前回(昨日)の判決理由の最後に小林紀興氏が主張している「失われた20年」の間に何が変わったのかという問題について当裁判所としての見解を述べる。この問題は直接読売新聞の卑劣さを証明することではないが、少なくとも読売新聞記者連中の無能さを証明することになるので、メディア最高裁判所としても無視できないと考えたためである。
小林紀興氏の主張は二点である。日本の雇用関係に重大な変化が生じたこと、インターネットが社会のすべてのシステムを変えたという二点である。
まず日本の雇用関係の変化についてだが、日本政府の公式見解によれば、バブル景気は1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)4月までの54か月の長期にわたる資産価格の上昇と好景気の時期を指す。小林紀興氏は92年11月には早くも日本の雇用関係が崩壊することを見抜いていた(祥伝社から上梓した『忠臣蔵と西部劇』)。
バブル期、世界とくにアメリカの産業界には「日本の経営から学ぼう」という空気が横溢していた。特に日本人の企業に対するロイヤリティの高さはアメリカ企業の経営者にとって羨望の的だった。まだバブルに突入する前の1979年にアメリカの社会学者エズラ・ヴォ―ゲルが書いた『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が70万部を超える大ベストセラーになり、米産業界の主要なメンバーが集団で「日本的経営」なるものを学ぶために来日したくらいである。彼らが重視したのは日本人のロイヤリティの高さで、どうしたらアメリカでも従業員のロイヤリティを高めることができるのか、とまじめに考えたほどである。そしてアメリカにも「日本的経営」を実践して成功している会社があるとして、経営コンサルタント集団マッキンゼーのスタッフ、トム・ピーターズとウォーターマンが書いた『エクセレント・カンパニー』(翻訳が大前健一氏)が取り上げた超優良会社の代表はIBM、GE、ウォルマートなどであった。これらの超優良企業とされた中で、今日もそこそこ頑張っているのはウォルマートだけである。なぜか。すでに小林紀興氏は『忠臣蔵と西部劇』でこう検証している。その個所の見出しは「日本人のロイヤリティは、果たして高いか」である。なお、バブルがはじけたとはいえ、小林紀興氏が『忠臣蔵と西部劇』を上梓した時点では日本型雇用形態の「年功序列・終身雇用」の建て前はまだ崩壊していなかったことを付け加えておく。
プロローグで、時代劇と西部劇の違いについて書いたが(※本判決理由の③に転記してある)、『忠臣蔵』がアメリカ人に理解できないのは、目的さえ正しければ手段は問わない、という日本の社会的通念だけではない。大石ら赤穂浪士が示したロイヤリティ(忠誠心)の性質もアメリカ人にとっては理解の外である。赤穂浪士の行為は、ロイヤリティの見返りがまったく期待できない破滅型のものだったからだ。
ひと昔前の日本人論に、日本のサラリーマンは企業へのロイヤリティが非常に高い、というのがあった。この日本人論と『忠臣蔵』大好きな日本人像がオーバーラップされると、アメリカ人の目には「日本人は国や企業のためなら、どんなことでもやりかねない危険な民族」と映ってしまう。
この対日警戒感が、アメリカではいまだに強い。
だが、日本人は本当に、民族的特質としてロイヤリティが高いのだろうか。確かに企業の発展のために、あえて法を犯すサラリーマンが後を絶たず、そのたびに「日本人は組織のためには自らを犠牲にする人種だ」といった日本人論が繰り返される。
しかし、それが日本人の民族的特質だとは、私にはどうしても思えないのである。というのは、サラリーマンが示す企業へのロイヤリティの度合いは一律ではないからだ。
ロイヤリティの度合いは、勤続期間と労働条件に比例する(※この指摘は「小林紀興の法則」と命名してもいい)。トヨタや松下(※現パナソニック)のような超一流企業は、給料やボーナスがいいだけでなく、社宅や持ち家制度など福利厚生も充実しており、定年まで勤め上げれば退職金や企業年金で優雅な老後が約束されている。しかも、これらの給料以外の“報酬”は、勤続年数が長ければ長いほど自動的に膨れ上がっていく。終身雇用と年功序列が続く限り、超一流企業のサラリーマンのロイヤリティは、勤続年数に比例して高まる仕組みになっている。
しかし、給料も安ければ給料以外の“報酬”も多くは期待できない中小企業や、給料は高くてもサラリーマン使い捨ての販売会社の営業マンのロイヤリティはけっして高くない。
そして、海外で米欧人が接する日本人の多くは、一流以上の企業のサラリーマンである。彼らが、日本のサラリーマンのロイヤリティの高さに違和感を抱くのも当然といえよう。
