さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

お出会いはちょっと見合って遠慮して

2019-04-30 | 日記


愛犬を亡くしてしまってもう10数年、でも散歩するワンちゃんを見ると心が和むんですよね。散歩の途中ちょっと大きな柴犬を連れたおばさんに会いました。「可愛いワンちゃんですね」と声をかけると「お利口ちゃんなんですよ」と笑顔でワンちゃんの頭をなぜなぜして可愛くてたまらなそうににおっしゃいました。

しばらく行くと尾っぽのふさふさした黒い小型犬を連れたおっつぁんにお会いしました。「あら可愛いワンちゃん、おっぽがふさふさして」と声をかけるとむっつりなさっていたおっつあんがとたんに優しい笑顔をなさいました。

はあ~てこのおっつあんあのおばさんとすれ違うなと思って見ていたらお互い遠慮して道脇に避けてすごそうとなさてっているようでした。でも一瞬ワンちゃんが仲良くなったんでしょうかお二人とも道の真ん中で親しそうになにかお話しなさっている様子になりました。ワンちゃんが知らない人どうしの心を取り持ったんでしょうね。

そういえば人つきあいの下手な私に愛犬がいた頃は犬関係の友達がわんさといたことが思い出しました。

EOSM3 55-200mmIS STM ISO200F8AV

やまびこの姿見ちゃったんですよ私

2019-04-27 | 日記
春三月末から四月初めにかけて私の古里小立岩の朝は深く積もっている雪が固く凍って山あいの居平も山の斜面も麓もみんなどこでも自由に歩けるようになるんですよ。固雪(かたゆき)渡りといっていました。

子どもの私たちは、朴の木の大きくて固い芽を摘んで中の軟らかい葉になる部分をぬいて小さな角笛のような形の呼子をつくってピーピー吹き鳴らしながらかたゆき渡りをして集落の後ろの愛宕山の沢に入って行きました。棒橇(ぼうぞり)を楽しむためにです。

ぼうぞりと言うのは急なかたゆきの山の斜面を木の棒を後ろ斜めに構え両手でしっかりと持ってそれに体重をかけ支えて滑り降りることなんです。かなりのスピードが出てテクニックが必要で上手下手があるんです。履き物は「げんべい」という藁靴です。 

棒ぞりに疲れるとみんなで「おーい」とか「○○ちゃ~ん」とか奥の山に向かって叫ぶんですよ。すると間をおかずその声は山の固い雪の斜面に反射して「お-い」とか「○○ちゃ~ん」とかの優しい声で返ってくるんです、やまびこの声ですよね。

そしてそのやまびこの声を返すのはこれだと私たち子ども達は信じていました。


写真はネットでウィキペディアからお借りしました

かたゆき斜面のあちこちの木の枝についている「ウスタビガ」の繭なんです。四月頃の繭にはもう蛹はなくてからです。上部を指で縦に押すとぱっくりと口が開きました。

私は「やまびこの声」は固く凍っている雪の山の斜面からの反射音だと理論的には理解しています。でも感覚的な思いでは今でも「やまびこの声」はあちこちの木の枝についている綺麗なウスタビガの繭が口を開けて応えてくれているんだと信じているんです。幼い頃の思いはいつまでもなんです。 

ところが今日昔撮った写真の記録をパソコンで見ていたらこんな写真がありました



10数年前の記録で、「久方ぶりに訪れた古里小立岩の愛宕山麓で撮る。木魂(こだま)」とありました。ああそうかやまびこはウスタビガの繭ではなくて実は「木魂」だったんだと今了解しました。 無心でいい顔しています。こんな顔してやまびこの応えしていたんですよね

4~5年前までの私の楽しみといえば

2019-04-26 | 日記
山に咲く山野草の花を求めて歩くことでした



四月の山の花といえば
スミレ

ショウジョウバカマ

シュンラン

カタクリ

イワナシ
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キクザキイチゲ



などなどです


でも、免許証を返納して3年徒歩での散策や自転車での買い物にもすっかり慣れましたけど車のない私はたやすく山にゆくことは出来なくなりました。また仮に山の入り口までいけたにしても体力の衰えた老体の私山の道を歩むことは無理な状況なんです。寂しく正直悲しいです。こうして昔の写真などみるとちょっと胸がいたんで目が潤みます。

私って植物の名前よく知っているように見えるでしょう。実は私数年前までは植物と言えば食べられるものウドとかコシアブラなどなどの名前しか知らなかったんですよ。花の名前などカタクリ(食べられます)しか知らずまったく無関心だったんです。でも数年前ふとしたことで親切な昆虫や植物のお師匠さまの会津まっちゃんさんの知遇を得てご指導を受けやっとこれだけ知ることができたのです。でも不肖の私まだまだ駄目でよく名前を間違ってはご指導を受けているんですよ