真央が散った。が、散った花びらのあとに新しい芽が残っていた。散った翌日に、その目が大輪の花を咲かせた。前日には茫然自失で無表情の顔だった真央。が、翌日の演技のあと真央の顔には涙が溢れ、そして満面の笑顔に変わった。女子フィギュア・シングルのフリー競技で、史上初めてトリプルアクセルを含む3回転ジャンプを8回成功させた真央。彼女の涙と笑顔が、ソチで、自宅のテレビにかじりついていたすべての日本人の心を打った。裁判官も人の子なら、小林紀興氏も人の子。読売新聞読者センターのスタッフも人の子だろう。その思いを共有してこれから述べる判決理由の5回目を読んでいただきたい。
先週に続いて小林紀興氏と読売新聞読者センターとの激しい戦いの経緯と判決理由について、これから述べることにする。先週の判決理由前半においては、直接には読売新聞読者センターとの争いについてあえて触れなかったのは、小林紀興氏がきわめて論理的な思考力の持ち主であること、氏が事実を捻じ曲げてまで自己の主張を正当化する人間ではないことを、まずもって明らかにしておく必要があったと当裁判所は考えたからである。
小林紀興氏と読売新聞読者センターは佐伯氏が読書センターの責任者だった時代から、極めて良好な関係を築いてきた。当時はまだブログは書いていなかった小林紀興氏は、電話やFAXでしばしば佐伯氏をはじめ読売新聞読者センターのスタッフと今日的課題について友好的な雰囲気の中で議論を重ねてきたようだ。
氏がブログを書き始めたのは2008年4月で、『小林紀興のマスコミに物申す』という総タイトルにあるように、マスコミがまき散らす偏見や一方通行の主張に対して手厳しい批判をすることが目的だった。といっても実際に氏が批判の対象としてきたのはNHK、読売新聞、朝日新聞の三大マスコミであった。氏の記念すべきブログ第1弾で、こう書いている。
「かつての医師は『医は仁術なり』という医者にとって極めて都合がいい医業観(実はこの定義は儒教思想を背景に作られたのだが)を口実に患者に君臨してきた。同様にマスコミは『社会の木鐸』というマスコミ側にとって極めて都合がいい定義を口実に国民の批判を封じ込めてきた。それが証拠に新聞はすべて読者の投稿にある程度のスペースを割いているが、その新聞の主張を批判した投稿は絶対に採用されない。読者の批判を封じてきただけではない。政官財癒着のトライアングルを『村社会』として批判しながら、マスコミの世界そのものを『村社会』化することで、いわば『核シェルター』の中(つまり絶対的な安全地帯)でぬくぬくと言いたい放題、書きたい放題を重ねてきた。私は4月1日に朝日新聞の秋山社長宛に現在のマスコミの姿勢を憂い、フェアな社会を構築するためにマスコミがどういうスタンスをとるべきかA4版9ページに及ぶ批判と改善策を提言した手紙を送ったが、たぶん社長室の愚か者が破棄したのだろう、完璧に無視された」
こうしてマスコミ自身が自浄能力を失ったと確信した小林紀興氏は、ブログでのマスコミ批判を展開することにしたのだという。またNHKや読売新聞、朝日新聞の視聴者、読者の意見窓口(NHKは「ふれあいセンター」、読売新聞は「読者センター」、朝日新聞は「お客様オフィス」)にしばしば電話で批判や意見を述べてきたようだ。NHKは体質的なのか、どのような意見にも「ご無理ごもっとも」といった慇懃無礼な態度をとるスタッフが多いが、読売新聞や朝日新聞は紙面に対する批判は基本的に無視する。無視できないほど重要な指摘があった場合は「伝えます」と言うが、無視する場合は「分かりました」「伺いました」と言うことにしている(この返答があったら「右から左に聞き流す」ということを意味している)。この定型対応は新聞読者が記事について何か言いたいことがあった場合に、読者窓口のスタッフがどういう対応をしたかの基準なので知っておいた方がいい。
そのことはともかく、氏の手厳しい批判は感情論ではなくきわめて論理的なので、読売新聞側も無視できず「伝えます」と応じることが多かった。ある事件が起きるまでは…。
