小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

オバマ大統領は「イスラム国」攻撃理由を個別的自衛権とした。安倍さんの集団的自衛権論の根拠が崩れた。⑤

2014-10-03 07:42:27 | Weblog
 ようやくメディアの一角ではあるが、少し分かりだしたようだ。昨日のテレビ朝日『モーニングバード』は、日本がアメリカ・オバマ大統領から「イスラム国」攻撃に参加しろという要請があったとしたら、という想定を立てた。
 番組では、現段階では不可能だが、閣議決定を受けて来年4月以降に関連国内法の改正が進むと、そういう事態は十分考えられるという結論で終わった。
 なぜ現段階では不可能という結論を出したかというと、閣議決定は「憲法解釈を変更する」ということにとどまっており、関連国内法を改正しないと現行憲法の制約上、アメリカの戦争に参加はできないだろうということだった。
 私が「少し分かりだしたようだ」と書いたのは、まだ本質的な問題が十分に理解できていないからである。
 まず、アメリカが現在行っている「イスラム国」攻撃は、アメリカにとっては「個別的自衛権の行使」(オバマ大統領の説明)であり、アメリカに協力して「イスラム国」攻撃に参加しているイギリスやフランスはアメリカの要請に基づいた軍事行動(集団的自衛権を行使したのはアメリカか英仏か)ということに対する論理的理解ができていないからである。
 すでに明らかにしたように、国連憲章51条に明記されている「個別的自衛権」とは、憲章の条文を縦から読もうと横から読もうと、あるいは逆さに読もうと斜めに読もうと、自国が他国から攻撃された場合に行使できる軍事行動についての権利である。自国が攻撃されていないにもかかわらず、気に食わないからといって他国に対して軍事行動を起こしたり、あるいは他国の内紛に軍事介入する権利など、いかなる国に対しても憲章は認めていない。
 だから日本の軍隊は「自衛隊」であり、自国が攻撃されたときにのみ実力を行使する「専守防衛」のための軍隊である。安倍内閣は、何をもって「憲法解釈の変更」としたのか、いまだ説明していないし、閣議決定を支持してはいるメディアもあるが、オバマ大統領が主張しているような「個別的自衛権の行使」に自衛隊が軍事的に協力するといった想定はいっさいしていない。
 英仏の参戦は、アメリカの「集団的自衛権の行使」に応じたのか、それともアメリカが要請してもいないのに英仏が勝手に「集団的自衛権を行使」してアメリカと共に「イスラム国」に対する軍事行動に出たのか、まずもって英仏が行った軍事行動の意味を理解しないと、問題の本質に迫ることはできない。
 言っておくが、国連憲章は先の大戦と、国際連盟が破たんしたことへの反省から作られた国際紛争についての決め事である。日本の「大東亜共栄圏」構想や「八紘一宇」は、日本が攻撃されていないにもかかわらず、アジアの諸国をヨーロッパ列強の植民地支配から解放するという大義名分のもとで行われた侵略戦争だった。オバマ大統領が主張する「個別的自衛権」は、アメリカ国民をシリアから退去させずに、在シリアのアメリカ人を守るためという大義名分で行っている「イスラム国」を名乗る集団への攻撃であり、かつての大日本帝国ですら、そのような「大義名分」を振りかざして侵略戦争を行ってはいない。
 まして英仏の参戦は、第1次世界大戦の際、日本が日英同盟を口実にドイツの宣戦布告し、ドイツが中国に持っていた権益を奪ったのと同じ論理でしかない。日本の歴史家は、あるいは司馬遼太郎氏のようなねつ造歴史小説家も、先の大戦は間違いだったとしているが、第1次世界大戦で日英同盟を口実に始めた戦争についてのフェアな歴史評価はしていない。逃げているのかな?
