がしたんです。

この理髪店は家から2kmほど離れた国道沿いの場所にあります。車ですとすぐそこですけど免許証を返納していますから自転車です。老体の私にはたくさんの車が連なって走っている国道沿いの歩道を自転車で走るのは危険ですしまた人の迷惑にもなります。それで人通りの少ない川沿いの道を行くことにしました。

そしたら、あらま、銀杏の木の一部が黄色になっていました。昨日から今朝にかけて冷たい雨でしたから。ああ晩秋になるんだなと思いました。

この銀杏の木は雌の木なんですよ。晩秋銀杏の葉が落ちる頃たくさんなっている銀杏の実が落ちます。銀杏の実は美味しいんですよね。でも果肉のついたぎんなんの実はすごい悪臭がします。ですから大人になってからはぎんなんの実は拾いません。子供の頃はぎんなんの実を拾ってきて土に埋め果肉がくさった頃掘り出して果肉を洗って綺麗にして母に届けて喜ばれました。

理髪を終わって家に帰って食事を調えて独りで食べました。自分の好きなものだけを調えて食べる静かな独りの食事もたまにはいいもんですよ。

食事が終わって耳の遠い私はイヤホンをつけて私の大好きなテレ朝日系のトッとちゃんを見ました。とっとちゃんの子役もまわりの人の演技も素晴らしくて毎回じーんと心にくるものが私にはあるんですよ。

今日は15回目です。トッとちゃんは「ともえ学園」の2年になりました。トットちゃんの大好きで頭のいい友達の郁夫君は小さい頃小児麻痺を患っていてからだが自由にならないのです。とっとちゃんはみんなが木登りして楽しむ学園の庭の木になんとかして郁夫ものぼらせようと二人で苦労するのですが成功しませんでした。でも一学期が終わるころ気がついて梯子を持ってきて郁夫をおんぶして登りついに郁夫を木の枝にすわらせることが出来ました。

二人は並んで木の枝にすわりアメリカに留学している郁夫の姉に聞いたアメリカの話など楽しく話あうんです。そして郁夫はお礼にアンクルトムの物語の本をとっとちゃんに貸すのです。

夏休みが終わって2学期が始まると園長先生から悲しい知らせがありました。郁夫が夏休み中に入院してなく亡くなったというんです。とっとちゃんはみんなと郁夫の葬儀に列席して献花をしてお別れするとアメリカから帰ってきた郁夫の姉さんから郁夫は手紙でとっとちゃんのこといつも楽しく知らせてくれました。亡くなる二日前にはとっとちゃんに助けれて木に登ることができ木の枝にならんでいろんな話をしたことがとても嬉しかったと話していました。そしていつかまた必ずとっとちゃんと会えて話すこと出来るんだと言っていたよ。と聞いてとっとちゃんは大声で泣いて「郁夫君必ず必ずいつかまと会おうね」と叫ぶのでした。

来週は真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まります。おそらく来週からはとっとちゃん役の人が変わるような気がします。どんな展開になるんでしょうね。楽しみのような怖いような気持ちです。

来週は大型で強力な台風近づいて大荒れの天気になりそうです。写真など撮れそうにありません。NHKの復古の朝ドラ「花子とアン」そして「とっとちゃん」を楽しんで我慢します。それに佐藤愛子氏が88歳から91歳にかけて書き上げた大作「晚鐘」があります。じっくりと読ませて頂くつもりです。こんな素晴らしい作品やドラマが身近にあるなってほんと私は幸せです。
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晩秋の野に夕焼けの空輝いて

2017-10-17 | 日記
遠い日の思い1が甦りました



夕焼け小やけの赤とんぼ
負われて見たのはいつの日か

山の畑の桑の実を
小籠に積んだはまぼろしか

十五の姐やは嫁に行き
お里の便りも絶えはてた

夕焼け小焼けの赤とんぼ
とまっているよ竿の先

私は美しい夕焼けを見るといつもこの歌を思い浮かべて小さな声で歌ってしまうのです。

この歌は大正の末期(1925)頃作三木露風によって作詞され、昭和の 初期(1927 )頃山田耕筰によって作曲されました。みんなによく知られなじんでいる歌ですけども、古い時代の歌ですから今のお若い方にはこの歌の情景や心が充分には理解出来ない面もあろうかとも思い下手な解説をしてみます。

(1)夕焼け小やけの赤とんぼ
 この頃は夕焼けの美しい秋になると、暑い夏の間高い山に群れていた赤トンボが里に下りてきて空いっぱいに群れ飛ぶようなりました。片手の人指し指と親指でV字形を作り空に突き出すとすぐに赤とんぼが指に止まり指のV字を閉じるとトンボの足を捕らえて簡単につかまえることができました。帽子にも肩にもとんぼが止まるのです。空いっぱいの赤とんぼの群れでした。

(2)負われて見たのはいつの日か
 その頃は家に赤ん坊が生まれると、父や母は仕事に忙しいので生まれた赤ん坊を赤ん坊の兄や姉の背に帯で背負わせて子守をさせました。兄や姉がいなければ親戚や近所の女の子に駄賃をあげて背負わせて子守をさせました。この頃の赤ん坊は人の背に負われて大きくなりました。80歳でなく亡くなった私の三弟などは「兄貴の背中に負ぶさっていた頃を思い出すよ」とよく言っていました。

 裕福な家では貧しい家の7-8歳の幼い女の子をお金をだして子守りの姐や(下女)として雇い赤ん坊を背負わせて子守をさせました。ですからこの時代の子守歌は皆哀愁があります。幼い女の子の父や母を思うさみしさ哀しさが子守歌に現れるんですね。幼い娘を他人の家の住み込みの子守子にだすのは乏しい食料を補う口減らしの意味もあったんですね。

 でもこの歌の姐やは恵まれているように思うのです。子守子や姐や(女中)の仕事させるだけでなく、一人前の女としてしっかりと仕付け、それなりいいお家を撰んでちゃんとお嫁にだしているんです。ですからこの歌の子守子の姐やは自分が子守して育てた赤ん坊に深い愛情が湧いていたんだと思います。ですからこの詩の作者は姐やにおんぶされて赤とんぼを見たかすかな赤ん坊の頃の思い出や、姐やと桑の実を一緒に食べた思い出が美しいまぼろしのように思いうかぶんでしょうね。それに嫁にいってしまった姐やへの寂しい思いも歌われています。
 
(3)山の畑の桑の実を
 当時の農家の養蚕(蚕を飼って繭を作らせる)は現金収入の大事な副業でした。ですから山の畑などには蚕の餌になる桑がいっぱい植えられていました。夏になると桑の木には赤い実がなり、やがて熟して黒くて甘い桑の実になるのです。それは農村の子どもたちの美味しくて大事なおやつなったのです。私なども口を真っ黒にしておいしく食べた記憶があります。

 一時は絶滅してしまった?かと思ってしまった赤とんぼが昔ほどでもありませんけど今年は割と多く見られました。木の枝の先などに止まっている赤とんぼを見ると音痴の私ですけど誰も聞いてはいませんからメロデーにならないこの歌を小さ声で口ずさんだりするんです。

夕焼け小焼けの赤とんぼ負われて見たのはいつの日か、懐かしいいい歌ですよね。姐やへの懐かしい思いもあるんでしょうね。心にしみ入る歌の詩ですよねね。

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