小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

読売新聞読者センターとの最終決戦レポート――日本最大の新聞社の卑劣さを暴く③

2014-02-20 09:23:06 | Weblog
 次に安倍内閣の経済政策についての評価と無定見な支持を読者に押し付けた罪についての判決理由を述べる。
 安倍内閣は発足早々「アベノミクス」なる経済政策を打ち出した。具体的内容は「3本の矢」として示された。3本の矢のスローガンは ①大胆な金融政策 ②機動的な財政政策 ③民間投資を喚起する成長戦略である。ただこのスローガンだけでは具体策は何も見えない。もちろん安倍総理もそのことは重々承知で具体策を次々に打ち出してはいる。
 そもそもアベノミクスは第2次安倍内閣が打ち出したものではなく、第1次安倍内閣の経済政策として命名されていた。第1次安倍内閣が打ち出した経済政策であるアベノミクスを、現在のアベノミクスが継承しているのであれば、とくに区別して意図的な作為を問題にしたりする必要はないのだが、実は180度転換したと言っても過言でないほど中身が異なっている。
 第1次安倍内閣が打ち出した経済政策であるアベノミクスは、小泉構造改革路線を継承し、財政出動を削減して公共投資を縮小し、規制緩和を強力に進めることで民間主導の経済成長を図ろうというものだった。が、第2次安倍内閣が声高に叫んでいるアベノミクスは事実上「亡霊」となっているケインズ経済政策に頼ることでデフレ不況脱出を図ろうというもので、小林紀興氏は何度もアベノミクスの欠陥を指摘し具体的提案もしてきた。とりあえず第2次安倍内閣のアベノミクスの中身を具体的に見ていこう。
 まず金融政策では、アベノミクス経済政策の断行に欠かせない日銀総裁に黒田東彦氏を起用した。そのため当初はアベノミクスにやや冷ややかな目で見ていた読売新聞は「安倍総理の言いなりになる人事」と揶揄していたくらいだった。だが、アベノミクスを理解するということと、安倍総理の言いなりになるということは、結果は同じでもまったく評価の視点が違う。
 それはともかくとして安倍総理が黒田氏に求めたのは金融政策による「円安誘導→日本製造業の競争力回復→国内産業の活性化→従業員の給与アップ→内需の回復による2%のインフレ目標の達成→景気回復の長期的持続→税収増加による財政再建」であった。そのストーリーを現実のものにするため低金利政策の継続と無制限の量的緩和を黒田氏に求めたのである。そこまでは、確かに黒田日銀政策は安倍総理の「言いなり」と見えた。だが、その後の安倍内閣の打ち出した政策はむしろ黒田氏の描いた内需拡大のための税制改正ではないか、と私には思えて仕方がないのだ。
 黒田氏は元々は財務官僚の出身で、主に国際金融と主税畑でキャリアを積み、「ミスター円」と呼ばれた榊原英資の後任として財務官に就任した経歴の持ち主である。日銀総裁のポストはほぼ日銀プロパーと財務官僚(旧大蔵省・現財
務省の事務次官経験者)が交互に務めてきた。そういう意味では財務官僚が日
銀の金融政策を批判することは、事実上タブー視されてきた。にもかかわらず、黒田氏は前任の白川方明氏の金融政策に対して歯に衣(きぬ)を着せない批判をしてきた。
 確かに白川前日銀総裁の金融政策は失敗の連続だったと言っても過言ではない。就任直後にリーマン・ショックによる金融危機、東日本大震災によるダメージ、ギリシャに端を発したヨーロッパ金融危機など、どれをとっても一人の肩に背負うには重すぎる、極めて困難な問題に直面してきた。そういう事情はあったにせよ、日本経済の足元がぐらついているときに適切な金融政策をとってきたとは言い難いことが、結果的に黒田総裁の金融政策と比較することで明白になった。