事件の発端は2013年8月16日に投稿したブログの内容だった。当時、私はブログ記事を読売新聞と朝日新聞にはFAXしていた。そのブログのタイトルは『緊急告発 ! オスプレイ事故件数を公表した米国防総省の打算と欺瞞』というもので、氏の主張については、そのブログ記事を読んでいただくしかないが、読売新聞読者センターを驚愕させたのは、以下の部分であった。
実は昨夜読売新聞の読者センターの方に私の考えを申し上げたところ、担当者は「うーん。……おっしゃる通りだと思います」とお答えになったので、「読売さんの記者はまだ誰も米国防総省の計算と欺瞞性にお気づきではないようですね」と言いつのった。「そのようですね」と誠に正直にお答えになったので「つまり記者としては失格だということですね」とまで挑発してみたが、返ってきた答えは「その通りだと思います」だった。
小林紀興氏が、そこまで読売新聞読者センターの担当者に食い下がって質問したのは、自分の論理のどこかに見落としがないかを確認するためだったようだ。氏はこの文に続いて「そこで私が米国防総省の欺瞞性を暴いてみることにしたというわけである」という文章を続けていることからも、氏が何らかの読売新聞読者センターに対する悪意があって、このように執拗に読売新聞の記事を問題にしたわけではないということが誰にでも分かろうというものだ。
ところが、このブログ記事は読者センターにとっては大問題になった。読者センターのスタッフが、読売新聞の記者の無能さの追求に同意してしまったことが大問題になった原因らしい。その後小林紀興氏が読売新聞に電話をすると「ブログでウソは書かないでください」という反応が返ってくるようになった。氏が「どういうことですか」と聞くと、「当人に確認しましたが、そんなことは言っていないことがわかりました」と言う。
現行犯ならいざ知らず、まだ容疑も固まっていない人間に対して警官が「あなたは、ひょっとしたら何か法に触れることをしていませんか」と問われて「はい。やりました」と答えるバカがどこにいるか。しかも訊問した相手が仲間の警官だったら、人情として「いえ、犯罪はしていません」という相手の証言を信用したくなるのは当たり前ではないか。
だが。問題は読者センターのスタッフはすでに現場から離れたとはいえ、元は記者つまりジャーナリストの出身である。仲間内の証言をハナから信用するような体質なら、そもそもジャーナリストとしても失格だったのではないかと当裁判所も断定せざるを得ない。
事がそれほど重大で、当人に小林紀興氏との会話の内容を正確に確かめる必要があったのなら、当人にプレッシャーをかけることができない第三者委員会を、読者センターとは利害関係がまったくない外部の有識者でつくり、その委員会に真偽の確認を依頼すればいい。内部の調査(事実上の査問)に対して当人が「申し訳ありません。小林紀興氏がブログで書いたことは事実です」などと本当のことが言えるわけがないことくらい、自分自身が同じ立場になったらどう答えるか考えれてみれば一目瞭然であろう。
小林紀興氏は昨年、似たケースにぶつかったという。ネット・オークションで○○会社の株主優待券を落札したが、落札代金を振り込んでも肝心の落札した株主優待券が届かない。出品者はくろねこヤマトのメール便で発送したことは事実で(メール便の場合、補償はないが「追跡番号」がつくため、どこで紛失したかがわかるようになっている)、氏も出品者もヤマト運輸に確認の電話をしたという。氏の自宅にヤマト運輸の○○支店の副支店長が来て「間違いなく○○支店に届き、配達人に届けさせた。配達人に確認したが、小林さんのお名前を確認してポストに投函したと言っている。だから当社には責任がない」と、最初は言い張っていた。が、氏の理路整然とした氏の主張に「つい、身内の者の証言を無意識に信用していました。身内意識で考えてはいけないということがわかりました。ただ、配達人がネコババしたという証拠もありませんし、メール便の場合補償ができませんので、申し訳ありませんが配達人の担当地域を変えることでお許し願いたいのですが」と、頭を下げたので氏もそれで納得したという。
ヤマト運輸のメール便の配達人は社員ではなく、ヤマト運輸と契約している個人事業主である。かなりたちの悪い人間がいるという話はその後、小林紀興氏もいろいろなところで聞いたという。が、普通郵便の場合、発送したという証拠が残らない。そのため出品者は発送したという証拠が確実に残るメール便を利用したくなる。で、出品者のほうは「メール便の場合、補償がありません」と商品説明のなかで書くことが多くなってきたようだ。