一方、アメリカのサラリーマンは、IBMやGMのような大企業に勤めている場合でも、企業に対するロイヤリティはそれほど高くない。不況になればすぐにレイオフされたり、賃金をカットされたりするからだ(その心配がないエリート層のロイヤリティは比較的高いが)。
半面、アメリカのサラリーマンは直属の上司(ボス)に対しては高いロイヤリティを示す。アメリカでは、ボスが部下の昇給や昇格、雇用などの人事権を握っているからである。だからアメリカのサラリーマンは、ボスに気に入られようと涙ぐましい努力をする。
そのためアメリカでは、部下が優秀だとボスがクビにしてしまう。部下が育ってくると、自分自身が自分のボスからクビにされてしまうからだ。アメリカのサラリーマンは、自分がボスにとっていかにかけがいのない部下であるかをアッピールすると同時に、ボスに対してはトコトン忠実で、決してボスの椅子を狙ったりしない人間であることを立証し続けなければならない。
ところが、日本では上司は部下に対する人事権を持っていない。部下が気に入らないからといってクビにすることはできないから、せいぜいのところつまらない仕事を押し付けたり、査定を低くするくらいの嫌がらせしかできない。そのうえローテーションで同じ上司に使える期間は長くない。だから日本では、組織に対するロイヤリティは高くても、上司に対してはアメリカより低いのだ。ただし日本でも、役員になった途端、ロイヤリティはアメリカ型になる。会長もしくは社長が、役員に対する絶対的な人事権を持っているからだ。
実際、日本の企業戦士は、「終身雇用・年功序列」の雇用形態が崩れた途端、いみじくも小林紀興氏が明らかにしたようにロイヤリティをどんどん失っていったことは当裁判所も認めざるを得ない。読売新聞の読者センターに配属されている社員の多くはそれなりに記者としてのキャリアはあるが、ラインから外れた50歳代の社員で占められており、とくに年齢が高い社員ほど「読売新聞の主張はすべて正しい」と本当に思い込み、来週からの判決理由の後半で明らかにするが、読売新聞社のためならどんなウソでもつくことをためらわず、自分たちのことは棚に上げて、小林紀興氏に自己批判を迫るという卑劣な連中である。そういう社員を育ててきた読売新聞社とはいったいどういう会社なんだろうかと、当裁判所もつい豊田商事と比較したくなってしまう。
さて「失われた20年」の間にもう一つ大きな変化があった、と小林紀興氏は指摘する。それはインターネットが社会のあらゆるシステムを変えつつあるという事実である。氏は漫画ブームによって自著の初版部数が1万部を切った時点で活字の世界と縁を切ったという。「印税収入では元が取れない」という純然たる経済原則が最大の理由だが、単行本にこだわらなくても小林紀興氏ほどの実績があれば週刊誌や雑誌などの仕事はいくらでもあったはずだが、氏はそういう仕事も一切断ってきたという。当裁判所はその理由を聞いたところ、氏はこう答えた。
「週刊誌や雑誌は編集者が、週刊誌なら20人前後、雑誌でも7~8人はいる。その編集者たちが編集会議で記事のテーマから内容に至るまで決めてから、執筆者に取材や原稿を依頼する。ところが、私が依頼を受けて取材すると、編集者たちが机の上で考えた筋書とは違う事実を知ることが少なくない。私は筆者の良心として事実と違うことは書けないので、取材した事実に基づいた原稿し
か書かないことにしている。事実がそうなら仕方がない、と原稿どおりに活字
にしてくれるのなら問題ないのだが、編集部は最初に編集会議で決めた方針を変えようとしないことがしばしばある。私もある程度は編集権を容認してきたが、白を黒と書き変えるほど私の原稿をめちゃめちゃに書き変えられ、しかもゲラを見せもしない。ある一流雑誌でそういうことがあり、弁護士に雑誌の販売停止の仮処分を裁判所に申し出てほしいとまで頼んだことがある。弁護士も私の原稿と雑誌に私の名前で掲載された記事を読み比べたうえで、これはちょっとひどすぎると認めてくれた。そのうえで、雑誌の記事の場合、編集権もあるが、著作権のほうがはるかに重い。これだけ改ざんされたら裁判所も著作権を重視して雑誌の発売停止の仮処分を出す可能性は高いが、そうなった場合、小林さんは活字の世界から完全に締め出されます。それでもいいですか、と言われた。著書はまだそこそこ売れていたころだったので、やむを得ず私は泣き寝入りすることにした。が、それ以来、雑誌や週刊誌の仕事は一切受けないという私なりの意地を貫き通してきたんです」
