小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

理研の「富岳シミュレーション」はコロナ感染防止にはまったく役に立たない。

2021-04-05 02:10:33 | Weblog
3月26日、東京オリンピックの聖火リレーが福島を出発した。通常なら聖火リレーのスタートと同時に一気にオリンピック期待ムードが盛り上がるのだが、リレーランナーが走る沿道には多少人出もあったようだが、実際にオリンピックが開催できるかどうか、私たち国民の大半はしらけ切っている。
ところでコロナ・リバウンドが確実になって、実はずっと疑問を抱いてきたことについて検証してみたくなった。3月の初め、理研(理化学研究所)が発表した世界最高性能のスーパーコンピュータ「富岳」を使ってのマスク効果のシミュレーション研究についての疑問である。

●アホと違うか、理研の「マスク効果」シミュレーション
理研はシミュレーション検証した結果を3月初めに公表したが、その目的が全く不明である。相当膨大な税金を使っての研究だと思うが、何の役に立つのか私には理解不能である。専門家やメディアが疑問を呈さないことも不思議だ。
理研が発表したのは、マスクをした人が咳をした場合、飛沫がどの程度の範囲と距離まで飛散するかのシミュレーション結果である。咳をした場合に飛ぶ飛沫の勢いと量は、通常の会話で飛ぶ飛沫の勢いや量とはたぶんけた違いに多いと思う。仮に友人や家族と向き合って食事や話をしていて、突然せき込むことはある。あるいは突然くしゃみが出ることもある。頑是ない子供ならいざ知らず、常識ある大人なら仮にマスクをしていない状態(例えば飲食中)でも顔を背けて鼻・口を手で覆う。通常の人間の行動を前提にしないシミュレーションは学者の「お遊び」でしかない。
次にマスクを着けていながら正面に向かって咳をした場合、飛沫が飛ぶ最大飛距離は1.5メートルだという(不織布マスク1枚の場合)。ということは、仮に感染者と話をしていても、感染者がマスクをしていれば、その人から1.5メートル離れていればマスクなしでも感染リスクはないということを意味する。
これはシミュレーション映像を見るまでもないことだが、大きい飛沫は遠くまで飛ばない。ミクロン単位の微粒子状の飛沫は1.5メートル先まで飛散するようだが、1.5メートル離れたマスクを付けた人がどのくらいの量の飛沫を吸い込むかのシミュレーションがない。
さらに理研のシミュレーション検証の致命的な欠陥は、通常、人は鼻呼吸することを無視していることだ。喋ったり咳をした場合の飛沫は確かに顔の正面前方に向かって飛ぶが、人間の鼻の穴は豚の鼻と違ってふつうは下向きである。つまり顔の正面の空気(もちろん飛沫を含んでいる)を吸うのではなく、顔の下方の空気を吸っている。だから人間が実際に吸う空気の範囲内にどの程度の飛沫が存在し、その飛沫どのくらいの量をマスクをつけていても吸気するかを検証するのでなければ、世界最高性能の富岳を使う意味がない。いくらスーパーコンピュータの性能が良くても、富岳に計算させるための計算式がデタラメだったら無意味どころか、私たちが重大な判断ミスを犯すことになりかねない。