 第1次世界大戦は、1914年8月4日、ドイツ帝国陸軍が突如ベルギーに侵攻したのを受けてイギリスがまず宣戦布告し、ドイツ東洋艦隊の行動を封じ込めるため、日英同盟に基づいて日本に参戦を要請した。が、すでにアジアで強力な軍事力を保持していた日本が中国での権益の拡大を恐れ、日本の参戦地域を極東及び西太平洋に限定させる方針だった。が、日本はイギリスの足元を見て「参戦するからには戦闘地域の限定には応じられない」とイギリスの提案を突っぱね、交渉の結果イギリスが折れて日本は8月23日に対独宣戦布告した。
 このとき、大隅重信首相は御前会議を招集せず、議会の承認も取り付けず、軍統帥部の了解も得ず、緊急会議(※実態不明)で参戦を決定したようだ。大日本帝国陸海軍は破竹の勢いで中国山東省を軍事拠点としていたドイツ帝国陸海軍を撃破、9月までにドイツ帝国の植民地だった南洋諸島のうちマリアナ・カロリン・マーシャルなどの諸島を占領した。
 が、ドイツ帝国軍はヨーロッパ戦線では依然として優勢だった。そのためイギリスに次いで対ドイツ連合軍との戦争に参戦していたフランスやロシア帝国も、日本にヨーロッパ戦線への参戦を要請した。が、当時の日本政府は、この要請を何度も突っぱねている。払う犠牲の大きさに対して、得られる国益が定かでないという理由だった。
 どうしてもヨーロッパ戦線に日本を巻き込みたかったヨーロッパ連合国は1917年1月から3月にかけて山東省および赤道以北のドイツ権益を日本が引き継いでよいという条件を提示し、ようやく日本の説得に成功した。大日本帝国海軍は巡洋艦「明石」をはじめ駆逐艦数隻を地中海に派遣し、ドイツ帝国側についたオーストリア=ハンガリー帝国海軍の攻撃を受けて相当の犠牲を出した。
 が、ドイツ帝国から大きな権益を引き継いだ日本は青島のドイツ要塞を攻略後の15年1月18日、中国に対して「対華21ヶ条要求」を突き付け、ドイツから「継承」した権益だけでなく、新たな権益を要求した。最終的に中国の袁世凱政権は、この無法な要求を呑むが、これが中国国内の反日運動に火をつけ、五四運動をきっかけに泥沼化した日中戦争の引き金となり、アメリカに対日制
裁の口実を与える結果につながった。              
 米ルーズベルト大統領が、ソ連に対日参戦させるため北方領土を奪ってよい
というエサで、ソ連に参戦させたものの、東欧諸国のソ連圏への組み込みに成
功したソ連がヨーロッパ戦線に張り付けていた軍隊を大挙、対日本戦に投じたことでびっくりし、ソ連の快進撃を阻止するために広島・長崎に原爆を投下して日本の無条件降伏の早期実現に成功した。が、ソ連軍は日本がポツダム宣言受諾後も南下作戦を止めず、北方四島を占領、北海道まで攻め込む勢いを示しだしたことでアメリカが硬化、アメリカとの全面対決を避けるためソ連は北海道占領を諦めたという経緯があった。
「歴史は繰り返す」という言葉があるが、戦争というものは正邪とは無関係に、国益になることは何でもやってよいという「歴史的教訓」を国際社会は学んだはずだった。国連憲章も国際連合も、二度とそうした過ちを犯してはならないという「歴史的教訓」を生かすために作られたはずである。が、憲章の条文を自国の国益のために、どんなに非論理的であっても自由に解釈してよいということになると、もはや国連憲章は死文化したと考えざるを得ない。
 だから私は「勝てば官軍、負ければ賊軍」「敗軍の将、兵を語らず」を歴史認識基準にすべきではないと、これまで一貫して主張してきた。
 とりあえず、昨日の臨時国会で海江田民主党代表の質問に答えて安倍さんは、自衛隊の海外派兵のための関連法案成立後も「中東での戦争に『大規模』な参加はしない」と答弁した。
 ちょっと待ってよ、安倍さん。閣議決定した際には「湾岸戦争やイラク戦争のような戦争には参加しない」と言っていたではないか。その意味は「中小規模の参加はするが、大規模な参加はしない」ということだったのか。そんな説明は聞いてないぜ。ふざけるのも、国民をバカにするのもいい加減にしてもらいたい。公明党は沈黙しているが、そもそも自公交渉の過程で「湾岸戦争やイラク戦争のような戦争には参加しない」との公約の裏には「参加の規模の大小」についての密約があったのか。