その強い小林紀興氏の信念には当裁判所も深い感銘を受けた。で、インターネットが社会をどう変えたのかを小林紀興氏から聞きただし、氏の考えを氏に代わって当裁判所が判決理由の中で書くことにした。もちろん、その内容には氏も目を通し、「これで結構」ということであった。
小林紀興氏が活字の世界から離れたのは1998年3月である。最後の著書『西和彦の閃き 孫正義のバネ』を上梓したときだ。すでに述べたが、この本が小林紀興氏の著作物の中で初めて初版1万部を切ったケースだったという。
ちょうどこの年、マイクロソフトがウィンドウズ98を出した年で、小林紀興氏はインターネットが社会のあらゆるものを変えていくと予感したらしい。氏自身、まだ50代後半で、老い込む歳ではなかった。
氏は、自らの体験から様々なアイディアを生む特性を持っているようだ。実は最近も自転車事故で大けがを負い入院手術したときの経験からビッグアイディアを思いついており、当裁判所判事もそのアイディアに非常な興味を持ったが、現段階で明らかにはできないということなのでこの判決理由文では残念ながら書くことができない。が、1998年に浮かんだアイディアについては書いてもいいということなので、書くことにする。氏によればアイディアは二つあったようだ。
一つは急速に進む活字離れから浮かんだアイディアだという。まだ少子高齢化は社会問題になってはいなかったが、若い人たちの新聞離れの現象は新聞社自体が厳しく受け止め始めたころである。
実は新聞の購読理由の一つにスーパーなどのバーゲンチラシが欲しいという理由がある。大きなスーパーなどは1紙だけでなく複数の新聞にチラシを入れ
るが、零細商店などは1紙にしかチラシを入れられないというケースもある。新聞販売店は、新聞販売の手数料より折り込みチラシの配布料(1枚あたり3~4円と言われている)のほうがはるかに大きい。都心近郊の住宅地など、木・金・土の3日は毎日40枚前後の折り込みチラシが入ってくる。が、新聞販売店によれば配布するチラシの数も、新聞購読者の減少に伴って減少しつつあるようだ。
折り込みチラシが減少すれば、新聞販売店にとっては死活の問題になる。そのため読売新聞は最大発行部数を維持するため、新規購読者(再購読者も含む)に対するサービスが、他の新聞に比べて圧倒的にいい。本来、新規購読者に対するサービスは発行部数が少ない新聞ほどよくするのが自由経済の原則なのだが、新聞販売の世界では違う。発行部数が多い新聞ほど新聞販売店の折り込みチラシの配布料収入も多くなり、読売新聞は「殿様商売」をかなぐり捨てて販売店に潤沢な新規購読者獲得のための販促手数料をばらまく方針をとっている。
数年前までは、読売新聞も朝日新聞も新規購読者獲得手段はビール券が中心だったが、ビール券を一番たくさんばらまいたのも読売新聞だった。この習慣が、母体である読売新聞にとっては大きな負担になっていた。そのため読売新聞は朝日新聞と談合して販促用にビール券を使うことをやめた。どっちが先に悲鳴を上げたのかは不明だが、当時の読売新聞読者センターの責任者である佐伯氏は私に電話で「朝日さんもカタログに変えたようですね」と答えたことをはっきり覚えている。つまり購読契約期間に応じてカタログから好きな商品を選んでもらう、というのが読売新聞と朝日新聞の談合で決まったのである。佐伯氏はさすがに「談合で決めた」とは口が裂けても言えなかったが、川下の販売店には正規の社員(アルバイトも含む)とは別に、どの販売店にも属さず購読新聞を交代させることで販売店から販促料をせしめるプロの販促員もいる。そういう販促員の戦略は、読売新聞と朝日新聞を半年ずつ交互に購読させることで、その都度販促料を両方から獲得することだった。読売新聞と朝日新聞がビール券を販促に使うことを止めたことで、一番困ったのがプロ販促員だった。
が。この談合は1年も絶たずに事実上崩壊した。今でもビール券を販促用に使うことは販売店から禁止されているが、新聞配達も行っている正規の社員やアルバイトもビール券の代わりにビールの現物を販促商品に使うようになったからだ。ただし、販売店から販促商品として使うビール(発泡酒も含む)の数量は制限されており、販促員はその制限を超えたサービスを自腹で行うこともしばしばある。自腹を切っても販促手数料収入のほうが大きいから、まさに市場原理が働いた結果でもある。
ところが談合したのは読売新聞と朝日新聞の本体だけではない(他の新聞は購読したことがないので、どんなサービスをしているかは知らない)。販売店同士が談合しており、ビール券の配布は禁止したままだが、ビールや発泡酒のサービス量の制限を決めている。販売員はその制限を超えても新規購読者を獲得したいため、裏事情を明かしたうえで「店(販売店のこと)から電話で問い合わせがあったら、貰ったのは淡麗350を1ケースだけと言ってください」とまで頼まれたこともある。実際には2ケース貰ったのだが…。
