さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

黄菖蒲の咲く頃ちまきの薫りして

2012-05-26 | 日記


 黄菖蒲の花が川辺に咲くと遠い昔の端午の節句を思い出します。幼い頃は正月とか節句とかの年中行事はみな旧暦(太陰暦)でおこなわれていました。今年の旧暦での端午の節句は6月24日のようで少し遅いですね。

 幼い頃育った貧しい山峡の8軒ほどの集落には端午の節句の鯉のぼりや武者人形などは無縁でした。幼く貧しい私たち子供たちは鯉のぼりなってちっとも知りませんでした。


 

 でも、端午の節句は、軒先に菖蒲とよもぎを挿して、日の高いうちに菖蒲を入れた風呂に入り、父や母や弟妹たちと晴れ着に着替え、真っ白なご飯と母の手作りのご馳走を食べて祝う晴れの日でした。小さな澄んだ沼地から菖蒲と蓬を採ってきて軒先にさすのは子供の大事な仕事でした。わくわくしながら菖蒲採りにいった日の喜びは今でも鮮やかに思い出されます。それに「つのまきを」作る笹の葉を採ってくるのも子供仕事でした。


         つのまき=笹巻きともいいます。餅米を笹の葉に三角錐の形に包ん茹でて作ります。

 節句から何日かはおやつに真っ白な餅米のつの巻きを黄粉で食べることができるのです。日頃は貧しい食事、カテメシといって大根の葉をほした菜を細かく刻んだもの混ぜて炊いたご飯を食べていました。お米はとっても貴重なもので真っ白なご飯は晴れの日以外食べることができなかった当時の子供たちにとっては節句のご馳走は夢のようなおいしいご馳走だったのです。

 そして6月、新緑の山毛欅の森からは「ミヨーギンギン」と蝦夷ハルゼミの声が聞こえてくる初夏になるのです。



 小学校4、5年にもなると父や兄の代掻きの馬の鼻採りをし、田植えをする人たちに苗打ち(苗を投げて補う)をし充分農作業の役に立っている子どもたちでした。
        鼻撮り=馬の口に長い棒をつけ代掻きが隅々まで行き届くよう馬を引き回すこと

 だから田植えが終わって祝う「さなぶり」、「端午の節句」のお祝い、忙しい6月(旧歴5月)は子どもたちにとって生き甲斐のある嬉しい晴れの月でもありました。

 今はもう菖蒲の生えていた沼地は圃場整備で消え去りあの薫り高い菖蒲はどこにも見あたりません。ただ遠い日の思い出を呼ぶキショウブの花を懐かしんでいる老いの日々です。 







はぐれカモが初夏の川辺の昼下がり

2012-05-25 | 日記
 静かな緑の川辺を散歩していたら一羽のカモが独り寂しく泳いでいました。
 なんか身につまされてかわいそうになりました。



カルガモは3月頃までは群れで暮らしています。平和なカルガモの群れです。先頭の3羽はコガモ(種類)のようです。



 4月になるとカルガモの群れはなくなり、仲のよいカップルになります。



 4月末になるとカップルはおかにあがって草むらの中に巣を作ります。



 5月、川面にはカルガモの姿はありません。かわりばんこに卵を温めているんでしょうね。
 緑の流れの中の1羽はカップルを作れなかったかわいそうなカモなんですね。ほんとにカモでなくてよかったと思いました。もし私がカモだったら確実にはぐれカモだったでしょうから・・・





おしどりもバンもめおとで昼下がり

2012-05-24 | 日記
 初夏の宮川の流れにカルガモよりも小ぶりのカモのめおとが泳いでいました。
 どうやらおしどりの夫婦のようなんですよ。雄鳥の目を通る白い眉斑、喉から頸にかけての橙赤色の飾り羽根がはっきり見えます。おしどりの最大の特徴のイチョウ羽根ははっきりしませんけどたぶんおしどりだと思います。渓流の鳥だと聞いていますけど、この宮川で見ることが出来るのは珍しいと思いました。



