さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

故郷(ふるさと)は会津坂下とおっしゃる方々へ

2014-02-28 | 日記


 坂下の鎮守のお諏訪さまが放火によって焼失してもう4~5年になるんでしょうか。なんとなく心わびしい日々が続いていました。私のブログにも故郷を離れていらっしゃる方から「お諏訪さまどうなっているんでしょうか」とのアクセスも2~3ありました。

 元旦や初市でのお参りのときも、秋の例大祭の稚児行列のときにも、境内の小さな仮宮になんだかわびしい気持ちの続く数年でした。

 でも、そのお諏訪さまの本殿がっこんなに見事に再建されっつあります。ほんとうに嬉しくて会津坂下町ゆかりの方にもお知らせしなければと写真に撮りました。見て頂ければ嬉しいです。

あかりをつけましょぼんぼりに

2014-02-27 | 日記


お花をあげましょ桃の花


「きれいなおひな様が飾られているから、カメラをもってきてよ」」 ばばちゃんの声が弾んでいます。

 パーマをかけに行っているばばちゃんから電話です。ばばちゃんも女の子なんですね・・もともとは・・・

 いま、「あいづ雛めぐり」が催されていて糸桜里の湯でもたくさんの内裏様が出展され飾られています。でも広いガラスのケースの中にあるのでいろんなものがガラスに写ってうまく写真が撮れないんですよ。

 ばばちゃんを迎えのかたがた見せて頂こうか、ちょっとわくわくしながら出かけました。お店に方々方皆さん総出で明るく迎えて下しました。嬉しかったです。

 美しいお雛飾りにレンズを向けながら心が明るくなりました。お店のきれいな、そしていけめんの美容師の皆さん方、みんな優しく親切な方ばっかりですね。うちのばばちゃんのなじみの親しくして頂いているお店です。

 
ビューティーサロンスミレのお雛飾りでした



福ちゃんの一途なお目々が可愛くて

2014-02-26 | 日記


 大好きな福ちゃんのこのすばらしい絵にうるうるしてるじじいです。


 
表題は「真面目な顔で小しています」です


 araさんとおっしゃる方が可愛くて可愛くてたまらない愛犬「福ちゃん」をお描きになってます。こんなすばらしい絵をお描きになる才能をお持ちなのに、ご自分は「なっちまった60台」の普通のおばさんと思っていらっしゃるところが奥ゆかしいです。そして楽しいお方です。

 こんなに可愛く楽しい愛犬「福ちゃん」の絵をいっぱいブログgooに掲載なさっているんですよ。私は新しい絵が投稿されるのをいつも楽しみにしているんです。

http://blog.goo.ne.jp/ara88

 このページからのURLではブログが呼び出せないようですので。コメントにURLを書いておきますのでそちらからアクセスして下さい.

 
 そしてもうひとつ、ヤフー掲示板に楽しいトビをもっていらっしゃいます。

 「なつちまった60台」という表題です。

nisekoさん、キーさん、ワタさんたちの明るくて、楽しくて、時には鋭い言葉での毎日が嬉しいトビですので私は毎朝訪問して楽しませて頂いております。

http://textream.yahoo.co.jp/message/1834664/a1ha1ya2ha4ja4ca4aa4dea4ca4bfa36a30bea1ha1ya2h

遠い日の涙にかすむ思いが悲しくて

2014-02-23 | 日記
それは平成19年(2007年)の夏のことでした


2007年6月29日のマルの散歩の写真です

 元気そうに用水堀で遊んでいる写真ですけども、いまあらためてこの写真を見てみるとどこか弱い陰りがあるように思うんです、でもこのときはまったく気づきませんでした。

そして1ヶ月後の7月24日のマルの散歩の写真です


 この日のことは、私はしっかりと覚えています。
 緑濃い暑い夏の朝10時頃の散歩でした、誰もいない堤の道に入ろうとしてマルのリードをはずすとマルはお座りをして爺を見るけど爺についてこようとしないのです。愚かなじじいは「マルは別な散歩道に行きたいと思っているのか、ボスはじじいだ、じじいについてこい」そう思ってかまはず夏草の道をかまわず歩んでいきました。そして10mほど進んだときマルは意を決したように走って追ってきました。「よしマル」私はそう思って散歩を続けました。

