淡彩スケッチ ひとりあそび

  へたはへたなりに 楽しんでいます    ( by satoyama )
  

近江・五個荘(ごかしょう)      [694]

2015-09-26 22:32:41 | 淡彩スケッチ
        
             五個荘 白壁の街並み  F4  

        
             五個荘 街並み

        
             五個荘  誰が活けるのか 水路の花

        
             琵琶湖に浮かぶ沖島の港

          近江商人発祥の地とか、てんびんの里と云われている五個荘へ行ってきた。
        JR東海道本線(琵琶湖線)近江八幡駅の二つ向こうの能登川駅下車、バス10分の処。

        町の中心地、金堂の町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
        選定理由は、案内チラシによると「金堂の町並みは古代条里制を基礎に大和郡山藩の
       陣屋と社寺を中心に形成された湖東平野を代表する農村集落で、加えて近江商人が
       築いた意匠の優れた和風建築群の歴史的景観を保存し、我が国として価値が高い」とある。

        この地出身の人たちが、「近江商人」として成功し、大富豪に成った後も郷里を離れる
       ことなくこの地の本宅を守り、大事に受け継がれたものが、今に白壁の町並みとして残さ
       れている。
        主な屋敷は有料にして公開されていたが、今回は簡単なスケッチを一枚描くだけの、
       街歩きしかできなかった。

        この日は、この地を訪れる前に、沖島(沖島)へも寄ってきた。
        近江八幡駅からのバスに乗り換え、湖畔の長命寺近くから乗合い船で渡った島である。
        国内で唯一、淡水湖(琵琶湖)に浮かぶ有人島である。
        近江八幡市沖島町として、れっきとした町制をしいている。
        「海なし県の離島・沖島」として少ない船便に、多くの観光客を乗せていた。



頭塔 (奈良)    [693]

2015-09-26 22:16:21 | 淡彩スケッチ
           
               絵仲間の集まりで描いた花   F6

          
               秋明菊

          
               窓から見る夕焼け


         今日の夕刊に《 壮観、奈良のピラミッド 》として、大きく取り上げられ
      ている。
       奈良市高畑町の「 頭塔 」(国指定史跡)が、春、秋の特別公開の時以外は
      事前予約が必要だったけれど、常時公開されるようになり、観光客の人気を
      集めているということである。

       東大寺南大門から南へ1キロの住宅地内に在り、奈良時代に造られていた、
      一辺32メートル、高さ10メートルの、土盛りの仏塔とみられているものである。
       すぐ近くを通る市内巡回バス道からも近いけれど、目立つ標識もなく、長く
      忘れられたような状態だった。

       何がきっかけだったか忘れたけれど、初めて訪れたのは学生の頃で、周囲
      どこからでも入り込むことが出来た。
       不思議な感慨に、ひとりふけったことだけは覚えている。
       石造美術に、そして石仏への関心が深まっていくきっかけになったもので
      あった。

       例年より早くに咲きだした曼珠沙華も、あっという間に色あせた。
       代って、秋明菊が咲きだし、香の流れに気づくと木蓮の花が咲いている。
       明日は仲秋の名月。
       なんと日の移りの早いことか。

下津井 スケッチ (3)   [692]

2015-09-20 19:07:51 | 淡彩スケッチ
       
            むかし下津井廻船問屋 表    水彩  F4

       
            下津井田之浦港   F4

       
            むかし下津井廻船問屋 内部 商家店の間 写真 

        町中の旧道に面して、「むかし下津井廻船問屋」と云う施設があった。
       倉敷市が、今日まで残されていた商家の母家やニシン蔵をベースにして、当時の
      廻船問屋に近いかたちで復元したものである。

       明治中期から昭和初期にかけての廻船問屋の生活を覗き見するような気分にもなれたし、
      下津井の暮らしや、北前船かかわりの品々も展示されていた。
       中庭を取り囲む多くの棟が、資料館であったり、土産物店、飲食店として活用されていたが、
      これらの施設や観光案内などの運営は、NPOの人たちによりされていた。

       今回で下津井湊のスケッチの掲載は終わるが、是非もう一度行きたいと思う。
       たとえ一枚であっても、しっかりとまともに描きたい。


下津井 スケッチ (2)   [691]

2015-09-15 00:54:50 | 淡彩スケッチ
             
               旧道を歩いていて、もっともっと興味深い建物に出会えたが
               手に負えないので、こういう簡単なものに挑戦した   サイズ F4

           
               いろいろな路地にも出くわしたが、みんな狭く、ひとの行き来に迷惑になりそうで、
               広い通りを選んで描いた。   サイズ F4

              いわゆる下津井は、下津井、下津井吹上と下津井田之浦に分かれていて、それぞれに
           漁港がある。
            しかし、海岸沿いに連続して並ぶ狭い範囲なので、地区全体を「下津井」と呼んでも
           通じるようである。

            天然の良港として、「風待ち、潮待ちの湊」として奈良平安の時代の記録にも残り、
           江戸・明治期には、北前船の寄港地として栄え、対岸金毘羅参りの渡船場として賑わった
           そうである。