 さてお約束の読売新聞、朝日新聞の「米軍の『イスラム国』攻撃」についての社説での主張を検証しよう。結論から言えば、「情けない」の一言しかない。これが日本を代表する2大メディアの論説委員たちの思考力の限界なのか、と唖然とする思いだ。
 野党もだらしがないが、せっかく海江田氏が「アメリカから要請があった場合、日本は『イスラム国』攻撃に参加するのか」と集団的自衛権行使の核心に迫る質問をしておきながら、安倍さんの「関連法案が成立しても『大規模な参加』はしない」との答弁に、それ以上噛み付けなかっただらしなさ…それすら
読売新聞も朝日新聞も不問に付した。25日付読売新聞の社説のタイトルはずばり『米シリア領空爆「テロとの戦い」に結集しよう』だった。要点を転載する。

 オバマ大統領は、「流血をもたらす過激思想を弱体化させ、壊滅する」と強調
した。オバマ政権は、イラク駐留米軍を撤収させ、国民を弾圧したシリアのアサド政権への空爆も見送った。だが、イスラム国の脅威が世界に広がるなか、中東への軍事関与を強める路線転換を迫られた。
 米国は、空爆について「自衛権の行使」と説明する。シリアのアサド大統領も「反テロの努力を支持する」として自国領内への攻撃を容認した。敵対勢力の弱体化を期待しているのだろう。米国は、シリアの穏健な反体制派を組織化し、軍事訓練を行って、イスラム国との地上戦の主体とするとともに、いずれアサド政権に代わる勢力に育てたい考えだ。
 安倍首相がイスラム国の蛮行を非難し、今回の空爆に「理解」を示したのは妥当である。日本も難民への人道支援などで、従来以上に積極的に貢献したい。

 読売新聞論説委員室は、オバマ大統領が「イスラム国」を称する集団に対して行っている空爆(人的被害を最小にとどめる地上戦の準備も進めているようだが)について「自衛権の行使」と説明していることを認めている。正確に言えば「国連憲章51条に基づく個別的自衛権の行使」が空爆の口実である。確かに残虐そのものであり、とうてい許される行為ではないが、「イスラム国」を名乗る集団(テロ集団とするには規模が拡大しすぎている)が虐殺したのは米ジャーナリスト2名である。オバマ大統領は、さすがにこの二人に対する報復行動を「個別的自衛権の行使」とは言えず、シリア在住のアメリカ人を保護するためと口実を加算している。ということは、アメリカはシリア在住の米民間人のシリアからの退去を命じず、「シリアにとどまれ」としているに違いない(これは事実を書いているわけではなく、そう理解しなければ個別的自衛権行使の口実になりえないからである)。
 ロシアが国連総会で「この空爆はシリアの国内紛争に対する軍事的介入だ。国連安保理で議論すべきだ」と主張しているのは、そのことを指している。少なくとも米国の「イスラム国」への空爆についてはロシアの主張のほうが正当である。中国もロシアの主張に同調しているようだ。
 日本がシリアの内紛から逃れた難民への人道支援を行うことについては、私は読売新聞の主張を支持するが、安倍さんがアメリカの勝手な口実での軍事介入を支持していることへの賛意を示すこととは全く別問題である。安倍政権が来年4月以降順次関連法を改正した場合、読売新聞は「自衛隊は中小規模での、イスラム国に対する攻撃をすべきだ」と主張するのだろうか。
 朝日新聞は28日の社説でこう主張した。タイトルは『国連演説 首相の重い国際公約』である。国連総会での演説と記者会見での発言を言質にしようというのだろうか。やり方としてはせこいが、自衛隊の行動に歯止めをかけようという意図は分かる。が、そもそもアメリカの「イスラム国」への攻撃は国連憲章上、正当性があるのかどうかの根本的問題は不問にした。

(国連総会での一般討論演説後の)記者会見では、難民や周辺国への人道支援など「軍事的貢献でない形で可能な範囲の支援を行う」と語った。日本は米国などの軍事攻撃には関与せず、あくまで非軍事の支援に徹する方針を国内外に示したことになる。
 米軍などのシリア領内での空爆について、首相の見解は「やむを得ない措置だったと理解している」というものだった。空爆に当たっては、シリア政府からの明確な要請も、国連安全保障理事会での決議もなかった。国際法上の根拠には疑問が残り、「支持」でなく「理解」にとどめたのだろう。
 集団的自衛権の行使容認を閣議決定した政権がどう振る舞うか。ここは国際社会での日本のありようが問われる。もちろん、閣議決定だけで自衛隊は動かせない。関連の立法措置が必要であり、自衛隊の活動の範囲を規定する歯止めなど具体的な中身は今後の国会論議にかかっている。
「イスラム国」との戦いは長期化が予想されており、米国が自衛隊の支援に期待する可能性もある。だが、首相自身が「軍事的貢献でない支援」と国際社会に約束した。そのことを忘れてはならない。日米関係は重要だが、国際的支援の在り方は各国がそれぞれ判断すべきことだろう。米国とは違う立場で、その個性を生かすべきではないか。

 まぁ、窮地に陥っている朝日新聞としては、これが精いっぱい書ける限界かという感じがしないわけではない。が、米軍の「イスラム国」空爆に対しては「国際法上の根拠には疑問が残り」とだけしか指摘できなかったのでは、読者は消化不良を起こす。一体、どういう疑問があるのか、メディアとしては私のブログ記事を盗用してもいいから、はっきりさせる責任があるだろう。(了)