さんたろう日記

 91歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジ持って残りの日々を楽しもうと思っている爺いです。

吹雪の中に柿の実の輝く赤が嬉しくて

2015-12-29 | 日記


今年も暮れて新しい年がすぐそこに
89歳の新しい年がすぐそこに見えてます


 楽しいこと、嬉しいこと、
やってみたいいろんなことも


ちょっぴりと悲しくさみしいことも待ってます
(ジジイにだってそれはあるんですよ)



 
そうです。せいいっぱいに生きていくつもりです
新しい年がすぐそこに輝いていますから・・

 
昨日の午後の散歩は吹雪の中のまほろば街道湯殿道でした。
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しばらくぶりの山の道

2015-12-27 | 日記
 落ち葉の道が嬉しくて



 ルンルン気分で取り上げ峠の道を登りました。家に帰ったような心なんですけども静かなほんとに静かな私独りの山の道でした。 

 しばらくは薄暗い杉の林の道を登りました。たれも・人も・熊さんももう通りませんから道は枯れ草や杉の落ち葉に覆われています。



 初冬の山の道はもう何度も雪が降っては消えています。枯れ草と落ち葉だけの道に羊歯の葉の緑が鮮やかでした。



 尾根筋への急な坂道は落ち葉で埋め尽くされています。かさこそと落ち葉の音を楽しんで山の道を登りました。



 
尾根鈴への道を登りきるといつもの取上げ峠の頂上です。



 これから30分スキー場頂上へ向かいました。今年最後の道ですから春のシュンランやショウジョウバカマや・夏のレンゲツツジやウラジロヨウラクや・秋のリンドウやタムラソウや・晩秋のナナカマドの紅葉などのの思い出を追って登ります。ひとつひとつの場所にそれぞれの思い出があるんですよ。

 そしてスキー場の頂上です。若い頃の思い出いっぱいのリフトです。ここはいちばん最後のリフトですから一人乗りのチェアーでした。頂上から一気にすべり降りる楽しみにわくわくしていました。



 ここで、少し寒かったんですけど、サンドイッチと牛乳とスポーツドリンクの昼食をとりました。会津平らの眺めがすばらしくきれいでした。数日の雨がこの日は珍しくはれて空気が澄み切っていたんです。



 昨日とうって変わって今日は激しく吹雪きました。ほんとうの冬になって来ました。年も押し詰まって31日は新婚の孫娘が二人で息子の家にやってくるというので息子の家で年を越します。元日は例年とおり集落の鎮守様・立ち木の観音さま・こころ清水八幡宮に初詣を楽しみます。3日は89歳の誕生日、1926年は私の80歳台の最後の年です。撮り初めは正月14日の初市です。忙しい年末年始ですけど楽しみです。

 今年のブログの投稿納めになるだろうと思います。皆様に励ましていただいた私のブログの楽しい一年でした。またつたないブログですけど励ました下さるようお願いいたします。

 皆様よいお年をお迎えくださますように
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佐布川の悲しい姫の物語り 中田の観音さんの縁起「です

2015-12-24 | 日記
まほろば街道散策[5]
中田の観音さまの弘安寺を訪れてみました


参道の通りから見える仁王門です



 
参道前のお休み所「つるや旅館」です。名物は「会津ぼうたらの甘煮」なんですね



 仁王門にはどこでも大きなわらじが掲げられています。「こんな大きな草鞋をはく仁王様がいるのだぞ!」と威嚇して悪霊や疫病神を退治するのが目的、などという人もいますけどどうなんでしょうか?・・ほんとのことを知りたいです。



 仁王様のお姿です。よからぬ心の者は通るべからずと睨みを効かしていらっしゃるんですね。狭い仁王門の格子の隙間からカメラのレンズをのぞかせて撮りました。ストロボは使えません。薄暗い自然光なんですけどオートでシャッターを切りました。今のカメラはよくできています。カメラぶれもありませんししっかりと撮れていて驚きました。



 仁王門を入るとすぐの右側に弁天堂が鞘堂に納まっていました。国の重要文化財に指定されていると掲示されていました。



 この建物はもとは観音堂内で十一面観音像を祀ってあった厨子であったのが寛永19年(1642)頃観音堂が修理されたおりに堂外に出され弁天堂に改められたと解説にありました。