 白川氏は5年間の総裁在任時代を振り返り、自分の金融政策は間違っていなかったと反論しているようだが、基本的考え方として「ゼロ金利政策、量的緩和政策は景気・物価対策として必ずしも有効ではない」とかねてから主張しており(京大教授時代の著書『現代の金融政策』による)、回数としては15回の金融緩和を行いはしたが、対策が後手後手に回った事実は否定できない。実際、黒田総裁が「物価上昇率が2%に達するまで無制限の量的緩和を行う」という極めてリスキーな金融政策を打ち出したことで、日本経済に対する海外の期待が高まり円安、株高への急転換が始まったことを考えると、白川氏がどう弁解しようと彼の金融政策が海外から不信感を買い、円高・デフレ・株安という三重苦を招いたことは否めない。
 日本は2月初めまで、日経平均の対前年比が戦後最高水準に達していると浮かれていた。確かに黒田総裁の手腕によって日本経済の前途に光明が灯ったことは疑いようのない事実だが、それでも日経平均は1万6千円前後で足踏みしたあと急落し、ましてバブル崩壊前の水準には遠く及ばない。一方リーマン・ショックの震源地であるアメリカの株価は史上空前の高値を追ったこともある。この日米の落差をどう説明できるのか。
 そもそも日本のエコノミストの頭脳のレベルが低すぎる。たとえば昨年末には大納会まで9日間連続で上昇した株価が新年を迎えた大発会にいきなり382円も下落した時、「いったん利益を確定しようということで、売りが出たのではないか」とエコノミストたちは一様に説明した。だいたい学者や評論家、ジャーナリストたちは結果解釈で解説するのが常だ。最近外れっぱなしの天気予報より予想の的中率は低いのではないか。そもそも12月に入って、ちょっと値を下げたら「株の売買利益の源泉税が現在の10%から20%にアップする。源泉税が10%のうちに売ろうという動きが出て年内は株価上昇は期待できない」とほざいていたのは誰だ。その予想が当たっていたら、年末の9日間連続アップはありえなかったはずだし、年を越して源泉税が20%にアップしたのに「とりあえず利益を確定しておこう」などと考える投資家がいるわけがないだろう。むしろ「利益を確定するために売る」のだとしたら、源泉税が10%の昨年中に売っているはずだ。自己矛盾にすら気が付かないほどのアホが、でかい面をしてのさばっている連中は読売新聞にもごまんといる。
 裁判官といっても人間だから、判決理由を書いていて頭に来ると、ちょっと平静心を失いかけることもある。その点は反省するとして先に進めよう。エコノミストでもなければ経済学者でもないのに彼らをはるかに凌駕する思考力の持ち主である小林紀興氏は、日銀総裁が日本経済のかじ取り能力を喪失するようになったのは澄田智総裁の時からだと主張している。氏の分析はこうだ。
 澄田氏は大蔵省銀行局から事務次官に昇り詰めた異例のケース(通常、事務次官コースは主税局の出身者のゴールと言われている)で、そういう意味ではもともとは優秀な人材として期待されていた。が、東大卒という学歴から見ても、過去にあった例を参考に豊富な知識を武器に問題を解決しようとする典型的な東大タイプの総裁だったため、過去に参考とすべき事例がないようなケースにぶつかると、頭の中がたちまち真っ白になってしまうという遺伝子だけはしっかり受け継いでいた。
 不幸なことに澄田氏が総裁になった時期(1984年12月)は日米貿易摩擦と円高圧力という、過去に例を見ない難問が待ち受けていた。読売新聞に東大出身者が多少でもいれば、この時期、アメリカではジャパン・バッシングの嵐が吹き荒れ、デトロイト(米自動車産業のシンボル的都市)では日本車がハンマーで粉々にされたり、米国内で日本に対して「安保ただ乗り」批判が渦を巻いていたことを記憶している人がいないはずはなく(東大卒の連中が全員記憶力があるとは限らないが)、当時のアメリカ人の対日感情は今日の中韓両国の対日感情とそっくりだったということに気づいてもいいだろうと思うのだが…。
