今は廃道になって45年の川井新道です
数年前の四月残雪の残るこの険しいへつり道を撮りました。
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へつり道って広辞苑を引いても出ていませんね。私は共通語だとばかり思っていたんですけどそうではないみたいです。奥会津の古い街道ではあちこち見られたんですけど今は道路が改修されてなくなりました。写真のように険しい山の斜面の川沿いに作られた少々危険な道をへつり道と呼んでいました。
古い昔から明治の初年まで会津と奥会津の金山郷や伊北郷(いほうごう)や伊南郷(いなごう)を結ぶ街道は現在の三島町の檜原(ひのはら)と川井の間にある険しい駒啼かせ峠で隔てられていました。
明治になって県令の三島通庸によって会津三方道路が開通され物産の交流が盛んになり、この地方でも道路の整備の必要性が高まって来ました。明治14年(1881)越後街道の気多宮から柳津・宮下・川口・横田・只見・古町・檜枝岐・沼山峠・尾瀬沼を経由して上州沼田に至る道路を県道に格上げし沼田街道とされたのを機に地元の有力者によって駒啼かせ峠に代わってこの険しいへつり道の川井新道が拓かれ馬車が通れるようになった、と言われています。(三島町歴史文化基本計画によりました)
それから、昭和46年(1971)新しく駒啼かせトンネルが開通し川井新道が廃道になるまでの長い間会津と奥会津の金山郷や伊北郷を結ぶ重要なへつり道となっていたのです。
険しいへつり道でしたけどこの川井新道は馬車はもちろんバスもトラックもバイクも通っていました。私は奥会津只見の出身です。いつも車で古里に帰省し往復する時はいつもこのへつり道を通っていました。只見川沿いの険しいへつり道で落石などの崩落も多く怖い思いのするへつり道でした。転落する車もあったと聞いております。
私がまた30歳台の若い頃、リコーフレックスという非常に安くてよく写るカメラを手にホンダカブという自転車にエンジンをつけたような軽便なバイクに乗ってこのへつり道を通って三島町など奥会津の石仏を撮ることに夢中になっていたことがあります。ですからこのへつり道にはたくさんの思い出や懐かしみの記憶が残っているのです。
数年前の四月、たまたま三島町をドライブしていて西方から川井に通じる歳時記橋を通ったとき廃道になっていた川井新道を見ていつかはこの懐かしい旧道をあるって見ようと思っていました。でもネットで廃道になった川井新道探訪記を見て旧道は岩石土砂の崩落が激しくて危険なことを知りちょっとたじろいで探訪を控えて下りました。
でも、近頃の自分の年齢(89歳)を思ったり、急激に進んでくるボケや足腰の筋肉の弱まりを考えると、今行っておかないと行かないで逝ってしまうことになる、懐かしい思い出の道だ、勇気を出して入口まででもいいから行って見ようと思い立ちました。
私の町会津坂下から車で川井新道入口の桧原(ひのはら)まで30分です。川井新道入口の桧原です
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集落のはずれにちょっとした広場があって川井新道の入口には車の轍の跡がありました。車が入れるんですね
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私の足で20分程は車の轍のある道が続きました
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そこには車がターンできたり2台くらいは駐車出来るちょっとした広場がありました。車の轍の跡はここで終わっていました。
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車の轍の跡はありましたけどここまで車を乗り入れるのは危険だと思いました。道が細くなっていて対向車が来たらすれ違うのが困難だと思うからです。入口の集落の方に許可をもらった車か、小型のジープ型の車でないと立ち往生してしまうと思います。
ここからの道は徒歩になります。これから先は川井新道の道になるんだと思いました。でも不思議なことに人の通った跡の一本道がしっかりとついているんです。私は地元の方の山菜採りか山仕事に行く道であろうと思いました。でも何十年ぶりで歩く川井新道です、嬉しくてルンルン気分でした。
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しばらく行くと赤さびた道路標識がありました。風化していて文字が読めません。近寄って見ると落石注意とありました。やっぱり危険な道だったんですね。
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警笛鳴らせの標識や曲がったガードレールがありました
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壊れたガードワイヤーなどあちこちに川井新道の名残が見られて懐かしいような侘びしいような気分になりました.
