昨日までの猛烈な吹雪が嘘のような明るい今日の雪景色です
明日は二月一日、二日は節分、幼かった古里小立岩の節分の夜を思い出します。学校に上がる前の5歳6歳の子供たちが夜一緒になって布袋を持って上の家から訪問して蒔かれる「福は内鬼は外」と蒔かれる豆を拾うのです。私の家などは炒った大豆だけでしたけど、しろへいさんの家のように豊かな家で蒔かれる豆には美味しいお菓子も入っているのです。節分って子供にとっては楽しい夜でした
三日は立春、心が明るくなります。
昨日までの猛烈な吹雪が嘘のような明るい今日の雪景色です
明日は二月一日、二日は節分、幼かった古里小立岩の節分の夜を思い出します。学校に上がる前の5歳6歳の子供たちが夜一緒になって布袋を持って上の家から訪問して蒔かれる「福は内鬼は外」と蒔かれる豆を拾うのです。私の家などは炒った大豆だけでしたけど、しろへいさんの家のように豊かな家で蒔かれる豆には美味しいお菓子も入っているのです。節分って子供にとっては楽しい夜でした
三日は立春、心が明るくなります。
この冬最強の吹雪です。
でも二日も家の中にウジウジしてては変わり者の偏屈爺いはたまりません。ばばちゃんに「買い物にでもいてこようか」というとあきれ顔のばばちゃんは「こんな吹雪に?」などいうと意地になって怒る偏屈爺いとよーく知っていますから「じゃー仏様にあげる花とわかめを買ってきて」といいました。
リュックをしょってドアを開けるとすごい吹雪です、でも言い出したてまえ止めるわけにはいかずゴム長はいて飛び出しました。
集落のうちはよかったんです、道路は消雪道路で雪はありませんから、それに古里が豪雪地帯に奥会津只見の爺いです。ぴちぴちらんらん平気です。元気にあるって行きました。
ところがどっこい国道にでたら歩道が除雪されてなくてあるけません、やむなく街の裏道を遠回りしてcoopへ行きました。coopにはいると欲しい物がいいっぱいあって、牛乳に肉に野菜にトマトに等々・・カートの買い物籠はいっぱいになりました。リュックにつめると肩に食い込む重さです。裏街通りの道は遠いんです。疲れました。
玄関にはいるとしばらく荷を下ろして休んでいるとばばちゃんが優しい笑顔で「ご苦労さま」といいました、。「なに只見うまれ俺だ、こんなのなんのこともない」というような顔してしばらく腰をおろして休んでいました。かっこつけて強がるのもよういじゃありません.,ばばちゃんはいつものことと心のうちで笑っていたとおもいます。
人間素直が一番としみじみ思いました。おとこの沽券をままおるのもたいへんです。
昨日まで穏やかな冬の会津と思っていましたが今日の会津は一変して猛烈な寒波来襲吹雪いています。
この吹雪摂らなくちゃと元気だしてとびだしましたけど強い吹雪に負けてそうそうにひきあげました。道路は地下水利用の融雪道路ですけども平地の積雪は15cm程度です。でもばばちゃんがデーサービスから帰る頃には30cmくらいにはなると思われます。
帰る時刻前には車が入れるように庭の除雪をしなければなりません。頑張らなくちゃあと思っています。
美味しい馬刺しで有名なんですよ。
会津から越後への街道の国道49号線を車で坂下を通過される方は車を止めて美味しい馬さし(ばさし)を買い求める方が多いと聞いています。でも馬刺しは決して古い時代からのたべ物ではなくって食べ物として有名になったのは近々40年か50年でしょうか。私の幼なかったころ、いや20歳頃までは(70年前頃)までは馬の肉など食べる者などはいなくて、ときおり狂気不逞の若者が馬の肉を食べたなどと聞くと身震いするほどの怖い話だと思っていました。
それがさくら刺身とか馬刺しとか言われて多くの人が賞味するようになったのは老体の私には人間の質が落ちたんじゃなかろうか?とさえ思うときがあるんです。もちろん私は馬刺しなど恐ろしくて食べたことなど一度もありません。
私は奥会津只見の出身です。わたしの家は農家ではありませんけど家内の実家も母の実家もそれなりの平均的な農家で写真のように立派ではありませけど曲がり屋と言われるような農家式の居宅に住んでいました。
おもやに写真の左側のような住居がL字型についているのです。L字型の部分の入り口の左の部分はトイレ、そして二階の部分は家畜の飼料の乾燥した葛や藁などの貯蔵場になっており、奥の母屋に接続してる部分が馬や牛の家畜部屋なっているのです。母屋のその部分は母屋の中で一段したの居間になっており囲炉裏を囲んでの普段の暮らす場所や作業ばなっているのです。その居間の戸を開けるとすぐに馬や牛の姿が見える家畜部屋になっているのです。
私は子供の頃母の実家を訪れたとき夜餅をついてご馳走してくれることになりました。私の驚いたことは餅をつくために蒸かした餅米を臼に空けるとすぐに飯椀にいっぱいの蒸かした餅米を盛って馬に持っていって食べさせるのです。馬は家の人と同列の扱いなのです。
母の実家の家族は祖父母夫婦・主人夫婦・子供5人・それに馬なんです。
馬は物の運搬・田んぼの耕耘などになくてならぬ家族でした。母屋への入り口は曲がり屋のつけねの玄関と馬屋を通る入り口との二通りあるんです。主人が仕事から帰ると必ず馬小屋を通ります。すると馬は喜んで「ひひひーん」と鳴いて前足で土をかいて喜びます。
馬や牛は今のペットのニャンコや犬とはひと味違う大事な家族なんです。
農家が軽トラやトラクターや田植機やコンバインをつかって馬や牛などを飼わなくなっ50年か60年になります。そして馬や牛が大事な家族であるの意識はなくなっています。
ですから今の若い人の農家の方は平然と美味しく馬刺しを食べることができます。私の古い友人のひとりはあるとき何かの席で一切れの馬刺しを食べさせられてその夜愛馬が血をながして死んでいく夢をみて目覚めて怖かったといっていました。
私はどんなにおいしかろうと馬刺しは一切れでもたべるなんて考えることもできいないんです。今はもう可笑しな変人なんですよね。私は馬刺しを食べる人こそ変人だと思っているんですけもね。
宮川に架かる橋に設置されている水位計の検査をなさっている作業員の方にお会いしました。
水位計は橋の手すりにカメラを設置して宮川の流れの水位を記録する装置らしいです。作業の邪魔にならなようにそっと通ろうとすると丁寧にお辞儀をされて「どうぞお通り下さい」と腕であいづしてくれました。なんか嬉しくなって私も丁寧にお辞儀をして通り過ぎました。なんの面識もない作業員の方たちですけどもなんかほんわか温かい気持ちで通り過ぎました。いい人たちだなと思いながら散歩を愉しみました。