さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

JR会津只見線滝谷川(たきやがわ)橋梁の紅葉輝いて

2015-10-30 | 日記
 
上り、そして下りの列車撮りました










 昨日、中野集落の岩清水から汲んできた水も切れたし、滝谷川谿谷の紅葉も綺麗になっているかもしれないということで、岩清水を水タンクに汲んだり、滝谷川橋梁を渡る列車を撮って見ようかと思ったりして中野集落に行ってきました。

 天気予報は午前中は曇り正午頃から雨ということで紅葉の撮影には向いていないとは思ったんですけど岩清水から汲んだ水もなくなっていましたので出かけることにしました。

 7時30分からのNHKの朝ドラを見終わって8時に車で出発し中野集落から林道の道をしばらく登って8時35分ころ撮影ポイントにつきました。

 天候もよくないし、ウィークデイでもあるし、それに早朝でもあるし、SLの運航日でもないしまさか夏の頃見つけておいた橋梁の撮影ポイントに誰か来ているなんてことは思っても見ませんでした。所がいって見ると林道の駐車出来る狭い場所のあちこちに車が見えるんです。もう誰かが来ているみたい、焦りましたあんな狭い場所に三脚を立てる場所が残っているだろうかと思ったのです。

 
撮影ポイントの場所は写真中央の細い杉の木3本が見えるあたりです



 中野林道を登ってようやく駐車出来る場所を見つけて車を置いて撮影ポイントに行って見ると一番いい場所にはもう三脚が3本も立っているのです。しまったと思いましたけどようやく三脚を立てる場所をみつけカメラをセットしました。

 ところがあとで分かるんですけど気がせいていて標準ズームレンズをつけておいたカメラの露出補正をマイナスがわにセットしておいたのを修正しなかったのです。当然標準レンズを装着したカメラはみな露出不足で修正するのにあとでだいぶ苦労しました。惚け老のいつも大失敗です。

 カメラのセットが終わりホットして橋梁のバックの山を見ると紅葉は今が真っ盛りで美しくとても嬉しかったんです。今日きてほんとによかったと思いました。

 ところがベテランの撮り鉄さんらしい方がどんどんお出でになるんです。ベテランの方はすごいです。どこに三脚を立てるのかと見ていると、やっと立っていられような急な崖の斜面にさっさと三脚を立てカメラをセットされるんです。見事でした。

 どこからお出でになったんですかとお聞きするとなんとまあ近くの方ではなく東京・長野。茨城などの方なんです。この撮影ポイントのある中野集落は国道から県道の山道をしばらく登ったところにあり、しかも撮影ポイントは中野集落からまた細い林道をしばらく登った林の中です。どうしてこんな林の中の撮影場所が分かるんだろうかと不思議に思って聞いてみるとこの場所は撮り鉄さん仲間では全国的に有名な場所なんだそうで驚きました。

 私の近くの東京からお出でになったとおっしゃる70歳くらいの方は昭和40年(1965)SLの時代からず~っと会津只見線の列車を撮り続けているとおっしゃるんです。若い頃はあの橋梁の向かいの山の中腹から煙を噴いて走るSLを撮ったとおっしゃるんです。すごいかたです。そこに行くのは車で国道から隣の集落桧原(ひのはら)までいって1~2km線路沿いに歩かなければなりません。私などのゆける場所でないんです。

 8時59分、下りの川口行きの3輛編成の列車が通りました。
 撮り終わって9時23分上りの会津若松行きの列車を待っていると天気予報では曇りまたは雨でしたのに急に天気が回復して太陽の光を受けて紅葉が輝きました嬉しかったんです。上りの2両編成の列車は輝太陽の光に輝く紅葉の中で撮ることができました。思っても見ない幸運でした。

 撮り終わって三脚カメラをたたんで帰ろうとすると皆さんは誰一人機材をたたもうとはしません、次の列車を待つんですね。次の列車は上りが13時12分、下りが14時24分です、つまり熊さんが出没しそうな山の林のなかで4時間も列車の通過するのをを待つんです。ベテランの撮り鉄さんの執念ってすごいと思いました。

 帰りは柳津で名物の粟饅頭を買って帰りました。家についたのは10時ちょっと前です列車撮影と、岩清水を汲んで2時間ほどの短い時間でした。でも今年はもう紅葉の中の列車を撮るのはやめることにします。だって遠くからお出でになっているベテランの撮り鉄さんで撮影ポイントはいっぱい、私などが三脚を立てるよちなどなさそうですから。