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道があまり痛んでいなくてガードレールもしっかりと残っていてほっとしたりもしました。
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道を進んで行くとやがて緑の木の間からJR只見線の撮り鉄さんたちに有名になっている只見川第一橋梁が見えてあれっと思いました。駒啼かせ公園のビューポイントから遠く眺めていた第一橋梁がこんな近くに見える、ちょっと感動しました。
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道を進んで行くと木の間から下に只見川のダム湖が見えるようになりました。
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だんだんと道の回りが険しくなって岩石が崩落した跡の崖見えるようになり。
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やがて崩落した岩石で道が埋没していたり
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ついには崩落した崖に道が消えてしまって危険で先に進めなくなりました
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川井新道の道路はもうすっかり消えて死んでいました。私は侘びしい気持ちでしたけど念願の川井新道を訪れたことで満ち足りてもいました。いずれ命あるものはすべて姿を消して自然に帰っていく、そして新しいものが生まれていく。それがすべてのものの流れかもしれない。そんな思いもありました。
帰り道の左側に茂みの切れが見えました。
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どうやら崖下への道のようでした。
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覗いてみたら急な崖下に続く階段がありました。あとで数えてみたら52段およそ30mほどもある急な崖に作られた梯子のような道でした。写真の3倍ほども続いている階段でした。
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あれっなんだろうとと思うものがあると少々危険、あるいは老体には無理と思っても憑かれてしまったように行かないでいられない困ったさがの私です。うしろ向きになってゆっくりと四つんばいになって一段ずつ下りていきました。そこは只見川のダム湖のほとりでした。
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そしてダム湖の水位の測機器を納めたボックスがありました。私は廃道になっている川井新道の道に車の通った跡があったり、人の歩った跡があったりしたわけが分かりました。東北電力関係の方がこの水位計を管理するために通っていらっしゃった跡なんだと思いました。
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でもそれは違っていました。川沿いに道が先に続いていたので行ってみました。そしたらそこにはJRの只見川第一橋梁をすぐ下から見上げることの出来る広場がありました。そこは橋梁を渡るSLなり電車なりを撮るための撮り鉄さんたちの広場だったんです。おそらく10数人の撮り鉄さんたちが三脚を立ててたむろした思われ、草が踏み敷だかれていた広場でした。
先月只見線でSL が運行されましたのでこの場所で撮り鉄っさんたち10数人の三脚が林立したんでしょうね。川井新道の廃道に車の通った跡や人ががたくさん通った跡があった本当の分けが分かりました。
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ポケットのメモ帳を見ると1時間10分後に上りの列車がこの橋梁を通ることが分かりました。私は撮り鉄さんのまねをして1時間10分ほど待って上りの列車を撮りました。
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私もこの橋梁を渡るSLの写真をみたいものだと思いました。撮り鉄さんの誰かさん見事な鉄橋を渡るSLの写真をネットでみせてくれませんかね。でもこれは無理ですよね。・・私のブログなど撮り鉄さんは誰も見てなぞくれてはいませんから。
一昨日は念願の川井新道を訪れたことも出来たし、ひょんなことから有名な只見川第一橋梁を下から眺めることも出来たし、満足した一日でした。楽しかったです。
足腰がお達者で何よりです。
きっと懐かしかったことでしょうね。
ブログを書く時間が無くなりそうさあたへん・・・
上州の八十爺
へつり道と言うのは険しい山の崖が川に迫っているところにつけられた道路のことをいいます。昔は奥会津のように山深いところでは今のようにトンネルや雪崩や落石を防ぐスノーシェットや立派な橋梁などありませんからあちこちにへつり道がありました。今はトンネルやスノーシェットそれにりっぱな橋梁がありますからへつり道はありません。険しい山の斜面を横切ることをへつるというんです。 今は死語になっていて若いもんは知りません。
こっそり、拝見しております。新潟のつま(ぶうこ)です。
美しい緑の中の廃道散策、ワクワクしました。
「へつり」というと、「塔のへつり」のことかと思いましたが、会津では、普通に使われる言葉だったのです。
違う場所かもしれませんがこんな写真がありました。
↓
http://phototosi.exblog.jp/23828706/
我が家で土日にSLの汽笛が聞こえます。
ときどきなつかしく撮り鉄のまねをしてみようかと思います。いずれ、橋梁を渡る列車も撮ってみたいと思います。
つま(ぶうこ)さんってず~と前私の愛犬エリーが元気だった頃おつきあい頂いたつまさんでしょうか。そうでしたらとて懐かしくてとても嬉しいです。私はもう89歳ボケが進んで記憶があいまいになってしまっているんです。ご免なさいね。
美しい紅葉の中の只見川第一橋梁を渡る気動車そして見事なSLの写真ありがとうごございました。さすが撮り鉄さんの写真すごいです。ありがとうございました。
近頃急速にボケや、体力というより足腰の筋力の衰えが進んできて、今行かなければと思って廃道になった川井新道を訪れて楽しんで来ました。元々落石崩落が激しいへつり道でしたけど道そのものが崩落してなくなっている場所もあって怖いので途中で引き返しました。この道を廃道散策マニアの若い方が自転車を持参で渡りきった記録をネットで報告していました。驚きです。
覚えていてくださって、光栄です。
忘れもしません!
その節は、ありがとうございました。