さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

間違って悲しいことしてしまいました

2017-07-31 | 日記
午前1時、私の寝室に突然小さな悪魔がやってきたと思ってしまったんです

私の寝室は二階の6畳ほどのトイレつきの小さな部屋です。そして隣にそれよりちょっと広いパソコンと読書の部屋が続いているんです。

午前1時過ぎ、いつものようにオシッコをもよおしてトイレのドアを開けました。そしたら恐ろしいことが突然起きたのです。いきなり6cmほどの黒い蛾か蝶のようなものが私の胸に飛んできてはりついたのです。ちょっと重量感があって蝶や蛾とは違った不気味な生き物でした。そしてすぐに胸を離れて畳の上に飛び降りると不気味な姿の黒い生き物が這いずり回りながらものすごいスピードでPC室のほうに逃げていってしまったのです。

私は一瞬寝ぼけた頭で「小さな悪魔のような生き物が胸に張り付いてPC室のほうに逃げていった」と思い不気味恐怖で恐ろしくなってドキドキしてしまいました。

私は這い回り逃げ回る黒い悪魔のような生き物を箒を持って追いました。疲れたんでしょうかやがて動きを止めました。私はその生き物を箒で押さえ込み足で力いっぱい押しつぶしました。箒をのけてみると踏み潰されて形を失った不気味な生物で蝶や蛾ではありません。私は怖くてまともにみることが出来ずその死骸をたくさんのテッシュにくるんで生き返らないようにとくずかごの奥に押し込みました。

朝起きてこわごわテッシュを広げてみるとなんとそれは小さなこうもりでした。惨めに踏み潰されてる姿に私はカメラを向けることは出来ませんでした。

こうもりが休む時は逆さになってぶらさっがっています。その姿から飛び立つことはできるけれども地上に降りてしまったこうもりは鳥のように飛び上がることは出来ないんでしょうね、私に追われて必死にはいずりまわって逃げたんでしょうね。コウモリは私を悪魔のように思って逃げ廻ったんでしょうね。

正直こうもりの顔は近くで見ると怖い悪魔のような顔をしています。こうもりの顔をこんな近くでみたの初めてでした。でもこうもりをこんな惨めな姿にしてしまった私は可愛そうで可愛そうでたまりませんでした。私はテッシュに包んだコウモリを庭の隅に葬って手を合わせてお詫びの祈りを捧げました。

私が子ども頃夕焼けの空が暮れて薄暗くなるとどこからやって来るのかたくさんのコウモリの群れがやってきて飛び回っていました。夕空に飛ぶ昆虫を補食していたんでしょうね。でもその姿が見られなくなって数十年私はもう近くではコウモリは絶滅していたんだと思って居ました。あるいは私の殺したこのコウモリは私の近くにいいた最後のコウモリだったかもしれない、そう思うととても心痛む出来事でした。 コウモリさん本当に本当にご免なさい。ほんとうにとんでもないことをしてしまいました。

あっ これ・・野の道を行く私に

2017-07-29 | 日記
自然が贈ってくれたブーケかも知れない。私はちょっとときめきました


ヒメジョオンの小さな花のかげにヒルガオの花が一輪咲いていて私にはとても美しく見えたのです。私はしずかにカメラのレンズを向けました。

そしたらモニターを見ていた私の心が高鳴りました。アシナガバチに似た小さな蜂が飛んできてヒルガオの周りを飛び回り花に止まって蜜を吸い始めたのです。




私はときおり野バラの花の周りを飛び回るクマンバチを見ていつも嬉しくなるんです。なぜって私のまわりからある年蝶やトンボや蜂などの昆虫が激減してアシナガバチやミツバチの姿が見えなくなっていたのにクマンバチはときおり元気な姿を見せてくれるので嬉しかったのです。 
    