 その時代に思いを馳せれば、安倍総理(だけではないが)が強調する日米「同盟」論の欺瞞性をだれかが指摘してもいいはずなのに、それができないのは思考力だけでなく記憶力もほとんど皆無の記者ばかりという結論に小林紀興氏が達したのも無理はない。
 澄田氏が総裁に就任した翌年には米プラザホテルで先進5か国の中央銀行総裁会議(G5)が開かれ、世界各国の為替レートが自由相場制に移行し急速な円高を迎えることになった。戦後世界経済の常に中心にあったアメリカが、ニクソン・ショック(米ドルと金の交換停止措置)以来、日本を標的とした経済制裁ともいうべき強権を初めて発動したのである。小林紀興は反米主義者ではなく米国との友好かつ対等な関係を築くことを常日頃から主張しており、氏のこの指摘は当を得たものと当裁判所は判断する。
 この、いわゆるプラザ合意以降、円は投機マネーの標的となって一気に高騰する。そのため自動車など日本の輸出産業は大打撃を受け、輸出に力を注いできた製造業は海外に生産拠点を移さざるをえなくなっていった。アメリカの産業空洞化はすでに生じていたが、日本メーカーは「アメリカの技術は海外移転ができるほどレベルが低い。日本の技術は簡単に海外に移転できるようなレベルではない」と高をくくっていたが、「背に腹は代えられぬ」とはこのことで、日本のメーカーも生産拠点を海外(当時は韓国が主な進出先)に移していく。
 当然のことながら技術開発は生産現場から生まれる。最初に実例を示したのが半導体であった。今の若い人は知らないだろうが、日本はかつて半導体王国だった。生産拠点を韓国に移しても、研究開発拠点を日本に残しておけば、日本の半導体技術は世界に君臨し続けるに違いないと自負していた。その視点でNHKスペシャル『電子立国日本の自叙伝』を制作し、1992年には芸術選奨文部大臣賞を受賞した大物ディレクターが相田洋氏だった。が、相田氏の作品がいまから考えると日本半導体産業へのレクイエムを奏でる結果になったのは皮肉と言えば、そう言えなくもない。
 技術開発は生産現場から生まれる(「からしか生まれない」とまでは極論していない)という経験則が実現し、今では日本の半導体産業は壊滅状態にある。いずれにせよ、日本産業界が陥った苦境に手をこまねいたのが澄田総裁だった。この難局を打開する経験則がなかったからだ。プラザ合意で投機筋がどう動くかがすでに見えているのに公定歩合を据え置いて円高にますます拍車をかけたのである。こういうのを「不作為の罪」という。読売新聞の記者にはこの意味が分からんか ? 分からなかったら刑法の易しい解説書で調べなさい。これ以上説明するのは面倒くさい。
 澄田が重い腰を上げてやっと金融政策の大幅緩和へと大きく舵を切った。が、舵を切りすぎた。この時期日本はバブル景気に突入しつつあった。誰が言いふらしだしたのかはネット検索でも分からなかったが、「東京がニューヨークに並ぶ世界の金融センターになる。そうなると世界中から企業が東京に集結し、ビルが不足する」といった流言飛語が飛び交い、「地上げ」が始まったのである。あとから分かったことだが、この時期、東京のビルの空室率はかなり高かったようだ。言い出しっぺが誰かは推測の域を出ないが、短絡的に考えれば流言飛語を根拠に「地上げ」に奔った不動産業界のように思えるが、小林紀興氏は金融業界ではないかと推測している。