そうした販促活動の厳しい現実から思いついたのが、いっそのこと折り込みチラシをネットで配信したら、というニュービジネスだった。ちょうどビジネスモデル(ビジネスアイディア)特許制度が生まれたころで、出願すると同時に実際に新宿に拠点を構えて営業マン数人を雇いニュービジネスを始めた。が、時期が早すぎた。ウィンドウズ98がネット社会の幕を開けたのは間違いなかったが、ネットに飛びついたのはまだ若い人たちだけで、中高年が主体の商店主にとってはネットは宇宙の彼方のような存在だった。「折り込みチラシをネットで配信する」ということの意味を理解してもらえなかったし、雇った営業マンも吹けば飛ぶようなちっぽけな会社に職を求めるような連中だったから、私の説明を聞いて分かったようなふりはしていたが、実際に商店主を説得する能力がなかった。「経営者とは人を使いこなすことなり」ということを、その時初めて肌で知ったのである。いま、ネットでチラシを配信するビジネスは凸版をはじめ、タウン誌も紙媒体と連動して行っていて大成功している。
もう一つのアイディアはネットで生命保険の設計を加入者自身が行うというアイディアだった。インターネットの特徴はいくつかあるが、十分に活用されているとは言い難いことは。ネットで相互に情報のやり取りをしながら、いろいろな分野の基本設計を、プロの知識を利用することで利用者自らが行えるという利便性である。そうした方法で生命保険の設計を、保険会社の営業マン任せにするのではなく、自分自身で納得がいく設計を行えるようにすれば、保険料は格安になるし、個々の加入者にとって最も有利で自分自身も納得できる保険を加入者自身が設計できるというシステムであった。
いま、ライフネットをはじめネットで生命保険を販売している会社はたくさんあるが、それらのネット専業生保会社が生まれる前に小林紀興氏は加入者自身が生命保険を設計できるシステムのアイディアを思いついて、やはりビジネスモデル特許を出願した。はっきり言えば、氏は特許事務所に食い物にされたのだが、このニュービジネスはさすがに個人でできるようなスケールではなく、大企業数十社のトップに「事業化しないか」と持ちかけたが、やはり高齢者の理解は得られなかった。
しかし、いま多くあるネット生命保険の会社は、いくつかのプランを用意して、そのプランの中から好きなのをお選び下さいといった販売方法で、いわばネットを利用した通信販売行にすぎない。つまり、従来の生保会社の販売方針であるセールスウーマンが販売するのをネットに変えたのと、商品の選択肢を増やしただけという代物でしかないのである。ネットの利便性を最大限に利用して加入者が、自分の条件(年齢、収入、家族構成などの個人情報)を入力し、そのうえで、たとえば自分に万一のことがあった時残された家族のためにいくらくらい残せばいいか、あるいは病気になった時の収入をどのくらい保証してもらいたいか、などの保険加入の目的とその目的を果たすための保険料の予算などを考慮しながら、ネットと対話しながら自らの保険の設計を行うというシステムで、これはまだどこも実現していない。
この方法はこれから様々の分野で広がっていくと思う。たとえば、家を建てたいと考えた場合でも、建築設計事務所があらかじめプロの設計者の知識をサーバーに入力しておけば、家を建てたいという人が、敷地の状態や家族構成(二世帯家族も含む)や予算(ローンも含む)などの基本情報を入力して、あらかじめ設計事務所のサーバーに入力してある設計情報を利用しながら基本設計を自分で行い、詳細設計はプロの設計者にしてもらうというシステムを構築すれば、設計費は大幅に安くできる。
新聞社もそうだ。全国紙が全国各地に支局などの情報拠点を設けるなどといったバカげたことをやめて、地方紙と連携して地方の情報は地方紙からメールで送信してもらい、その代わり中央や海外の情報は全国紙がやはりメールで地方紙に送信するようにすれば、今の体制よりはるかに合理的で必要な情報を全国紙と地方紙が共有できるようになる。
安倍総理はデフレの原因を円高だけと見ているようだが、円高はデフレの一つの要因に過ぎない。ネット・ショッピングと100円ショップが価格破壊の大きな要因になっており、スーパーやコンビニもネット・ショッピングや100円ショップの影響を相当受けて販売価格を抑えざるをえなくなっている。スーパー自らがネット販売に乗り出さざるを得ない状況にすらなっており、考えようによっては自ら自分の首を絞めるような事態になっているのである。デフレは金融政策だけではどうにもならないということを、金融関係の専門家がなぜ安倍総理にアドバイスしないのか。