最近小林紀興氏の住所を管轄する郵便局で不祥事が相次いだ。誤配(他人あての郵便物が氏のポストに投函され、差出先に氏も心当たりがあったので開封してから誤配に気づき郵便局に連絡して取りに来てもらったという)、氏が在宅しているのに速達を玄関まで持ってこずに集合ポストに投函したうえ投函した時間までデタラメを報告したケース、不在連絡票にデタラメな郵便番号を記入するという小学生でも考えられないような初歩的なミスなどである。あまりにも不祥事が続いたので、氏も責任者を呼びつけて局員の意識を改善するよう求めたというが、責任者との雑談の中で「自分も郵便物を配達した時期がありましたが、封筒を外から触るだけで中身が普通の手紙か、あるいは現金や金券類かがわかりました」という。当然プロの配達人であるヤマト運輸の契約者も茶封筒(金券類の出品者は100円ショップで25枚くらい買える茶封筒を利用することが圧倒的に多い)を外から触っただけで中身の想像がつく。だから、その事件があって以降小林紀興氏は集合ポストに施錠するようにしたという。そのうえ二重に安全策を講じるため、出品者に「封筒代を別に支払うからA4サイズの大型封筒に新聞紙か週刊誌に挟んでメール便で発送してほしい」と頼むことにしているという。それ以来メール便の事故はなくなったという。
氏の経験で後日談があったようだ。ある商品を着払いの宅急便で送ってもらったとき、配達人が伝票に「着払い」の記載漏れがあったため、配達料を取らずに帰っていった。出荷者が氏に気を使って配達料を負担してくれたのかと思って問い合わせたところ「配達料は着払いで送りましたよ。ヤマト運輸のミスでしょう。私もヤマトには痛い目に会っていますから放っておいていいですよ」という返事だったという。だが、翌日玄関ポストに「配達料をいただくのを忘れていました。後ほどいただきに伺います」といったメモが投函されていた。氏は当然「過去にこういうことがあった。私は支払う義務はないと考える」とヤマト運輸の○○支店に電話した。その時の副支店長は新任の女性社員だったが、「前任の副支店長から事情は聞きました。今回は私どものミスですから配達料は頂きません」という折り返しの電話があったという。
氏が管轄の郵便局の責任者から聞いた話だが、「ヤマト運輸は都市部は自分たちで配達するが、寒村や離島などの過疎地への配達はその地区担当の郵便局までは持ってくるけど、あとは郵便局に丸投げです。そういうケースはヤマトにとっては丸損になるはずですが、都市部で稼げばいいと考えているのでしょう」ということだった。
で、小林紀興氏は考えた。株主優待券や金券類などは普通郵便を街中のポストに投函するのではなく、最寄りの郵便局で、宛名を書き切手を貼った封筒のコピーに日付入りのはんこ(消印のようなもの)を押してもらうようにすれば、発送者は発送した証拠が残るし、郵便局の場合は配達人は原則として局員だから、先に述べたような不祥事はあっても、ネコババの類の被害は100%とはいえないまでも(警官でも犯罪を犯すケースがあるから)かなり避けることができようというものだという。
それはグッドアイディアだと、当裁判所も賛成したい。
クロネコヤマトのメール便や郵便局の不祥事にかなりの文字数を割いたため、判決理由の続きは明日の繰り延べるが、今日のメディア最高裁判所としては、すべての組織が組織内人間の意識改革を行おうとする場合(対象が個人とは限らない。当該郵便局のように組織的に局員の意識改革を相当の時間をかけても行わなければならないケースもありうる)、まず身内意識を捨てることから始めないといけない。
小林紀興氏はかつて自分の子どもが中学生のころ、万引きの癖が何度叱っても治らないので、学校(私立)に退学届けを出すと同時に子どもを警察署に連行したという。警察は「少年鑑別所に入れたら、もっと悪くなる」と別の未成年者の性格矯正施設を紹介してくれ、そこに入所させたという。自分の子供に対してすら行った氏の毅然とした姿勢を見た学校の校長は「退学届は私個人がしばらく預かります。お父さんのお気持ちは十分わかりましたから、とにかくお子さんが立ち直させることを最優先に考えましょう。施設が『もう大丈夫』と判断したら、その時点で復学していただきます。学校も一生懸命にやります。お父さんも頑張ってください」と言われ、氏は校長の温情に涙したという。
