小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

オバマ大統領は「イスラム国」攻撃理由を個別的自衛権とした。安倍さんの集団的自衛権論の根拠が崩れた。④

2014-10-02 07:37:16 | Weblog
 このシリーズの1回目に私はこう書いた。
「イスラム国」は国家なのか。それとも国家建設を目指すグループなのか。
 そういう疑問を提出したのは、米オバマ大統領が「イスラム国」と称するグループ(あるいは集団)に対する武力制裁を正当化するために、「国連憲章51条に基づく個別的自衛権の行使だ」と主張したからである。
 私は国連憲章51条の論理的解釈について、私自身が「もう飽きた」と言いたくなるほど、このブログで書いてきた。私の解釈について、各メディアも首相官邸も、安保法制懇の連中も読んでいながら、いままで一度も反論・批判を返したことがない。私の解釈がおかしいと思うなら、コメントやトラックバックでいくらでも批判できる。実名でなくても私は一切削除しない。つまり反論や批判がないということは、私の論理を否定できないということを意味する、と私は確信を持って言える。
 実は私はブログで主張するだけでなく、各メディアに何度も電話で同じ論理の意見を申し上げてきた。すべてのメディアの読者・視聴者窓口の方は、私の論理が正しいことを認めている。ただ、それが紙面や報道番組に反映されないだけだ。反映すると、メディアの無能さを自ら明らかにせざるを得なくなるからだ。
 もう自分でも飽きた、と言いながら、また書かざるを得ない。
 国連憲章は国際の平和と安全を、2度にわたる世界大戦を教訓として、いかに実現するかという人類共通の課題のために作られた。国連はこの国連憲章をベースに構築された国際的組織である(憲章の決定は45年6月、国連の結成は同年10月)。
 国連憲章の目的は、国際(諸外国との関係)の紛争は武力によって解決することを原則として禁止することにある。実際に他国との間に紛争が生じた場合、憲章は、戦争という手段(武力の行使)によって解決するのではなく、話し合いなどの平和的手段(外交)によって解決することを国連加盟国に命じている。
 が、そうは言っても、ということが過去繰り返されてきたので、当事国間の外交交渉では解決できなかった場合、国連安保理が「非軍事的措置」についてのあらゆる権能(憲章41条)と、「軍事的措置」についてのあらゆる権能(憲章42条)の行使によって国際の紛争を解決してもいい、と決めている。
 が、国連安保理には常任理事国と非常任理事国があり、米・英・仏・中・露の5か国が常任理事国として特別の権限を持っている。それが拒否権であり、そのため実際に国連が国際の紛争を解決できたことは過去に一度もない。強いて言えばアパルトヘイト政策(人種差別)をとっていた南アフリカを国際社会から「村八分」にしたことはあったが、これは国際の紛争の解決のためではない。日本では湾岸戦争のときに結成された多国籍軍が有名だが、多国籍軍も国連憲章が想定していた「国連軍」ではない。
 このように、憲章41条、42条の規定にもかかわらず安保理が国際の紛争を解決できなかった場合に「のみ」、他国から攻撃された国は個別的自衛(自国の軍事力による自衛=防衛)又は集団的自衛(密接な関係にある国に軍事的支援の要請)を行う権利を認めたのが憲章51条である。
 この解釈は、憲章51条をどう、縦に読もうが横に読もうが、あるいは逆さに読もうが斜めに読もうが、変えることはできない。アメリカがどう解釈したとか、旧ソ連がどう解釈したとか、そんなことは一切関係ない。アメリカの解釈がすべて正しいとするならば、では日本は個別的自衛権を「イスラム国」なる集団に対してなぜ行使しないのか。
 言っておくが、憲法9条は、個別的自衛権の行使については行使の条件を一切付けていないというのが、これまでの政府の見解だ。