この辺で、判決理由の4回目を終える。ここまでが判決理由の前半で来週から読売新聞読者センターの卑劣さを暴く後半に入ることにする。
小林紀興氏の主張は二点である。日本の雇用関係に重大な変化が生じたこと、インターネットが社会のすべてのシステムを変えたという二点である。
まず日本の雇用関係の変化についてだが、日本政府の公式見解によれば、バブル景気は1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)4月までの54か月の長期にわたる資産価格の上昇と好景気の時期を指す。小林紀興氏は92年11月には早くも日本の雇用関係が崩壊することを見抜いていた(祥伝社から上梓した『忠臣蔵と西部劇』)。
バブル期、世界とくにアメリカの産業界には「日本の経営から学ぼう」という空気が横溢していた。特に日本人の企業に対するロイヤリティの高さはアメリカ企業の経営者にとって羨望の的だった。まだバブルに突入する前の1979年にアメリカの社会学者エズラ・ヴォ―ゲルが書いた『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が70万部を超える大ベストセラーになり、米産業界の主要なメンバーが集団で「日本的経営」なるものを学ぶために来日したくらいである。彼らが重視したのは日本人のロイヤリティの高さで、どうしたらアメリカでも従業員のロイヤリティを高めることができるのか、とまじめに考えたほどである。そしてアメリカにも「日本的経営」を実践して成功している会社があるとして、経営コンサルタント集団マッキンゼーのスタッフ、トム・ピーターズとウォーターマンが書いた『エクセレント・カンパニー』(翻訳が大前健一氏)が取り上げた超優良会社の代表はIBM、GE、ウォルマートなどであった。これらの超優良企業とされた中で、今日もそこそこ頑張っているのはウォルマートだけである。なぜか。すでに小林紀興氏は『忠臣蔵と西部劇』でこう検証している。その個所の見出しは「日本人のロイヤリティは、果たして高いか」である。なお、バブルがはじけたとはいえ、小林紀興氏が『忠臣蔵と西部劇』を上梓した時点では日本型雇用形態の「年功序列・終身雇用」の建て前はまだ崩壊していなかったことを付け加えておく。
プロローグで、時代劇と西部劇の違いについて書いたが(※本判決理由の③に転記してある)、『忠臣蔵』がアメリカ人に理解できないのは、目的さえ正しければ手段は問わない、という日本の社会的通念だけではない。大石ら赤穂浪士が示したロイヤリティ(忠誠心)の性質もアメリカ人にとっては理解の外である。赤穂浪士の行為は、ロイヤリティの見返りがまったく期待できない破滅型のものだったからだ。
ひと昔前の日本人論に、日本のサラリーマンは企業へのロイヤリティが非常に高い、というのがあった。この日本人論と『忠臣蔵』大好きな日本人像がオーバーラップされると、アメリカ人の目には「日本人は国や企業のためなら、どんなことでもやりかねない危険な民族」と映ってしまう。
この対日警戒感が、アメリカではいまだに強い。
だが、日本人は本当に、民族的特質としてロイヤリティが高いのだろうか。確かに企業の発展のために、あえて法を犯すサラリーマンが後を絶たず、そのたびに「日本人は組織のためには自らを犠牲にする人種だ」といった日本人論が繰り返される。
しかし、それが日本人の民族的特質だとは、私にはどうしても思えないのである。というのは、サラリーマンが示す企業へのロイヤリティの度合いは一律ではないからだ。
ロイヤリティの度合いは、勤続期間と労働条件に比例する(※この指摘は「小林紀興の法則」と命名してもいい)。トヨタや松下(※現パナソニック)のような超一流企業は、給料やボーナスがいいだけでなく、社宅や持ち家制度など福利厚生も充実しており、定年まで勤め上げれば退職金や企業年金で優雅な老後が約束されている。しかも、これらの給料以外の“報酬”は、勤続年数が長ければ長いほど自動的に膨れ上がっていく。終身雇用と年功序列が続く限り、超一流企業のサラリーマンのロイヤリティは、勤続年数に比例して高まる仕組みになっている。
しかし、給料も安ければ給料以外の“報酬”も多くは期待できない中小企業や、給料は高くてもサラリーマン使い捨ての販売会社の営業マンのロイヤリティはけっして高くない。
そして、海外で米欧人が接する日本人の多くは、一流以上の企業のサラリーマンである。彼らが、日本のサラリーマンのロイヤリティの高さに違和感を抱くのも当然といえよう。
