いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

「三星炭礦綴抗跡地」を訪ねる・・・内郷学特別講座より

2018-03-27 11:09:33 | いわきの歴史

「三星炭礦綴抗跡地」を訪ねる。
常磐製作所前から。
製作所裏にありました。


講師の熊沢先生が写真を持って説明されました。
三星炭礦は綴地区で採炭を開始し、取れた石炭は東京で好評。
売れに売れて順風満帆かと思われた矢先、
突然「湯本断層」と呼ばれる断層に遭遇し、温泉が一気に流入。
大出水事故に遭遇。事業を停止。後に磐城炭礦に買収。
悲劇の炭鉱と言われました。
地元資本の炭鉱の消滅。
その後は中央資本が参入。


当時の絵ハガキから。


この道奥からのところの上にありました。
現在、中へは入れません。


川平から製作所前まで通勤用ガソリン車カーです。


停車場が残っています。

24日(土)の座学
25日(日)の見学

講師の
野木先生、小山田先生、熊沢先生

本当に貴重なお話ありがとうございました。

内郷支所の高橋さん
ありがとうございました。

今までわからなかった事も
わかったこともありますが
まだわからないこともありますので
これからも学んでいきたいです。

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川平浄水場跡地(内郷白水町)・・・内郷学特別講座から

2018-03-27 10:31:40 | いわきの歴史

「内郷にあった炭鉱」 マップ
常磐地方の鉱山鉄道 おやけこういち著
イラストは野木先生から

画面左側上に
川平浄水場
その上に水力発電所がありました。


水の源流ははこの先のようです。


現在の浄水場跡地です。
現在は配水場として利用されていますので
きれいにされています。
明治29年から昭和33年2月まで・・・・・いわき市に移管するまで60年

川平浄水場跡地を訪ねました。
現在は配水場として利用されている。

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峰根浄水場跡地を訪ねる・・・内郷学特別講座より

2018-03-27 09:56:48 | いわきの歴史

小山田先生の峰根(ほうね)浄水場が使われていたころの写真です。
昭和62年3月31日に閉鎖されました。
女性の方が写真を撮るのにご協力を。
明治37年8月から昭和62年3月まで・・・・・いわき市へ移管まで95年。


昭和62年2月
まもなく役目が終わる
常磐炭礦(株)峰根(ほうね)浄水場に名残の雪が降った時の
小山田先生がとりました写真です。
俳句も
「浄水場閉じる峰根の名残り雪」・・・小山田先生作


浄水場の近くにあった
昔の炭住跡のようですが、
言われてみませんとわかりません。


現在の浄水場跡地です。
中に入って見ることはできません。


1日1万2千㎥
昭和25年には内郷上水道に3.600㎥給水していました。
6.560戸、23.000人に供給していました。
大きな浄水場でしたんですね。

いのししも
小さい時に
峰根近くの
宮町竹之内というところに約10年近く住んでおりましたので
何十年ぶりにみることができました。

いのししの小学校2学年の時に
宮小学校が放火で燃え
半年ほど高坂小学校までかよった光景を思い出しました。
周り一面も燃え、
風景が変わったことも。


炭鉱がなくなり
人が去ってしまうという現実。

 

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上野原浄水場を訪ねて・・・内郷学特別講座より

2018-03-27 09:28:08 | いわきの歴史

多行松(たぎょうしょう)という松のようです。


京都から持ってきたといわれています。
幹が特徴あると。


上野原浄水場の建物です。
いのししもよくここを通るのですが、
今回初めて入りました。
こうし他施設があるので
毎日の水が飲めるのですね。


1日約3万㎥の水を供しています。


建物の中から見てみました。
いろいろな場所を通り水道水がつくられるのですね。


管理するのも大変なのでしょう。


昭和60年8月の上野原上水道拡張事業概況から。
これが現在につながっています。
大滝江筋から水を供給しています。
現在では好間地区・内郷地区・常磐地区の一部に給水しているそうです。


水道水ができるまで・・・いわき市水道局 浄水課資料より
平浄水場では約9時間かかるそうです。

大滝江筋より水を供給し
水道水として私たちが使っています
上野原浄水場を見学しました。

 

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内郷の上水道の源流を訪ねて・・・内郷学特別講座から

2018-03-27 08:50:46 | いわきの歴史

内郷学特別講座の一環として
約40名弱の参加者にてバスで
講師の3人の先生を案内人として、
内郷の上水道の源流を訪ねての旅に
日曜日に行ってきました。
好間川大滝江筋です。
取水地まではいけませんので、この先になります。


鉄板で脇を。
小山田先生たちが炭鉱時代に作られたと。
鉄板で作られたようですので聞いてみましたら、
使う年数を考えて鉄板を使われたと。


こちらはコンクリートが使われていました。


水分(みずわけ)神社です。


大滝江筋の内容が書かれています。
野木先生です。
裏には碑を作った炭礦等の会社名が書かれていました。
いわき市水道史(昭和58年2月いわき市水道局発行)によりますと
今から584年前の明徳年間に大館の岩城氏が飲み水等で使われた。
その後岩城氏が1602年(慶長7年)・亀田に去ってからは
灌漑江筋として利用されてきたようです。
明治期以降は炭鉱等に利用されてきた。


隅田川炭礦時代に使われた地下に水を送った施設のようです。


昭和48年3月現在 常磐炭礦住宅給水人口略図より
内郷地区には浄水場がなく
民間の炭鉱に水を依存していました。
このようにして常磐炭礦が水を供給していました。

3月24日(土) 座学
☆内郷にあった炭鉱
☆内郷上下水道の今昔
☆賛成炭礦と湯本断層

3月25日(日)
バスにて前日学んだ場所を現地見学の旅へ
内郷の上下水道の源流を探すたびに

好間川大滝江筋・水分神社を訪ねました。

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