 日銀の金融政策の大転換で、困ったのはだぶついた資金の運用先を探す必要に迫られた金融機関だった(優良企業は金融機関からの間接資金調達から増資や社債発行による直接資金調達に移行していた)。そのため金融機関は何とかして「運用先を作る」必要があった。目先感覚で、だれが最も利益を得るかと考えるのではなく、利益を求める中間業界を「育てる」ことによって間接的に利益を得ることが出来たのは誰か、と考えると小林紀興氏の見方はあながちうがちすぎとは言い切れない。その場合、当然その世界の手先となって流言飛語を必死になって広めたものがいるはずで、その手先になったのは長谷川慶太郎とかいう自称「経済評論家」であり、彼を神様のように持ち上げたマスコミでもあった。当然マスコミ界最大の読売新聞はその責を負わねばならない、というのが小林紀興氏の主張である。
 たとえばゴルフの会員権。バブル期はどんなぼろコースも週末はおろか、平日でもコンペで大変流行っていた。その状況を見てみんな(小林紀興氏も含めて)ゴルフ人口に比してゴルフ場の数が少なすぎると思い込んでしまった。だからゴルフ場開発業者には銀行は無制限に開発費用を融資したし、新設ゴルフ場の会員権は売り出した途端に羽が生えたようにあっという間に売り切れてしまった。またまともな事業を経営していた会社のトップもゴルフ場のオーナーになることが大きなプレイタスでもあった。実は取材などを通じて知り合った、そうした企業の社長から小林紀興氏も勧められていくつかのゴルフ場の会員権を買っている。何しろ縁故募集で売り出した会員権の「念書売買価格」が1か月で3倍になるほどだったから、小林紀興氏が錯覚するのも無理はなかったと言えよう。銀行マンも買い漁ったし、読売新聞などマスコミ関係の人たちも「縁故募集」の声がかかったら喜んで飛びついたはずだ。不動産担保の金融機関の融資基準は地価の7割が一般的な上限基準だが、この時期はゴルフ会員権に対しては提携ローンは頭金なしの全額ローンが当たり前だった。読売新聞の記者たちも銀行マンの口車に乗せられて、ローンを組んで会員権を買ったと思う。そのこと自体は、そういう時代だったから「先見性がなかった」と責めることはできない。が、自分の失敗経験から何を学ぶかがジャーナリストには問われている。が、読売新聞の紙面からは「バブル経済とはなんだったのか」という自省を込めた検証作業がなされたとは到底思えない。
 いま小林紀興氏は自省の念を込めて、バブル期のゴルフブームの実態なるものを論理的に検証している。確かにバブル期に比べてゴルフ人口が激減したことは間違いない。しかしバブル期に新設されたゴルフ場の数はせいぜい全体の0.5%程度である。ゴルフ人口が仮に半分に減ったとしても、需給関係の反映かを基準に考えるとゴルフ会員権の平均価格はバブル期の4割程度に収まっていなければおかしいということになる。もちろん一時的には、振り子の原理で針が大きく振れすぎることはある。「豊作貧乏」などということはそうした一時的現象を意味した言葉であり、その時期を過ぎれば自然に需給関係を反映する価格帯に収まるのが自由経済の原則である。実際多くの実需商品はいったん大きく振れた需給関係のアンバランスも、多少の時間差を置いて落ち着くべき水準に落ち着いている。たとえば土地の価格も失われた20年の間いったん大幅に
下落したものの、下落幅は少しずつ縮小し、今はバブル経済に入る以前の水準には戻っている。株価も、バブル最盛期の日経平均4万円まであとちょっと、というレベルには程遠いが、少なくともバブル経済以前の水準には戻っている。
 だが、ゴルフの会員権だけは依然として下落が続いており、回復の見込みはない。なぜか。実はバブル期のゴルフ会員権高騰は実需ではなかったのだ。プレー目的ならば会員権は一つか、せいぜい二つもあれば十分だろう。ところが、当時最も有利な投資商品だったのがゴルフ会員権だったのである。だから、多くの人は、ゴルフをやらない人までも、リクルートの江副氏がばらまいたリクルートコスモス株よりもはるかに有利な投資商品として買い漁ったのが、ゴルフ会員権高騰の原因だった。小林紀興氏が会員権業者から聞いた話として「ローンで100以上もの会員権を買い漁って、バブル崩壊で破産した人もいた」と言っている。つまり、バブルによってゴルフ場が大いに儲かったのは、ゴルフ人口が増えたことは事実だが、会員権の多くを一握りの富裕層が投資商品として買い集めた結果、実需(ゴルファーの総数)に対して供給(ゴルフ場の数)が少ないと見誤ったのがゴルフブームの最大の原因だったのである――というのが小林紀興氏の論理的結論である。確かに単純な論理だが、よく考えてみるに当裁判所も小林紀興氏の見解の正しさを認めざるを得ない。