            町中を海岸線に並行して通る狭い旧道は、県道21号線で、バイパスのように海岸沿いの、
           観光バスも通る広い道路は、瀬戸大橋の架橋に合わせて敷設されたものである。

            便利になったとはいえ、瀬戸大橋開通後は商港や旅客港としての機能は無くなっている。
            近くに鷲羽山があり、「下津井」の外にレジャー施設やホテルが出来ているけれど、
           とてもとても観光立地にはなりそうにもなく、瀬戸内海漁業だけのこの地は停滞している
           ように見えた。

            11月頃からの、蛸の天日干し風景は評判だそうである。
           

下津井 スケッチ(1)   [690]

2015-09-12 22:10:04 | 淡彩スケッチ
     
           下津井西小学校より 1  サイズ F3

         
           下津井西小学校より 2  サイズ F3

                街中の通り 写真
         


        下津井は、JR岡山駅と高松駅を結ぶ瀬戸大橋線が瀬戸内海を渡るに通過する瀬戸大橋の、
     岡山側最初の橋脚足元の地である。 
      民謡下津井節で知られる古くからの良港で、瀬戸内海を往来する北前船で賑わったと
     いわれている。
      山を背にして海岸線沿いにつながる奥行きの狭い町の中に残る旧道には、古い民家が
     沢山残っていた。


      家を出てから、バス、JR(乗り換え2回)、バス の行程で片道約4時間半。
      JRは青春切符の利用だし、バスとの乗り継ぎも悪いのでまあ仕方がない。
      滞在時間を5時間取れたので、街中ブラブラ歩きも、ラフスケッチの6枚(無彩色)
     も出来たので、出来栄えはとにかく、いい思い出ができた。

      今日掲載のものは、高台にある下津井西小学校前から海を見下ろして描いたものである。
      昼飯を食べるため入った店で勧められるままに注文したものの、どうも時間がかかり
     そうな気がして、待つのももどかしく、戻ってきてから食べるからと断りを入れて、
     荷物を置いたまま、すぐ近くに見える高台に登って急いでスケッチブックに線をひいた
     ものである。
      着彩は帰ってからのことにした。

白鳳   花ひらく仏教美術  [689]

2015-09-06 20:33:07 | 淡彩スケッチ
        
           東大寺 南大門    水彩  F4
           団体の外人さんで賑わっていた  鹿たちも、せんべいを沢山もらえるから群がっていた

             
                斑鳩 法輪寺   伝虚空蔵菩薩立像(重文)  会場販売写真

             
                奈良 金龍寺   菩薩立像(重文)  会場販売写真


         奈良国立博物館へ行って、白鳳時代の仏像を主とした美術に触れることができた。
       開館120年記念特別展と銘打つもので、通常安置されている寺院や他の博物館、
      研究団体などからの白鳳期の国宝16点、重文71点を含む数多くの仏像や書画
      そして遺品、資料が展示されていた。

       雑感を少し・・・・・。

       今の山田寺跡からは思いもしなかった数多くの創建時の仏像が出展されていて驚いた。
       山田寺仏頭(国宝)は、残念ながら会期途中で興福寺にお帰りになっていて見る事は
      出来なかった。

       薬師寺からは
       大きく見上げる月光菩薩立像(国宝)が、壁面から離れて、独立して立っておられる
      から、側面、背面からの体の美しさをはっきり見ることが出来た。
       鋳造技術が優れていると言われているけれど、こういう設置、照明があるから、
      そのことはよく分かった。
       東院堂の本尊 聖観世音菩薩立像(国宝)は、仏像とは思えぬほど、現代人と同じ
      顔つきの、希望に輝く青年の表情が美しかった。

       當麻時・持国天立象(重文)
       初めて見る像で、うす暗い堂内で出会いたかった。
       どんなに迫ってくるものが強かったかと思う。

       法輪寺・伝虚空蔵菩薩立像(重文)
      学生の頃から、もう何度も何度も拝観しているから、思いもしないところで出会った
      ような気がした。
       この像も周囲から拝観できて、側面から見る体躯の薄さは意外であった。
       この像には信仰心に近い思いがあるから、こういうだだっ広い体育館のような場で、
      明々と照らしだされて、混雑する人々のなかに見世物の様に晒されているのを見て、
      痛々しく感じた。
       この菩薩像が、多くの人に知ってもらえる機会となればと願う。

       その他にも、興味深いものが沢山あり、飛鳥時代の異国風の硬い造りから、天平時代の
      おおらかさ、柔らかさへの移りもよく分かった。
       下記のものにも興味をおおきくひかれた。
       薬師寺東塔水煙の飛天や寺の縁起が書かれた水煙の擦管
       法隆寺金堂壁画の、焼失する前に描かれていた精巧な複写
       阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)の厨子に描かれた絵  など。


       退館したあと、冷たいものを飲んで体を休め、少し周辺を歩いたが、結局東大寺南大門の
      ラフスケッチをしただけで帰途に就いた