いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

愚庵の義侠・羯南の情理の講演会

2018-03-29 14:19:11 | いわきの講演会

愚庵の義侠・羯南の情理の講演会・・・・・愚庵会主催より
講師は
高木宏治先生(陸羯南研究会顧問)でした。


陸羯南のおこした新聞「日本」。
陸羯南・・・1857年(安政4年)11月30日~1907年(明治40年)9月2日


このような新聞を発行していました。
ここに正岡子規が俳句関係を書いていました。
この新聞がなければ、正岡子規は存在しなかったのでは
と思われます。

 

 


陸羯南全集第9巻から。
明治23年9月。


陸羯南全集9巻から。
明治23年9月。


陸羯南全集第10巻から。


陸羯南全集第10巻から。


愚庵の書の紹介。
天田愚庵・・・1854年(嘉永7年)7月2日~1904年(明治37年)1月17日

 

 愚庵の義侠・羯南の情理の講演会…愚庵会主催
講師は
高木宏治先生(陸羯南研究会顧問)でした。

 

今回は
天田愚庵と生涯にわたり交流があり、
また俳句の正岡子規に書く場所を与えた
明治時代の日本新聞社主として活躍した
新聞日本の経営者である陸羯南(くがかつなん)
陸羯南研究者の高木先生から
愚庵と陸羯南の友情(愚庵亡くなった後の全集の発行等)
エピソードを中心に話されました。


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娯楽の王様「映画」の記憶・・・小宅幸一先生講演会から

2018-03-29 11:53:53 | いわきの講演会

三函座(みはこざ)・・・常磐です。
1983年(昭和58年)閉館。
建物は平成19年(2007年)国の登録文化財に指定されましたが、
3.11で全壊し、現在は取り壊されました。


一番記憶に残る名作です。

改装なった「聚楽館」
オードリーへップバーン主演「ローマの休日」の封切りがかかった写真。
昭和28年(1953年)長谷川達雄氏撮影


いわき市生涯学習プラザに
今も飾られていますのでご覧いただけます。
懐かしい写真やポスターが。


観た映画もあり
懐かしいポスターたちです。


パンフレット。
いのししも映画・演劇等のパンフレットがありましたが、
3.11で全壊扱い後、処分しました。


懐かしいのがたくさん。


きちんと保存しないと
資料が散逸してしまいますね。


講演中の小宅先生です。
貴重な資料・お話、ありがとうございました。


福島民報の
ハイー!!みんぽう
2017年11月号より
本宮映画劇場が紹介され、
館主・田村修司さんが話された記事がありましので
載せてみました。
映写室が載っていましたので。
建物は1914年(大正3年)に建てられた。

娯楽の王様「映画」の記憶
いわき地方の豊かな映像文化を生み出した背景を考える
講師は
小宅幸一先生(いわき明星大学地域基盤型客員教授)でした。

P14のレジメで
いわき地方の映画の歴史を話していただきました。

1.映画の登場

1)映画の誕生・・・日本では1896年(明治29年)12月25日神戸にて上映。
          映画館は1903年(明治36年)東京浅草にて。
2)大衆演劇から映画館へ
 いわきでは1905年(明治38年)に平駅前に「平座」が劇場として開場。

  大正時代末期から昭和時代初期にかけ
 いわき市泉町出身の鈴木傳明という絶大な人気俳優がいました。
 演劇の合間に映画を上映。

3)サイレント映画からトーキーへ
 音声技術がいない無声映画(トーキー)であったので
   解説役として活動写真弁士(活弁)が活躍。
   昭和4年(1929年)トーキーが導入。
 いわきでは昭和7年(1932年)頃には平館で「音の出る映画」=トーキーを上映。
 芝居小屋専門の「聚楽館」は専門映画館に模様替えに。

2.映画全盛期と映画館
1)トーキー映画の登場
  1931年(昭和6年)松竹蒲田製作の「マダムと女房」が初めての発声映画に。
2)第一次全盛期の映画館

3.戦時下の映画
4.戦後の映画復活と第二次全盛期
1)娯楽の王様「映画」
  昭和21年(1946年)には戦前のピーク数を超える。
  筋書きは二の次でいかに受けるかの時代に。
  子供に人気のあったのはチャンバラ映画(25年解禁)。

  昭和30年代、テレビが家庭に入るまでの20年から30年代にかけ
  映画は第二次全盛期。

2)いわき地方の映画館
  昭和29年(1954年)には16館
  昭和32年(1957年)には30館
  昭和34年(1959年)には46館と増加に。
  平市と磐城市には各10館ずつ。
  炭鉱住宅があった川部村と旅人村にも映画館が誕生!!