私は子どもの頃から家の軒下などにいっぱい巣を作るアシナガバチが好きでした。春の軒下に雌のアシナガバチが一匹やってきて小さな小さな可愛い巣を作ります。やがて蜂はどんどん増えてゆき巣もどんどん大きくなってゆきます。巣にとりつく蜂の数も10数匹になって賑やかになるんです。アシナガバチはおとなしい蜂で巣を攻撃しなければ攻撃してはこないんです。ですか軒下にいっぱいアシナガバチのの巣があっても安全でした。

ある日子どもの私はアシナガバチの巣をひとつおとして巣の中の幼虫を釣りの餌にしました。そして次の日の朝窓から巣のあった場所を見ました。そしたら十数匹の蜂が巣のあった場所にじっと固まって動かなくなっているんです。なん日もなん日もひたすら固まってじっと動かないでいるんです。そしてやがてみんな死んでゆきました。

幼かった私はそれがとてもとても悲しいものに見えました。それからの私は軒下のアシナガバチの巣には決して手を出しませんでした。一生懸命巣を大きくし幼虫に餌を運ぶ蜂たちの姿がすばらしいものに見えました。

やがて移動性高気圧の秋晴れの頃になると蜂たちは巣をはなれて飛び回り交尾するようになります。私たち子どもの間では雌の蜂は針をもっていてつかめば刺すけれど、雄の蜂はつかまえても針をもっていないので刺さないことを知っていました。雄の蜂は頭の部分がちょっと白かったように記憶しています。私はなんだか雄の蜂が雌の蜂より格が下のように思えて可愛そうに思っていました。おとなになった私にはもう蜂の雌雄の区別つかなくなっています。こどもの頃の感性ってで鋭いものがあるんですね。

私はアシナガバチが大好きでした。その蜂がある年突然に軒下から姿を消してから7、8年になると思います。ですからヒルガオの花の周りをアシナガバチに似た小さな蜂が飛び回り花の蜜を吸う姿を見て本当に嬉しくて幸せいっぱいになったんです。蜂さん有り難うございました。

爽やかな風吹く夏が嬉しくて

2017-07-27 | 日記


各地で猛暑や豪雨が報じられているのに私たちの会津坂下町は梅雨前線の北側の高気圧圏内に入っているためか綺麗に晴れ渡って涼しくて爽やかな風が吹いていました。

道脇にはモンシロチョウやモンキチョウが飛んでいました。私は飛んでいるモンキチョウやモンシロチョウを撮ったことがないんです。ちょうど持っていたカメラのミラーレスには55mm-200mmのちょっと長いレンズがつけてありました。よしがんばって飛んでいる蝶の撮影に挑戦してみようと連写にセットして100カットほど撮ってみました。

でも蝶は軽やかに舞うように飛び回ります。モニターに飛んでいる蝶を捕らえることは至難の業でした。こんな花の蜜を吸っている蝶しか撮れませんでした。





でも100カットの写真の中にたった1枚こんな写真がありました。すごい嬉しかったんです。飛んでいる蝶が撮れたのは初めてです。



会津マッチャンさんはホバリングしているトンボや舞うように飛んでいる蝶をよくお撮りになります。それは蝶やトンボの研究の権威でいらっしゃいますから当然といえば当然なんでしょうけど。わたしもいろいろ思考錯誤しながらがんばって見ようかと思っているんです。難しいでしょうけど・・

舞うように飛び回る蝶をミラーレスのモニターでとらえるのは本当に難しいです。今度は重いですけど一眼デジに100mmマクロをつけてファインダーで追ってみたいと思っています。

ちょっとつらいけどしっかり生きて行かなくちゃ

2017-07-25 | 日記
そう思って悩んだり考えたりしている今の私です。

実は2週間ほど前私は思うことがあって運転免許証の返納手続きをしたんです。息子たちは90歳7ヶ月の老体の私のことですから当然のことと思っていますすし、家内は心配ごとのひとつが消えたと喜んでいます。

