爽やかな初秋の散歩道遠くまで
コロナのことなど忘れてルンルン歩きました。私一人の散歩道,,マスクなどいらないんです。爽やかな初秋の散歩道を愉しみました。
爽やかな初秋の村が静かです
散歩道コロナウイルスのことなど一瞬忘れてしまうんです
広々と稔り豊かな圃場の遠く町の東小学校が見えてます
今年も豊作間違いなさそうです
8月20日頃から業者の社員寮で起きたクラスターによる10数名のコロナ陽性者が出て小さな町がびくりしましたけどどうやら治まりそうそうです。
なんやかや言いますけど世の中よくなっているような気がします。私が小学校2年の頃はしかが流行して私も罹患して自宅で10日ほど寝て高熱に耐えました。当然の如く医師の診察治療など受けず母と父の看護で完治しました。治療と言えば大根下ろしを濡れた手ぬぐいでくるんで額に載せて耐えていたんです。
また小学校6年の頃村にチョウチブスが用水路の流れにそって大発生しました。人権もななにもあったものではありません。罹患すればうむを言わせず集落の協同作業場に隔離され筵をしいた上の布団の上で完治するまで寝かされていました。一日おきくらいに病死した人を焼く山際のけむりが見えて怖かったです。有効の治療法などなかったと思います。
級友で一番優秀で級長をしていた友が罹患して2ヶ月ほどして登校しましたけど頭髪は赤くなって薄くなっていました。活発だった友はふぬけたぼんやりの姿になって居ました。1ヶ月ほどで元通りの元気な級長になりましたけど。でも仲間外れなどありませんでした。
でも人権を無視した患者の強制隔離などで1ヶ月ほどで流行はとまったような記憶です。
赤痢などもときおり流行し感染すると作業場などにウムを言わせず隔離されました。70数年ほど昔のことです。
愉しげに群れ遊ぶ雲の空を愉しみました。
豊かな稲穂広々と遠くまで
どうやら今年も豊作みたいです。
でも会津の小さな私達の町(人口16.300)の某事業所の寮にクラスターが発生して20歳の女の方10数人がコロナ陽性とニュースがありました。全国的に見ても東京都が新たに3081の新しいコロナ陽性者とか。怖いです、幸いに私たちの町はおさまりつつありようですけども
テレビではオリパラや野球の放送が華やかですけども、8月中旬までの今年の冷たい雨の異常気象や治まりそうにないコロナ禍を思うとでなんか変だな思ってしまう私なんですよ。
古老の私がこの集落の古老から聞いた話によると数十年昔の豪雨のときはこの集落の道路に洪水の濁流が激しく流れたというんんです。
「白髪白髯のおきなが流れる濁流に浮かぶ流木に乗って流れ下っていった」という「しらひげの洪水(水)の言い伝えも聞いたことがあります。
(私は奥会津只見の生まれで30歳の頃この町(ばんげまち)の町民にさせていただいたいうなれば新参者なんです。(60数年この町で暮らしていますから町の古老みたいになっていますけど)
昔は会津野は洪水の常習地帯だったらしいんです。でも現在は大河の阿賀川にはしっかりした堤防が作られ、私達の町を流れる宮川は昔は大きな流れの川でしたけど今は上流で流路が変更され阿賀川に合流れるようになって宮川の今はは小さな小川になって洪水の心配は全くなくなりました。先人たちの労苦と功績に感謝しなければなりません。
旧宮川の広い河川敷の今は町に近い所は広く多目的の緑公園になっていているんですよ。
身支度を調えて玄関を出ると初秋の爽やかな空が迎えてくれました。
快晴ではありありませんけど集落の眺めはは静かで平和です。
野の道にはヒルガオの花が咲き誇って迎えてくれました。
広々とした田ん圃の稲穂はもう垂れていました。
間もなく、熟年のコンバインのご主人と、軽トラの奥様のお二人の稲刈るお姿が見られるようになります。惑いなどないお二人のお姿が満ちたち足りて見えています。農家の奥様方は惑いなどなくご主人様を「うちの人」とごく自然におっしゃいます。「主人」「おっと」いや「パートナー」どう言おうかなど、そんな惑いはないみたいです。
私の知ってる方はみなそんなここと意識している方は少ないみたいです。もともと上下などなくってそれぞれの立場と仕事を果たしあいながらのごくごく自然なお二人の生活ですから。みんな「うちのじいちゃん」「うちのばあちゃん」といっています。めおとに上下の関係などあろうはずがないと私は思うのです。いつも使っている言葉でいいと思うんです。
ボケ爺いのボケ談義ご免なさい。さっぱり意味がわかりません。「婦唱夫随」の自分の家庭の言いわけでしょうか。ごめんなさい。