 実はバブル経済を生み出したのは消費税導入だった、と考えている人は小林紀興氏しかいない、と当メディア最高裁判所は考えている。氏の主張には説得力がある。非常に単純だが、「なるほど」とうなずかざるを得ない。氏の主張とはこうである。
 氏はバブル経済を発生させたのは竹下内閣の消費税導入(1989年)であると指摘する。竹下内閣は、日本の累進課税率は先進諸外国に比して厳しすぎる、諸外国並みに課税率を引き下げ、それによる税収減を消費税で穴埋めする、という税制「改正」案で、それを真っ先に支持したのが読売新聞だった。このバブル経済を本格的で持続的な経済成長につなげて財政再建を果たそうとバカな発想で、高額所得者の課税率を最大50%(所得税40%、地方税10%)に引き下げ、税収減を補うために消費税を5%にアップしたのが橋本内閣であり、この時も読売新聞は消費税値上げのお先棒を担いだ。
 実はこの政府説明はまったくの虚構であったことを安倍内閣がばらしてしまった。日本の名目課税率は確かに諸外国に比して高かったが、実は日本の課税対象所得額は実収入額から相当減額されているのである。給与所得控除、基礎控除、社会保険控除、扶養家族控除などが、日本の場合、実収入から減額されて課税対象所得が算出されているのである。通勤のための交通費実費支給などは収入にすら計上されていない。
 なんでも自己責任を基準にするアメリカなどは、どこに住むかは個人の自由であり、その結果家賃やマイホーム購入が安上がりの郊外遠隔地に住居を構えるのも個人の自由なら、長時間と高額の交通費をかけて会社に通うのも自己責任と考えている可能性が高いのではないかと小林紀興氏は推測している。読売新聞などは主要国に総局や支局を構えており、当然現地人の従業員も雇用している。国によって税制が異なるのは当然で、現地雇用の従業員に対し日本型給与体系は適用できない。だからアメリカではどういう給与体系になっていて、収入からどういう名目の控除が行われているかわかっているはずなのに、「欧米並みに課税率が引き下げられれば、ナベツネと呼ばれているような高額給与所得者が喜ぶだろう」と、読売新聞の記者たち(編集委員や論説委員も含む)と考えたのだろう。
 とりあえず安倍内閣は給与所得控除だけをやり玉に挙げて高給取りの増税を図ることにしたが、他の名目の控除については諸外国がどうしているか説明していない。読売新聞は先の消費税導入時の政府説明をうのみにして高額所得者に対する優遇税制を支持したことをいまだに自己批判していない。あとで詳しく述べるが、小林紀興氏に対して読売新聞読者センターのバカがいわれのない非難をし、あまつさえ自己批判まで要求した。悪質、という言葉はそういう行為のためにある。小林紀興氏に対し「有象無象の読者の輩」と、電話での発言は「公での誹謗中傷にあたらないから日本では名誉棄損で訴えることが出来ない」ということだけ知っている悪知恵の持ち主も読者センターにはいる。
