さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

厳しい寒波も春めいて

2017-12-29 | 日記
年末の厳しい寒波が吹き荒れましたけど 

  

二日ほど寒気が緩んで今日の午後は温かな陽もさしてどこか春めきました。街への道の「八千代橋」からの眺めです。




橋の下の流れにはたくさんのカルガモやコガモが群れていました


  
カモたちは、住宅地のすぐ近くで交通量の多い橋の下は銃猟者が決してやってこない安全地帯なことを知っているんですよね。ただ眺めている分にはカモたちにはなんの動きもありませんけどカメラのレンズを向けて構えるとカモたちは動揺して遠くへ行こうとしました。私はカモたちの平和を乱さないようにとワンカットだけシャッターを押して橋を渡りました。

零下の雪降る午後の散歩道

2017-12-27 | 日記
激しく雪降る裏町通りです




雪に埋もれて咲く山茶花の赤が綺麗でした



山茶花ってこんな厳しい寒さに耐えて見事に咲くんですね。驚きました



ここまでの散歩6200歩、街はずれのJR只見線の踏み切りをわたり終えたら警報がなって踏み切りが閉じて只見方面行きの列車が通りすぎていきました。ラッキー嬉しくなってシャッターを切りました。でも突然のことであわててしまって2カットしか撮れていませんでした



列車は雪煙を残して古里只見へ向かって走り去っていきました。駅の跨線橋の上から遠く眺めたのと違って身近を走っていく列車は感動的で嬉しかったんです。



家に帰って万歩計は7000歩近くとても爽快な今日の散歩でした。

若かった日の思いよみがえる夢の山

2017-12-24 | 日記
雄国連峰が雲の切れ間からの陽光にさっと輝きました。




三月の残雪の連峰に独りスキーを履いて登ったことも

愛犬マルと猫魔岳など周りの尾根道を散策したことも

雄国沼休憩小屋の近くにテントを張ったことも


90歳の私には遠く輝いた日の思い出になりましたけど、散歩の帰り道で輝く連峰を見て嬉しくなってコンデジを向けて撮りました。

古里への思いが懐かしく駅跨線橋の上に立ちました

2017-12-22 | 日記
私の大好きな獅子舞とひょっとこの踊りです





今年の1月奥会津只見町の雪祭りで只見町無形文化財の「梁取神楽」保存会の皆さんの見事な演技を撮らして頂きました。


今日はふと古里只見が懐かしくなって独り駅の跨線橋の上に立って線路の遠く只見方面への道を眺めました。1時40分頃ライトをつけ警笛を鳴らして列車がやって着ました。古里の只見を発車し川口を経由してくる懐かしい只見線上りの列車です。



静かな坂下駅に下り列車がやって着ました。1時45分頃上り列車と下り列車が坂下駅で入れ替えになるんです



上り列車が発車すると下り列車からたくさんの人が駅におりて行きます。ほとんどが会津若松方面の高校に通っている生徒さんです。


 
坂下駅下車の人たちをおろした下り只見方面行き列車は警笛を鳴らして坂下駅を出発していきました。



やがて小さくなっていく列車を跨線橋の上から古里への思い懐かしく眺めておりました



私は昭和16年3月(1941年)15歳で朝日尋常高等小学校高等科を卒業しました、同級生は男女合わせて69名、内男子は39名でした。小学校を卒業して75年になります。男子39名のうち今生き残っているのは私を含めて4人になりました。そのうち古里旧朝日村に残っている男の人は直一(なおいち)君一人です。いつも私と近況を電話を話しあって楽しんでいるんです。

90年生きてず~と私の心の中にあったきれいな女の子も87歳のばあさんになってなくなりました。80歳の頃だったんでしょうか町の医院でその人と偶然一緒になりました。相手の人は心になにもありませんから明るく「しばらく・・元気そう・・」と近寄って握手してくれました。心のなかにひそやかな秘密のあった80歳の爺いの私はときめいてオロオロ・・誰も知らない私だけの秘密の思い出です。

跨線橋の上で遠ざかる列車を目でおいながら湧いてくるいろんな古里の思いをしみじみと楽しむ私でした。 

思いばかりが先走ってまとまりのない投稿になりました。反省です。 
                

冬空に台ノ宮の欅の古木亭々と

2017-12-20 | 日記



欅の古木は数百年生きて空高く亭々と枝を伸ばしています。私が30歳代の頃の古老の話によると写真の木の右側にも左側の高く伸びている枝と対になるように高く伸びた枝があったけれども雷にでも撃たれたかして枯れてしまったということです。

私の記憶によると昭和30年(1955)頃は幹元には大きの洞(うろ)があってたくさんのコウモリが住みついており夕方の空に群れ飛んでいました。新種のコウモリかもしれないので町の天然記念物にしてもいいんだがなどという話を聞いたことがあります。

昭和の終わり頃だったと思うんですけどその洞に大きなスズメバチの巣が出来て危険だということでセメントで洞の入口をふさいでしまいました。私はコウモリがと思ったんですけどどうにもなりません。それ以後コウモリは姿を消しました。

昭和30年代40年代頃までは台ノ宮は盆踊りで有名な場所でした。お盆の三日間は台ノ宮のケヤキの木の近くに高い踊りの櫓が組まれ近郷近在から大勢の人が集まって踊りを楽しみました。若い女の人の優雅な踊りも、若い男どものカンショ踊りも有名でした。カンショ踊りといううのは熱中したあまりに狂ったように踊る激しい踊りをいうらしいんです。



江戸時代の台ノ宮は深い森に囲まれていてそこに弥十郎狐の一族が住んでいて夜な夜な若い男どもを誘い込んではたぶらかし髷を剃り落とし坊主にしたなどという伝説もあるんですよ。

それに私にとって心打つものがあります。太平洋戦争で戦死なさった町出身の方の名前がすべて刻印された大きな石の慰霊碑があります。私は台の宮を訪れるたび慰霊碑の前に佇立して慰霊の心を捧げそして平和であることを祈ります。台ノ宮も私も含めて世界が平和であって欲しいです。平和っていいですよね。人類は人類を滅亡させれるに充分な核を手にいれました。人類にとって一番だいじなことは平和なんですよね。