一方、アメリカのサラリーマンは、IBMやGMのような大企業に勤めている場合でも、企業に対するロイヤリティはそれほど高くない。不況になればすぐにレイオフされたり、賃金をカットされたりするからだ(その心配がないエリート層のロイヤリティは比較的高いが)。
半面、アメリカのサラリーマンは直属の上司(ボス)に対しては高いロイヤリティを示す。アメリカでは、ボスが部下の昇給や昇格、雇用などの人事権を握っているからである。だからアメリカのサラリーマンは、ボスに気に入られようと涙ぐましい努力をする。
そのためアメリカでは、部下が優秀だとボスがクビにしてしまう。部下が育ってくると、自分自身が自分のボスからクビにされてしまうからだ。アメリカのサラリーマンは、自分がボスにとっていかにかけがいのない部下であるかをアッピールすると同時に、ボスに対してはトコトン忠実で、決してボスの椅子を狙ったりしない人間であることを立証し続けなければならない。
ところが、日本では上司は部下に対する人事権を持っていない。部下が気に入らないからといってクビにすることはできないから、せいぜいのところつまらない仕事を押し付けたり、査定を低くするくらいの嫌がらせしかできない。そのうえローテーションで同じ上司に使える期間は長くない。だから日本では、組織に対するロイヤリティは高くても、上司に対してはアメリカより低いのだ。ただし日本でも、役員になった途端、ロイヤリティはアメリカ型になる。会長もしくは社長が、役員に対する絶対的な人事権を持っているからだ。
実際、日本の企業戦士は、「終身雇用・年功序列」の雇用形態が崩れた途端、いみじくも小林紀興氏が明らかにしたようにロイヤリティをどんどん失っていったことは当裁判所も認めざるを得ない。読売新聞の読者センターに配属されている社員の多くはそれなりに記者としてのキャリアはあるが、ラインから外れた50歳代の社員で占められており、とくに年齢が高い社員ほど「読売新聞の主張はすべて正しい」と本当に思い込み、来週からの判決理由の後半で明らかにするが、読売新聞社のためならどんなウソでもつくことをためらわず、自分たちのことは棚に上げて、小林紀興氏に自己批判を迫るという卑劣な連中である。そういう社員を育ててきた読売新聞社とはいったいどういう会社なんだろうかと、当裁判所もつい豊田商事と比較したくなってしまう。
さて「失われた20年」の間にもう一つ大きな変化があった、と小林紀興氏は指摘する。それはインターネットが社会のあらゆるシステムを変えつつあるという事実である。氏は漫画ブームによって自著の初版部数が1万部を切った時点で活字の世界と縁を切ったという。「印税収入では元が取れない」という純然たる経済原則が最大の理由だが、単行本にこだわらなくても小林紀興氏ほどの実績があれば週刊誌や雑誌などの仕事はいくらでもあったはずだが、氏はそういう仕事も一切断ってきたという。当裁判所はその理由を聞いたところ、氏はこう答えた。
「週刊誌や雑誌は編集者が、週刊誌なら20人前後、雑誌でも7~8人はいる。その編集者たちが編集会議で記事のテーマから内容に至るまで決めてから、執筆者に取材や原稿を依頼する。ところが、私が依頼を受けて取材すると、編集者たちが机の上で考えた筋書とは違う事実を知ることが少なくない。私は筆者の良心として事実と違うことは書けないので、取材した事実に基づいた原稿し
か書かないことにしている。事実がそうなら仕方がない、と原稿どおりに活字
にしてくれるのなら問題ないのだが、編集部は最初に編集会議で決めた方針を変えようとしないことがしばしばある。私もある程度は編集権を容認してきたが、白を黒と書き変えるほど私の原稿をめちゃめちゃに書き変えられ、しかもゲラを見せもしない。ある一流雑誌でそういうことがあり、弁護士に雑誌の販売停止の仮処分を裁判所に申し出てほしいとまで頼んだことがある。弁護士も私の原稿と雑誌に私の名前で掲載された記事を読み比べたうえで、これはちょっとひどすぎると認めてくれた。そのうえで、雑誌の記事の場合、編集権もあるが、著作権のほうがはるかに重い。これだけ改ざんされたら裁判所も著作権を重視して雑誌の発売停止の仮処分を出す可能性は高いが、そうなった場合、小林さんは活字の世界から完全に締め出されます。それでもいいですか、と言われた。著書はまだそこそこ売れていたころだったので、やむを得ず私は泣き寝入りすることにした。が、それ以来、雑誌や週刊誌の仕事は一切受けないという私なりの意地を貫き通してきたんです」
その強い小林紀興氏の信念には当裁判所も深い感銘を受けた。で、インターネットが社会をどう変えたのかを小林紀興氏から聞きただし、氏の考えを氏に代わって当裁判所が判決理由の中で書くことにした。もちろん、その内容には氏も目を通し、「これで結構」ということであった。
