11月の末、暖かい日の 「しあわせの村」 風景のスケッチである。
このブログで、最近平山郁夫の「私の歩んだ道」を読んだと書いたのは
11月の27日であったが、そのすぐあとの12月2日に亡くなられた。
この本は、生い立ち、少年の頃、被爆、絵の道、仏教伝来への関心、
文化財保存活動などを絵と文で綴る履歴書であったから、新聞やラジオで
伝えられる氏の経歴、業績や追悼文に書かれている人柄などがよく理解出来た。
その中でも氏の社会性が強く称えられていたのが目立っていた。
10年ほど前になるが、長野での会合の後もう一日休みを取って、東京・上野の
東京芸大大学美術館へ寄ったことがある。
そこでは平山郁夫氏などの尽力により「アフガニスタン 悠久の歴史展」が
開催されていて、人に勧められていたのである。
アフガニスタンのイスラム原理主義政権によるバーミヤン大石仏の爆破事件
などもあり、貴重な遺跡や美術工芸品が破壊されたり国外流失されることを恐れ、
アフガニスタン文化遺産の復興支援を訴えるための催しであった。
同展には海外美術館のコレクションのほかに平山郁夫氏が努力して集めた
流失文化財なども出展されていた。
素人の自分にも、日本文化に影響を与えているとはっきり分かる美術品も
出されていた。
この時初めてこの人の、単なる日本画家の位置を越えた存在を知ったのである。
サイズ F6 [048]
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このブログで、最近平山郁夫の「私の歩んだ道」を読んだと書いたのは
11月の27日であったが、そのすぐあとの12月2日に亡くなられた。
この本は、生い立ち、少年の頃、被爆、絵の道、仏教伝来への関心、
文化財保存活動などを絵と文で綴る履歴書であったから、新聞やラジオで
伝えられる氏の経歴、業績や追悼文に書かれている人柄などがよく理解出来た。
その中でも氏の社会性が強く称えられていたのが目立っていた。
10年ほど前になるが、長野での会合の後もう一日休みを取って、東京・上野の
東京芸大大学美術館へ寄ったことがある。
そこでは平山郁夫氏などの尽力により「アフガニスタン 悠久の歴史展」が
開催されていて、人に勧められていたのである。
アフガニスタンのイスラム原理主義政権によるバーミヤン大石仏の爆破事件
などもあり、貴重な遺跡や美術工芸品が破壊されたり国外流失されることを恐れ、
アフガニスタン文化遺産の復興支援を訴えるための催しであった。
同展には海外美術館のコレクションのほかに平山郁夫氏が努力して集めた
流失文化財なども出展されていた。
素人の自分にも、日本文化に影響を与えているとはっきり分かる美術品も
出されていた。
この時初めてこの人の、単なる日本画家の位置を越えた存在を知ったのである。
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いいものですね。
見せていただき、siawase気分です。
見て、心和みでした。
平山郁夫さん、・・・・・・。
日本画家の位置を越えた存在、・・・・・・。
あまりにも、有名ですね。
偉い人でしたね。
さて、satoyamaさん
昨日の「鳥のことならなんでもぞ存知なのですか? 」についてですが、・・・。
→ いいえ。
ブログする前は、無知だったのですよ。
それが、、・・・・・・。
いつの間か、少しずつ、・・・・・・。
ブログ交流って、いいものですね。
応援ポチ。。
しあわせの村は何度拝見してもいいですね。
屋根の色が何処の外国かと思えます。
四季折々の景色がたのしみです。
偶然とは言え平山郁夫さんが亡くなられる少し前にブログで触れておられましたね。
なくなるまで絵筆をもたれていたとか・・・
素晴らしい人でしたね。
「しあわせ村」とても耳触りのよい言葉。
今回の絵も幸せ感が伝わってくるようです。
平山郁夫画伯の本読んでいませんが、原爆病で
苦しまれたことは知っていました。
展覧会もみたことがあります。
お顔が柔和で素晴らしい方でしたね。
このような方はまれでしょう。
もっともっと生きていただきたかったですね。
屋根の色の面白さにつられて度々訪れでいます。
これからも野鳥の写真を楽しみにしています。よろしく。
それに、天候や太陽の位置でかなり変わるようです。
平山さんのことは、偶然を驚いています。
お顔が柔和ということでは東山さんもそうでした。
ずっと前に、奈良の博物館で、観音像ばかりを集めての展覧会が有った時に、
東山さんお一人で、夕刻の人の少ないときに像を熱心に観ておられて、
少し離れてお姿を見せていただいたことがあります。