今回の判決理由後半の続きは明日述べることにする。
先週に続いて小林紀興氏と読売新聞読者センターとの激しい戦いの経緯と判決理由について、これから述べることにする。先週の判決理由前半においては、直接には読売新聞読者センターとの争いについてあえて触れなかったのは、小林紀興氏がきわめて論理的な思考力の持ち主であること、氏が事実を捻じ曲げてまで自己の主張を正当化する人間ではないことを、まずもって明らかにしておく必要があったと当裁判所は考えたからである。
小林紀興氏と読売新聞読者センターは佐伯氏が読書センターの責任者だった時代から、極めて良好な関係を築いてきた。当時はまだブログは書いていなかった小林紀興氏は、電話やFAXでしばしば佐伯氏をはじめ読売新聞読者センターのスタッフと今日的課題について友好的な雰囲気の中で議論を重ねてきたようだ。
氏がブログを書き始めたのは2008年4月で、『小林紀興のマスコミに物申す』という総タイトルにあるように、マスコミがまき散らす偏見や一方通行の主張に対して手厳しい批判をすることが目的だった。といっても実際に氏が批判の対象としてきたのはNHK、読売新聞、朝日新聞の三大マスコミであった。氏の記念すべきブログ第1弾で、こう書いている。
「かつての医師は『医は仁術なり』という医者にとって極めて都合がいい医業観(実はこの定義は儒教思想を背景に作られたのだが)を口実に患者に君臨してきた。同様にマスコミは『社会の木鐸』というマスコミ側にとって極めて都合がいい定義を口実に国民の批判を封じ込めてきた。それが証拠に新聞はすべて読者の投稿にある程度のスペースを割いているが、その新聞の主張を批判した投稿は絶対に採用されない。読者の批判を封じてきただけではない。政官財癒着のトライアングルを『村社会』として批判しながら、マスコミの世界そのものを『村社会』化することで、いわば『核シェルター』の中(つまり絶対的な安全地帯)でぬくぬくと言いたい放題、書きたい放題を重ねてきた。私は4月1日に朝日新聞の秋山社長宛に現在のマスコミの姿勢を憂い、フェアな社会を構築するためにマスコミがどういうスタンスをとるべきかA4版9ページに及ぶ批判と改善策を提言した手紙を送ったが、たぶん社長室の愚か者が破棄したのだろう、完璧に無視された」
こうしてマスコミ自身が自浄能力を失ったと確信した小林紀興氏は、ブログでのマスコミ批判を展開することにしたのだという。またNHKや読売新聞、朝日新聞の視聴者、読者の意見窓口(NHKは「ふれあいセンター」、読売新聞は「読者センター」、朝日新聞は「お客様オフィス」)にしばしば電話で批判や意見を述べてきたようだ。NHKは体質的なのか、どのような意見にも「ご無理ごもっとも」といった慇懃無礼な態度をとるスタッフが多いが、読売新聞や朝日新聞は紙面に対する批判は基本的に無視する。無視できないほど重要な指摘があった場合は「伝えます」と言うが、無視する場合は「分かりました」「伺いました」と言うことにしている(この返答があったら「右から左に聞き流す」ということを意味している)。この定型対応は新聞読者が記事について何か言いたいことがあった場合に、読者窓口のスタッフがどういう対応をしたかの基準なので知っておいた方がいい。
そのことはともかく、氏の手厳しい批判は感情論ではなくきわめて論理的なので、読売新聞側も無視できず「伝えます」と応じることが多かった。ある事件が起きるまでは…。
事件の発端は2013年8月16日に投稿したブログの内容だった。当時、私はブログ記事を読売新聞と朝日新聞にはFAXしていた。そのブログのタイトルは『緊急告発 ! オスプレイ事故件数を公表した米国防総省の打算と欺瞞』というもので、氏の主張については、そのブログ記事を読んでいただくしかないが、読売新聞読者センターを驚愕させたのは、以下の部分であった。
