淡彩スケッチ ひとりあそび

  へたはへたなりに 楽しんでいます    ( by satoyama )
  

立杭焼の里    [565]

2013-09-29 13:28:46 | 淡彩スケッチ
       
                登り窯  F3

       
                窯小屋  F3

        立杭焼の里へ行って来た。
        篠山市今田町の立杭は六古窯の一つと言われる歴史を持ち、焼かれたものは「丹波立杭焼」と
       よばれている。
        登り窯で焼くことにより、松薪の灰が器の上に降りかかり、釉薬と溶け合って窯変して出来る
       模様は意外性を持ち、「灰被り」として好まれている。

        スケッチしたものは、明治28年に造られた共同窯で、兵庫県重要民俗資料の指定をうけている。
        長さ47メートル、9個の窯を連ねている。       
        山に囲まれて、平坦地の少ないこの町は、山裾を這うように細く伸びていて、登り窯もその斜面を
       這い登るようにして造られている。

        焼き物を見ながら、作り手と直に話を聞ける店が点在していて、行く度に町歩きを楽しんでいる。
        スケッチのもう一つのものは、小規模の窯で、今は使われていないようであるが、油絵の絶好の
       モチーフである。

柿   [564]

2013-09-26 21:53:20 | 淡彩スケッチ
      
               柿  F3

       通りがかりの「道の駅」に寄ったら、枝付き、葉付きの柿が売られていた。
       農家の庭先にでも実ったものであろう。
       枝さえ付いていたら、味はどうあれ喜んで買っていく客がなかにはいるだろうと
      いう読みに引っ掛かったような気がする。
       どうあれ、葉っぱもシャキッとしていた。

  大分 臼杵へ    [563]

2013-09-23 22:00:21 | 淡彩スケッチ
     
          「直良信夫生誕地」の石碑の立つ店   F3

     
          原尻の滝   B5

     
          古園石仏 大日如来像   B5


   大分県臼杵へ行って来た。
   以前に紹介したとおり、フエリーさんふらわぁで神戸港を夜8時に出港し、
  翌朝7時20分に大分港に到着し、その日一日をかけて臼杵をバスで見て回り、
  その夜7時半の船で翌朝8時に神戸へ戻るタイトなツアーであった。

  1.原尻滝の観光
     地元の人は、東洋のナイアガラと呼ぶもので、高所から一筋になって
    落下するものでなく、地形の妙で、巾120m、高さ20メートルの
    カーテン状仁なって流下するものであった。
     買い物時間などもあって、スケッチを2枚。

  2.臼杵の石仏見学
     59体の磨崖仏が国宝に指定されている。
     50数年ぶりの訪問で、今は屋根などの覆いで保護され、風化の進行は
    押さえられていた。
     地元ガイドの案内の後、30分の自由時間が有ったので、古園石仏の
    大日如来を観に戻り、スケッチもした。

  3.臼杵市街散策
     地元ガイドの案内で2時間半をかけて城下町の散策であったが、自分は
    自由行動を取らせてもらい、6枚のラフスケッチをした。
     二王座歴史の道と呼ばれる道を歩いていたら、「直良信夫生誕地」という
    石柱の立つ店が有って、その前で描いていたら、その店の婦人が見に来て、
    亡くなった父親が描き残した絵を店に架けてあるので、見てやってくれと
    言われるので付いて行ったら、今よりもっと古い町並みの絵が数枚飾られて
    いた。
        (直良信夫:明石原人資料の発見者)
 

薬師寺水煙   [562]

2013-09-18 23:18:36 | 淡彩スケッチ
      
 
      

      
 
       16日、この日が会期最終日の「みほとけのかたちー仏像に会うー」(奈良国立博物館)と、
      この日が初日の「東塔水煙降臨展」(薬師寺)へ行って来た。
  
       「みほとけのかたち」展は、仏像、書画など91件(うち国宝5件、重要文化財42件)を
      展示し、仏像のあれこれを、実例を間近に見ながら知ることの出来る催しであった。

       姿勢、顔、衣、持ち物、材質、霊験、すみか等々の説明に合わせて仏像を並べ、その一体一体に
      説明書きが付けられ、時代の移り伴う変化まで分かるようにしてくれていた。
       木造、塑像、乾漆像、木心乾漆像、脱乾漆像についての実物断片を並べての説明、1180年の
      兵火で焼失した東大寺体仏殿の焼け残り柱から彫られた仏像、金製の今なお輝くばかりの出土仏像
      など興味深いものも有った。


       「東塔水煙降臨展」は、薬師寺東塔の水煙を、塔の解体修理に伴い地上に降しているものを
      公開されていた。
       誰の目にも見えない塔の最先端に付く水煙に、手の届くほどの位置から見るにも耐える優美な
      造形が施こされていることに、白鳳人のロマンを強く感じた。
       同じく展示されている九輪には付いていないが、当初は付いていたであろう風鐸の音に合わせて
      舞う天人を想像するのも楽しいことであった。


       この16日は、泊まり込みのセミナー明けで、朝のニュースも見ないまま、解散と同時に奈良へ
      直行した。
       京都の被害のことを知ったのは帰宅してからのことで、恥ずかしいことであった。
  