 おしどり夫婦と言いますけど仲が良さそうです。

 こちらはバンのご夫婦です。おしどりさんとは少し違うみたいです。それぞれの離れた場所で勝手気ままに泳いでいるみたいです。もちろん仲良くですよ。



 こちらがどうも雌鳥らしく。いきいきと思うままに泳いでいます。



 こちらがどうも雄鳥らしく見えます。独りでしょんぼり泳いでいますから。



 これは、自分たち夫婦に当てはめて考えているんですから当てにはなりませんけど。

おしどりのアップ写真です


バンのアップ写真です


ヤンバルクイナのアップ写真です

ヤンバルクイナの写真はグーグルで検索してお借りしました。

思い出の飯豊の尾根が輝いて

2012-05-23 | 日記
まだ、カッコウの声は聞きませんけど、広い圃場の田植えも終わってすっかり初夏の季節になりました。



隣の集落和泉川原から、飯豊本山から大日岳への尾根が輝いて見えています。若かった頃のいろんな思い出がよみがえってきます。

 息子たちがまだ中学生だった頃、2泊3日の日程で飯豊本山から大日岳への尾根を歩いたことがあります。息子たちは山の雄大さ、神秘さ、美しさに感動してくれました。そしてその影響からか息子の一人はすっかり山男になってしまって、おかしな道具をガラガラさせて仲間と岩登りに熱中するは、何組もの遭難者のでた冬山に登っていて親を心配させるはで困った息子になりました。その後いい配偶者を得て岩登りの道具は孫たちのブランコなどのおもちゃに変わりましたけど・・その息子もまもなく定年退職です。

 遠い遠い85歳じじの懐かしい思い出の尾根が輝いています。

どじょっこだのふなっこだのいくどこねえなと泣いてべな

2012-05-21 | 日記
 私の散歩道は、私の家の近くの鶴沼緑地公園です。テニス場やゲートボール場、それにグランドゴルフの芝草の広場もあってとっても楽しい公園です。



 旧宮川の八千代橋から昨年まで坂下第1中学校だった校舎の裏まで続く公園です。登下校の生徒やランニングをする部活の生徒たちは、見知らぬじじの私に「今日は」とよく声をかけてくれました。挨拶を大事にする生徒たちでした。



 でも、今は町の中学校の統廃合で旧坂下一中はなくなり生徒や先生のいない校舎だけ静まりかえっています。そして緑地公園から坂下一中の生徒たちの姿は消えました。



 公園の中の宮川は大きな鯉や鮒それにナマズなどが釣れて大勢の人が釣りを楽しんでいました。
 大きな鯉を釣り上げた名人のおじさんです。



 これは大きなナマズです。



 たくさんの人が釣りを楽しんでいました。







 それが今年は静かなんですよ。日中の散歩ではほとんど人を見かけなくなりました。静かな無人の公園になりました。



 原因が分かりました。あまり目立たないところにあったので気づかなかったんですけどこんな掲示板があったんですよ。会津地方の放射能汚染は小さくて大丈夫と思っていましたけど・・やっぱり・・汚染されていたんですね。ちょっと心配になりました。



 放射能汚染とそれに中学校が統合されて校舎が無人になってしまったので緑地公園が静かになってしまったんですね。

 それにしても周りの自然から昆虫類がめっきり少なくなりました。あれほどいた田んぼのイナゴと蛙と赤トンボは姿を消しました。一昨年まで家の軒下にはジョロウグモの巣がとってもとっても張り巡らされていたの今年は一匹もいません。そして隙間のないほどついていたアシナガバチの巣は1個もありません。花蜂やカメ蜂、土蜂など蜂類の姿はめっきり少なくなりました。これでは植物の花粉受粉出来なくなるのではと心配になります。

 放射能汚染のせいでしょうか、農薬の汚染のせいでしょうか、こんなに自然の中から昆虫や小動物が消え、川辺の森からホオジロやホオアカの小鳥や綺麗なオナガの群れが消えています。こんなに自然が壊されて大丈夫なんでしょうか。家のばばは虫のいなくなったのを喜んでいます。でもじじはなんだか心配です。

 川の流れの中では汚染され餌もなくなってふなっこやどじょっこたちがもう行くところがなくなってしまったと泣いているんではなかろうかと思うのです。