 ついでに小林紀興氏は、ヨーロッパ諸国の付加価値税の高さについて読売新聞が子どもでも気づくはずの疑問をどうして持てないのか不思議に思っている。スエーデンなどは確かに社会福祉が非常に充実してはいるようだが、日本で20%もの消費税にしたら目を疑いたくなるような大不況に陥ることくらいは分かるはずだ。なぜ20%近い高率の付加価値税を課してもヨーロッパの景気が落ち込まなかったのか、ヨーロッパ諸国の総局や支局に勤務している記者はその理由を本社に情報として上げていないのだろうか。もし誰もそうしたことを疑問に思わないような記者だけを海外に出しているとしたら、アホを海外勤務にするという人事方針のせいなのだろうか。それともナベツネさんのために、そういうナベツネさんにとって都合の悪い情報は本社に上げないというヒラメ人間集団が読売新聞の体質なのか。

 小林紀興氏の多少八つ当たり的批判には「もう少し頭を冷やすように」と忠告するにやぶさかではないが、当裁判所が氏の主張をむげに退けるわけにはいかないのは、当時も今も変わらぬ金融機関のお行儀の悪さを読売新聞は意図的か、あるいは無能集団の故に批判できなかったのか、どちらかであることは間違いない。バブル期、大銀行の支店長や行員がデベロッパーやゴルフ場開発業者の「営業マン」になって土地やゴルフ会員権を売りまくっていた事実もある。そして金融機関の営業にまんまと乗せられたのが、消費税導入と引き換えに大幅に減税され可処分所得が爆発的に増えた高額所得者や資産家だった。
 これはその一つの例だが、バブル期ゴルフは空前のブームだった。そのためゴルフ場のメンバー(会員)であっても、なかなか予約が取れないという状態が、ぼろコースでも見られた。それを金融機関は実需が供給量を上回っていると見たようだ(最大限、善意に解釈しての話だが)。だからゴルフ場開発業者には惜しみなく融資したし、また新設ゴルフ場の会員権を銀行マンが自ら富裕層に売りまくったのだ。でも、子供でもわかると思うのだが、1千万円を超える会員権を買える人でゴルフをする人なら、すでに会員権の一つや二つくらい持っているのではないかと、なぜ考えなかったのだろうか。読売新聞の幹部記者連中(論説委員や編集委員も含む)も銀行マンから勧められてかなり高額のゴルフ会員権を買ったのではなかろうか。実は小林紀興氏自身、友人関係で新設ゴルフ場の会員権をいくつか買ったことを当裁判所に明らかにしている。そのゴ
ルフ場開発業者を活字にしたことはないということなので、「お前もアホだった
じゃないか」と言うしかないが、氏はこの「儲け話」に浅ましくも乗ってしまったことへの反省から、以下のようなバブル商品の本質的解明を行っている。
「資産的価値としてのゴルフ会員権は、他の投資(あるいは投機)対象の商品とは明らかに違う特性を持っている。他の商品は株にせよ先物にせよ、絵画と違って商品を維持するための費用はかからない。株などは、株価が値下がりしてもその会社が倒産したり赤字になったりしない限り配当を貰える可能性が高い。が、ゴルフの会員権はゴルフ場の利用価値しか本来ない性質の商品で、従って利用目的がなくても会員資格を維持するために相当額の年会費を支払わなければならない。似たような商品に不動産があるが、不動産はゴルフ会員権と同様利用しなくても固定資産税がかかるが、土地転がしによる利益獲得を防ぐための一定の法的整備がされており、利用目的がないのに不動産を購入するといったケースはゼロとまでは言わないが、そう多くはないと考えられる。
 そもそも新設ゴルフ場の会員権の縁故募集(特別縁故といったバカげた会員権もバブル期には乱発された)の金額は、基本的に預託金が90%を占めていた。たとえば1000万円の売り出し会員権であれば、900万円が預託金(一定の預託期間が過ぎれば無利息で返還することを会員権購入者に約束した金額)で、残りの10%は入会金という名目で徴収した販売代理店への手数料であった。
