いわき・うぶすな広場だより

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天明の飢饉と復興・・・・・いわきヒューマンカレッジ

2011-10-08 09:08:07 | いわきの歴史

いわき市小名浜西町の地蔵堂再建の刷り物
・・・寺西代官の助力が記されています。


今回の小野先生のレジメの表紙で、
小名浜代官所跡地や寺西代官像が載せられていました。


天明の飢饉に功績のあった「蔭山外記(かげやまげき)」代官のことを
コンパクトにまとめられています先生のレジメです。


上小川村の「年貢割り付け帳」に記録が残されています。


上記の「年貢割り付け帳」に蔭山外記代官の認めが。


民政に功績があった「寺西重次郎」代官の事を
コンパクトにまとめられていますレジメです。
書かれたのは渡辺文久さんです。


寺西代官時代の上小川村の「年貢割り付け帳」
・・・文政六年(1822年)です。


寺西代官の認めが。
巻きもので長いですが、
実際に古文書に触ってみますと時代の重みを感じます。
小野先生は自分の所有物なので、触って味わって下さいと・・・・・
ヒューマンカレッジの講義はこういうのがあるので楽しい!!


寺西代官が書いた木版で彫られた「子孫繁盛手引き草」です。
飢饉の困窮による「間引きや堕胎」を
防ぐための手引書として書いたものです。



「子孫繁昌手引き草」にはこうした絵でわかりやすく書かれて、
村々に頒布したようです。


こちらもその一部です。


寺西代官の民政が他の幕領の代官にも取り入れられ、
「御料私領一同民家風俗御改正申渡書付」十七か条
制定された書きうつしが残されています。


その内容の一部分です。


寺西代官の認めが。


延享四年(1747年)の幕領小名浜の領村石高です。
この年は年表を見てみますと
「武士の窮乏・百姓の一揆」と書かれています時代です。


慶応四年(1868年)の幕領小名浜領域図です。
福島県市町村沿革・・・昭和31年 福島県より

白い部分が「幕領小名浜領」です。

これを見ますと
「磐城平藩領」が少ないのに驚かされます。

昨日
いわきヒューマンカレッジいわき学部第5回に参加。

天明の飢饉と復興
・・・・・小名浜代官蔭山外記と寺西重次郎の治績」・・・・

講師は
小野一雄先生(いわき市文化財保護審議会会長)でした。

小野先生は古文書読みでは大家のお一人ですから、
楽しい講義となりました。

今回の地震・津波では
小名浜お住まいの先生は床上浸水の為、
史料や本も津波で
被害に遭われたようですが、
今回の講義では
上記写真に載せたように
残された史料を持参されての講義となりました。

1)小名浜代官所の成立や歴史
  延享四年(1747年)内藤家の延岡転封の後
   幕府領に組み入れられた4万7千石の村々を支配する為に、
  小名浜に代官所がもうけられた。

2)天明の飢饉に功績の「蔭山外記」代官

  ・・・5代目の代官で明和九年(1772年)9月でした。
  それから21年にわたりこの地を支配。
   天明三年(1783年)浅間山の噴火により火山灰が空をおおい
  日照不足のため、冷害となり、凶作となった。
  飢餓が深刻化し、この対策とし、
  他領への穀物の持ち出し禁止や酒造の禁止。
  「かてもの」の食べ方や飢饉食としての藁餅の作り方の普及に努める一方
  領内の比較的蓄えのある村々や名主などからの献金や穀物などを
  困窮する村々に下げ渡したり、
  年貢の停止や貸付も行われて、領内は息を吹き返したといわれる。

3)寺西重次郎代官の民政

  寛政四年(1792年)赴任(11代目)・・・塙(塙町)兼任。
  天明の飢饉により荒廃した地域の再建として
  幕府より五〇〇〇両を拝借し足り、富裕層から献金を募り
  運用し利益を農村復興にあてた。
  その政策とは:

 ①地域の橋・堰日収集など生活基盤の整備
 ②農村復興のため越後などからの移住の奨励。
 ③天明の飢饉により間引きや・堕胎を防ぐため
  「子孫繁昌手引き草」を書いて村々に頒布。
 ④小児養育制度を設けて、困窮者でも育てられるようにした。
 ⑤「寺西八か条」を作り村々に配布・・・父母への孝養など。
  ⑥「御料私領一同民家風俗御改正申渡書付」十七か条」を制定し
   他の代官の模範となったなど。

いわきの3・11、4・11、4・12の地震や津津波、放射線からの
復興へ向けての動きを早めなければいけない時期に、
江戸時代の天明の大飢饉や
その後の復興へ向けた先人の教訓を学んだことに感謝し、
それをどう、
現代にどう生かすかは私たちに課せられたと理解しました。

小野先生
貴重なお話と史料ありがとうございました。

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3 コメント

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天命の飢饉と復興 (渡辺 政廣)
2015-12-15 11:11:50
蔭山外記の紹介を是非読みたいです。
郡山市田村町にも蔭山外記の功績を記した記念碑「救援碑」があります。どんな代官か知りたいのです。
蔭山外記のことについて4ぺージに紹介されています。
返信する
Unknown (いのしし)
2015-12-16 15:10:56
渡辺さま

コメントありがとうございました。
3.11大地震、半年後の講座。
よく見つけられましたね。

今回の3.11後
先人たちの苦労を掘り起こしたいですね。
返信する
Unknown (藤の花)
2023-03-12 21:57:44
いのしし様

いわき市史において、天明飢饉の被害と対策を調べておりましたらここにたどり着きました。
上記のような資料と事柄があるとは初見でした。ご紹介有難うございます。寺西代官の善政をうかがい知る事が出来ました。

同時期、泉藩主本多忠籌公も困難に対処しておられたので当時の方々は大変な苦労と努力をされて災禍を乗り越えてこられた事が窺えました。

有難うございました。
もし、ご紹介の資料等が市図書館などに収蔵保管されておれば是非拝見したいほどです。
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