さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

小さな流れの緑が遠く見えていて

2020-06-29 | 日記

私は橋の上から眺めながら湧いてくるいろんな思いを懐かしみ楽しみました。

 

私は奥会津の只見町からこの町に移住してもう60年になります。奥会津は会津と言ってもお蔵入りと称して幕府の直轄領でしたから言葉も生活習慣も会津とは違っていてだいぶ苦労しましたけど今はすっかりこの町の住人になりました。

たとえば只見町では親しい友人同士でお互い相手を呼び合う言葉は「おぬしは」がなまった「にっしゃ」でした。ところがこの町では「にっしゃ」は相手を呼び捨てにする罵詈雑言の言葉でした。反対に60年前のこの町では奥様が旦那さまを呼ぶときは「おまえ」がなまって「おめえ」でした。(今は「あなた」だろうと思います。)ところが只見では「おめえ」は相手を軽蔑し罵る言葉でした。


丁寧語(敬語)は人とつきあうにはとても大事です。私はすっかり心を許しあえるようになった友人にうっかり気をゆるして「にっしゃ」と呼びかけてしまって「にっしゃ」とはなんだと怒られあやうく親しくなった友を失いそうになったことがあります。


新しく親しくなった友人は「この小さな流れはもとは鶴沼川という大きな流れで子供の頃は夏になると橋の上から飛び込んで遊んだものだし、対岸に泳ぎつくことの出来るのは泳ぎが上手でたっしゃなものだけだったんだと言いました。

また当時の鶴沼川は暴れ川で洪水があると私が住んでいる家の前を洪水の濁流が流れたもんだとも古いひとたちから聞いてもいました。

でも前の時代に河川改修がなされでしっかりとした堤防の堤がつくられ、流路変更工事で鶴沼川の上流で流れが大川に流れるように改修され鶴沼川はこんな小さな流れになってしまったのです。

いまはこの小さな流れは河川改修と圃場の基盤整備で直線で流れるようになっていますが私がこの町に移住した当時は蛇行して流れておりました。流れの堤に穴をあけて綺麗なカワセミが巣を作り子育てをしていましたし、カワセミがたくさん飛び交ってもいました。当時は養魚場を経営している方もいてカワセミを害鳥として嫌っていて養魚場へ入らないように網をはっていたように思います。養魚がカワセミにたべられないようにしたのです。

冬季になるといろなカモがわたってきて流れに泳いでいました。双眼鏡で見るとマガモやオシドリの姿もみられました。いまはカルガモと小ガモが少し見られだけになってしまいました。


かつては川辺の初夏の夜はヘイケホタルもゲンジホタルも飛び交い蛙の声も賑やかでした。でもいまはトンボや蝶などの昆虫が激減しホオジロやホオアカやカワラヒワなど小鳥も姿が見えなくなりました。ヨシキリの姿も少なくなってヨシキリに託卵するカッコウの声も少なくなりました。

野のまわりはすごく綺麗に安全に便利になりましたけど自然が壊れて寂しくなりました。今年度から強力なネオにコチノイド系の殺虫剤使用が厳しく管理されるようですね。昆虫が増えて自然が復活してくれるといいですね。

なんか頭に浮かぶことを無整理に書きなぐってしまいました。そのまま投稿します。老人のたわごとです。


よく見ればミラーが嬉しい散歩道

2020-06-28 | 日記

私が小さく写っているんです

 

遠いとおい日の幼い私の絵本にこんな絵があったような気がするんです。なにを物語っているのか定かではありませんけど・・・なんか夢の中にこんなシーンがあったような気がふとするんです。

老いの夢よみがえらせて嬉しい私の散歩道でした。            


私たちの町会津坂下は明るく平和です。

2020-06-26 | 日記

コロナウイルス感染の声など聞こえてこないんです

 

 

しばらくぶりに街に出て散策していたらこんな新しいお店が出来ていてびっくりしました。


    
「アートジャパン会津坂下店」とありました。

なにを販売する会社かな?と思ったら車の中古車の販売店、道路添いに10数台の車が展示してありました。
                 

 

 町内の会社の駐車場は車でいっぱいでした。

たくさんの方が働いていらっしゃるんですね


                
 

スーパーの午後2時、一番お客さん少ない時間帯なのに駐車場ば車でいっぱいでした。


                   
                   

 やっぱり飲食店さんはコロナ対策は大変なんでしょうね

店内だけでなく弁当にして持ち帰り出来るようになさっているんですね。幸楽苑ってラーメン屋さんですから大変だと思います。やっぱり駐車場の車は普段よりすくないです。
               

これはパチンコ屋さんの駐車場です。

ウィークデーの金曜日の午後2時過ぎなのに普段と変わらぬ駐車場いっぱいの車です。出入りの車も頻繁のようです。休日でもないのにこんなにたくさんの方がこんなところで楽しんでいらっしゃる、どうやって収入を得、どうやって家族を養っていらっしゃるんでしょうんうね、私には理解出来ないことです。朝から夕方までパチンコなさることがお仕事ってどういうことなんでしょうね。嘘でしょうけどパチンコ店の利益の一部は某国に送られてミサイルや核兵器開発の費用の一部になるって聞いたことがあります。

私の町には大きなパチンコ屋さんが2カ所あります。駐車場の車の数から考えると毎日朝から夜まで100台前後のパチンコ台がお店でチンジャラチンジャラしているんでしょうね。

 

ともあれ私たちの町にはコロナ罹患の報告は聞いていません。それぞれにいろんな対策はとられてるようですけど今のところ平和です。街を散策しながらほんとに有り難いことだと思いました。 どうかどうかワクチンや特効薬が出来るまでは私たちの町にはコロナウイルスがこないことを祈るばかりです。


今日もまた爺いは一人

2020-06-25 | 日記

 これって私の大事な散歩道なんです

 

山里で生まれ山里で育った私ですから。研ぎすました鉈と鋸を持って弟と二人真夏の山の斜面で「鍛冶ご炭」を焼いた私ですから、野の道をあるいていればと古里の思いや亡くなった弟のことなどが蘇ってくるんですよ。