  全国の映画入場者数は
  昭和33年に約11億2.745万人がピークに。
  国民一人当たり年間約12回弱観ていたと。
  いわきの平税務署の入場者調査では
  432万2.460人で入場料金収入は2億6.000万円でしたと。
  
3)
ニュース映画
4)全盛期の映画館あれこれ

5.苦堺に立つ映画と、減少する映画館
 いわき地方では
 昭和39年(1964年)の映画入場者数は145万3.000人
 昭和40年(1965年)には114万3.000人
 昭和48年(1973年)には54万6.000人まで減少・・・映画館もも22館へ。
 平成4年(1992年)には11館に→現在は平のみと。


6.いわき地方の映画・映画館文化
 明治38年(1905年)に最初に上映された映画。

現在では一握りになってしまったが
小宅先生は
歴史は
記憶記録から成ると話され、

芳醇な映画・映画館文化は
今のいわきのベースを創った
という事は忘れてはならないと強調
されました。

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アーカイブズの災害対策とこれからの被災文書レスキュー・・・青木 睦先生講演から

2018-03-29 10:53:34 | いわきの地震

アーカイブズの災害対策とこれからの被災文書レスキュー
青木 睦先生講演より


東日本大震災におけるレスキューについて話されました。


被災文書のレスキュー。


津波被災文書の救助・復旧活動。

 


釜石市の津波浸水域・・・釜石市提供より


釜石市の被災史。


総務課市史編纂での合併時収集史料。


なぜ公文書は即レスキューできないのか。


激甚被害から見えてきた公文書保存の問題点。


現資料と資源情報化メディアの役割。


非常時発生記録=非常時優先業務記録・文書=→
災害アーカイブズ・震災アーカイブズ。

レジメから。
今回の講演会のねらいについて。


公文書のレスキューの最初の事例
岩手県釜石市の事例より


釜石市の状況より。


震災アーカイブズのあり方など。


今回の活動を通じていかに人類の記録遺産を残していくのか
その為の活動がどのようにできるか、
今回話されました。

アーカイブズの災害対策とこれからの被災文書レスキュー
青木 睦先生(国文学研究資料館准教授)講演より

P24のカラーの丁寧なレジメを利用されて、
パワーポイントで、
「今起きたら、どうするか」という観点から対策が必要と。

3.11から7年が過ぎた今
地方再生が大切ですが
公文書管理と活用の意義を見直しながら
地震・津波・原発事故の記憶と経験を未来に継承していくために
3.11発生から現在まで
どのような形でレスキュー活動が行われてきたのかを
今回の講演でご紹介されました。
一部、ブログで紹介してみました。


貴重な活動の記録、
青木先生、ありがとうございました。

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桜が咲き始めました・・・いわき

2018-03-29 10:41:53 | 庭の花

いのしし宅の目の前の公園の桜が
咲き始めました。
昨年より9日早いとのことです。
このところのあまりの暖かさに
桜も驚いたのでしょうか。


滑り台も喜んでいるようでした。


明日には一気の咲き乱れるでしょう。


ピンク色に染まっています。


一気に満開になるでしょう。

昨年より9日早い
とのようですが、
目の前の公園の桜が咲き始めました!!

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毎日見ても飽きない庭の花たち・・・いわき

2018-03-29 09:22:11 | 庭の花

暖かくなり
一気に庭の花たちが咲き始めた。
毎日、庭を撮影してもあきが来ない。
雪柳の白です。


雪柳のピンクですが、すごい咲ようです。


ボケの赤です。


こちらは咲いています。


毎日、表情を変える椿のピンクです。


連翹(れんぎょう)がきれいに。


芍薬(しゃくやく)が芽を出し始めました。
6月にはきれいな花が咲くでしょう。

暖かないわきのお天気で
庭の花たちも気持ちよさそうです。
遠方から子ども一家が来ましたので
庭を散策。

花たちも喜んでいるようでした。

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