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落城の悲劇いくつもいくつもあって涙うかびます。
会津藩筆頭家老西郷頼母(1.700石)邸宅跡には次のような解説の掲示板がありました。
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「西郷」隆盛一代記」にはこのこといついてつぎのようなやりとりが書かれています。
会津戊辰の役のおり、薩摩藩士の川島信行は西郷頼母邸の玄関より入り、書院とおぼしき所を通り奥の部屋に進むと、白装束の男女環座して自刃し果てていたという。
その中で16-7歳頃と思われる美しい娘[後に西郷頼母の長女細子(たいこ)と分かる]が急所を刺し違えたためかわずかに息があり「その所に参られるは敵か見方か」と尋ね、敵ならば戦おうとするしぐさをしたが、川島が「味方だ、味方だ」と叫ぶとその場に倒れた。娘は懐剣を出し咽喉を刺そうとしたが出来ず不憫に思った川島が介錯したと言う。
川島は自刃した人たちの辞世の句を記した短冊を持ち帰りました。
「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそ聞け」
これは西郷頼母の妻千重子(ちえこ34歳)の辞世の句である。
長女細布子(妙子16歳)と次女瀑子(たきこ13歳)の辞世の句は
「手をとりて共に行きなば迷はじよ いざたどらまし死出の山道」
上の句が妹の瀑子、下の句が姉の細布子です
私はこの幼い二人の姉妹の心を思いうっすらと涙が浮かぶのです
また、お城の天守閣の見える甲賀町通りには会津戊辰戦争終結の地と書かれた掲示場がありました。
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会津鶴ヶ城会館ブログから、八重の言葉
慶応四年九月二十二日この日の朝八時前、籠城婦人たちが涙しながら縫った降参と大書された白旗が鶴ヶ城に掲げられました。。。
この日の鶴ヶ城は火が消えたようにひっそりとしていました誰も声を発する者などいない悲しすぎる程静かな鶴ヶ城です‥
同日正午会津藩九代藩主松平容保公は萱野権兵衛、梶原平馬、秋月悌次郎らを従え麻裃(あさかみしも)に刀も帯びず降伏の場に赴きました
甲賀町通 この道路で降伏式が行われました。当日のことを思い出すと私は残念で悔しくてなりません。私が一番悲しかったことは容保公が降参に出られる時大小の刀を差さず丸腰で、お供も少ししかつけずに出られたことでした。武士が丸腰で出るなどということは無かった時代です容保公が丸腰で出られたことは断腸の思いだったと思います。
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容保公は供の者に サヤを抜いた短刀を密かに持たせていました。もし 恥辱を受けた場合はその場で自害するおつもりだったのです‥』
降伏の場で容保公は西軍の軍監中村半次郎の前の荒筵(むしろ)に座り謝罪文を提出しましたそしてこの時、西軍軍監の席には大きな緋色の絨毯(緋毛氈:ひもうせん)が敷かれていました。会津藩士らはこの日の屈辱を生涯忘れまいとこの絨毯の一部を切り取り分け合ったといいますこれを会津藩士らは『泣血氈(きゅうけつせん)』と呼んでいます。
その後容保公は城内で藩士たちにねぎらいの言葉をかけ戦死した藩士たちが埋葬された場所で深く手をあわせた後その日の夕刻滝沢村の妙国寺に入り。。謹慎の身となりました。
私は1週間前の4月13日まだインフルエンザがが完全には回復っしてはいなかったんですけど、お城の桜を見ておこうと、駐車場の混雑することを考えて午前8時に家をでました。お城のすぐ近くの県立博物館の駐車場には8時40部頃つきました。でも開門は9時でした。
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幸い晴天に恵まれて県博の駐車場からお城への道の桜は満開でした
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二の丸跡のお城入り口から場内に向かいました。
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廊下橋から望む天主閣です
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廊下橋はたくさんの観光客で賑わっていました
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本丸入り口から美しい天守閣が望めました
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本丸跡は観光客で賑わっていました。私は少し血糖値が高いので何年もソフトクリームなど食べるのを控えていたんですけどこの日は皆さんと一緒にソフトクリームを食べながら天守閣を眺めました。おいしかったしいろんな思いも湧いてきました。
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野面積み石垣の天守閣入り口です
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天主閣最上階からの展望です
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天守閣の各階には会津戊辰戦争の勇戦や悲劇の数々など心打つたくさんの資料が展示してありました。天主閣から降りられた皆さんはどんな思い出本丸跡から天主閣を眺めていらっしゃるんで小ね。
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3時間ほどのしばらくぶりの充実した時を過ごすことが出来て生きている喜びをかみしめました。ちょっと疲れましたけどもいい一日でした。