 ところが、よく考えてみれば新設ゴルフ場の会員権販売で集めた金が金庫の中で眠っているわけではない。すべて土地購入費(あるいは借地料)やゴルフ場造成費、クラブハウスの建設費などに費消されてしまっているのである。だから預託期間が来て会員が預託金を返せと要求しても返せないのである。ゴルフ場に限らずレジャー施設もまったく同じ預託金制度を採用しているところが大半で、バブル崩壊時には預託金返還請求の告訴が相次ぎ、被告側のゴルフ場やレジャー施設側の弁護士は常に『会員権は株と同様値上がり期待で購入したのだから、値下がりリスクは購入者が負うべき』と主張したが、そんなご都合主義的な被告側主張を裁判所が認めるわけがなく原告(会員権購入者)がすべて勝訴した。勝訴はしたが、すでに述べたようにゴルフ場会社が集めた金はすべて土地や付帯施設の購入・造成・建設費として費消されており、返したくても返せない。預託金返還請求されたゴルフ場がバタバタ倒産したのは論理的に考えれば当然至極な結果だった。そもそも、考えようによっては限りなく詐欺的行為に近い預託金ビジネスを、野放しにしてきた国に責任はないのだろうか」と。――そう主張する小林紀興氏の国家犯罪告発に対して当裁判所は権限外の事案ではあるが、氏の主張にそれなりの合理性があると認定せざるを得ない。
 さて澄田総裁の無能な金融政策によって日本経済のバブル景気は最高潮に達
していくが、政府もまた加熱したバブル景気に対してまったく有効な手を打と
うとしなかった。その点に関して当裁判所は小林紀興氏が告発した通り、日銀の金融政策、金融機関の非倫理的営業姿勢、金融機関の不健全さに付け込んで詐欺的ビジネスを展開した地上げ業者やゴルフ場開発業者、レジャー施設開発業者、そして最終的にはバブル景気が日本経済に与えることになる大打撃の結果を見るまでバブル景気の過熱を抑え込もうとしなかった日本政府の無能さには呆れるしかない。
 澄田総裁の無定見な金融政策は、大蔵省銀行局出身であったことと無関係ではない、とさらに小林紀興氏は指摘している。氏の主張の根拠はこうだ。
 官僚は自分が管轄する産業の育成、支援をしなければならないと勝手に思い込んでいる。その基本的姿勢がすべて間違っているとまでは言わないが、自分が管轄する産業が肥大化しさえすれば何をしてもいいという考え方は根本的に改めなければならないと氏は強調しているのである。確かに氏は手段と目的との関係について卓越した主張をかつて行っている。氏は自らのブログにおいてもしばしばその考えを述べているが、体系的に論じたのが『忠臣蔵と西部劇』(1992年11月に祥伝社から上梓)である。同書のまえがきを転用する。

 日本経済摩擦には、二つの側面がある。 
 一つの側面は、言うまでもなく貿易摩擦である。増える一方の日本の対米貿易黒字をどうするかという問題だ。
 もう一つの側面は、もっと根が深い。いわゆる日本的経営や行政、さらには日本社会そのものが問われているからである。
 日本社会の底流には、目的さえ正しければ手段は問わない、という考え方が横たわっている。ロッキード裁判で有罪判決を受けた全日空の若狭得治名誉会長に、同情票が集まったり、社内での人望が揺るがないのも、「会社のためにやったこと」(若狭)だからである。つまり「会社のため」という目的の“正当性”によって、賄賂という手段の“反社会性”が塗り込められてしまったのである。
 一方アメリカは目的の“正当性”より、手段の“正当性”を重視する傾向が強い。アメリカ人の目に、日本社会の構造が「米欧社会とは異質なアンフェアなもの」と映ったのはそのためである。
 こうした日米のパーセプション・ギャップ(認識のずれ)は、忠臣蔵と西部劇に象徴的に反映されている。忠臣蔵は主君の仇を討つという目的の“正当性”によって、無防備状態の敵を闇討ちにするという行為が美化された物語である。
 一方、西部劇では、目的の“正当性”だけでなく、手段の“正当性”が厳しく求められる。この、日米二つの社会の底流に横たわる価値観の対立が、日米経済摩擦の深層部を形成していると言えよう。