 お若い姿の熟年のご夫婦が弁天堂にお参りなさっていらしゃいました。はるばると千葉県袖が浦からお出でになられたとのことです。心温まるお姿でした。



 弘安寺観音堂です。野口英世が帰国したおり母シカと小林先生と3人でお参りした写真はよく見かけます。母シカは中田の観音様を信仰して毎月17日には、はるばると猪苗代から歩いてお出でになり一晩観音堂におこもりして英世の無事を祈ったと伝えられています。



 御本尊の十一面観音立像と、脇時の地蔵菩薩立像・不動明王立像は国の重要文化財に指定されていると解説板にありました。

 中田の十一面観音様の縁起「江川の長者伝説」によりますと、
 鎌倉時代寒川村(現佐布川)の長者江川常俊の娘の常子姫が17歳になった春乳母を連れて雀林の法用寺に参詣し、終わって満開の美しい虎の尾桜を眺めていると根岸の地頭富塚伊賀守の若殿盛勝の参拝する姿のにおうような美しさに一目惚れしてしまいました。しかし深窓の若い姫のこと誰にも打ち明け相談することも出来ず悩みの果てに食事ものどを通らなくなり、ついには床に伏してしまいました。両親の長者は医師よ祈祷師よと手をつくしましたがかなわずついにはみまかってしまいました。

 両親は子の菩提を弔うために、姫に似せた観音像と脇侍を遠くの地で鋳造して寒川の地に運ぼうとして根岸の盛勝の舘近くを通ると観音像を運んでいた牛車はぴたりと止まって動かなくなりました。両親はこれは娘がここにとどまりたいと思っているからと思い観音堂を立てて安置しました。このことを知った富塚盛勝は下野の国から高僧を招き伽藍を造営して弘安寺とし20年の間姫の霊を慰め続け正安元年(1229)46歳で没しました。
 哀れな姫と若殿の悲恋の物語です。

 中田の観音様を訪れたのは12月22日の寒い日でした。ところが弘安寺境内に可憐な美しい桜が咲いていました。驚いてしまいました。まさか悲恋の姫の咲かせている桜ではありませんよね。でも私はそう思ってシャッターをきりました。寒の桜は美しかったんです。

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蛇の御年始という藁の蛇 山門に掲げてありました

2015-12-21 | 日記
まほろば街道散策[4]
雀林法用寺山門です



会津美里町ホームページに「へびの御年始は雀林地区で毎年1月7日に行われる全国的にも珍しい伝統行事です。中学 一年生(13歳)を頭に、地元の子供たちが、藁で作られた蛇を抱え、ときの声をあげながら集落の各家を廻り、家族の無病息災を祈願するものです。集落を廻ってきた古い藁の蛇は門前で燃やされ、門には、新たしく作られた蛇が飾られます」とありました。




(写真は美里町ホームページからお借りしました)

 昔からの伝統行事が今も生きているんですね。元気だったら来年正月7日に訪れてみたいと思っているんですけどどうなりますか。

 法用寺山門の仁王門には大きな金剛力士像の写真が飾れていました。訪れた私にはすごく寂しい仁王門でした。

 私が50歳台の若かった頃、40年近く昔のことですけど私は休日になると50ccのミニバイクに乗ってオリンパス0M-1という小型軽量しかも価格が安いのにすばらしい写真を撮ってくれるカメラを持って石仏を訪れるのを楽しみにしていました。そのおりこの法用寺に訪れたのですが、仁王門の中には「金剛力士像」が阿吽の姿で仁王門いっぱいの大きさでお立ちになっていたのです。息を呑むような圧倒的なお姿でした。

 解説によれば「平安後期の欅の一木造りの木造で、同時代のものは近江善水寺に見られるだけの逸品である」とのことでした。法用寺を訪れる時の楽しみにしていたんですけど今は他の重文の仏像とともに金堂内に安置されているとのことで本当に残念でした。

(写真は美里町ホームページからお借りしました)


 
法用寺金堂です



 納められてる、十一面観音立像・金剛力士立像・得道上人坐像・および厨子と仏壇は国の重要文化財に指定されているとのことです。なお写真右端の桜の古木は会津五桜の一に数えられている「寅の尾桜」です。



 
法用寺といえば、会津地方に唯一現存する塔遺構といわれる美しい姿の三重塔があります





 
驚いたことに三重塔の傍らに石川啄木の歌碑がありました。










 なぜこんなところに啄木の歌碑があるんだろうと歌碑の解説を読んで見ました




 中野寅吉といえば雀林出身で大正から昭和にかけて衆議院議員として活躍し[蛮寅]として名を馳せ晩年は法用寺の住職をされた中野寅吉と石川啄木の間にこんな憎しみと友情と別離の情の交錯があったなんてなんだか嬉しくなってしまいました。それにしても啄木の歌って心にしみますね。