 今日は短い時間でしたけどとても充実した時を過ごせました。美しい紅葉も撮れましたし美味しい岩清水を20リットル入りのポリ容器二つに汲むことが出来ました。嬉しい一日でした。

会津坂下 町中ハイキングを楽しんできました

2015-10-26 | 日記

 10月24日(土)曇り日でしたけど第4回町中ハイキングに参加してきました。ハイキングコースが前回より遠く約5km,ちょっととあって、ちょっと遠いかなと不安もありましたけど重いカメラを持って皆さんの列の前後を走り廻って結構楽しむことが出来ました。

 皆さんお若い方、私の息子や孫やひ孫の世代の方ばかりで戸惑いもありましたけどずうずうしく仲間に入れて頂きました。皆さんおかしな爺いがおかしなことをするのをおかしいと思ってみていらしゃったと思いますけどとても親切に扱って頂きました。

 集合は会津坂下駅でした



 
会津坂下駅から会津坂本駅まで電車です。日頃あまりJRなどに乗りませんから皆さん楽しそうでした



 坂本駅について、電車の旅が楽しかったんでしょうね笑顔で降りてきました



 
駅の正面からは遠回りになりますので、あれれ・・いいのかな裏口から線路をまたいでおりました



 
坂本から片門(かたかど)発電所まで最初のハイキングです



 小学校2年生の女の子も



 88歳の爺いも元気です。ずうずうしくもカメラ担当の女の方にカメラを渡してシャッターを切ってもらって手など振っています。困った老体の爺いです。


 みんなで楽しいハイキングでした。


 片門(かたかど)発電所を見学しました



 
大きなダムを渡り片門側に渡りました



 
ダムの展望所は高くて怖かったです



 
高寺コミにティセンターで丁寧なご指導を受けて蕎麦打ちを体験しました





 州走の湯(すばしりのゆ)につきました。静かな山際の秘湯と呼ばれるにふさわしい温泉でした。古くからみんなに親しまれている歴史のある温泉だと聞いています。


 自分たちで打った蕎麦を宿の方にゆでて頂いてみんなして食べました。私など少しも手を出さないで見ていたばかりなのにずうずうしく美味しく腹いっぱいに食べました。


 州走の湯からサービスに出して頂いた汁はとても美味しかったです。山鳥?・キジ?の肉がいっぱい入っていたようなんです。とても懐かしい味でした。

 
やわらかく肌に優しい州走の湯につかって疲れを癒やしました



 本当に楽しい町中ハイキングでした。
 皆さんお若い方ばっかり、そんな方の中にずうずうしくも90歳近い老体を参加させて頂いて本当に嬉しかったんです。
 階段を上がり損ねてよろけた爺いをさっと抱き留めて「大丈夫ですか?」と声を掛けてくださったり。耳の遠いためぼんやりしてる私を上手に引き回してくださったり。ほんとうにお世話になりました。

 役場の商工観光課の皆さん、いろいろと丁寧に説明して下さった皆さん、そして私を仲間に入れて下さったお若い皆さん、本当に有り難うございました。とても楽しく意義のある町中ハイキングでした。


 
参考までにハイキングのスナップ写真を掲載してみます。お暇の折りにでも見て頂ければ有り難いです


町中ハイキングをお世話下さった方々



朝のミーティング



電車を待つ皆さん



電車の中の皆さん



坂本駅について



坂本駅をおりる皆さん



発電所



美しいダム湖



ダムを渡ると紅葉の始まった綺麗な森の道でした

片門へ



片門です



蕎麦打ち体験








ポンプ小屋の桜紅葉して遠い日の思い甦る

2015-10-25 | 日記
 

 この桜、一度切り倒されたのにひこばえが芽生えてこんなに大きくなったんですよね。
 私は切り倒される前の桜も、そして大きくなったひこばえの桜もず~と見続けて来ました。

 どなたさんでしたか元の桜の美しい花の姿を撮ってなにかのコンクールに入選したのを覚えています。私も毎年この桜の写真を撮るんですけどあの写真のように美しく撮れないで悔しい思いをしております。

 私が30歳台の頃はこの桜の向こうに広がる圃場は水利の便が悪くてあちこと自噴する掘り抜き井戸(どっこんすいと言っていました)を掘削して灌漑しておりました。そしてこの桜の土手のこちら側に流れる川に小さいダムを作ってポンプで水を汲みあげて灌漑用水にしていました。そのポンプ小屋がここにあったんです。