 実は小林紀興氏は、西部劇の世界で厳しく求められる手段の“正当性”をまえがきで明らかにするかどうかで祥伝社の故伊賀弘三良編集長とかなりもめたという。氏は明らかにしておかないと、読者が興味を持ってくれないのではないかと考えたが、編集長はまえがきで種明かしをしてしまうと買ってもらえないと主張、結局氏が折れてまえがきでは西部劇の世界で厳しく求められる手段の“正当性”については書かないことにした。本文で氏はこう書いている。

 アメリカの西部劇は、日本の時代劇と同じくストーリーは単純な勧善懲悪が多いが、西部劇には、日本の時代劇には見られない厳然たるルールが二つある。
 ●うしろから撃ってはならない
 ●丸腰の男を撃ってはならない
 この二つは、相手を殺すという目的の正邪とは関係のない、戦い方のルールである。このルールを無視すると、それだけで卑怯者、アンフェアな男、という烙印を押されてしまう。

 実は小林紀興氏は、この著書を書いた時点では対外関係においてもアメリカはフェアネスのルールを尊重していると考えていたようだ。しかし、その後のアメリカの対外経済政策、とくにTPP交渉にみられるアメリカの国家エゴともいうべき利己主義丸出しのスタンスを見ると、アメリカのフェアネスは国内だけのルールで、海外との関係においてはこのルールは無視してもよいと考えているようだ、と厳しく批判するとともに、『忠臣蔵と西部劇』を執筆していた時点ではそこまで見抜けなかったと猛反省されているようだ。読売新聞の記者たちは氏の爪の垢を貰って煎じて飲んだ方がよいと当裁判所は考える。
 それはともかく、澄田総裁の後を継いだ三重野康総裁は、澄田総裁に輪をかける金融政策の大ミスを犯す。三重野氏は日銀プロパーで、澄田総裁の下で副総裁を務めた人間である。副総裁として三重野氏はバブル過熱を懸念し、澄田総裁に何度も公定歩合の引き上げによる金融引き締めを提言したようだが、受け入れられず、1989年12月に総裁に就任したことで念願のバブル退治に乗り出した。バブル退治は当然すべきだったが、それこそ慎重に行わないと大きな問題が生じる。現実に生じた。
 三重野氏が行った金融引き締めだけだったら、その後の「失われた20年」はなかったであろうが、大蔵省(当時)と連携してとんでもない舵切をやったのが間違いの元だった。つまり日銀は公定歩合を大幅に引き上げつつ金融引き締めに舵を切り替えた。同時に大蔵省は「総量規制」と言う大ナタを振るって加熱したバブル景気を一気に冷やそうとした。
 総量規制とは、大蔵省銀行局が90年3月に金融機関に対して行った行政指導
で、不動産向けの融資を厳しく規制するものである。「土地は増えないが、土地に対する需要は伸び続ける」という「土地神話」が地価の高騰を招いたと見た大蔵省は、銀行のお行儀の悪さを「総量規制」という大ナタで封じ込めようとしたのだ。
 この時期、経済のことが何もわかっていない佐高信とかいうバカな評論家が日銀の三重野総裁を「平成の鬼平」と持ち上げたが、バブル経済を強制着陸ではなく軟着陸で退治することに成功していたら、その功績は金融引き締めを強行した三重野氏ではなく、「総量規制」によって金融機関のお行儀の悪さにメスを入れた大蔵省銀行局の土田正顕局長にこそあった。ただ金融引き締めと総量規制のダブルパンチで、バブル景気は一瞬で吹き飛んでしまった。「日銀の独立性」がある意味では逆効果になった典型である。
 その結果、日本経済を「失われた20年」が襲い、その間に日本企業の雇用関係と、インターネット社会の急速な進行によって社会のあらゆる分野での激変が生じたと小林紀興氏は分析している。
 が、この判決理由が長文になり、昨日は休廷を余儀なくされたくらいなので、この続きは明日述べることにする。