中央病院前のこくぶ薬局の入口には私をいつも励まし慰めて下さるお地蔵さんがお立ちになっていらしゃいます。
今日も中央病院で心筋梗塞の定期診察を終わってこくぶ薬局に向かう私を花を持ったお地蔵さんが迎えてくださいました。「今日も私元気です」といつものように深々と頭を下げてお祈りいたしました。
平成23年(2011)10月13日(木)、10数年来の胆管炎とのつきあいの中央病院で三ヶ月おきの定期診察を終えての帰り道、段差のある歩道で激しく転倒して体を強打しました。84歳の老いの体に応えました。でも特別な痛みもなく帰宅できました。
14日(金)朝、左胸部に痛みがありましたが、昨日の転倒のせいだろうとかまわず5㎞ほどの散歩などを含めた日常の生活を過ごし、夕方には痛みも消え気分よく食事をして床の入りました。
15日(土)、朝より胸が痛み町の厚生病院の診察を受けようと思いましたが休診日で我慢しました。夜になると痛みが強くなり、体温は37度3分と少し高くなりました。
夜10時頃、胆管炎治療に頂いた痛みと炎症を抑えるロキソニン錠を飲みました。16日朝の起床時には痛みは消えていましたが微熱37度3分ありました。
16日 (日) 病院は休診。胸部の痛みは消えましたが弱い頭痛で、食欲なく1日寝ていました。夜12時頃体温38度1分、毛布をはいで体を冷やすと37度6分になりました。
17日(月)異常に重い胸の痛みに町の厚生病院内科の診察を受けました。胸部レントゲン、血液検査等の診察の結果、胸部に異常はないが、微熱と血液検査に問題があるので定期診察を受けている中央病院の消化器科の診察をすぐに受けるようようにと紹介状を頂きました。
すぐに、その日の午後、中央病院を訪れると午後の外来は休診だけれども、消化器科主治医の野村先生が特別に診察してくださって検査入院をすることになりました。
18日(火)消化器科で血液検査、胸部レントゲン、肝臓と胸部のCT検査、肝臓のエコー検査などして頂きました。
19日(水)朝、主治医の朝野村先生が回診され消化器系に異常は認められないが、胸部の痛みがあるので循環器科で診察頂くよう手配した。もし循環器系に異常がなければ退院出来るとつげられ嬉しくなりました。
しかし当日は、循環器科では外来診察が多く、私の診察は午後5時過ぎになりました。その間弱っている体を鍛えようと私は病院内をエレベーターをつかわず階段をつかって歩行して運動していました。今考えるとすごい危険な命に関わる行動でした。
もちろん、循環器科への診察にも元気で徒歩で行きました。
循環器科ではすぐに、心電図検査と心臓のエコー検査をうけました。ところが思いもかけず主治医の先生は真剣な顔で、「これは心筋梗塞です。心筋梗塞の治療は8時間が勝負です。あなたの場合は発症後5日もたっておりきわめて危険です。すぐにHCU(集中治療室に入院し治療をしなければなりません。」そう告げられるとあれよあれよというまに酸素吸入やたくさんの電極が体につけられベット近くのモニターが怪しく点滅して輝いていました。そして10日間絶対安静にしてないと心臓が破裂する可能性があるとつげられました。大きなボトルの点滴が2つもつけられあっという間に重病人になってしまいました。
そしてそれから2ヶ月、辛い苦しい闘病生活が始まったのです。一日一日が苦しみに耐える積み重ねでした。夜中に失神して倒れ、気づくとベットごと頭部のMRI検査に運ばれるている途中でした。幸い最も恐れられていた心筋梗塞に付随する脳梗塞ではありませんでしたが原因は分かりませんでした。そのため主治医の先生が心配なさり入院治療が普通の人の倍になりました。また激しいじんましんの症状がでて全身がかゆく眠れぬ夜昼に苦しみました。治療が進んでの毎日ベットと病院の廊下を歩行するリハビリだけの単調な長い治療期間で拘禁症状と言うんでしょうか悲しくて寂しくて涙が出たりする異常心理にもなり苦し見ました。
そのような苦しみに耐えて、死への道から生き返らせて頂くことが出来たのは、もちろん優れた中央病院の先生方の医療の知識と技術と、最新のCTやMRIその他多くの医療設備とその技術者の方、そしていつも笑顔で苦しみやつらさに耐える患者を優しく介護してくださった看護師さんの方のおかげです。
深夜突然に意識を失った私の診療のために駆けつけくださった主治医の先生、じんましんのかゆみに耐えられず安定剤を頂いて眠り夜思わず失禁してしまい落ち込んだ私を笑顔で慰めながら、下着からベッドのシーツとマットまで替えてくださった若い看護師の方、私のわがままな闘病生活の不満を暖かな心で聞いて主治医の先生にそれを伝えてくださった年配の看護師の方、私の苦しい2ヶ月の闘病生活は感謝仕切れないほどの親切に囲まれていました。
そして2ヶ月ようやく退院の許可が出て、頂いた処方箋の薬を頂くために訪れたこくぶ薬局の前にこのお地蔵さんがお立ちになっていて「さんたろう、よくがんばったね。よかった」と私を迎えて下さいました。とても嬉しかったんです。
ようやく帰宅した私は入院中なにかとお世話頂いたお隣の家にお礼に行きました。ところがわずか30mほどのその道が退院したばかりの私にとっては息切れがして苦しい遠い遠い道でした。
その後3ヶ月ごとの定期診察治療をうけながら自宅リハビリを続けました。定期診察治療を受け薬局に回るたびこのお地蔵さんは私を励ましたり喜んだりして下さいました。
初夏の鮮やかな緑のときも
深く濃い真夏の緑のときも
冷たい雪の真冬のときも
いつも私を慰め励まし私と一緒に喜んでっも下さいました。
退院して一年、お地蔵さんの励ましと、私のリハビリの努力の甲斐があって毎日1kmほどのリハビリ散歩も出来るようになり、お祭りや初市などの写真もとることが出来るようになりました。私が生き返ったのです。
そして約6年近くたった私の今は毎日7000歩前後の散歩を息切れもせず楽しむことが出来るようになっています。3ヶ月ごとの定期診察は受けてはいますけど心筋梗塞の自覚症状はありません。
きょうもお地蔵さんに「私今元気です」と報告してお祈りすると「よかったね」と応えてくださるのです。私にとってほんとうに有り難く嬉しいお地蔵様なんです。
今日はすばらしいいい天気でした。明日もまた快晴、朝は放射冷却でマイナス6度の予報です。3月春です。嬉しいです。残りの命しっかりと生きようと思っている私です。