ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

岩国市尾津は南岩国駅南側にハス田

2023年06月04日 | 山口県岩国市

               
                       この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         尾津(おづ)は錦川の支流・門前川の河口右岸に広がる平地に位置する。開ける平地はすべ
        て藩政時代に開作されたものである。
         地名の由来は、門前川の川尻に発達した洲がもとで、尾洲の意によると考えられる。(歩
        行約6.7㎞、🚻駅以外になし) 
             
               
          JR南岩国駅の南側約200haの中に蓮田が広がる。

        
         JR南岩国駅は、1952(昭和27)年岩国ー藤生間に新設され、現在の新駅舎は202
        1(令和3)年に供用開始されたが、駅前など整備が進行中である。 

        
         国道188号線を岩国方面に進み、高水学園一貫校への入口を右折すると、山陽本線河
        野上地第一踏切を横断する。 

        
         線路南側に移動すると蓮田が広がり、線路に沿って水路傍の道を進む。レンコンは「蓮
        (ハス)」という植物の「根」にあたる部分で、これを組み合わせて「蓮根(れんこん)」とい
        う名が生まれたという。

        
         尾津2号揚水機場から周回する。

        
         門前町5丁目はバリケードされた米軍の施設と官舎。

        
         サギがのんびりと餌を求めて歩き廻っている。虫などが生息する安全な環境の中でレン
        コンが栽培されているといえる。

        
         第1揚水機場の先で左折して門前川堤防に出る。

        
         漁港といった雰囲気ではなくプレジャーボートの係留施設のようだ。

        
         堤防道を河口へ向かう。

        
         対岸の米軍基地は、1938(昭和13)年に旧日本海軍が飛行場建設に着手し、1940
        (昭和15)年から終戦まで岩国海軍航空隊が配備された。終戦後、米海兵隊に接収され、米
        空軍、米海軍基地を経て、1958(昭和33)年米海兵隊基地となり今日に至る。

        
         すべてが蓮田と思っていたが、
民家や工場、魚市場などがある。一の割集会所付近が門
        前町と尾津町の境界のようだ。

        
         レンコンには穴があいているが、穴の向こうが見通せるから「将来の見通しがよい」と
        のことで、縁起物の食材とされた。また、種が豊富につくことから「子孫繁栄」の象徴と
        もされてきた。(道路左側の蓮田)

        
         信号機の先に岩国南八十八ヶ所第44番霊場(尾津大師堂) 

        
         藩政時代の岩国領(藩)は干拓で農地を増やしたが、海が近いこともあって塩害により米
        が育たず農民は困窮した。藩主の命を受けた篤農家・村木三五郎がレンコンならば干拓地
        でも育つのではと、岡山県から備中種を持ち帰って植えたことに始まるという。
         1811(文化8)年には藩営として始められ、大正中期頃までは日本固有のものが栽培さ
        れていたが、その後は大陸系(支那百花種)のものが導入されたようだ。

        
         サギがたくさんいる中で、カラスも機械の上でのんびりと蓮田風景に溶け込んでいる。

        
         レンコンの葉はスイレンと違って、水面から茎に支えられて葉の直径が2mになるもの
        もあるため、台風や強風が最大の天敵といわれている。

        
         蓮田に囲まれた民家が点々と存在する。

        
         収穫できるまでの作業は水田の中で、アオコなど藻の発生、害虫の食害、雑草の繁茂な
        どがあって管理が大変のようだ。 

        
         お会いした農家の方によると、花は品種などよって一斉に咲かないので見頃は何とも言
        えない。盆前には花を出荷するので、盆前にもう一度来てくださいとのこと。

        
         1809(文化6)年~1859(安政6)年にかけて尾津、仙島館、御蔵元が開作されて、一
        部が塩田化されたと思われ、海や塩の神様である塩土老翁神を祀る塩釜神社がある。

        
         神社の一角に、1942(昭和17)年8月27日16号(周防灘台風)の襲来により、海側
        の堤防が決壊して甚大な被害を受けた。これを後世に伝えるための碑が建立されている。

        
         全国のレンコン生産量は、茨城県がダントツの約半分を占め、山口県は第5で生産量は
        5%超に過ぎないそうだ。

        
        
         尾津開作第2南蛮樋(樋門)は、1809(文化6)年に建造されたもので、現在は使用され
        ていないとのこと。(上が土手側、下が干拓側より)

        
         土手歩きだが左は東洋紡、その間に広い排水路。

        
         岩国城と錦帯橋、鵜飼漁がデザインされ、中央に市章が配置された岩国市のマンホール
        蓋。

        
        
        
         第1南蛮樋(樋門)も第2南蛮樋と同じ年に建造された。(上が土手側、下が干拓側より)

        
         「ハスは泥より出でて泥に染まらず」のことわざがあるが、仏教と深い関わりを持つ植
        物である。ハスの花は短くて寿命が4日程度とされ、早朝に咲いて昼頃には閉じ始めてし
        まう。

        
         左前方に南岩国駅と5号揚水機場。

        
         歩いてきた道を見返り、河野上地第1踏切を横断して駅に戻る。


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