 やがて大規模な圃場の基盤整備がおこなわれ立派な用水路も作られポンプによる揚水が必要なくなりましたのでポンプ小屋が取り払われ、どうゆう分けか私は知りませんけどポンプ小屋の近くにあった桜も切り倒されたのです。でも残された幹からひこばえが芽生えやがてこんなに大きくなったんです。

 ポンプ小屋が取り払われたのは私にすればつい2~3年前のことのように思われるんですけど、ひこばえの桜がこんなに大きくなっているんですからもう長い年月がたっているんですよね。

 今はもうこの桜をポンプ小屋の桜と呼ぶ人少なくなりました。あれあれと思う間に年月がたってしまって私はこの大きな集落の中で二番目の古老になってしまっているんです。

 花の桜の頃、若葉の桜のころ、緑濃い桜の頃、葉を落として厳しい吹雪の中に毅然と立ってる桜の頃、私はそれぞれの思いを込めて私はこの桜を長い年月を見続けて来たんです。 

 この桜の堤の下を流れる旧宮川と呼ばれる緑地公園の中の小さな川は、かつては緑公園の河川敷いっぱいに流れるの大きな宮川でした。子どもたちの水泳場でもあり、集落の若者たちが信仰の山飯豊山に登拝するとき鎮守にお籠もりをして水垢離をとる場所でもあったなどはもう遠い昔物語になってしまいました。

 私よりも高齢のおばさんから「宮川の土橋が洪水に流されて丸太の一本橋になった時にも家の旦那たちは夜になると危険な一本橋を渡って坂下の町に飲みに行ったもんですよ」と懐かしそうに話していました。私は昔の男達はなんと気骨のあったことよと感動して聞いていました。

 それやこれやの楽しかったこと、失意にひしがれていた時のこと、誇らしげに、あるいは人様にいえない秘め事もなかった分けではなっかった若いときのこと、などなどいつもこのポンプ小屋の桜は私の心と一緒だったんです。思い出をいっぱい甦らせてくれる大事な私の心のポンプ小屋の桜なんです。

セイタカアワダチソウが輝くように咲いて 秋の道

2015-10-21 | 日記


 セイタカアワダチソウは太平洋戦争後にアメリカ軍の輸入物資についてきた種子によって猛烈な勢いで日本中の野を席巻した外来種ですよね。

 当時はテレビなどない時代でしたけど、日本古来の自然を破壊する外来種として週刊誌などに激しくたたかれました。しかも虫媒花で風媒花のように花粉をまき散らすことがなかったのに花粉症の元凶などと間違った報道がなされて人々に激しく恐れられ嫌われました。今も要注意外来種として指定されており、私も好きになれない植物のひとつです。

 でもセイタカアワダチソウはいつの間にか日本の風土に慣れてかつてのような猛烈な繁殖力もなくなり30cmから50cm程の小さい姿も見られるようになり、切り花用の鑑賞植物として萩の代わりに用いられてもいると聞いております。

 私は散歩道で日本古来のスミレやエゾタンポポやオドリコソウなどをみると心が安まるのですが、散歩道の両脇にびっしりと咲いている西洋タンポポやヒメオドリコソウなどの外来種を見ると嫌悪感いっぱいになるんですけど、同じ外来種のオオイヌノフグリやヒメジョンやハルシオンなどの花はそれなりに美しいと思って撮ってしまいます。でもスミレやエゾタンポポやオドリコソウのように安らいだ嬉しい心にはなれないのです。心の底に外来種を嫌う思いがあるからなんですね。

 昔「貧乏者は麦を食え」と言った総理大臣がいらっしゃって問題になっったことがありました。当時は白米はお金持ちの、小麦や大麦は貧しいものの食べ物という考えが一般だったんですね。今は美味しいパンはお金持ちも貧しい者もみんな同じように食べてます。

 今は生活のすべてがアメリカナイズされていて私のような古い人間は別として北アメリカ渡来のセイタカアワダチソウも多くの人にはそんなに嫌われた植物ではなくなったんですね。

 古人間の私でさえ、空き地や休耕地などに咲き誇っているセイタカアワダチソウなどはどうしても好きになれませんけど、時にはあれセイタカアワダチソウも結構綺麗に見えるなどと思う時もあるんです。この写真にしてもあれっちょっとおもしろい、散歩道が輝いているなどと思ってシャッターを切りました。でも私のような古人間はまだまだたくさんいらっしゃいますからこんな私は激しく叱り飛ばされるかも知れません。