      
      

箱木千年家    [561]

2013-09-12 20:28:30 | 淡彩スケッチ
       
         箱木千年家    F4

       
         山田町 民家   F4

       「箱木さんが少し前まで住んでいた日本で一番古い家」へ見学に行って来た。

       谷間にダムを建設する時、その地にあった箱木さんの住む家を、ダムに隣接する
      高台に解体・移築したものである。
       
       この地の古くからの土豪で代々庄屋を勤めるほどの家柄で、解体移築される前から
      国の重要文化財に指定されてはいたけれど、解体調査の結果、日本最古の民家である
      ことも分かり、移築後、当主は隣に新しく建設された家に住んでおられる。

       建築されたのは室町時代と推定され、当初からの部材は鎌倉時代に伐採されたもので
      あることも分ったそうである。

       室内から見上げた棟木の位置は驚くほど高く、軒は極端に低い。だから普通の
      茅葺民家などと比べてバランス的に屋根が巨大に見える。
       大壁にして、開口、窓の類が非常に少ない。
       柱が大面取りで、他の部材と共に手斧で表面が仕上げられている。
       これらのことは、素人の私のちょっと見でも気付くことである。

      スケッチをしていても、頭から汗が流れ落ちた。

         所在地 神戸市北区山田町衝原(つくはら)
 

臼杵の石仏 [560]

2013-09-10 23:10:32 | 淡彩スケッチ
       
          地元淡河で産出されるユリ
          畑一面を真っ白にして咲く様は美しい。  サイズ F4

           
          絵仲間の集まりで。  サイズ  F6

         手頃なツアーがあって、臼杵の石仏を見に行けることになった。

         初日は、神戸港を夜の8時にフエリーで出港し、翌朝(二日目)朝7時過ぎに大分港着。
         その日は臼杵の石仏を見たあと、臼杵の城下町を散策。
         夜の7時半に大分港をフエリーで出港し、3日目の朝、8時仁神戸へ帰るというスケジュール。

         こういうのを何と云うのだろう。
         無泊三日とでも云うのだろうか。
         やっと最少催行人員に達したのだろう、12,800円を振り込めと言ってきた。

         学生の頃に行ったきりで、楽しみである。

面白ノート    [559]

2013-09-05 19:25:05 | 淡彩スケッチ
         
           九体寺(浄瑠璃寺)三重の塔    油絵 P10

          日刊紙の第1ページ、最下段に編集者などが書く随筆欄が有る。
          朝日新聞の「天声人語」などはよく知られている。
          自分の目を通す地方紙のものは「正平調」である。

          書店の店頭で「正平調 書き写しノート」なるものが並べられていて、手に取って
         見ると、2ページ見開きで1日分の「正平調」を書き写す区割り線が引かれていて、
         新聞欄の行数、一行文字数とを合わせてある。
          「天声人語」用のものもあったから、他社のものもあるのかも知れない。

          うたい文句は「書き写しを通して、言葉との出会いが広がり、文章力や表現力が
         豊かになるとともに、地域社会の動きやニュースへの理解も深まります」とあった。
 
          田舎者の珍しがりよろしく早速購入して帰り、思い出しては使っている。
          たったの1行11文字づつだけを読み取って転写するようにしているが、どっこい
         これが何とやっかいなことか。

          ほんの直前に読んだ漢字でさえ正しく書けない。
          句読点を間違える、送り仮名を間違えるで、一行11文字にぴったり収まらない。
          なんと国語力の無いことかと何度もため息をつきながら書くので、たった一日分を
         転写するのに30分近くかかってしまう。

          もうパソコン無しでは文章も書けないのは当然のことと思い知る。


          掲載の絵は、今日から始まった仲間内の作品展へ出したもの。
          昨秋、九体寺(浄瑠璃寺)へ行って描いた水彩画をベースに描いた。
          既に以前ここに掲載しているのだけれど。

少年 H     [558]

2013-09-01 16:39:17 | 淡彩スケッチ
             
              ビン  水彩 F8

           映画[少年H]を観てきた。
           劇場で映画をこの前に観たのはいつだったかは思い出せないけれど、10年くらいは
          経っているだろう。
           いろんな事が有って永らくのご無沙汰だった。

           その間に映画館内の環境は驚くほど良くなっていたうえに、高齢者優遇で1000円で
          入場出来たのもありがたいことであった。

           この度、のこのこ出かけたのは、「少年H」が出版された時に読んで受けた感動を
          思い出したからである。

           しかし、映画の限られた時間内に収める為の省略とはいえ、やはり読後感のものとは
          違っていた。
           例えば、エピソードの「おとこ姉ちゃん」の部などにはそれが顕著だった。
           
           戦争はお国の為であっても、天皇陛下のためであっても苦しむのは市井の人間であって、
          どういう理由であれやってはいかん事だということを、映画もはっきりと主張していた。

           少年Hやその父親が、あの戦時下の情報不足のなかであのような判断、意思を持てていた
          のだろうかと思うのは、読書のときに思ったが、映画でもそれは同じだった。