実は昨夜読売新聞の読者センターの方に私の考えを申し上げたところ、担当者は「うーん。……おっしゃる通りだと思います」とお答えになったので、「読売さんの記者はまだ誰も米国防総省の計算と欺瞞性にお気づきではないようですね」と言いつのった。「そのようですね」と誠に正直にお答えになったので「つまり記者としては失格だということですね」とまで挑発してみたが、返ってきた答えは「その通りだと思います」だった。
小林紀興氏が、そこまで読売新聞読者センターの担当者に食い下がって質問したのは、自分の論理のどこかに見落としがないかを確認するためだったようだ。氏はこの文に続いて「そこで私が米国防総省の欺瞞性を暴いてみることにしたというわけである」という文章を続けていることからも、氏が何らかの読売新聞読者センターに対する悪意があって、このように執拗に読売新聞の記事を問題にしたわけではないということが誰にでも分かろうというものだ。
ところが、このブログ記事は読者センターにとっては大問題になった。読者センターのスタッフが、読売新聞の記者の無能さの追求に同意してしまったことが大問題になった原因らしい。その後小林紀興氏が読売新聞に電話をすると「ブログでウソは書かないでください」という反応が返ってくるようになった。氏が「どういうことですか」と聞くと、「当人に確認しましたが、そんなことは言っていないことがわかりました」と言う。
現行犯ならいざ知らず、まだ容疑も固まっていない人間に対して警官が「あなたは、ひょっとしたら何か法に触れることをしていませんか」と問われて「はい。やりました」と答えるバカがどこにいるか。しかも訊問した相手が仲間の警官だったら、人情として「いえ、犯罪はしていません」という相手の証言を信用したくなるのは当たり前ではないか。
だが。問題は読者センターのスタッフはすでに現場から離れたとはいえ、元は記者つまりジャーナリストの出身である。仲間内の証言をハナから信用するような体質なら、そもそもジャーナリストとしても失格だったのではないかと当裁判所も断定せざるを得ない。
事がそれほど重大で、当人に小林紀興氏との会話の内容を正確に確かめる必要があったのなら、当人にプレッシャーをかけることができない第三者委員会を、読者センターとは利害関係がまったくない外部の有識者でつくり、その委員会に真偽の確認を依頼すればいい。内部の調査(事実上の査問)に対して当人が「申し訳ありません。小林紀興氏がブログで書いたことは事実です」などと本当のことが言えるわけがないことくらい、自分自身が同じ立場になったらどう答えるか考えれてみれば一目瞭然であろう。
小林紀興氏は昨年、似たケースにぶつかったという。ネット・オークションで○○会社の株主優待券を落札したが、落札代金を振り込んでも肝心の落札した株主優待券が届かない。出品者はくろねこヤマトのメール便で発送したことは事実で(メール便の場合、補償はないが「追跡番号」がつくため、どこで紛失したかがわかるようになっている)、氏も出品者もヤマト運輸に確認の電話をしたという。氏の自宅にヤマト運輸の○○支店の副支店長が来て「間違いなく○○支店に届き、配達人に届けさせた。配達人に確認したが、小林さんのお名前を確認してポストに投函したと言っている。だから当社には責任がない」と、最初は言い張っていた。が、氏の理路整然とした氏の主張に「つい、身内の者の証言を無意識に信用していました。身内意識で考えてはいけないということがわかりました。ただ、配達人がネコババしたという証拠もありませんし、メール便の場合補償ができませんので、申し訳ありませんが配達人の担当地域を変えることでお許し願いたいのですが」と、頭を下げたので氏もそれで納得したという。
ヤマト運輸のメール便の配達人は社員ではなく、ヤマト運輸と契約している個人事業主である。かなりたちの悪い人間がいるという話はその後、小林紀興氏もいろいろなところで聞いたという。が、普通郵便の場合、発送したという証拠が残らない。そのため出品者は発送したという証拠が確実に残るメール便を利用したくなる。で、出品者のほうは「メール便の場合、補償がありません」と商品説明のなかで書くことが多くなってきたようだ。