 オバマ大統領は、「イスラム国」を名乗る集団に対して、個別的自衛権を行使するとしている。理由はアメリカ人ジャーナリストが「イスラム国」を名乗る集団によって殺害されたこと、またシリアに住んでいるアメリカ人を守るため、としている。
 戦場で命を落とした日本人ジャーナリストも、21世紀に入ってから少なくとも5人が確認されている。
 最初の犠牲者は04年5月27日にイラクで取材中にバクダッド近郊のマハムディヤで銃撃を受けて殺害されたカメラマンの橋田信介氏と助手の甥・小川功太郎氏の二人。次が07年9月27日にミャンマー・ヤンゴンで反政府デモを取材中に軍の治安部隊がデモ隊に発砲した銃弾によって死亡した長井健司氏。3人目は10年4月10日にタイのバンコクで治安部隊と反政府デモとの大規模な衝突を取材していたカメラマンの村本博之氏。最後の一人が13年8月20日にシリア北部のアレッポで反体制派武装組織「自由シリア軍」の同行取材中に銃弾に倒れた山本美香氏。
 この5人の死は、それぞれの国の政府軍あるいは反政府勢力による銃撃によるものであろうと、「日本が攻撃された」と見なすことができるケースと言えるだろうか。そんなバカなことを言って、自衛隊に報復行為を政府が命じたとしたら、たちまち政府は倒壊する。
 が、なぜかアメリカではそういうバカげた論理がまかり通っているようだ。確かにイスラム過激派はアメリカに対して異常なほどの憎しみを持っているようだ。イスラム教徒が支配するアラブ諸国が対立しているイスラエルの背後にアメリカが存在しているという事実が、アメリカに対する憎しみの原点になっていることも間違いないようだ。
 が、日本政府はシリアに在住していた民間の日本人には国外退去を命じているはずだ。シリア大使館は閉鎖するわけにはいかないから最小限度の外交官や事務官は残しているだろうが、家族は日本に帰国しているはずだし、大使館員も外出の自由は相当制限されているはずだ。また緊急事態に対処するため、大使館にはかなりの食料や飲料水が備蓄されている。
 アメリカ政府は自国民に対してそうした配慮をしていないのだろうか。あるいはアメリカ人のシリアからの退去を、オバマ大統領が禁止しているとでも言うのだろうか。そうだとすれば、シリア在住のアメリカ人の安全を守るのはアメリカ政府の責任であり、シリア在住のアメリカ人の安全のための最小限の地上警備態勢を敷くのは当然だと思う。日本もシリア大使館の警備体制はそれなりに整えているはずだ。
 が、仮に日本のシリア大使館が「イスラム国」なる過激派に襲われたとしても、その襲撃を防ぐ義務はシリア政府にある。シリア政府から協力を要請され、自衛隊を派遣することになったとしても自衛隊の任務は大使館の防衛に限定され、「イスラム国」を名乗る集団に対する攻撃の権利はない。なぜなら「イスラム国」を名乗る集団は日本国を標的として攻撃して来ているわけではないのだから、憲章が認めている「自衛のための実力の行使」が行えるケースには、どう屁理屈を付けても該当し得ない。

 戦場におけるジャーナリストの死は「自己責任」とされている。日本の場合、先に述べた5人はすべてフリーランスのジャーナリストである。大手メディアは戦場に記者を派遣していないわけではないが(テレビの報道番組ではしばしば現地からの録画中継も行っている)、危険な地域での取材は絶対避けるよう指示している。フリーランスのジャーナリスト(とくにカメラマン)は、ある意味では生々しい現場の撮影映像を高いカネで売るために、自らの命に対するリスクを引きかえにしていると言えなくもない。
 そういうリスクをおかせ、と誰からも命じられたわけではなく、自らの意志でそうしている。もちろん、カネだけが目当てだと言っているわけではない。少なからず使命感に駆られて危険を顧みず、という方もいるだろう。が、そうであったとしても、やはり結果に対する責任は自らが負うしかない。私も、正直ここまで書いたらやばい、と思うケースもないではない。だから、このブログを書きだした時に私の個人情報は完全に秘匿している。住まいも変えた。電話も、IP電話か携帯しか使わない。局番から住居地が分からないようにするためだ。私がどこに住んでいるか、親族以外はきわめて親しい友人すら知らない。
 野村証券はかつて暴力団と手を組んで東急電鉄株の株価操作をしたことがある。麻生太郎元総理はかつて、その筋の人だった。私はスキャンダル・ライターではないが、ある意味ではスキャンダルを暴かれるより厳しい批判もしている。もっと若くて、さまざまなしらがみがあったら、ここまでは書けないかもしれない。
 シリアで無念の死を遂げたジャーナリスト、カメラマンはすでに二ケタに達しているとも言われている。彼らがなぜ大きなリスクをおかしたのかは、彼ら自身に聞かないと分からない。が、それは不可能だ。大分・普賢岳の大火砕流では消防団員や新聞記者など多くの殉職者を出した。彼らの場合は個人的な動機でリスクをおかしたとは言えないから、戦場におけるジャーナリストの死とは同一に論じることはできない。実際、普賢岳の火砕流の死者を超えた御嶽山の噴火では殉職者は出ていない。救難活動に従事する組織も、メディアも普賢岳の教訓から学んだことが多いと思う。
「イスラム国」を名乗る集団が、なぜそこまで残酷な行為に走るのか、イスラム教については学んだことがない私には、理解の限度を超えている。9・11事件もそうだが、あそこまでやるのは旧日本軍の特攻隊以来だろう。自爆テロはほとんどがイスラム過激派の行動だ。彼らの行為はリスクをものともせず、といったものではない。自らの死と引きかえに、何を得ようというのか。旧オウムの信者も、浅原彰晃の完全なマインド・コントロール下に置かれながら、自らの死と引きかえにテロを行ったりはしていない。
 9・11事件に対しても、米政府は勝手にアフガニスタンのタリバーン政権によるアメリカへの攻撃とみなすことにして、「個別的自衛権」を行使した。
 こういう笑えないジョークがある。「フランスは、フランス人さえいなければ世界一素晴らしい国だ」というのがそれだ。ご存じの方も少なくないと思う。その笑えないジョークにちなんで私はこういうジョークを考えた。
「アメリカは、アメリカ政府さえなければ、フランスに次ぐ世界で二番目の素晴らしい国だ」
 明日は、このシリーズの最終編として、読売新聞と朝日新聞の社説での主張を検証する。