小林紀興氏が活字の世界から離れたのは1998年3月である。最後の著書『西和彦の閃き 孫正義のバネ』を上梓したときだ。すでに述べたが、この本が小林紀興氏の著作物の中で初めて初版1万部を切ったケースだったという。
ちょうどこの年、マイクロソフトがウィンドウズ98を出した年で、小林紀興氏はインターネットが社会のあらゆるものを変えていくと予感したらしい。氏自身、まだ50代後半で、老い込む歳ではなかった。
氏は、自らの体験から様々なアイディアを生む特性を持っているようだ。実は最近も自転車事故で大けがを負い入院手術したときの経験からビッグアイディアを思いついており、当裁判所判事もそのアイディアに非常な興味を持ったが、現段階で明らかにはできないということなのでこの判決理由文では残念ながら書くことができない。が、1998年に浮かんだアイディアについては書いてもいいということなので、書くことにする。氏によればアイディアは二つあったようだ。
一つは急速に進む活字離れから浮かんだアイディアだという。まだ少子高齢化は社会問題になってはいなかったが、若い人たちの新聞離れの現象は新聞社自体が厳しく受け止め始めたころである。
実は新聞の購読理由の一つにスーパーなどのバーゲンチラシが欲しいという理由がある。大きなスーパーなどは1紙だけでなく複数の新聞にチラシを入れ
るが、零細商店などは1紙にしかチラシを入れられないというケースもある。新聞販売店は、新聞販売の手数料より折り込みチラシの配布料(1枚あたり3~4円と言われている)のほうがはるかに大きい。都心近郊の住宅地など、木・金・土の3日は毎日40枚前後の折り込みチラシが入ってくる。が、新聞販売店によれば配布するチラシの数も、新聞購読者の減少に伴って減少しつつあるようだ。
折り込みチラシが減少すれば、新聞販売店にとっては死活の問題になる。そのため読売新聞は最大発行部数を維持するため、新規購読者(再購読者も含む)に対するサービスが、他の新聞に比べて圧倒的にいい。本来、新規購読者に対するサービスは発行部数が少ない新聞ほどよくするのが自由経済の原則なのだが、新聞販売の世界では違う。発行部数が多い新聞ほど新聞販売店の折り込みチラシの配布料収入も多くなり、読売新聞は「殿様商売」をかなぐり捨てて販売店に潤沢な新規購読者獲得のための販促手数料をばらまく方針をとっている。
数年前までは、読売新聞も朝日新聞も新規購読者獲得手段はビール券が中心だったが、ビール券を一番たくさんばらまいたのも読売新聞だった。この習慣が、母体である読売新聞にとっては大きな負担になっていた。そのため読売新聞は朝日新聞と談合して販促用にビール券を使うことをやめた。どっちが先に悲鳴を上げたのかは不明だが、当時の読売新聞読者センターの責任者である佐伯氏は私に電話で「朝日さんもカタログに変えたようですね」と答えたことをはっきり覚えている。つまり購読契約期間に応じてカタログから好きな商品を選んでもらう、というのが読売新聞と朝日新聞の談合で決まったのである。佐伯氏はさすがに「談合で決めた」とは口が裂けても言えなかったが、川下の販売店には正規の社員(アルバイトも含む)とは別に、どの販売店にも属さず購読新聞を交代させることで販売店から販促料をせしめるプロの販促員もいる。そういう販促員の戦略は、読売新聞と朝日新聞を半年ずつ交互に購読させることで、その都度販促料を両方から獲得することだった。読売新聞と朝日新聞がビール券を販促に使うことを止めたことで、一番困ったのがプロ販促員だった。
が。この談合は1年も絶たずに事実上崩壊した。今でもビール券を販促用に使うことは販売店から禁止されているが、新聞配達も行っている正規の社員やアルバイトもビール券の代わりにビールの現物を販促商品に使うようになったからだ。ただし、販売店から販促商品として使うビール(発泡酒も含む)の数量は制限されており、販促員はその制限を超えたサービスを自腹で行うこともしばしばある。自腹を切っても販促手数料収入のほうが大きいから、まさに市場原理が働いた結果でもある。
ところが談合したのは読売新聞と朝日新聞の本体だけではない(他の新聞は購読したことがないので、どんなサービスをしているかは知らない)。販売店同士が談合しており、ビール券の配布は禁止したままだが、ビールや発泡酒のサービス量の制限を決めている。販売員はその制限を超えても新規購読者を獲得したいため、裏事情を明かしたうえで「店(販売店のこと)から電話で問い合わせがあったら、貰ったのは淡麗350を1ケースだけと言ってください」とまで頼まれたこともある。実際には2ケース貰ったのだが…。