●理研の研究目的は「人に感染させないためのマスクの正しいつけ方」なのか、それとも「自分が感染しないためのマスクの正しいつけ方」なのか?
理研のシミュレーション画像はユーチューブで【理研 マスク効果】で検索すればいくらでも見ることができる。シミュレーションは今回だけでなく昨年も行われたが、今回のシミュレーションで明らかにされたのは咳をした場合の【二重マスクの効果】(二重にしても、不織布マスク1枚を顔にしっかり密着させたのとではほとんど効果に変わりがない)と、マスクなしで歩きながら話す場合、飛沫が後方3メートルくらい漂うということだ。
いったい、このシミュレーションは何を意味するか。
この二つのシミュレーションは、いずれも【飛沫を吸い込むことを防ぐためのマスクの着用法】とは無関係だ。コロナ感染者が咳をした場合にマスクを通り抜けて飛沫がどのくらい飛散するかのシミュレーションであって、コロナウイルスを含んだ飛沫をいかに防ぐかという視点が、膨大な税金を使ったであろう理研の研究チームにはまったくない。
もちろん、コロナウイルスが厄介なのは、発症するまで数日の潜伏期間があることはわかっており、無症状のため通常の生活を送っている「隠れ感染者」がかなり多いことは私も分かっている。かくいう私自身も可能な限り外出を控えてはいるが、餓死するわけにはいかないからスーパーやコンビニなどに週に数回は行く。少なくとも、いまのところ発症はしていないが、ひょっとしたら無症状感染しているかもしれない。その可能性はすべての国民にある。だからPCR検査を増やすべきなのだが、政府がやっていることはせいぜい最大検査能力を増やすことだけで、検査体制の拡充には無関心のようだ。だからPCR検査実数は検査能力の4分の1程度でしかない。。保健所が既得権益にしがみついているためで、私は何度もNHKに「PCR検査の闇の構造」を明らかにしてほしいと要請しているが、いまだ実現していない。PCR検査など、インフルエンザ検査と同様、街の内科クリニックでもできるのに…。
PCR検査の問題は置いておくとして、私の友人たちもみな高齢者で用心深いから、会食はほとんどしなくなった。が、仕事をしている方たちは、完全なリモート・ワークでなければ誰とも会わないというわけにはいかない。また仕事の性質によってはリモート・ワークの方が生産性が落ちるという結果も報告されているようだ。確かにリモート営業などは通販のコミュニケーター以外は実際問題として不可能だろう。ズーム会議も2~3人程度ならいざ知らず、5人程度以上になると自由闊達な議論がしにくいことも分かった。
コロナ感染の拡大を防ぐための「新しい生活様式」も、今回の緊急事態宣言で2か月が限界のようだ。3月22日にアップしたブログでもかいたように、2か月後の3月7日の解除予定を首都圏に限ってさらに2週間延期したが、ちょうど再延長したころから都心の人出が増え始め、感染者数も前週同曜日比で増えだした。首都圏より先に宣言解除した大阪や兵庫では第4波に襲われているようだ。私たち高齢者は何とかまだ「巣ごもり生活」に耐えているが、若い人たちにとっては我慢の限界だったのだろう。
「会食は5人まで」という政府の「新しい生活様式」の指針も、「5人以下なら感染を防げるが、6人を超えると感染リスクが高まる」という会食制限に合理的な根拠があるとも思えない。この指針が合理性を持つためには「隠れ感染者」がいた場合、5人までの会食なら感染拡大は4人までに収まるが、10人の会食だと感染者が9人増えるから、と理解するしかない。実に馬鹿げた指針だ。

●必要な「マスク効果」研究は、自分が感染しないための指針だ。
話が少し横道にそれたが、理研が検証すべきは、人と会話をする場合、どういうマスクのつけ方が必要か、また話し相手との距離をどの程度とれば、コロナに感染している話し相手が大声や咳をしても、コロナに感染するほどの量の飛沫を吸い込むことを防げるか、のはずだ。
つまりマスクのつけ方で、どの範囲の飛沫を含んだ空気を吸い込むのかをシミュレーションすべきだった。咳をした場合の飛沫の拡散状態をシミュレーションしたのであれば、どういう形状でマスクをつけていれば、またどの程度の距離を保っていれば、飛沫を吸い込まずに済むかのシミュレーションである。
私の予測ではマスクの上部(目方向)や横(頬方向)からの吸気はほとんど無視してもいいのではないかと思う。大半は下部(顎方向)からの吸気だと思うが、正面方向からの吸気量がどの程度かのシミュレーションが非常に重要だ。
とくに鼻づまりで口呼吸している場合は、おそらく吸気の大半は正面方向からになるので、その場合は話し相手との距離をどの程度とるべきか。
 こういった感染防止の観点から考えると、鼻だしマスクはまったく意味がないことになる。鼻だしマスクをしていてトラブルになった事件の報道をテレビで見たことがあるが、感染者でも鼻からはコロナウイルスを含んだ飛沫は通常出ない。ただ、くしゃみをした場合は鼻からも飛沫が出るので、人に感染させないためには人込みの中では鼻だしマスクはマナー違反だと思う。
そういうシミュレーションが、コロナ感染を防ぎ、また感染拡大を防ぐために必要なのではないか。小保方晴子のSTAP細胞作製実験も含め、理研の研究価値が問われていると言わざるを得ない。
私は生まれついての嫌な性分で「権威」を一切認めない主義だ。だから学生時代、左翼運動にのめり込みながらマルクスや所属していた組織のトップの考え方に疑問を呈して除名処分を食らったくらいで、だから理研の「マスク研究」にも、思考停止をして恐れ入ったりはしない。
例えば旧ソ連や中国、北朝鮮など共産圏の国は「土地は根源的生産手段」というマルクスの定義を後生大事に守り、土地の私有化は認めていないが、では「生活手段としての土地」は何を生産しているのか。杉田水脈なら「子供を生産する手段」というかもしれないが、基本的に消費を伴わない生産活動はありえない。むしろ「土地は根源的消費手段」と定義すれば、あらゆる土地がそれに該当する。
「論理的思考力はあらゆる知識に勝る」(小林紀興)