 今日は12月21日、明日は22日冬至ですね。一番夜が長く昼が短い日なんでしょうか。明後日からはほんの少しずつですけども昼が長くなるんですね。そう思うとなんだか心が明るくなります。会津は雪国です。でもまだ降雪はありません今のところ暖冬ですね。会う人ごとに「暖かい冬、雪が降らないでいいですね」と挨拶を交わしています。私もそう感じているんですけど、地球温暖化で土地の砂漠化、集中豪雨、巨大台風やハリケーン、竜巻、海面上昇などなど・・すぐそこに来ている新しい年の平穏を願う気持ちもあって不安でもあるんです。来る年が安らぐ年でありますように
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ひっそりと修験の森の薬師堂

2015-12-18 | 日記
修験の薬師堂がまほろば街道の山沿いの森にあると聞いて訪ねて見ました。


 修験道といえばななにか神秘的なものの感じて心惹かれるものがあるんですけど、修験道についいて私はなにも知らないんです。修験などといっても頭に浮かぶのは歌舞伎の勧進帳の弁慶とか、よくテレビなどで放映される出羽三山の山伏の姿くらいしかないんですよ。



 
(写真はネットからお借りしました)


 修験って、ネットで調べてみるとほんとはそんな華やかなものではなくって厳しい霊山・霊地での苦行に耐えて修行し霊験のある法力を身につけて諸国を行脚し加持祈祷によって病を治し悪鬼悪霊を折伏する霊力を持った人たちのことなんですよね。

 その修験の方の薬師堂がまほろば街道の山沿いの静かな森の中にあると聞いて訪ねてみようと思いたったのです。場所なんかよくわからないんですけど、まほろば街道の山沿いの勝大地区らしい。行って見ようと車で出かけました。ゆっくり山沿いの森を見ながらドライブしました。あっあれがそうかななどと思って細い道をあるって行ってみると小さな森の中の神社だったりしてなかなか見つかりませんでした。

 ある小さな集落の入り口に集落の案内板がありました。見ると山沿いの場所に薬師堂が書かれていました。でも行く道筋がわからないんです。集落に入るとちょっとした広場があって駐車できました。車を降りると道よりちょっと高いところにりっぱなお屋敷があって庭でお上品な奥様が仕事していらっしゃいました。今考えるとあるいは薬師堂の所有者の小林さんだったのかも知れません。「お薬師様に行きたいんですけど」とお尋ねすると「この細い道を右にいくと案内の表示がありますから」とおっしゃって私がそこまで行くのをずーっと見送ってくださいました。

 ありました。町指定重要有形民俗文化財の柱型の標識でした。大法院とありますから修験の方の中でも位の高い修験だったんでしょうね。


 畑の中を細い道が深い杉の林の中に消えていました。あまり人通りがないのか道は短い緑の草に覆われていました。


 森に入ると小さなお堂が美しい姿で目に入りました。静かな中に修験道の厳しさ漂っているように思いました。やっと尋ね当てた嬉しさで静かにお堂に手を合わせて拝礼いたしました。




「町指定重要有形民俗文化財」とありましたのでネットで大法印薬師堂に着いて調べてみました。
 
法具仏具の写真があって



 指定の解説がありました。
 「この薬師堂所有者は小林家である。小林家は代々修験道の法院を勤め大法院と称されていた。法院を勤めていた小林家は明治初頭に発令された神仏分離令による廃仏毀釈の激しい嵐、そして修験道の禁止令の後もそれに耐えて仏具法具(94点)古文書(135点)、和洋を基本とした禅宗様のお堂を守り伝えてきた。修験道の研究に貴重なものとして重要有形民俗文化財に指定した。」
 
これは解説文の要約です、原文ではありません。


「廃仏毀釈」廃仏=仏を廃し(破壊し)。毀釈=釈迦の教えを否定し破壊する。
 廃仏毀釈の嵐に[よって、寺院仏像仏具などが破壊されあるいは売却され全国の寺院は半減した。もし廃仏毀釈の嵐がなっかたなら現在の国宝と言われるものは優に3倍はあっただろうと梅原猛氏は述べておられる。

 私など知らなかったおぞましい出来事が明治初頭にあったんですね。原因はいろいろあったんでしょうけど大きな変革のときは誤ったこんな狂乱も起きるんでしょうか。怖いと思いました。
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