そうした販促活動の厳しい現実から思いついたのが、いっそのこと折り込みチラシをネットで配信したら、というニュービジネスだった。ちょうどビジネスモデル(ビジネスアイディア)特許制度が生まれたころで、出願すると同時に実際に新宿に拠点を構えて営業マン数人を雇いニュービジネスを始めた。が、時期が早すぎた。ウィンドウズ98がネット社会の幕を開けたのは間違いなかったが、ネットに飛びついたのはまだ若い人たちだけで、中高年が主体の商店主にとってはネットは宇宙の彼方のような存在だった。「折り込みチラシをネットで配信する」ということの意味を理解してもらえなかったし、雇った営業マンも吹けば飛ぶようなちっぽけな会社に職を求めるような連中だったから、私の説明を聞いて分かったようなふりはしていたが、実際に商店主を説得する能力がなかった。「経営者とは人を使いこなすことなり」ということを、その時初めて肌で知ったのである。いま、ネットでチラシを配信するビジネスは凸版をはじめ、タウン誌も紙媒体と連動して行っていて大成功している。
もう一つのアイディアはネットで生命保険の設計を加入者自身が行うというアイディアだった。インターネットの特徴はいくつかあるが、十分に活用されているとは言い難いことは。ネットで相互に情報のやり取りをしながら、いろいろな分野の基本設計を、プロの知識を利用することで利用者自らが行えるという利便性である。そうした方法で生命保険の設計を、保険会社の営業マン任せにするのではなく、自分自身で納得がいく設計を行えるようにすれば、保険料は格安になるし、個々の加入者にとって最も有利で自分自身も納得できる保険を加入者自身が設計できるというシステムであった。
いま、ライフネットをはじめネットで生命保険を販売している会社はたくさんあるが、それらのネット専業生保会社が生まれる前に小林紀興氏は加入者自身が生命保険を設計できるシステムのアイディアを思いついて、やはりビジネスモデル特許を出願した。はっきり言えば、氏は特許事務所に食い物にされたのだが、このニュービジネスはさすがに個人でできるようなスケールではなく、大企業数十社のトップに「事業化しないか」と持ちかけたが、やはり高齢者の理解は得られなかった。
しかし、いま多くあるネット生命保険の会社は、いくつかのプランを用意して、そのプランの中から好きなのをお選び下さいといった販売方法で、いわばネットを利用した通信販売行にすぎない。つまり、従来の生保会社の販売方針であるセールスウーマンが販売するのをネットに変えたのと、商品の選択肢を増やしただけという代物でしかないのである。ネットの利便性を最大限に利用して加入者が、自分の条件(年齢、収入、家族構成などの個人情報)を入力し、そのうえで、たとえば自分に万一のことがあった時残された家族のためにいくらくらい残せばいいか、あるいは病気になった時の収入をどのくらい保証してもらいたいか、などの保険加入の目的とその目的を果たすための保険料の予算などを考慮しながら、ネットと対話しながら自らの保険の設計を行うというシステムで、これはまだどこも実現していない。
この方法はこれから様々の分野で広がっていくと思う。たとえば、家を建てたいと考えた場合でも、建築設計事務所があらかじめプロの設計者の知識をサーバーに入力しておけば、家を建てたいという人が、敷地の状態や家族構成(二世帯家族も含む)や予算(ローンも含む)などの基本情報を入力して、あらかじめ設計事務所のサーバーに入力してある設計情報を利用しながら基本設計を自分で行い、詳細設計はプロの設計者にしてもらうというシステムを構築すれば、設計費は大幅に安くできる。
新聞社もそうだ。全国紙が全国各地に支局などの情報拠点を設けるなどといったバカげたことをやめて、地方紙と連携して地方の情報は地方紙からメールで送信してもらい、その代わり中央や海外の情報は全国紙がやはりメールで地方紙に送信するようにすれば、今の体制よりはるかに合理的で必要な情報を全国紙と地方紙が共有できるようになる。
安倍総理はデフレの原因を円高だけと見ているようだが、円高はデフレの一つの要因に過ぎない。ネット・ショッピングと100円ショップが価格破壊の大きな要因になっており、スーパーやコンビニもネット・ショッピングや100円ショップの影響を相当受けて販売価格を抑えざるをえなくなっている。スーパー自らがネット販売に乗り出さざるを得ない状況にすらなっており、考えようによっては自ら自分の首を絞めるような事態になっているのである。デフレは金融政策だけではどうにもならないということを、金融関係の専門家がなぜ安倍総理にアドバイスしないのか。
この辺で、判決理由の4回目を終える。ここまでが判決理由の前半で来週から読売新聞読者センターの卑劣さを暴く後半に入ることにする。