●閑話休題――「税込み価格表示」の悪だくみを逆手にとったら…。
話はまったく変わるが、4月1日からスーパーなどでの価格表示方式が変更になった。本体価格だけの表示が禁止され、税込み価格表示あるいは単品ごとの税額表示が義務付けられたのだ。
実は橋本内閣が消費税を5%にアップしたとき、やはり「税込み価格表示」を小売業者に義務付けたことがある。この時メディアは一斉に、将来の増税時に消費者が抱く「増税感」を緩和することが目的だと解釈したことがある。
が、安倍内閣が8%に増税したとき、「税込み価格表示」の義務付けを解除した。その結果、ほとんどのスーパーやコンビニ、量販店は【本体価格】と【税込み価格】を二重表示するようになった。それをまた橋本内閣時のように【税込み価格】表示だけを復活するというのかと思った。
が、4月になっても行きつけのスーパーやコンビニの価格表示方法はこれまでと変わらない。つまり本体と税込みの価格が二重表記されているのである。スーパーの店長に聞くと「本体価格だけでなく税込み価格も表示しろ」という意味なので、うちでは個々の商品の価格表示法は変えていない」とのことだった。業務用スーパーなどでは本体価格しか表示していない店があるため税込み価格も表示しろということらしい。
が、本体価格のみ表示で消費者が混乱したという話はあまり聞いたことがない。だいいち、消費税が8%に上がったとき(2014年)から、スーパーやコンビニなどは二重表示してきたし、それ以来7年も経つのに、今頃なぜ大半の小売店には関係のない表示変更を義務付けたのか。
が、個々の商品に【税込み価格(うち税額も表示)】か二重表示を義務付けるということは、消費税は個々の商品に別々にかかることを意味しなければおかしい。ところが政府はせこいことに、従来から消費税は個々の商品ごとにかけるのではなく、買い物の本体価格の総額にかけてきた。
そのやり方がなぜせこいのか。
極めて簡単なケースで説明する。1個98円の食品は税込みで105.84円になる(食品以外は107.8円)。1円以下の通貨派内から支払いは現金だろうとキャッシュレスだろうと105円だ(食品以外は107円)。が、1個98円の食品を2個買うと総額は196円になり、消費税も211.68円になる(食品以外は215.6円)。1円以下は切り捨てなので98円の食品を別々に買うと210円で済むが(食品以外は214円)、2個一緒に買うと211円(食品以外は215円)と消費税が1円増える。スーパーなどで大量に商品を買うと、レジで個々に支払うのと、まとめて支払うのとでは消費税額にかなりの差が生じる。
国がそういうせこいやり方で「塵も積もれば山となる」方式で庶民からせこく消費税を稼ごうというなら、消費者のほうは対抗手段としてレジでの会計を1品ごとにする手段で対抗したいものだ。
もちろん、そういうやり方をすればスーパーなど小売業側は悲鳴をあげる。小売業者がそういう状態になれば、チェーンストア協会など小売業者団体が政府に「消費税は単品ごとの課税にしてくれ」と強く要求せざるを得なくなる。
政府があくまで「総合課税」を主張するなら、筋としては1回の買い物ごとに消費税を支払うのは他の税体系と比べて著しく不平等であり、1年間の総消費額に対して課税すべきだという税法理論で対抗すればいい。実際に国民が「単品支払」という手段に出たら、政府も単品課税方式に転換せざるを得なくなる。政府がせこくやるなら、私たちもせこい手段で対抗したい。

【追記】水泳の池江選手がオリンピック出場を内定させた。不知の病と言われる白血病からの奇跡の回復だ。私は東京オリンピック開催は無理だと主張してきたが、池江選手のためだけにでも開催してあげたいと思うようになった。
 私も人間。熱い血も流れている。論理だけでは解決できない世界もある。何とか池江選手を世界のひのき舞台に立たせてあげたいと願う。


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