 でも、いまこの写真を見ると明らかにマルは病んでいます。元気がありません。「まるはからだが弱って散歩がつらい」といっていたんです。

 いま思うと7月に入ってからそういうことが度々あったんです。それをじじいは「マルのわがまま」がでてきたとばかり思ってしまったのです。本当はどんなにか辛かったろうにと今思うとバカな自分に胸が痛みます。

 
そして7月31日の散歩写真です


 ばかなじじいもはっきりとマルの病んでいることに気づきました。そしてすぐにフィラリア検査でなじみのペットクリニックを訪れました。そして病名は告げられませんでしたけど注射をしてもらい毎日治療に通うように言われました。

 8月2日、車で通うマルの写真です


 ペットのクリニックで一生懸命治療して下さるのですけれどマルは少しずつ少しずつ弱っていくのです。すごく悲しく不安でした。

 でもマルはクリニックから帰て来ると必ず短い距離でしたけど散歩にいこうとしました。なんだか可愛いそうで心が痛みました。

8月3日の写真ですです


8月4日の写真です


8月5日の写真です


 8月6日の朝クリニックにマルを連れていって、少しずつ弱っていくマルのようすが悲しくて、じじいとばばちゃんは涙を流しながらクリニックの先生に「マルをどうか助けてください」となりふりかまわず御願いしました。

 先生は一生懸命治療します。「今日からクリニックに入院させて下さい。朝連れてきて夕方に迎えにきて下さい」とおっしゃって大きなゲージの中にマルは入れられました。

 涙を浮かべてじじいばばは家に帰りました。おぼれるもの藁おもつかむ思いでした。助かって欲しいと必死に思いました。

 夕方迎えにいくとマルはじじとばばを見つめすりよってさみしさを訴えました。そして走るようにクリニックを出て車に飛び乗って安心するのです。

 8月7日も同じでした。

 8月8日、朝入院させて夕方迎えに行くとわりと元気にゲージから出てきてクリニックの近くを少し散歩して車に飛び乗りました。家に帰るとすぐにじじいの布団の脇の自分に布団に寝て安らかに眠りました。じじいは「マル元気になって」と心に祈りながら1時間ほどだまってマルの脇に座りつづけました。

 7時ころばばちゃんが「食事だよ」と呼ぶのでマルが目を覚まさないようにそっと立って茶の間にいきました。心配で悲しい二人の食事でした。

 そして30分ほどしてマルのところに帰って見ると、なんとマルは安らかに眠るよう死んでいたのです。誰にも看取られず独りで静かに死んでいたのです。

 私は大声でばばちゃんを呼びました。そして二人で声を上げて泣きました。なんどもなんどもマルの名を呼びました。でもマルは応えてくれませんでした。

 じじとばばちゃんはマルを茶の間に移して一晩二人で通夜をしてあげました。2枚の座布団にまんじりともせず座っていたのです。明け方ようやく二人は眠りました。


 私は、東山奥の中湯川の正雲寺で亡くなったペットの供養をしてくれることを誰かに聞いていました。それは奥の奥の深い緑の森にかこまれた場所にありました。


 マルはきれいなダンボールで出来たお棺に移されて短い読経の供養を受けて火葬の部屋に入ることになりました。私はマルの名を呼んで抱きしました。ばばちゃんのすすり泣く声がうしろに聞こえました。

 そして3時間、マルは正雲寺の山の緑のなかに煙になって昇っていきました。かすかな紫の淡い煙が悲しかったです。

 骨になって帰ったマルはばばちゃんの観音さまの前で1ヶ月じじいとばばちゃんと過ごしました。


 いまエリーとマルの2頭の墓は狭いじじいの庭にあります。春になるときれいな花が植えられ秋まで美しく飾られます。


 そして6年が過ぎた今は安らかにそして懐かしくその花を眺めることが出来るようになりました。

 
オンアボキャベイロシャノマカモダラマニハンドバジンバラハラバリタヤウン


 これはエリーとマルの供養のために古里の和尚様に教えて頂いた光明真言です。時にさみしくなると二頭の写真の前で、そしてお墓を眺めるときもこの真言を心の中で唱えて心を慰め二頭のために供養するのです。 いまこの思い出の記を書き終わって私はPCの前で悲しみがよみがえって呆然としているんです。オンアボキャベイロシャノマカモダラマニハンドバジンバラハラバリタヤウンと心で唱えているんです。