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上谷上農村歌舞伎舞台 水彩 F 4
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平成25年 当舞台で上演されたときの写真 NETより借用
この農村歌舞伎の舞台は、有馬街道の通る狭い谷合に向かって流れ落ちるような山裾の
集落の中にあった。
家々は、うねるような細い道に沿って、玉石積の擁壁で確保された平坦地に建っていた。
上谷上農村歌舞伎舞台は、地元の鎮守である天満神社の境内にあった。
道沿いに建つ鳥居をくぐって、15段ほどの石段を登って進む参道を覆いかぶさるように
してこの舞台が建ち、抜け出た所が境内広場、向こう正面に神社本殿が建っていた。
娯楽もろくに無かった時代には、たまの農村歌舞伎の楽しみは貴重なものであっただろう。
近在の人達が三々五々に集まって来て、わき起こすざわめきを想いうかべながら、いまは
もう屋根面いっぱいに苔を覆った舞台をスケッチした。
兵庫県教育委員会が設置している案内版やNET で拾い読みしたものを列記したので、興味
のある方は目をとおしてください。
江戸時代末期から明治にかけて農村歌舞伎が全国的に流行し、山田町でも[注 神戸市北区
山田町]十三ヶ村に十四棟もあった。
建物は茅葺入母屋平屋、正面11.07メートル 側面7.40メートル である。
この舞台は、文久3年 (1163)[注、明治元年より5年前のこと]に建てられたと
推定される。
建物の中央を参道が通り抜けになっているから、舞台として用いるときは床を張った。
斜面に建っているので、背面、側面の壁下に石積壁を造り、半地下として、床下を楽屋にし
ている。
この舞台の特徴は、上演のとき、舞台の上に床几(しょうぎ)四台をつないで置き、回り
舞台にしていることである。 回り舞台の前身とも言え、舞台の発達を知る上で貴重なものである。
農村歌舞伎の上演会は、山田町の下谷上・上谷上・藍那・小河の現存の舞台をローテーションで
活用していて、平成25年度は、この上谷上の農村歌舞伎舞台で上演された。
兵庫県指定重要有形民俗文化財の指定を受けている。