私はこんなことを聞いたことがあるんですよ。「うちの人が80歳になって運転免許証を返納したので喜んでいたら、とたんに元気をなくしてぼんやりするようになりやがてボケが進み認知症になり数年で他界してしまった。免許証返納を強く進めるのは考えものだ」
私はそれを聞いた時そんなことあろうはずがないと思っていました。

でもそれが自分の身となると大変だったんですよ。免許証を返納して数日してすごいッショックが襲ってきたんです。私に50数年間なじんできた車はもうない、そのショックは本当に大きかったんです。

車の運転席に座ってエンジンをかければ車は簡単にあの美しい山の尾根道の登り口にも、滝谷川谿谷の橋梁を渡る列車を撮影する場所にも運んでくれる。定期診察治療に通う病院にも買い物にも町の温泉にも簡単に車は私を運んでくれる。でも50年数年なじんできた私の愛車はもうない。私は呆然としてしまいました。この新しい事態をどう乗り越えていこうかその道が私には分からなかったのです。これからの生きる道が見えず心が真っ暗になってしまったのです。

それでも私は毎日1時間30分程の散歩は続けていましたし、ブログの投稿も続けていました。でも車を失った失意悲しみ絶望感は晴れませんでした。それでも家内に気づかれないようにと平然を装って買い物などはタクシーで、近い処の買い物は徒歩ですましていました。

免許証返納後の2週間は本当に暗い気持ちの毎日でした。でも不思議なんですよね。ある日の散歩道でふと「おれいくつなんだっけ?そうだ70歳なんだよね俺」とつぶやいたんです。 なぜそんなばかげたことを言ったのか今の私には分かりません。

自己暗示ってすごいですよ。こんな馬鹿げたつぶやきが私の心をぱっと明るくしてくれたんです。そうだ俺にはこれから切り開いていかなければならない新しい世界がある。「そうだやったるで~」そんな明るい勇気みたいのものが湧いてこきたんですよ。

思いだせば6年前、心筋梗塞で2ヶ月間の入院から退院した時は50mほどしか離れていないお隣さんの家に歩いて挨拶に行くのがやっとでした。息切れがしてしまうんです。でも私は少しずつ少しずつ自己リハビリに励みました。そして今では1時間30分から2時間、3kmから4kmの散歩を息切れもせず平然と出来るようになっている。「そうだやったるでい」と生きる力が湧いてきたんです。

ここ数日私は古くて重い自転車で人や車の通らない農道でのサイクリングのリハビリをしています。50年近く自転車など乗っておりません。それに90歳の老体ですペタルを踏む力は弱っていますし平衡感覚も衰えています。正直初めはふらついて乗っていたんです。でもいまでは近くのスーパーに自転車通行可の歩道を注意しながら買い物に行けるようになっています。そして充分習熟したら軽くてギヤーチェンジ出来る自転車を購入しサイクリングを楽しむつもりでいるんです。

今農村では子どもの数の激減で幼稚園や小中学校のが統合されて数が少なくなっています。そのために通学する子どもや保護者や病院通いのひとたちのためにと町の補助をうけたバス路線が網のめのようにできています。それを利用したらそれなりの新しい世界が開けるぞと思っているんです。なんか面白そうにも思われます。

今の私はもう落ち込んではいません。しっかりと新しい世界、自分の車のない世界を切り開いていこうと思っているんです。

これはいつの日だったかの散歩の途中で乾いたコンクリートの荒れ地の割れ目に小さいけど逞しく綺麗に咲いている花を見つけて感動して撮った写真です。



これは誰も見向きもしない蕎麦の花です。でもよく見るとこんなに綺麗に咲いています。



私に残された生きる道は決して豊かではありません。でも私は私なりにコンクリートの荒地咲いている小さな花のように耐えて心を潤すもの美しいものを求めてささやかに生きていくつもりでいるんです。もちろん老体の私です 落ち込むことが多いと思います。そのたびに自己暗示をかけながらなんとかかんとか生きていくつもりでいる今の私なんです。