さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

私の誕生の遠い日に

2021-05-20 | 日記

私は昭和2年(1927)1月3日、当時の南会津郡朝日村熊倉と言われる集落にあった小学校の文教場の教員住宅で生まれました。父がその学校の教員をし母はその校舎の二階で集落の女の子達を集めて裁縫を教えていました

早春の裏山にシュンランの花の咲く静かな集落でした。

成人になってその集落を訪れるとおばさん達が「あーらさんたろうがこんなに大きくなって可愛い赤ちゃんだったのに」とおばさん達に言われました。そう言われればかすかに母が裁縫を教えていた女の人たちに可愛がられた記憶が蘇るんです。

生まれた最初の思い出と言えば父の肩車に乗って川から亀が獲れたと言うので見にいった時のことです。ほんわか温かい思い出でなんですよ!。でもどうしたことか亀の記憶は全くないのですが父の背で見た夕暮れの空の大きな月が思い浮かぶんです。

たぶん3歳の頃までその教員住宅で暮らしたんだと思います。あまりはっきりした記憶はないんですけども、なんか熊倉というと懐かしい気持ちでいっぱいになるんです。

 

そして4歳の頃には父の実家に移って暮らしていました。祖母や祖父に可愛がられた記憶ははっきりしているんですけどもどういうわけかその頃の父や母の記憶は全くないんです。夜は祖父母の部屋で枕を並べて眠りました。祖父は昔物語りの上手な人で「岩見重太郎のしし退治」の勇壮な話などの感動は今でも心にはっきり残っているんです。

そして幼友達ちと言えば隣の私の家の本家に同い年の女の子がいました。当時は幼稚園などありませんから昼間はほとんどその女の子と遊んでいました。すごく懐かし思い出でなんですよ。

でも父の仕事のことで5歳になる頃は別な場所に住むことになって別れ、それ以後ずっと逢ってはいないんす。

その女の幼な友達はやがて家内の友達でもあったのが分かり、ふとしたことからお互い爺と婆ちゃんになった頃に電話したことがありました。

「あのころはあんたもかわいいお姫さまっだったもんな」といえば「ほんとあれは幼い初恋だったのかしらね」などと二人で笑いあったこともありました。

幼友達っていつまでも懐かしいんですよね。

そして5歳になる頃には父の仕事で伊北村只見に住むようになったのです。只見の生活はたった1年でしたけどはっきりとした自我の目覚めがありました。それなりの深いものがありました。次の日に記したいと思います。