最近小林紀興氏の住所を管轄する郵便局で不祥事が相次いだ。誤配(他人あての郵便物が氏のポストに投函され、差出先に氏も心当たりがあったので開封してから誤配に気づき郵便局に連絡して取りに来てもらったという)、氏が在宅しているのに速達を玄関まで持ってこずに集合ポストに投函したうえ投函した時間までデタラメを報告したケース、不在連絡票にデタラメな郵便番号を記入するという小学生でも考えられないような初歩的なミスなどである。あまりにも不祥事が続いたので、氏も責任者を呼びつけて局員の意識を改善するよう求めたというが、責任者との雑談の中で「自分も郵便物を配達した時期がありましたが、封筒を外から触るだけで中身が普通の手紙か、あるいは現金や金券類かがわかりました」という。当然プロの配達人であるヤマト運輸の契約者も茶封筒(金券類の出品者は100円ショップで25枚くらい買える茶封筒を利用することが圧倒的に多い)を外から触っただけで中身の想像がつく。だから、その事件があって以降小林紀興氏は集合ポストに施錠するようにしたという。そのうえ二重に安全策を講じるため、出品者に「封筒代を別に支払うからA4サイズの大型封筒に新聞紙か週刊誌に挟んでメール便で発送してほしい」と頼むことにしているという。それ以来メール便の事故はなくなったという。
氏の経験で後日談があったようだ。ある商品を着払いの宅急便で送ってもらったとき、配達人が伝票に「着払い」の記載漏れがあったため、配達料を取らずに帰っていった。出荷者が氏に気を使って配達料を負担してくれたのかと思って問い合わせたところ「配達料は着払いで送りましたよ。ヤマト運輸のミスでしょう。私もヤマトには痛い目に会っていますから放っておいていいですよ」という返事だったという。だが、翌日玄関ポストに「配達料をいただくのを忘れていました。後ほどいただきに伺います」といったメモが投函されていた。氏は当然「過去にこういうことがあった。私は支払う義務はないと考える」とヤマト運輸の○○支店に電話した。その時の副支店長は新任の女性社員だったが、「前任の副支店長から事情は聞きました。今回は私どものミスですから配達料は頂きません」という折り返しの電話があったという。
氏が管轄の郵便局の責任者から聞いた話だが、「ヤマト運輸は都市部は自分たちで配達するが、寒村や離島などの過疎地への配達はその地区担当の郵便局までは持ってくるけど、あとは郵便局に丸投げです。そういうケースはヤマトにとっては丸損になるはずですが、都市部で稼げばいいと考えているのでしょう」ということだった。
で、小林紀興氏は考えた。株主優待券や金券類などは普通郵便を街中のポストに投函するのではなく、最寄りの郵便局で、宛名を書き切手を貼った封筒のコピーに日付入りのはんこ(消印のようなもの)を押してもらうようにすれば、発送者は発送した証拠が残るし、郵便局の場合は配達人は原則として局員だから、先に述べたような不祥事はあっても、ネコババの類の被害は100%とはいえないまでも(警官でも犯罪を犯すケースがあるから)かなり避けることができようというものだという。
それはグッドアイディアだと、当裁判所も賛成したい。
クロネコヤマトのメール便や郵便局の不祥事にかなりの文字数を割いたため、判決理由の続きは明日の繰り延べるが、今日のメディア最高裁判所としては、すべての組織が組織内人間の意識改革を行おうとする場合(対象が個人とは限らない。当該郵便局のように組織的に局員の意識改革を相当の時間をかけても行わなければならないケースもありうる)、まず身内意識を捨てることから始めないといけない。
小林紀興氏はかつて自分の子どもが中学生のころ、万引きの癖が何度叱っても治らないので、学校(私立)に退学届けを出すと同時に子どもを警察署に連行したという。警察は「少年鑑別所に入れたら、もっと悪くなる」と別の未成年者の性格矯正施設を紹介してくれ、そこに入所させたという。自分の子供に対してすら行った氏の毅然とした姿勢を見た学校の校長は「退学届は私個人がしばらく預かります。お父さんのお気持ちは十分わかりましたから、とにかくお子さんが立ち直させることを最優先に考えましょう。施設が『もう大丈夫』と判断したら、その時点で復学していただきます。学校も一生懸命にやります。お父さんも頑張ってください」と言われ、氏は校長の温情に涙したという。
今回の判決理由後半の続きは明日述べることにする。